仏教とキリスト教:教えの誠実さ
仏教は、信者が新たな真実を語る預言者、すなわち、ブッダになることは肯定したが、教えを神の責任とすることを禁じた。そして、信者は、自分が必ずしも信じていないものを信じよと説く「方便」を語ることができるが、その方便を使った効果については、自らの中に確信がなければならないとする。
一方、キリスト教は、神の名のもとに教えをただ信じることを求めるが、信者が新しい真実を語る新たな預言者になることを否定した。そして、信者は、預言者ではないがゆえに、自分の伝え聞いたものを確証する手段を持たないが、自分の信じているものとして教えを語ることができる。
一方から見れば、他方は無責任に映るが、一概にどちらが誠実だとは言い難い。
仏教徒には、仮に神がいるのだとしても、人に欲望と理性を与えた以上、自分達が人のためにすることが、本当に人のためになるのならば、結果的にそれは神の評価するところになるはずであり、逆に、神にこだわることで争いをするのは無益であるという考えがある。
キリスト教徒には、神がいるのにその栄光を無視することはできないはずであり、神が人に理性と欲望を与えた以上、現世的な利益を追求することに関しても、相応の解釈によって何らかの理由が導けるという考えがある。
信徒を「受益者」という視点でみれば両者の違いというものは、それほど大きくないのかもしれない。
| 更新: | 01/02/08 |
| 初公開: | 2006年02月04日 16:36:17 |
2006-02-04 16:36:17 (JST) in キリスト教, 仏教, 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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