旧三業「飲む・打つ・買う」、新三業「ジャンクフード・ゲーム・萌え」
かつて三業と言えば、酒を「飲む」、博打を「打つ」、女を「買う」だったわけですが、私はどれも好きではありません。
正しくは酒については味は好きなのですが、アルコールにとても弱いので好んで飲むことがないのです。
でも、だからと言って業が薄いかと言えばそうでもないです。
「飲む」の業は、必要のない物を飲食し、自分の身を削ることにあるのだとすれば、「ジャンクフード」を食べるのがこれに相当するでしょう。酒で中毒になるよりはマシですが、長い目で見れば偏った食生活は体を蝕みますし、現に私は太っていて成人病がちょっと心配です。
「打つ」の業は、一時の浮き沈みに心を奪われ、自らの備え(貯え)を削ることにあるのだとすれば、TV や PC で「ゲーム」をするのがこれに相当するでしょう。「ゲーム」で何かを達成した気になっても虚しく、これに時間をついやして次の仕事がおろそかになったりします。私は格闘ゲーが結構好きで今はやらなくなりましたが、昔は対戦ゲームで夜を明かしたこともありました。
「買う」の業は、異性の人間性を忘れ、自らの子孫または家族をないがしろにすることにあるのだとすれば、「萌え」系のフィギュアをめでたり、アニメを見たり、エロゲーをしたりということに相当するでしょう。私はアニメをかなり見る割に DVD やグッズを買わない「メーカーから見ておいしくないヲタク」「フツー系のヲタク」ってことになるのでしょうが、特に最近はポリゴンエロがいいなぁなんて思ったりしています。
旧三業にくらべれば新三業はマシではあるかもしれません。ジャンクフードを食っても酒のように正体を失くすようなことはありません。ゲームをしても借金にまで追いつめられるようなことはマレです。萌え系を見てキモわるがられても、女性を傷つけているわけではありません。
しかし、新三業は、その罪を自覚するのは難しいです。ジャンクフードを食べて失敗したと気づくのはだいぶ肉が腹についてからです。ゲームをして失敗したと気づくのは仕事で誰かに追い抜かれてからです。萌え系にはまって失敗したと気づくのは部屋に他人を上げられなくなってからです。
新三業は、昔どれもなかったことを考えると、今それらにはまっている人というのは昔は旧三業にはまっていたのかもしれません。そう考えれば新三業も捨てたものではないのでしょう。でも、昔は三業から踏み留まっていた人がその道にはまってしまったのだとすると、なかなか罪深いものかもしれません。
更新: | 06/02/11 |
初公開: | 2006年02月11日 16:56:25 |
2006-02-11 16:56:25 (JST) in 心と体 日本語論 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
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受信: 2009-02-20 15:06:22 (JST)
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