精神分裂病の経緯 その1 入院編
いわゆる 911 の米同時多発テロを契機として 2001 年 10 月 5 日ぐらいから発症し、10 月中旬の国内での狂牛病の発覚や、12 月 1 日の愛子様誕生を過ぎ、12 月 8 日に両親の手によって引き渡されるように入院した。
病院は住んでいた所からは思ったよりも離れた場所にあり、タクシーに乗って向う途中は、腹痛と不安に苛まされた。
精神病院の実体を知らなかった私は、病院に着くとその患者の多さにあきれ、患者が二時間を超えて待ち続けることに文句を言っていた。すると、先に予約があり、緊急性もあったからだろうが、すぐに診察を受けられることになった。
そのときの私は、目の前にいる医師は一種まがいものの人間であり、異次元的世界の意図を反映したロボットであると思っていた。
そう思っていたので、私は、堅い体を予想してその医師の体に触れると、セーター越しの体は、不自然なほど柔らかく、まるでハリボテの体であるかのように感じた。
驚いて「柔らかい」と感想を漏らしたのは束の間、それを男性の助手達が暴力と受け取り、私をはがいじめにして、無理に入院させようとした。
「離してくれ」といっても離さない。途中、父が見えたので助けを求めたが、何もしようとしない。「やっぱりか」と臍をかみつつ、それでも助手達の手から離れようとしていると、足まで掴まれて持ち上げられ、4 人がかりで 2 階に連れて行かれた。私は、この横暴を見すごさない人がいることを信じて何とかしようと、途中、唯一手の届いた電気ポットを落とした。
もちろん、それらの虚しい抵抗は何の効果ももたず、個室の中に入れられ、拘束具で手足を縛られ張り付けのようになって寝かされた。もう抵抗するつもりはないと言っても、ポットを壊した以上、病院には拘束するだけの正当な理由があった。
尿の採取は、一番はじめだけ、何の質問もなく、尿道カテーテルで行なわれた。不安がらせないためか、笑って作業をしているのが不気味に感じられた。二回目からは、尿道カテーテルは痛いので尿瓶を使うように頼むと、「尿道カテーテルのほうがやりやすいと思ったから」と断って、尿瓶を使うようにしてくれた。
大便をもよおすころには、拘束も解け、その個室にあったトイレを使うようになった。
その後、ポットは、私が自発的に弁償したいというまで、電気ポットでないポットを使っていた。薬の副作用で立ち昏みにより椅子を壊してしまったときも、同じような対応がされた。
更新: | 05/03/21,05/04/06,06/01/28 |
初公開: | 2006年01月28日 21:06:15 |
2006-01-28 21:08:48 (JST) in 精神分裂病 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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