マルコ 3:20-30、マタイ 12:22-31、ルカ 11:14-23
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03:22 |
エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
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03:23 |
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
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03:24 |
国が内輪で争えば、その国は成り立たない。
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03:25 |
家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
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03:26 |
同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
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03:27 |
また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
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03:28 |
はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
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03:29 |
しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
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ユダヤ教の神は決して奇跡で病気を治すような神ではなく、そのような「神」への信仰は、列王記下 1 章にあるようなバアル・ゼブブへの信仰であり、それは、自分から苦難を起こし、その苦難を解決することで自分への信仰を篤くしようとする「悪霊の頭」としての「神」への信仰であるというのが律法学者の主張である。
2006-01-30 18:06:16 (JST) in 新約聖書ひろい読み | 固定リンク
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マタイの 7 章 は、「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。」ではじまる。その後に有名な格言がある。
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07:06 |
神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
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マタイの中での関連章句は次の二つ。
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13:45 |
また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
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15:26 |
イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
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これから考えて、豚は商人、小犬はヒモのように思える。
ただし、犬をエジプト神のアヌビス、豚を同じくセトと考えると、犬は異教の魔術師、豚はチンピラや異国の軍隊を指すのかもしれない。この解釈では、 07:06 は「異教を頼って人を呪ったり、賄賂で暴力を買って恨みを晴らしたりしてはならない」ということになろう。また、15:26 は単なるヒモではなく、異教の司祭への寄進を意味するのかもしれない。
2006-01-29 01:35:49 (JST) in 新約聖書ひろい読み | 固定リンク
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『
ギリシャ正教』によると、神は、「ほかの創造物と違い、命令の口調をとらないで、われわれの像と肖に似せて人を創ろう、と心の中で思う口調をとっている。」 (p.256)そうだ。
この部分は共同訳聖書の創世記では次のようになっている。
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01:26 |
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
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01:27 |
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
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英語(KJV)では
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01:26 |
And God said, Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth.
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01:27 |
So God created man in his [own] image, in the image of God created he him; male and female created he them.
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私の訳は
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01:26 |
神は言った。「我々は、人に我々(の存在)を想わせる映しをさせ、我々の(行いの)まねをさせよう。そして彼らに、海の魚と、空の鳥と、家畜と、地にあるすべてと、地の中から出て忍びよるものすべてを(神が支配するように)支配させよう。」
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01:27 |
神は自らの映しになると想い人の創造を行った、神の想いの内では神が神の創造を行ったと映った。神は男と女を創っていた。
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唯一神であるはずなのに、なぜ「我々」という言葉を使ったかが、論点となる。
2006-01-29 00:10:10 (JST) in 旧約聖書ひろい読み | 固定リンク
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私はキリスト教徒ではありませんが、よく言われるように旧約聖書は知識の宝庫ですし、キリスト教徒でない日本人からは軽視されることもある新約聖書も、当時の地中海圏の神学的問題について一つの結論を呈示したものとして、大変興味深いものです。
2006-01-28 23:29:43 (JST) in はじめにお読みください 新約聖書ひろい読み 旧約聖書ひろい読み | 固定リンク
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