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2006年1月28日 (土)

聖書ひろい読みについて

私はキリスト教徒ではありませんが、よく言われるように旧約聖書は知識の宝庫ですし、キリスト教徒でない日本人からは軽視されることもある新約聖書も、当時の地中海圏の神学的問題について一つの結論を呈示したものとして、大変興味深いものです。
スコラ神学では、聖書には四つの読み方があるという話を読んだことがあります。実際にその四つにカテゴライズされることは少ないようですが、聖書の解釈がキリスト教内でも、さまざまで同時に存在を許されるものであることは確かなことのはずです。

本 blog では、ひょっとすると、キリスト教徒の方も知らないような解釈をしているかもしれません。しかし、たいてい、それはすでに誤りとして論駁されたか、異教的すぎて一般信徒に関しては知らないというだけに過ぎないでしょう。

私は、動機付けに興味があります。動機付けという観点からは、正しい解釈だけでなく、誤解によって導かれやすい解釈についても同様に意味があります。

そのため、少々問題があるような解釈や、ひとりよがりに見える解釈も扱っていくつもりです。


何もいわなければ聖書は「新共同訳」を参照しています。多くの場合、他の注解書や Web ページなどを参考にしています。いちいちそれを挙げていきたいのですが、残念ながら、blog としての公開が最近でも実際の記述はかなり前だったりするので、ソースがわからなくなっているものもあります。ただ、とりあえず『新約聖書略解』と『旧約聖書略解』は必ずといっていいほど参考にしているのでここで名前を出しておきます。

ちなみに「旧約聖書」はユダヤ教風に「タナハ」とでも呼ぶべきなのかもしれませんが、「旧くなった契約」ではなく「旧くからある契約」と解釈すれば、それほど悪い言葉とも言えないので、日本人にはなじみが深い「旧約聖書」という言葉を使います。
更新: 06/01/28
初公開: 2006年01月28日 23:25:18

2006-01-28 23:29:43 (JST) in はじめにお読みください 新約聖書ひろい読み 旧約聖書ひろい読み | | コメント (0) | トラックバック (1)

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