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2006年2月 4日 (土)

タナトス(Thanatos)

統合失調症あるいは精神分裂病』(計見一雄, 講談社選書メチエ, 2004/12/10) によると、フロイトは「人間の最も基本的な衝動とは何か」という問いに eros (生の本能、libido) と thanatos (死の本能) と答えたという。これについて、著者は、発達心理学では thanatos ではなく aggression だという。ハルトマンが言いはじめたそうだ。

しかし、私はやはり thanatos でいいのではないかと思う。自己と同じであるにもかかわらず、自己と違うものを消去しようとする garbage collection のような単一化欲求こそ thanatos ではないか。
Libido と aggression という分けかただと、libido に基づく aggression という慨念が使えないか、aggression はすべて libido に基づくというふうになってしまうのではないか。

Aggression を問題としたとき、Aggression だけを押さえて、libido だけを活かそうとしても、libido から来る aggression を止められない。私の考えでは、aggression を押さえるための根本的な施策は、libido を押さえ、 thanatos も押さえることだと言えよう。

この主張は仏教的と言えるかもしれない。仏教が libido で表される執着を押さえるのは有名だが、仏教の真理がよく矛盾を含む形で示されるのは、 thanatos を押さえるため、つまり、自己矛盾を是として pending する訓練をさせるためと見ることができないだろうか。もちろん、仏教者は、その自己矛盾から深淵な真理を悟るのだろうが、動機付けという観点からはむしろ、その忍耐的訓練に価値を見いだせよう。

Thanatos を押さえるには自己矛盾を是とする他に、他者を自者とまったく違うものとして捉えるという方法もあるように思える。他者を他者のままで、愛するとするのが、発展的解決であると考える向きもあろう。
更新: 05/03/08
初公開: 2006年02月04日 16:53:32

2006-02-04 16:53:32 (JST) in 心理学 仏教 | | コメント (3) | トラックバック (0)

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コメント

象徴を語るならとにかくユングだよね。w
フロイトって・・・

匿名投稿 | 2006-04-22 21:59:24 (JST)

どうでもいいけど、意味わかんねぇぞ。
理由付けがナット乱。w
おまけに真の宗教も知らないらしいと来た。

短たる哲学者研究者の遠吠えにしか聞こえないんだが・・w

匿名投稿 | 2006-04-22 22:05:52 (JST)

コメントありがとうございます。

> 象徴を語るならとにかくユングだよね。w

心理学に関しては正直、大学の教養課程で使うような入門書と経済心理の教科書を数冊読んだぐらいで、ユングに関する知識は、恥ずかしながら、そこでの歴史に名前が出てきたのと、高校生のときに夢分析(ユングのものではない)のアヤしげな解説書を読んだぐらいです。

Wikipedia によるとユングは、象徴哲学についての研究も行っていたようですね。ということは社会心理における象徴の役割ついても研究していたということなのでしょうか?

コンピュータ上で変数名などを用いるときに、実装以上の動作を象徴を用いて表現することで連想しやすくすなります。

ただ、今のところ、ご存知のようにコンピュータの「理解」は人に及ぶ物ではなく、データの列に現実の集合の名前を割りあてたり、その動作を非常に特殊なメタファで象徴できるだけです。

ある象徴が人にとって何を表しているかには興味があまりなく、コンピュータの動作のうち「人のコンピュータ的思考」で象徴できるものがないか、という興味のほうが強いです。

いってしまえば、動機付けの実際の方法以外は、心理学を象徴として見ていただけなので、ユングに手を出す必要はないかなと思っていました。

一次資料にこだわっては広く見渡せないので、二次資料を通してということになると思いますが、今度、ユングについてもう少し調べてみたいと思います。

何か良書があれば教えていただければと思います。

> どうでもいいけど、意味わかんねぇぞ。
> 理由付けがナット乱。w
> おまけに真の宗教も知らないらしいと来た。

もちろんです。私のような「外部の人間」に「真の宗教」を知る由もありません。

ただ、長い年月を経てきた宗教には、表層的理解からも得るべきところがあるという信念を持ってあたっています。

この記事では、これまでも宗教が「タナトス」と対峙してきたはずで、仏教にもキリスト教にも、それに制約を課したり、成長をコントロールする作用があったはずで、動機付けという観点からそこに着目しています。

「リビドー」と「攻撃性」では私には重なる部分が大きすぎるように感じ、たとえば感情のあるロボットを作ろうとすると「攻撃性」よりは「タナトス」があったほうが適当なのかな……という思いからこの記事を書きはじめました。

意味がつかみにくいのは私の筆力の及ばぬがゆえでしょう。今後、精進していきますので、意味が伝わる文章を書けたときは、またコメントをいただければと思います。

#ちなみに私を「哲学研究者」とお考えいただくのは真の哲学研究者に申しわけないので、その点は否定しておきます。

投稿: JRF | 2006-04-23 01:56:28 (JST)

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