漢字のもと、金文などに見られる「馬」の象形文字はとても「目」が大きい。書き方でわかりにくいが、よく見ると確かに今の「馬」にも「目」は含まれている。これがあの生きている馬を上か横から図示したものとはとても思えない。むしろ私にはおもちゃの馬すなわち「棒馬(hobby horse)」に見える。
2012-09-17 18:51:27 (JST) in 日本語論 精神分裂病 歴史 | 固定リンク
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「四方八方」という言葉がある。「四方」が東西南北の方位だとして、八方はそれらの間の方位、南東・南西・北東・北西の「四隅」を四方に足したものだというのが一般的な解釈だろう。
しかし、私はそれは「八方」のニセモノの意義ではないかといぶかっている。
2009-02-19 14:25:48 (JST) in 日本語論 歴史 | 固定リンク
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「的を射る」が正しい用法として辞書に載っている。
しかし、私は「的を得る」のほうが語感として正しいように思う。
皆さんはどうだろうか?
2006-04-03 15:44:03 (JST) in 日本語論 | 固定リンク
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アメコミが切り拓けなかった女性向けマンガ市場を開拓したと言えばカッコイイけど、一般人から見れば低モラルの成人向マンガですから。
「Yaoi」系の話も、下の参考にあるように本やニュースが出て、確実に表に出ようというか、引っ張り出されようとしている。
最近では腐女子の用語法として特定のカップルについて「萌え」という言葉を使うようだが、謂ゆる萌えヲタのキャラ萌えとは異質なモノを私は感じる。
「萌え」と「Yaoi」は別物だと思う。「ますらをぶり」と「もののあはれ」が別物であるように……
2006-03-30 01:11:05 (JST) in アニメ・コミック 日本語論 時事 | 固定リンク
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ハッカーのことを中国語では黒客(hei ke)と書くのだそうな。日本語的には湯桶よみになるけど、ハッカーは灰客、クラッカーは黒客としたほうがイイ感じなんだよね。
中国語でオブジェクト指向プログラミング言語って面向対象的程序設計語言になるそうだが、この用語訳じゃオブジェクト指向を説明するのにあまりイメージがわいてこない。
私は宗教学が好きで、《
宗教と動機付け》にあるのは今のところキリスト教と仏教のハナシばっかだけど、やはり、中国思想や日本神道にも興味がある。
しかも、《
フィギュア写真》のカテゴリでわかるように人形大好き。球体関節人形の写真によくあるエゲツない感じももちろん好きで、さらに《
フィギュア写真》のようにそれをよりシンボリックな方向にもっていった感じが好みだったりするのよ。
で、そういう私からすると、オブジェクト指向ってのは、なんかこう人形っつーか人型操ってドーコーする、陰陽師とかパペットマスターとかネクロマンサーなイメージなわけ。
ってことで今回、オブジェクト指向の用語を呪術的な漢字にあてはめてみた。
2006-03-21 11:14:12 (JST) in ゲーム 日本語論 情報工学・コンピュータ科学 | 固定リンク
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現代のいくつかの国語辞典や和英辞典では「いきどおり」を「憤慨」や outrage と解説している。これはこれまで「行け」なかった怒りが「行き通る」ようになったという解釈であろうが、これは、そもそもは、儒学の素養があって「外国語」として「憤り」という言葉を学んだ人間や万葉集を知らない人間の誤解であろう。
いきどおりを分解して、別のもっと基本的な漢字を当てはめるとするとどうなるだろうか?
「息通る」とすると、「ホッとする」というむしろ逆の意味に感じる。
「行き倒れる」辺りはある意味近いかもしれないが、下一段活用(古語では下二段)が五段(古語では四段)になる文法変化はややおかしい。
「息処欲る」または「活き処欲る」とすると、「息のできるところを欲する」「自分を活かす場所を欲する」となり、現代の「やり場のない」や「やるせない」という意に似るので、私にはちょうど良いように思える。
ちなみに、この説が正しいとすると歴史的かな遣いの「どほる」の「ほ」を単語の途中と見て「お」としてしまう現代の読みは必ずしも正しくないということになる。
2006-03-12 03:57:34 (JST) in 日本語論 歴史 | 固定リンク
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関東の大学出身者などが、「説得力のある」という意味でよく使う「説得的」という言葉には、どうも違和感を感じる。
「○○的」という言葉は「まるで○○のような」という意味で、これを「説得的」にあてはめると「まるで説得しているかのような」ということになり、「説教じみた」という言葉と同様の意味に感じられる。
ん?ひょっとしてこの解釈であってるのか?
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語: |
「このブログに書かれているもののなかには説得的なものがあります。」
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訳: |
(稚拙な記事がほとんど。あとは説教じみた話でオレなら書かない。)
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更新: |
01/08/12,06/03/01 |
初公開: |
2006年03月05日 13:14:13 |
最新版: |
2006年03月05日 13:14:13 |
2006-03-05 13:14:09 (JST) in 日本語論 | 固定リンク
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かつて三業と言えば、酒を「飲む」、博打を「打つ」、女を「買う」だったわけですが、私はどれも好きではありません。
正しくは酒については味は好きなのですが、アルコールにとても弱いので好んで飲むことがないのです。
でも、だからと言って業が薄いかと言えばそうでもないです。
2006-02-11 16:56:25 (JST) in 心と体 日本語論 | 固定リンク
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最近、本格運用をはじめたので
ココログフラッシュのサブタイトルが気になりました。さんざん言われてることでしょうが、「フラッシュ」と「瞬」を掛けているんでしょうね。でも、こういう掛けてるのか間違いなのかわかりにくい表現だと、こう覚えちゃう人もいるんじゃないかな。例えば、絵にして、「旬」の上から「瞬」を重ねるとか。
「汚名挽回」みたいに誤用するひとが出てきたりして。まぁ、あれは「失地回復」って言葉があるから、熟語の作り方としては合ってんだろうけど。一方の「名誉返上」ってのは、意図的じゃないと使えんし。
更新: |
06/02/10 |
初公開: |
2006年02月10日 04:18:58 |
2006-02-10 05:05:53 (JST) in ウェブログ・ココログ関連 日本語論 | 固定リンク
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「ごくろうさまでした」とか「おつかれさまでした」という言葉は、目上の人が下の者に対して使う言葉で、逆の立場で使うのは失礼にあたる……という説を見たことがある。
日本語には尊敬語もあれば謙譲語もあり、一部の身分の人だけが自らに使う特殊な尊敬語というのも古語にはある。
しかし、「ごくろうさまでした」は、「さま」が敬称の「様」ではなく「様子」の意だったとしても、「ご」も付けば「でした」も付く。自分が「苦労した」というのは文法的に謙譲語でもないのに、それを目上の者に使ったからと言って失礼になる「逆尊敬語」になるというのは文法的にはおかしな話だと思う。
2006-01-30 12:50:51 (JST) in 日本語論 | 固定リンク
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かつて「精神分裂病」と呼ばれてきたものが、今では「統合失調症」と呼ばれるようになっています。
「精神」が「分裂」するというのは残酷である、または、「精神」が「分裂」するようなことはない、というのがその理由でしょう。
しかし、実際、そうなってしまった者には、むしろ、その病気の残酷さを表す言葉が用いられ、残酷さも含めて社会に隠すことなく理解され、その治療法や予防法の研究に大くの財が投じらたほうが良いように感じます。
「病は穢れであり、穢れは避ける」べきという考え自体が間違っているのであり、「病は恐れるべきであるが、共存する」べきだとして対峙していただきたい。
「認知症」という言葉と同じです。「痴呆」を何の害も表現しない「認知症」と詔り直すのではなく、「痴呆」は「痴呆」のまま恐怖とともに受け留め、その恐怖を軽蔑に転嫁することなく矜持したまま、人間性への信頼に基づく笑顔とともに共存することが必要なのではないでしょうか?
更新: |
05/03/21,06/01/28 |
初公開: |
2006年01月28日 21:04:53 |
2006-01-28 21:05:15 (JST) in 日本語論 精神分裂病 | 固定リンク
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