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2006年1月28日 (土)

精神分裂病の経緯 その2 退院編

初めは鍵を掛けられていた個室も、すぐに鍵がなくなり、1 週間ほどで 2 人部屋に移り、2,3 ヶ月で閉鎖病棟から一般病棟(といっても精神病院内だが)の 2 人部屋に移り、何ヶ月か後に 3 人部屋に移った。私は「早く退院したい」と訴え続けたが、そのごとに「すぐに退院できます」と諭され、「退院のメド」として示された期間が過ぎるごとに、部屋の移動があるだけであった。
(カルテ上では 3 ヶ月で退院とあるが、大阪の医師にも相談した 2002 年 5 月 1 日には、まだ下の「援護寮」に入寮していないことが確認できる。「援護寮」は空室を待つ必要があったので、その待っている間を一般病棟で過ごしたことになっているのだろう。)

その後、手続き上は退院したが、病院の敷地内にある「生活支援センター(援護寮)」と称する寮の個室に住み、長い間、事実上の入院生活をした。

そこでは、門限内では比較的自由に外出できたが、許可なく遠出することは許されず、昼間はリハビリと生活訓錬をすることがほとんど強制されていたので、外出は限られていた。

しかし、日曜日には、短かい時間ながらも、北海道にある自宅に電車を使って戻ることもでき、その途中で好きな買い物もできるようになった。

確かにそれぐらいの意欲は、入院時からずっと持ち続けていたが、薬の影響からか、ものを書いたり、少し難しい本を読んだりという意欲はあまりわかなかった。

そこも退所できるメドがたったときから、働くことに慣れるため、コンピュータを用いた簡単な作業を行う「作業所」に通ったりもした。残念ながら、それは就職に役立つほどのものではなく、実際、「作業所」から就職にこぎつけて長く職についた人間はいないと聞いた。


完全に退院して、2003 年の 4 月に北海道から大阪の実家に戻った。

入院後すぐに妄想がなくなり、その後、一度も再発する気配を見せないことから、2005 年の中頃には、入院時とは違う主治医から「入院時の統合失調症という診断は間違っていたかもしれないね」と冗談まじりに言われるほど、今では回復した。医師も薬を処方しなくなった。

医師には感謝しなければならないし、私も年齢だけは十分大人なので、感謝の言葉を心を込めて言うことはできるし、そうしてきたけれども、入院時に感じた様々な不条理さが、医師達にとって必然的であることがわかるにしろ、釈然としない感情が残るのは否めない……
更新: 05/03/21,05/04/06,06/01/28
初公開: 2006年01月28日 21:24:00

2006-01-28 21:24:00 (JST) in 精神分裂病 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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