時間の貨幣価値:「金で買えないモノはない」か?
「金で買えないモノはないか」を説明するのは難しいので、まず「競売物件は金で買えるか」ということから説明したいと思います。
確かに競売物件を落札すると、売買価格が成立します。結果的にお金を払って買うことになりますから、「競売物件は金で買えた」といえます。
では、落札する前は「金で買える」といえるでしょうか?
自分は買えないかもしれないけど、いずれ誰かが落札できます。しかし、終了時間前には誰も金では買えません。
しかし、もし「私」がある物件がその競売物件と同じモノだと見ていて、それが即売されている場合は、「私」にとっては、その競売物件は金で買える といえます。
「私」は競売物件と同じ物を買いました。当然、時がくれば自分とはほとんど無関係の人によって競売物件が落札されます。ネットオークションに参加したことがあれば、普通は、その二つの価格は異なり「私」の払う額のほうが多くなるはずだと知っているでしょう。
この競売物件の需給のボリュームが非常に大きい場合、例えば「ドル」だとか「預金証書」といった物である場合、「私」が払う額は市場利子率に時間を掛けた額に相当するものに近づくでしょう。
でも、ネットオークションで取引されるような商品の場合、通常、市場利子率とは全々関係なく、かなりバラ付きがありますよね。しかも通常、それより大きな額を払うことが多くなります。
まず、かなりバラ付きがあるということは、そこで成立した価格差というデータはほとんど一般化して予想に用いることはできないことになります。
次に、市場利子率による額より大きな額ということは、その間お金を預けて利子をかせぐ以上に、個人がその時間を短縮することに価値を感じていることを意味します。これは一々価格をチェックする手間賃であったり、買い逃さないための保険料であったりするわけで、それはほとんど個人の内心に係わることで、外部から推し測ることは不可能です。しかし、結果として現れた価格差によって詳細はわからないけど金額としては表せたことにできてしまうのです。
さて、これに沿って「金で買えないモノはない」か考えて見ましょう。
例えば、「私」がある女性と良い仲になったとしましょう。「私」は当然のごとくプレゼントをしたり、食事をおごったりしました。もちろん、ここにお金がかかります。でも、掛けたのはこのようなお金だけではありません。「私」は時間を掛けて、言葉を尽くし、情報収集に努め、デートだってするでしょう。
ところで、その時間、「私」は働くこともできました。すると、「私」の時間割の所得をその時間にかけ、実際プレゼント等で使った金額と合算すると、なんと、そのような努力は詳細はわからないけど金額としては表せてしまいます。
もちろん、違う女性、違う「私」が同じような努力をしても結果はバラバラになるでしょう。もしかすると、同じ女性、同じ「私」でも結果が違うかもしれません。それは競売物件を買えたという事実があるからといって、競売物件が買えないこともあるというのと同じです。
しかし、あえて「競売物件が金で買える」と見る人ならば、同じような論理展開で、「金で買えないモノはない」と言ってもおかしくはないでしょう。
要は、詳細を捨て、ほとんど無関係な価格も参考にしてしまうなら、 何でも金で買えたことにできるわけですから。
もちろん、「何でも」の一つ一つは本来、現在形を使って一般化できるようなものではありません。そのような「価格」は多少参考にできるかもしれませんが、競売物件の例よりもさらに参考にならない数字となります。(十分参考にできるなら保険会社が黙ってないでしょう。)
……とはいえ、本人が自分にできたことなら他の人にもできるはずだと思って「一般化」しているのなら、その意は汲んであげたいなと私は思います。
更新: | 06/02/08,06/02/18 |
初公開: | 2006年02月18日 01:59:33 |
最新版: | 2010年07月06日 21:17:20 |
2006-02-18 02:36:23 (JST) in 経済・政治・国際 時事 確率論 ストーリー | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)
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投稿: JRF | 2010-07-06 21:19:45 (JST)