メディアプレイヤーとしてのゲーム機: どこかでゲームしますか?どこでもゲームしますか?
ゲーマーの人に聞きたい。携帯ゲーム機って持ち歩く?
修学旅行に持っていく?うん、きっと禁止されるから、話題性があっていいかもね。でも、ゲームをやりたくて持っていくわけじゃないよね。
毎日学校に持っていく?新しいゲームの続きができるからいいかもね。でも、いつもやってたら変なヤツ扱いされない?
待ち時間が暇?確かにガキが DS とか GBA とか持ってるの見るよね。でも、携帯電話で十分じゃない?
携帯ゲームってさ、フツー家でやらない?特殊な人は部室でやってるかもしれないけど。
個人にとって携帯ゲームはどこでもゲーム機という物ではなく、ある範囲内でしか使わないコードレスゲーム機ぐらいの利用のされ方しかされていないのではないだろうか?
「では、据え置き型で十分ではないか」というかもしれない。
断言できる。
家で携帯ゲームをやるようなゲーマーのテレビは、アニメか他のゲームで埋まっている。そのようなユーザーにとって、携帯ゲーム機は、マルチウィンドウの一つのような物なのだ。
現在、DS や PSP などのゲーム機の他にも iPod を筆頭に動画が見られるメディアプレイヤーがいろいろある、または、計画されている。(参考:《MPEG-2も変換不要――“大人”の携帯動画プレーヤー、NEC「VoToL」》)
おそらく、そのようなメディアプレイヤーの使われ方は今の携帯ゲーム機と同じようなものになるだろう。
忘れてもらっちゃぁ困るが携帯テレビは昔からあるし、携帯電話に動画機能が付いてるものも、テレビが付いてるものもある。でも、それらは決して成功しているとはいいがたい。
もしこれから出るメディアプレイヤーが、その延長でしかないなら結果は見えている。携帯してどこでも映像を見たいという欲求はそれほど大きくないはずだ。
ところで、あなたは昔どこで携帯テレビを見たことがあるだろうか?厨房の中?競場場?そこは今風に言えばマルチタスクな環境ではなかっただろうか?
ITmedia の小寺信良氏のコラム《PCモニタの終焉がもたらす「マルチキャストルーム」構想》ではマルチキャストは一つの大きなモニタの中の話だが、まさに複数のパネルでマルチキャストをもたらすものこそ、新しいメディアプレイヤーの役割だと私は思う。
ユーザーはだいたいどこか同じところで携帯機を使う。もちろんその「どこか」がどこにあるのかわからない以上、開発者にはどこでも使えるようにする努力が必要だろう。
Sony のロケーションフリーという製品が《ネット家電大賞を取った》。確かにロケーションがフリーであることは求められている。しかし、グローバルにではなくローカルにフリーであることが求められているのではないだろうか。
ユーザーはパソコンや据え置きゲーム機に録画した、または、現在ダウンロードしているムービーを「別のウィンドウ」で見たいと思っている。ローカルフリーで十分なら、それは専用ハードにせずともソフトウェアでできるはずである。
近い将来、「携帯ゲーム機」だけでは不十分であることがわかり、そのようなソフトウェアで完成度の高いものが供給されたところがこの競争の勝者になるのではないだろうか。
更新: | 06/02/17 |
初公開: | 2006年02月17日 03:33:37 |
2006-02-17 04:53:21 (JST) in ゲーム 情報工学・コンピュータ科学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
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