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2006年2月14日 (火)

聖餐論、聖体論争

聖餐式とは、キリストの処刑前夜に、自らの血と肉として、信徒にパンとぶどう酒を勧めたことに由来する儀式である。

ルターの説は、聖餐式とは、「神への契約の存続」の象徴である犠牲(キリストの血と肉であると同時にパンとぶどう酒であるもの)が天に召されることを祝い、「キリストの言葉による新たな契約」を結ぶ儀式であるとするものである。ルターは、カトリックが平信徒にはぶどう酒を与えなかったことを、改めた。

ルターとツヴィングリ、および、カルヴァンの時代になされた聖餐に関する論争は、このパンとぶどう酒を「犠牲」として見做すか否かが最大の争点であった。
つまり、パンとぶどう酒を「犠牲」と見做し、キリストが自己犠牲の象徴として血と肉を信者に与えたと考えるか、「犠牲」と見做さず、キリストは自らの肉体の犠牲によって生まれた血と肉ではないパンとぶどう酒を、奇跡によって霊的な血と肉と化し、信者に与えたと考えるかが争点となった。

ポイントは、血と肉まで差し出す「自己犠牲」を信者に求めるのか否か、パンとぶどう酒が真実に血や肉に変化するような物理的な奇跡を信じることを求めるのか否かの部分にある。

カトリックは、物理的な奇跡(化体説)とし、ルターは肉と血そのものであることは否定したが、あくまでも物理的な奇跡とした(現臨説または共在説)。ツヴィングリは奇跡の存在を否定し、聖餐を象徴的儀式と考えた。カルヴァンはそれを霊的な奇跡と改めた。

ルターの説を、人間に知り得ない無限小の存在の集りとしての「神の肉と血」と考えていると見ればヨハネス・ドゥンス的と言えるかもしれない。マクグラスによれば、ルターはアリストテレス的実体変化を否定しながら、キリストの現存を強調したそうである。カルヴァンの説は、あくまでも理性的な理解を重視した点で、普遍重視の指向が見える。ともに、彼らのほかの理論(義認説と予定説)と整合性が取れている。


問題ある司祭・牧師による式の効力の問題としてカトリックは司祭には関係ない (事効説)としたのに対し、ルターは牧師の信仰による(人効説)とした。

ルターはカトリックと対立した以上、そうせざるを得ない面もあったが、カトリックの複雑な教義にしてみれば「問題」のある司祭は無視できないほどいるかもしれないが、「信仰のみ」を重視することで逆に「問題」の範囲を狭めることができるという判断があったのかもしれない。(カトリック側では問題とされてもルター側では問題にしないということ。)


聖餐式における奇跡を信じるものは、神の受肉も信じるだろう。これは信仰において十分な素養を測る犠式といえる。

しかし、逆は真ではなく、神の受肉を信じたからといって、目の前のパンが肉だといわれても納得できないことはありえる。むしろ、神の受肉や復活まで、目に見えない霊的意味だと解釈される可能性すらある。

印刷技術が発達し、一般信徒が「理性」に目覚めはじめた近代という時代に、この問題が出てきたのは当然とも言えるが、少なくとも近代において最終的にはカトリックだけでなくプロテスタントまでもが、聖餐を象徴ではなく奇蹟とする考えを堅持したのは驚くべきことだ。

神の受肉を信じているかどうかテストしたいといっても、口でいくら信じているといおうが、それが本当かどうかわからないはずである。理性的に言わせてもらえば、組織の側も信者がキリスト教徒になるという奇蹟を受け容れている。

最初にあえて非合理的なことを受け入れさせることで、その宗教が決して論理的に「完全」なものではないことを表明し、そこに互いが近づくべき「信仰」の余地を残す。現代の一部キリスト教国の姿からは想像できないかもしれないが、アウグスティヌスがマニ教を批判した伝統を受けついでいるともいえよう。


参考文献


宗教改革の思想』 (A. E. マクグラス, 高柳俊一 訳, 教文館, 2000年10月 (orig. 1988-1998))

更新: 00/11/18,01/07/12,06/02/14
初公開: 2006年02月14日 19:50:24

2006-02-14 21:43:34 (JST) in キリスト教, 神学・教学 | | コメント (0) | トラックバック (1)

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