これまでの「
易双六(ようすこう)」(「元祖易双六」と呼ぶ)はどうも難し過ぎるのではないかと思い致り、そのルールをかなり簡単にした「略式易双六」を考案した。
このゲームは、タロットカードを使ったソリティアの一種ということになるだろう。
タロットカードの大アルカナ 22 枚(-2枚)をシャッフルして6 枚を引き、それを並べて盤面とし、プレイヤーのトークンを置く。シャッフルした小アルカナ 56 枚(+大アルカナ一枚)を一枚づつ引いてそれ従ってトークンを移動させる。ゲーム終了時のトークンの位置で勝敗が決まるゲームである。
引いたスートとトークン位置により移動方向が決まり、大アルカナに割り当てられた数表があり、それとにらめっこしながら計算(足し算)して、移動の成否を決める。タロットカードと数表さえ手元にあればすぐにできるようになるだろう。タロットカードをこれ専用にするなら、数表を大アルカナに書き込んでも良いかもしれない。数表も、元祖易双六と比べ使う数値は大幅に少ないが、共通なので、元祖易双六の数表を書き込むのが吉である。
大アルカナで盤を作るまでは元祖易双六と同じである。小アルカナを引いて動かすときのルールが簡略化される。
2024-02-29 05:42:40 (JST) in ゲーム ストーリー | 固定リンク
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このゲームは、タロットカードを使ったソリティアの一種ということになるだろう。
タロットカードの大アルカナ 22 枚(-2枚)をシャッフルして6 枚を引き、それを並べて盤面とし、プレイヤーのトークンを置く。シャッフルした小アルカナ 56 枚(+大アルカナ一枚)を一枚づつ引いてそれ従ってトークンを移動させる。ゲーム終了時のトークンの位置で勝敗が決まるゲーム。
易とタロットカードの意味を参考にして私が勝手に作ったもので、特に歴史があるわけではない。ゲーム自体は、双六とマジック・ザ・ギャザリング系のバトルをあわせたようなものと言ったほうがよいだろう。
引いたスートとトークン位置により移動方向が決まり、大アルカナに割り当てられた数表があり、それとにらめっこしながら計算(足し算)して、移動の成否を決める。やや複雑だが、慣れればタロットカードと数表さえ手元にあればできるようになるだろう。タロットカードをこれ専用にするなら、数表を大アルカナに書き込んでも良いかもしれない。
2011-11-09 07:00:14 (JST) in ゲーム ストーリー | 固定リンク
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「量子」という考え方を御存知あろう。その特徴として、複数の排他的状態が「可能性」として現実に並存し、観測によってその状態が確定する解釈が有名である。
喩えれば、先に書いた
七芒星の埋め込みの記事で、平面への展開図が発散する方向は確定していないが、空間への埋め込みにおいては、グラフの作画者はスピンの巻き方を左(InLeft)か右(InRight)に決定せざるをえないようなものだ。
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この図のグラフでは、Y = 1/X の Y 軸の発散部分を三次元の円筒上に「繰り込ん」で、そこに七芒星を描いています。それを平面に直したグラフも描いていますが、星型の辺部分は、単純に点を直線でつないでいるだけですから、無限に発散する部分は必ずしも、プラスとマイナスで逆方向に描く必要はありません。
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2011-01-20 19:41:29 (JST) in 論理学 精神分裂病 情報工学・コンピュータ科学 ストーリー | 固定リンク
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N を自然数の集合とする。任意の x ∈ N について x < Y なる Y ∈ N、すなわち
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Y ∈ N ∧ (∀x. x ∈ N → x < Y)
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なる式を満たすように自由変数 Y に代入をすることはできない。Y ∈ N だけを満たすのは 1 でも 2 でも可能である。しかし、特定の n ∈ N が任意の x について x < n とすると n + 1 ∈ N についても n + 1 < n となり矛盾する。Y に代入できるような n は存在しない。上式を仮定すると矛盾が導けるということだ。すなわち、
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¬(∃Y. Y ∈ N ∧(∀x. x ∈ N → x < Y))。
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最初の式において x は Y を束縛しているわけではない。あえていえば、式が真でなければならないという条件が、Y を束縛するわけだ。
2007-09-24 18:20:06 (JST) in 論理学 教育 ストーリー | 固定リンク
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いろいろ思うところあって、昔、書いた短編小説を引っ張り出してきました。
2007-08-23 13:29:10 (JST) in ストーリー | 固定リンク
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絶対的な真理でないことの可能性を示すのは簡単だが、それを信じる者はそのような可能性を自動的に排除していくのがしばしばである。
2006-08-24 14:32:45 (JST) in 論理学 ストーリー | 固定リンク
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「金で買えないモノはないか」を説明するのは難しいので、まず「競売物件は金で買えるか」ということから説明したいと思います。
確かに競売物件を落札すると、売買価格が成立します。結果的にお金を払って買うことになりますから、「競売物件は金で買えた」といえます。
では、落札する前は「金で買える」といえるでしょうか?
2006-02-18 02:36:23 (JST) in 経済・政治・国際 時事 確率論 ストーリー | 固定リンク
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記号論理学入門の講座をある程度長く習うと、最後のほうでゲーデルの不完全性定理について学ぶことがあると思う。
欧米流の「真」「偽」ですべてを結着するような考え方は間違いで、論理では「真」「偽」「わからない」の三値を考えるべきだなどという意見を見ることもあるが、不完全性定理とは、これを支持するように見えて、実はこれを否定するような定理なのである。
2006-02-13 23:07:59 (JST) in 論理学 ストーリー | 固定リンク
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「演驛」とは論理的に命題を導くことである。
「帰納法」は演驛の一つである。しかし、帰納法を学ぶことで、人は帰納のなんたるかを知る。それが「帰納」である。
2006-01-31 15:46:30 (JST) in 論理学 ストーリー | 固定リンク
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