『創世記』ひろい読み − 神の像・似像
この部分は共同訳聖書の創世記では次のようになっている。
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英語(KJV)では
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私の訳は
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唯一神であるはずなのに、なぜ「我々」という言葉を使ったかが、論点となる。
「我々」とは何か?
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おもしろいのは 3、現実は 5 か 6、私の好みは SF 的で切ない 4 だが、一般のキリスト教徒には 1 や 2 や 6 と説明されるのだろうな。イスラム教徒は明白に 1。グノーシス派は明白に 2''。現代のユダヤ教徒は案外 3' ではないか?
史実としては 5 であったとしても、これだけでは、その後、唯一神信仰になり、聖書を継承していく段階で、何故、この部分が変更されなかったのかが理解できない。5 の説を取るのならば、このことについて、他の説で補う必要があるだろう。
6 について、神を表す「エロヒーム」は複数形であるにもかかわらず単数形を取り、実際、複数によって尊称を表す用法はあったのかもしれないが、のちの呼び掛けの際には、神はほとんどの場合、単数形の「わたし」を使っているのと整合性はとれていないのも事実である。
ところで、3' が真だとすると、最初に鏡に映ったのが男である以上、神はどちらかと言えば女ということになる。そうであっても、神をイメージして絵を描くときは男で描くのが正しいということにもなる。そういえば、子供を「造る」のはどちらかと言えば女であるし、最初に創造的な間違いを犯したのも女とされている。
これを推し進めて「神は女であるから男ばかりの世界をつくろうとしている」と「異教」的解釈をするのは行き過ぎであろう。これまで、多くの場合、神は男性のイメージで捉えられてきたが、それをもって救われるのは女ばかりであると唱えるのが行き過ぎであったのと同じである。ちなみに、ヘブライ語は名詞に男女の別があり、動詞の変化も男女の別があるが、神は文法的に男性として扱われている。
ヘブライ語聖書によると、「我々にかたどり」の部分を直訳すると「我々の像 (tzelem)で」となり、tzelem には「流し込む型」などの意味があるが、その基本型 tzel は「影」を意味する言葉である。アダムの「肋骨」と訳される tzela`a は、本来、側面などの意味であり肋骨と訳すのは特別で、この tzela`a には影、tzel が含まれている。ここからすると、正しい解釈としては、 3' が有力な候補になる。ただし、ここ以外の部分(11:7)でも神は「我々」としばしば名乗るので、やや苦しい説明であることは変わりない。11:7 の場合は、人の中の神の像を再創造した(or 像を歪めた)とでもいうことか?
ヘブライ語の「骨」(Etzem)は再帰代名詞をつくる場合にも用いられる言葉で、「〜自身」を表すこともある。人のアイデンティティを表すものであると同時に「影」を含む「肋骨」は多分に象徴的である。
また、「我々に似せて」の部分を直訳すると「似姿(demut)に」となるが、姿そのものでないことを強調する文章とも言える。ところで、似姿に含まれる dem は「血」を意味する言葉で、申命記(12:23)にあるように血は命を連想させる言葉であり、命とは行動ができることとして、上では「(行いを)まねさせ」るという訳にした。
このあとの2章で、人は、知識の実を食べてその点では神と同じものとなり、永遠の生をもたらす生命の実を食べなかったために、死ぬようになるわけであるが、これは、像としては同じだが、命としては似ているだけという解釈と整合性がある。
ついでにいうと、アダムは 'adam で後ろに dem (血)が含まれ、エバ(chavah)は「命を与えるもの」という意味である。ちなみに、主(アドナイ)は yehovah で、後半は字づらではエバに似ている。
tzelem には「流し込む型」という意味があるが、これは三次元的な像であることの強調か?人と型は同じでも中身(赤土)が違う、すなわち似像であるということか。
新共同訳をもとにした『略解』によると、この「我々」は「自問文でなされる熟慮の複数」であり、「神と向き合うありかたこそ、人間の基本である」という説明につなげている。どうも、新共同訳も 3' の解釈をとっているように受け取れる。
人は人をモデルとして神を描くものである。人が創世記をつくったとする場合、または、創世記を真実として受け入れる場合、これを神の側から正当化するのが、この文を作る、または、信じる動機となりうる。
参考文献
『神の像としての人間 ---創世記1章26〜27節研究---』 (野本 真也, 『基督教研究』第40巻第2号, 1977年4月, http://theology.doshisha.ac.jp/nomoto/kiriken/kk77sn.html)
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更新: | 01/01/15-01/01/19,01/02/05,01/02/09,01/02/15,01/02/18,01/04/05, 01/05/02,01/06/18,01/07/02,06/01/28 |
初公開: | 2006年01月28日 23:52:20 |
2006-01-29 00:10:10 (JST) in 旧約聖書ひろい読み | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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