象徴の利用形態
何がしかの象徴(物・行為)を用いる方法には次のものが考えられる。
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日ごろから特に意味を教えることなく、潜在意識下に象徴を刷り込んでおき、あとから、その象徴の意味を開示することで、強い印象を与える。
いきなり真実を伝えても印象に残りにくい。悟りとして得るべき真実が、悟りとして認識されるようにするためにはこのような努力が必要なのかもしれない。
潜在意識にある象徴が、それのみで意味をなすことはほとんどないだろう。自然に象徴の意味に気づき、それに影響を受けるようになる人間はそれほど多くはないのではないか。
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象徴哲学の神秘性は、クイズ番組と同じで、好奇心が強く、理性の発揮を好む人物を惹き付ける。カバラやハスディームがユダヤ教に受け入れられたのは、この点に注目したからであろう。……かくいう私も惹き付けられた一人ではあるが。
ただし、知ってしまえば大したことのない知識であれば意味がない。クイズとは違うので、正解をそもそもなくすか、タブーをにおわせ共犯意識によって、《錬金術》的効果を生むか、多くの場合、何らかの対策をする必要があるだろう。
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自分が何かを信仰しているときに、求められなくても、その「何か」にまつわる象徴を欲っしたり、象徴的行動を行う、または、参加することがある。一種のファッションであるかもしれない。
ただし、住民のほとんどが同じ宗教などの信者で、そのような信仰「告白」が日常的に行われる環境では、そのような象徴を示さないことが不信仰の告白とされる危険がある。
もちろん、半ば強制的に象徴物を買わせるといったことにも利用できるが、これは象徴物には限らない。象徴としての利用というよりも、キャッチセールなどの手口として使われる心理学的手法に分類されるべきだと思う。
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何らかの組織がその統合の明かしとして象徴を求めることがある。これはその強制的側面から否定的に捉えられがちだが、逆に言えば、その象徴さえあれば内心がどう思っていようとかまわないとする点で、実は、逆心への許しと言える。
これは組織側のタテマエの構成としては 3 になるのだが、現実には象徴を欲っしているのは構成員ではなく、組織の側であるという点が違う。
ただし、これを「許し」とみなせるためには、いくつかの象徴を選択的に用意することで、すべての者にタブーを冒させない必要がある。
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最初の二つは象徴が直接的な意味を持ち、言ってみれば「真理への徴し」となるのに対し、後の二つは象徴がそもそも何を表していたかが没却されて、個人の「状態の徴し」として使われるのみである。
1 と 3 は「真理」または「状態」から導かれる「内発的利用」であるのに対し、2 と 4 は象徴であることに重点を置き、そこから得られる「真理」または「状態」を省り見る必要性が乏しい「外延的利用」と言えよう。
もちろん、一つの象徴がこれらすべてを同時に意図して用いられることもありえる。また、利用者が意図しない効果が発現することもありえる。
更新: | 01/02/18,01/02/21,06/02/14 |
初公開: | 2006年02月14日 17:20:27 |
2006-02-14 17:20:27 (JST) in 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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