2007年6月 8日 (金)

悪の犠牲の「自動人形」にも救いあれ

忘却からの帰還:慈悲深い神と魂の存在を信じる者に幸いあれ》に「神が人間を創造したなら、モラルは高まる」というに対する対抗議論として次のようなことが述べられていました。

>
前提:

1.
超越的な(transcendant)神が存在する。
2.
その超越的な神は慈悲深い(benevolent)
3.
その超越的な神が、魂を創造して、人間が誕生したときに吹き込む[霊魂創造論]
4.
魂を吹き込まれないと、「人間と見分けがつかないが、魂のない」自動人形になる


この世界に悪は存在しない

神が慈悲深い(2.)のであれば、悪など存在してはならない。従って、悪や苦難が存在するように見えても、実際には悪や苦難が存在しない。
この世界には、悪の犠牲となる人間はいない。 "悪"の犠牲となるのは自動人形である

(…)


誰かを殺せたら、その誰かは自動人形である


補足になるのでしょうか。間違っていれば指摘してください。

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2007-06-08 22:33:27 (JST) in キリスト教, 神学・教学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月25日 (水)

シミュレーション・アーギュメントを論駁する

本稿ではシミュレーション・アーギュメントとその変種について論駁します。シミュレーション・アーギュメントは最近《忘却からの帰還:シミュレーション・アーギュメントとオメガポイントについて》で初めて知り、そこで紹介されていた『ゼロからの論証』(三浦 俊彦, 青土社, 2006年)を購入し、一通り読みました。

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2006-10-25 00:02:47 (JST) in 創造論と進化論, 疑似科学 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年8月28日 (月)

『創世記』ひろい読み − ネフィリム

06:04 のネフィリムとは何か。

説 1.
「神の子」が聖霊であり、娘たちによる神託や神話に登場する想像上の英雄ととらえれば良いのではないか。過去に巫女がいた時代の記録の跡。

説 2.
民数記 (13:32-33) に広まった噂としてネフィリムを巨人とみなすような部分がある。ネフィリムは、大仏やスフィンクスに相当し、かつては中東一帯にあった巨大な偶像で、後世の一神教によって破壊されたもの。

説 3.
聖書そのとおりの記述で天地創造を解釈しようとする者の中に、ノアの洪水によって地層がすべてつくられたと解釈する者がある。私はもちろん、そのような解釈はとらないが、創世記を書いた人々はむしろそのように解釈し、地層に埋まった巨大恐竜の化石などをネフィリムと呼んで洪水時に埋まったと解釈し、だから、洪水の前はネフィリムがいたとした。

説 3'.
この「伝説」が造られた時代、ある面で我々より骨(や生物)に関する知恵があり、遺った物から、それが元は何であったかを特定することがかなりできた。あるとき発見されたモノは、「竜」の骨でも「鯨」の骨でも「病人」の骨でもなく、「巨人」と形容するしかないものでありながら、人と同じ種とは判断できない明らかな特徴を持っていた(少なくともその当時は)。それが何らかの理由で、失われ二度と発見されないだろうことに気付いた者達が、この「伝説」を造り、「創造」以前の世界を逆算した。
更新: ,01/07/15,2006-08-28,2007-03-12
初公開: 2006年08月28日 20:24:36
最新版: 2007年03月12日 11:51:49

2006-08-28 20:24:33 (JST) in 旧約聖書ひろい読み | | コメント (1) | トラックバック (0)

『創世記』ひろい読み − アダムの再婚

アダムとイブが楽園を追放されたとき、アダムの二番目の妻とカインの妻がいったい誰なのかという問題がある。

説 1.
基本的に女性が生まれたことは記載されておらず、アダムの二番目の妻は、カインの末裔かアダムの娘で、カインの妻はイブかカインの姉妹である。
説 2.
彼女らは人ではなくどちらかといえば獣である。
説 2'.
彼女らは 06:02 にある神の子である。
説 2''.
アダムとイブは四次元的に最初に創造されたのであり、人間の時間では必ずしも最初の人間ではない。
説 3.
アダムとイブは象徴的存在で、楽園を追放されたアダムとイブは、そもそも複数いた。
説 3'.
楽園から追放されるとき複数になった。
更新: ,01/07/15
初公開: 2006年08月28日 20:23:50
最新版: 2006年08月28日 20:23:50

2006-08-28 20:23:49 (JST) in 旧約聖書ひろい読み | | コメント (0) | トラックバック (0)

『創世記』ひろい読み − 女の誕生

(下記は精神分裂病のまっさい中に書いた物です。あくまで精神分裂病の者の思考のサンプルとしてのみ受け取ってください。正常を保っているかのように見える部分もあるかもしれませんが、私の病状は「奇跡を感じる」という以外の思考は普通の人から見て、フツーを装うだけの理性(?)は保っていたというだけのことです。)

02:18
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
02:19
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
02:20
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
02:21
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
02:22
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
02:23
人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼうまさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

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2006-08-28 20:23:03 (JST) in 旧約聖書ひろい読み | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 3日 (木)

『新約聖書』ひろい読み − 神殿とハト

マルコ 11:15 (マタイ 21:12, ルカ 19:45, ヨハネ 02:13) ではイエスは唯一とも言える実力行使をし、それにより律法学者達が殺意をいだくまでになる。

11:15
それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。
11:16
また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。


ポイントは「両替人」と「鳩を売る者」を並んで批判したことである。

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2006-08-03 21:29:55 (JST) in 新約聖書ひろい読み, 経済的動機付け | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月24日 (土)

《イメージによる進化》の《忘却からの帰還》からご教授いただいたことへの対論

前稿》をトラックバックしたところに Kumicit 様から《忘却からの帰還:遠い世界からのトラバ》という返信がありました。ありがとうございます。ただ、当然 Kumicit 様のごとく多くの文献にあたった厳密な言葉遣いができなかったこともあり、いろいろな部分で間違いや思い込みを指適されました。

>
進化"には、"進歩"あるいは"階梯を昇る"といった意味合いはない。 JRF氏は明示的にはこの定番を踏んでいない。


進化という現象については、他の人がおっしゃるような誤解をしてると思いながら、自分も「正しい意味」と認知されているのは「進歩」だと誤解していましたが、科学者達についてはそういう意味でないのはあたりまえのことだったのですね。

>
続いて、わりとあるのが"利己的"遺伝子というメタファーを字義通り解釈すること。

この超有名な誤解もしているように見える。

それらしいJRF氏の記述がある:

>
生物の本質は、遺伝子でありあとは属性または環境要因に過ぎないのだろうか?または、もっと過激に、生物とは遺伝子の入れ物に過ぎないのだろうか?


いやいや、それは誤解です。ここは「素朴進化論」を煽っているわけですから、少なからず多くの人がそう思っているかもしれないが、それは違うよ、と言いたかった部分です。

私の考えているもの以外を「素朴進化論」と言うなどとは思ってませんが、そうミスリードさせるような面があったかもしれません。

>
となっており、"突然"はなくてもよいという記載になっている。

"突然"の意味「物事が急に思いもかけず行われるさま」(大辞林)をどう歪ませても、JRF氏のような記述にはつながらない。


簡単にいえば「急に」とか「その世代ではじめて」というのが「言葉と踊る」私には違和感を感じさせてしまうのです。「知らない間に」とかいう語感があればまだ良かったのですが。この点は Kumicit 様が「変な世界」というぐらい認識に差異があるようですね。

>
たとえ、今では適切とは言えない名前であっても、それを変更するこはない。というのが習慣だからだ。恒星の終焉への過程に付けられた新星(Nova)・超新星(Supernova)という真逆の名前。あるいは、はじめはアルファベット順に並べたつもりが、結果としてぐちゃぐちゃになってしまった恒星系列 (O B A F G K M, R N, S)。幾らでもある。整理しなおさないのは、名称変更すると過去の文献やデータが読めなくなってしまうからだ。それは混乱の元でしかない。


私が踊った語法が何かを変えるに値しないものであることは十二分にありえますが、ギリシア神の名をローマ神の名にあてはめたとき、様々な性格が付与されることもあるわけで、自らのイメージに基づく言葉で、自ら教えられた「神話」を語りつげば、進化論の言葉の神様も足さばきを変えてくれるかなと思ったしだいです。

>
自然淘汰はNatural Selectionに対するちょっと古っぽい訳語である。そのまま自然選択と訳されることも多い。


実際そういう試みもあるわけですから。

ただ、私のような門外漢の意見は取り入れないほうがかなり安全であることには同意します。


>
ここではJRF氏は、"本質論"という言葉ではなく、"環境"という言葉と踊っているようだ。なかなか、お目にかかれないパターンだ。JRF氏は「環境は副次的役割の存在」という神学の上にいるようだ。


これは、単に昔議論した方が遺伝子の役割を説明したときに、遺伝子だけあれば、あとはどういう親の子宮にあるのかも含めて環境要因ってことだとジョーク(?)でおっしゃっていたので、つい、書いてしまいました。消そうかとも思ったのですが、間違いやすい部分を直す目的ではそれほどおかしくもないかと思って残しておくことにしました。
更新: 2006-06-24
初公開: 2006年06月24日 17:35:39
最新版: 2006年06月24日 17:56:18

2006-06-24 17:35:38 (JST) in 創造論と進化論 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

イメージによる進化

進化論が教える自然淘汰と適者生存は、それらのみではあまりにも乱暴に聞こえる。「環境要因」と呼ばれる部分におしこめられたモノや、DNA の後天的変化を否定するあまり、配偶者決定時などの後天的形質の役割が過少評価されているように、私は感じている。

そういった素朴な進化論に対抗するために、「イメージによる進化」と「形質の重ね合わせ」という概念を唱えたい。

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2006-06-17 19:49:53 (JST) in キリスト教, ユダヤ教, 創造論と進化論, 疑似科学 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2006年4月23日 (日)

『新約聖書』ひろい読み − たとえで説く理由

マルコ 04:01-04:20 (マタイ 13:01-13:23、ルカ 08:04-08:15 に対応)ではイエスが説教そのものをたとえたあと、弟子達に群集に説いているのはたとえであることと、なぜそうするかの理由を述べ、イエス自らがそのたとえを解説している。

04:01
イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
04:02
イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
04:03
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
04:04
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
04:05
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
04:06
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
04:07
ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
04:08
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
04:09
そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

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2006-04-23 17:06:58 (JST) in 新約聖書ひろい読み, 旧約聖書ひろい読み | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 6日 (月)

正教とロシア革命前夜:『カラマーゾフの兄弟』の『大審問官』を読んで

ギリシャ正教』を読んでそこで取り上げられているドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』に興味を持った。

『大審問官』は『カラマーゾフの兄弟』の中でももっとも有名な部分である。兄のイワンが弟のアリューシャに「叙事詩」として語る物語が、この節そのものとなる。その物語のあらすじは、異端審問の嵐が吹き荒れるスペインに、なぜかキリストその人が訪れるのだが、イエズス会の老大審問官がそうと知りながらキリストを捕らえ、キリストに福音書の「悪魔の誘惑」を用いて説教をするというものである。

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2006-03-06 22:13:52 (JST) in キリスト教, 書籍・雑誌 | | コメント (1) | トラックバック (0)