客観的な症状 --- 精神分裂病時に考えたこと
神というよりも一種の超人と手や足や顔などをタップすることで通信ができるという体感幻覚があった。はっきりとした幻聴はなく、電波の「知覚」といった感覚はなかったが、その超人達の意思を予測し口に出して尋ね、それが正しいか否かをタップによって確認することで会話していた。
はじめはその予測と解答の繰り返しによって、徐々に妄想が構成された。
宗教的聖人または王になるよう求められていると妄想し、それを否定しながらも、それを当初は強制的にエミュレートしていると同時に体験していると考えながら、断食などを行った。「エミュレートしていると同時に」とは、説明しにくいが、自分が動作すると偶然、どこかの聖人などが同じような動作をし、あたかもその聖人を身にまとっているように感じられたと言えば近いか。
その後、実際に体験しているという考えが強くなり、当初は否定していた SF 的なアイデアも「現実世界」にとっては象徴であると同時に、ある世界にとっては真実であり、自分は場所的には同じだがパラレルワールド的に違う世界を強制的に旅をさせられているという妄想を抱くようになった。
そのときには弱い幻視もあった。月や星が妙に人工的に見えたり、明りが「魔術的」というか白熱灯なのに ネオンや LED に近い光に見えたりした。また、ベランダに留まったトンボの動きがないことを何がしかの使者としてみなしたりもした。
脳の働きはむしろアイデアに満ちあふれているような状態で、論理的に劣っていたわけではなく、奇跡を信じ「感じる」ようになった点のみが異っているにすぎないというのが、私の記憶である。この病気になると反応が鈍くなることがあるといわれるが、それは脳の機能が落ちたからというよりも、活発に動きすぎて、過負荷の状態になるがゆえそう見えるのではないだろうか。
ゲーム理論のナッシュ均衡のナッシュも同じ病気だったようで、彼は妄想を否定することで乗り超えたそうだが、私は期間が短かかったせいか、否定するのではなく、一見、非論理的であったり不自然に思われる妄想をいかに合理的に説明しながら、「奇跡」であることは否定することで超人に裏切られないようにしようと汲々としていた。
期間の最後のほうには急激で経験したことのないような腹痛があり、コンビニに頼んで救急車を呼んでもらうようなこともあった。
その最後のほうでは、意思が支配されたかのようになり、「危機」に備えた買い物をせざるを得なくなっていた。意思はあるのだが、超人が望むのでしかたなく買ったり、ある商品を見ると「予感」がして、買うまでその店を出たくなくなるといった「症状」が出ていた。
更新: | 05/03/18,05/03/20,06/02/03 |
初公開: | 2006年02月03日 03:49:21 |
2006-02-03 03:49:21 (JST) in 精神分裂病 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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