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2006年1月29日 (日)

『創世記』ひろい読み − 神の像・似像

ギリシャ正教』によると、神は、「ほかの創造物と違い、命令の口調をとらないで、われわれの像と肖に似せて人を創ろう、と心の中で思う口調をとっている。」 (p.256)そうだ。

この部分は共同訳聖書の創世記では次のようになっている。

01:26
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
01:27
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。


英語(KJV)では

01:26
And God said, Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth.
01:27
So God created man in his [own] image, in the image of God created he him; male and female created he them.


私の訳は

01:26
神は言った。「我々は、人に我々(の存在)を想わせる映しをさせ、我々の(行いの)まねをさせよう。そして彼らに、海の魚と、空の鳥と、家畜と、地にあるすべてと、地の中から出て忍びよるものすべてを(神が支配するように)支配させよう。」
01:27
神は自らの映しになると想い人の創造を行った、神の想いの内では神が神の創造を行ったと映った。神は男と女を創っていた。


唯一神であるはずなのに、なぜ「我々」という言葉を使ったかが、論点となる。
「我々」とは何か?

説 1.
神は天使達も含めて「我々」といった。
説 1'.
双数形のあるヘブライ語において複数形は三人以上を表す。これにより、三位一体を預言した。(聖アウグスティヌス)
説 2.
神はこのときのみ男と女の二人になっていた。
説 2'.
神はこのときのみイメージの中では男と女の二人になっていた。
説 2''.
神は両性具有であるため、二人分の代名詞を使った。
説 3.
神のイメージの中では神と人は同じものであるから、すでにイメージにあった人も含めて「我々」と述べた。
説 3'.
神の中に神のイメージがあるのならば、全能な神がするイメージである以上、イメージの中の神は完全な神である。当然そのイメージの中の神自身もイメージを持つはずで、イメージの中の神の、さらにイメージの中に、神のイメージがあるはずである。それは、あたかも合わせ鏡のごとく、無限に神のイメージを作り出す。神のイメージを取り出してアダムを作ったが、アダムの中には神のイメージのイメージであると同時に神のイメージとしては同等なイヴの要素が含まれていた。神はアダムの肋骨で表されたこの「神のイメージのイメージ」からイヴを創った。人の子孫は、男と女の合わせ鏡が生み出す、神の無限のイメージの連鎖から生まれてくる。
説 4.
神はかつて(神の時間単位において天地創造以前)一人ではなかった。過去を回想して「我々」といっている。
説 5.
ただの多神教の名残り。
説 6.
最高位にある王などのみが使えた文法的な尊称である。日本の憲法のように「我々」の象徴としての王という意味があった。


おもしろいのは 3、現実は 5 か 6、私の好みは SF 的で切ない 4 だが、一般のキリスト教徒には 1 や 2 や 6 と説明されるのだろうな。イスラム教徒は明白に 1。グノーシス派は明白に 2''。現代のユダヤ教徒は案外 3' ではないか?

史実としては 5 であったとしても、これだけでは、その後、唯一神信仰になり、聖書を継承していく段階で、何故、この部分が変更されなかったのかが理解できない。5 の説を取るのならば、このことについて、他の説で補う必要があるだろう。

6 について、神を表す「エロヒーム」は複数形であるにもかかわらず単数形を取り、実際、複数によって尊称を表す用法はあったのかもしれないが、のちの呼び掛けの際には、神はほとんどの場合、単数形の「わたし」を使っているのと整合性はとれていないのも事実である。

ところで、3' が真だとすると、最初に鏡に映ったのが男である以上、神はどちらかと言えば女ということになる。そうであっても、神をイメージして絵を描くときは男で描くのが正しいということにもなる。そういえば、子供を「造る」のはどちらかと言えば女であるし、最初に創造的な間違いを犯したのも女とされている。

これを推し進めて「神は女であるから男ばかりの世界をつくろうとしている」と「異教」的解釈をするのは行き過ぎであろう。これまで、多くの場合、神は男性のイメージで捉えられてきたが、それをもって救われるのは女ばかりであると唱えるのが行き過ぎであったのと同じである。ちなみに、ヘブライ語は名詞に男女の別があり、動詞の変化も男女の別があるが、神は文法的に男性として扱われている。


ヘブライ語聖書によると、「我々にかたどり」の部分を直訳すると「我々の像 (tzelem)で」となり、tzelem には「流し込む型」などの意味があるが、その基本型 tzel は「影」を意味する言葉である。アダムの「肋骨」と訳される tzela`a は、本来、側面などの意味であり肋骨と訳すのは特別で、この tzela`a には影、tzel が含まれている。ここからすると、正しい解釈としては、 3' が有力な候補になる。ただし、ここ以外の部分(11:7)でも神は「我々」としばしば名乗るので、やや苦しい説明であることは変わりない。11:7 の場合は、人の中の神の像を再創造した(or 像を歪めた)とでもいうことか?

ヘブライ語の「骨」(Etzem)は再帰代名詞をつくる場合にも用いられる言葉で、「〜自身」を表すこともある。人のアイデンティティを表すものであると同時に「影」を含む「肋骨」は多分に象徴的である。

また、「我々に似せて」の部分を直訳すると「似姿(demut)に」となるが、姿そのものでないことを強調する文章とも言える。ところで、似姿に含まれる dem は「血」を意味する言葉で、申命記(12:23)にあるように血は命を連想させる言葉であり、命とは行動ができることとして、上では「(行いを)まねさせ」るという訳にした。

このあとの2章で、人は、知識の実を食べてその点では神と同じものとなり、永遠の生をもたらす生命の実を食べなかったために、死ぬようになるわけであるが、これは、像としては同じだが、命としては似ているだけという解釈と整合性がある。

ついでにいうと、アダムは 'adam で後ろに dem (血)が含まれ、エバ(chavah)は「命を与えるもの」という意味である。ちなみに、主(アドナイ)は yehovah で、後半は字づらではエバに似ている。

tzelem には「流し込む型」という意味があるが、これは三次元的な像であることの強調か?人と型は同じでも中身(赤土)が違う、すなわち似像であるということか。


新共同訳をもとにした『略解』によると、この「我々」は「自問文でなされる熟慮の複数」であり、「神と向き合うありかたこそ、人間の基本である」という説明につなげている。どうも、新共同訳も 3' の解釈をとっているように受け取れる。


人は人をモデルとして神を描くものである。人が創世記をつくったとする場合、または、創世記を真実として受け入れる場合、これを神の側から正当化するのが、この文を作る、または、信じる動機となりうる。


参考文献

ギリシャ正教』 (高橋保行、講談社学術文庫, 1980年)

ヘブライ語聖書対訳シリーズ1 創世記 I』 (ミルトスヘブライ文化研究所編, ミルトス, 1990年)

新共同訳 旧約聖書略解』(木田献一 監修, 日本基督教団出版社, 2001年)

ヘブライ語対訳 聖書の伝説(アガター) (1) 創世記編』 (リブカ・エリツール, 別府信男 訳, ミルトス, 1988年)

『神の像としての人間  ---創世記1章26〜27節研究---』 (野本 真也, 『基督教研究』第40巻第2号, 1977年4月, http://theology.doshisha.ac.jp/nomoto/kiriken/kk77sn.html)
更新: 01/01/15-01/01/19,01/02/05,01/02/09,01/02/15,01/02/18,01/04/05, 01/05/02,01/06/18,01/07/02,06/01/28
初公開: 2006年01月28日 23:52:20

2006-01-29 00:10:10 (JST) in 旧約聖書ひろい読み | | コメント (0) | トラックバック (0)

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