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2006年3月 2日 (木)

悲しきはカップの線に届かぬうちにポットのお湯が尽きるとき

おまいはオレを高血圧にしたいのか。もしくはラーメンに水を足せとでもいうのか。と。

でも、前に使ったときに水を足さなかった「おまい」はオレなわけで。

「お湯を出す前に足りるかどうかを確認しないのが悪い。」「お湯を出したあと次の人のために水を入れとかないのはもっと悪い。」

でも、どっちをよく忘れるかといえば、水を足しておくほうなんだよね。用が済んだあとの気のゆるみってヤツかな。

うちのポット、お湯を出したあと、しばらくすると間違ってお湯が出ないよう自動的にロックされるんだけど、どうせだったら、このときコンピュータが残量を確認して、水が少なくなってたら警報音を一回だけならす……とかしてくれたらいいんだけど。

「一回だけ」ってのは、冷蔵庫の開けっ放しと違うんだから、ずっと鳴ったままはうっとうしいからってことね。

探せばありそうなんだけど……ないのかなぁ。
更新: 06/03/02
初公開: 2006年03月02日 20:09:16
最新版: 2006年03月02日 23:21:40

2006-03-02 20:09:17 (JST) in グルメ・クッキング, 近況 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 1日 (水)

いじめにおける派生嫌悪

いじめは「楽しいから」するという自発的なものというよりも「その場のノリ」という何らかの規範意識のもとになされるものである。


好意の照れ隠しや、残虐性からくる楽しみから、ある人を嫌いだと表明することはある。

しかし、私の経験からすると、それはせいぜい中学のはじめぐらいまでのことで、思春期に差し掛かると、むしろそういった理由ではなしに人を嫌うようになる。

このとき、相手の部分を否定することなく、または、相手の部分を否定しているように口ではいいながら、相手を全否定するという態度になる。

この嫌悪の心理的な動きは、他者の需要として、ある対象について自分に嫌悪することが求められていると考え、他者の仲間意識や関心を得るために、 「その対象を嫌悪する自分」というイデアを追及していると解釈できるのではないだろうか。

つまり、「対象が嫌い」なのではなく、「対象が嫌いだという(地位にいる)自分が好き」だと考える。

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2006-03-01 23:58:31 (JST) in 心と体, 教育 | | コメント (0) | トラックバック (0)

独裁者になるのも考えもの

独裁すべきではない。後継者がスパイであるかもしれないから。
更新: 01/07/16
初公開: 2006年03月01日 23:32:22
最新版: 2006年03月02日 00:25:58

2006-03-01 23:32:17 (JST) in 箴言・辛言・戯れ言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月28日 (火)

大きなことはいいことだ

「大きなこと」を論じるのは簡単だ。「小さなこと」を無視できるから。

「小さなこと」を論じるのも簡単だ。それ以外が「大きなこと」として単純化できるから。

でも、「単純化」である限り言及しないと怒られる。一方の「無視」はそれと双対な慨念であったとしても、たいていの人は気づかないのに。

大きなことはいいことだ。
更新: ??/??/??, 06/02/28
初公開: 2006年02月28日 04:09:44
最新版: 2006年02月28日 04:09:44

2006-02-28 04:09:41 (JST) in 箴言・辛言・戯れ言 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月27日 (月)

GPL のここが嫌い

任意の商用ソフトにバンドルできない GPL は嫌いだ。公務員や年金生活者じゃないニートな私にとって GPL に基づく制作は未来を蝕む糖尿病のごときモノでしかない。

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2006-02-27 22:01:37 (JST) in 情報工学・コンピュータ科学, 経済・政治・国際 | | コメント (0) | トラックバック (1)