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2006年3月 6日 (月)

参考文献:キリスト教・神学関連

私が持っている本で略解と「名著」以外は通読したものを紹介します。
聖書注解


新共同訳 旧約聖書略解』 (木田 献一 監修, 日本基督教団出版局, 2001年)
新共同訳 新約聖書略解』 (山内 眞 監修, 日本基督教団出版局, 2000年)


略解ですから、より詳しい『注解』ももちろんあります。かなり高くなるのですが、古本であれば個人でも買えない額ではなかったはず。私も注解を欲しいのですが、略解とネットを併せて引くことで間に合わせています。

「新共同訳」なので差し障りのない解釈が多いのかもしれませんが、そういう解釈を知っておくのも大切でしょう。

ティンデル聖書注解 マルコの福音書』 (R. アラン・コール, 山口 昇訳, いのちのことば社, 2004 年)


原著は 1989 年でそれなりに定評ある注解書シリーズの一冊のようですが、正直、「正統的」な解釈ばかりです。詳しいのでしょうが、『略解』のほうが私のような表面をすべるような調べ方をする者には得るところが多かったです。

マルコのみ注解書を持っているのは、四福音書の中で私がもっとも惹かれたのがマルコだからです。しばしば、二資料説を根拠にマルコがより脚色の少ないイエスを書いているという理由で、マルコを好む人がいるようですが、私は単に短いから、また、実質的な奇蹟の数が少ないからマルコに惹かれています。

マルコに現れる奇蹟の多くは「人の業」としても説明できるのですが、やはり「奇蹟」としか言いようのない物も中にはあります。ただ、それがむしろイエスの人格を疑わせるものだったり、仲間うちにしか見せないほとんど意味のないものだったりするところが、逆に「奇蹟」としての性質を際立たせています。

すでにキリスト教にある人や他の奇蹟を信じる人であれば、マタイのほうがより信仰を強くするのでしょうが、私のような奇蹟をあまり信じない人間には、奇蹟を乱発するマタイやルカよりも、マルコの奇蹟のほうが重く感じられます。

カトリックの方が、文献学の成果である二資料説を懐疑的に見て、マルコは、ペトロの近くで外国人のために特別に作られたものであり、共観福音書の最初の物とは限らないという主張をすることがあるようですが、「外国人」である私はそれもありえるのかなぁと思ってしまいます。


思想


ギリシャ正教』 (高橋 保行, 講談社学術文庫 500, 1980年)


ギリシャ正教徒によるその詳しい教義の解説を行った本。多少の贔屓目はあるにせよキリスト教他派に関することも誠実に書かれています(と思う)。実にわかりやすく、この本のおかげで、単にギリシャ正教だけでなく、キリスト教全体に対する理解も、かなり深まったと思います。神学的問題について深く考えるようになったのはこの本がきっかけです。

宗教改革の思想』 (A. E. マクグラス, 高柳 俊一 訳, 教文館, 2000年)


宗教改革における神学的問題について詳しく載っています。本人はプロテスタント側なのですが、他派からも評価される『キリスト教神学入門』の著者で、この本の考察はとても参考になります。ただ、「思想」に焦点をあてているためか、資料としてデータを求めることはできないようです。

カトリックの信仰』 (岩下 壮一, 稲垣 良典 校訂, 講談社学術文庫 1131, 1994年)


原本は 1949 年で用語も旧い用法に順っています。ただ、論旨は古さを感じさせず、プロテスタントへの論駁がなかなかおもしろいです。最近のエキュメニズム運動であいまいにされがちな点をタダそうとする姿勢は、「人と人に間があるのは互いに殺し合うためでも、いずれ一つになり「復活」するためでもない」と信じる私のような人間には好感が持てます。

現代人のための教理史ガイド』 (棚村 重行, 教文館, 2001年)


詳しく神学を見るようになって、自分のスタンスに一番近いなと思われるのが「教理史」という分野です。さまざまな思想を見ながら、その特徴が何かを考えていく分野です。この本は「現代人のため」らしく特定の派に寄らないよう努め、「教理が常に発達してきて最終的に我々に致ったのだ」というのがないのが、良いところです。「教理もまた変遷する」というスタンスがとれること自体、ある種この時代ならではの発想なのかもしれません。もちろん、著者の考えは著者の考えとして述べているのも好感がもてます。

中世哲学への招待』 (八木 雄二, 平凡社新書 069, 2000年)


ヨハネス・ドゥンス・スコットゥスの思想を中心にキリスト教神学、特に普遍論争を説明した教養書です。八木氏の考えには共感できなくても、八木氏が紹介しようとするスコットゥスや他の思想家の考え方が刺激的で、私にはかなりおもしろかったです。

キリスト教史 3 中世キリスト教の成立』 (M. D. ノウルズ ほか, 上智大学 中世思想研究所 訳, 平凡社ライブラリー, 1996年)
キリスト教史 4 中世キリスト教の発展』 (M. D. ノウルズ ほか, 上智大学 中世思想研究所 訳, 平凡社ライブラリー, 1996年)
キリスト教史 5 信仰分裂の時代』 (ヘルマン・デュヒレ ほか, 上智大学 中世思想研究所 訳, 平凡社ライブラリー, 1997年)


宗教改革から近代を経て、中世は不毛の時代とされがちだったのですが、もちろん、それはカトリックやキリスト教から離れた見方をしたいがためで、キリスト教側から見れば、それなりに実りのある時代だったわけです。神学を学ぼうとすれば、宗教改革時の議論はもちろん、それ以前のことをある程度知る必要があります。

とはいえ、このシリーズは思想史的なことはあまり書いておらず、「歴史」というか政治史的になっています。


「名著」


アウグスティヌス』 (山田 晶 編, 中央公論社 中公バックス 世界の名著 16, 1978年)


『告白』が載っています。

『ルター』 (松田 智雄 編, 中央公論社 世界の名著 18, 1969年)


『キリスト者の自由』 や聖書講義録がいくつか載っています。


読み物


ナザレ派のイエス』 (前島 誠, 春秋社, 2001年)


歴史の研究成果がとりいれられており、ときおり物すごくスルドイ解釈があります。イエスを人としてしか見ないのは完全に違う宗教だと思いますが、キリスト教徒の方も一読されると、新たな聖書理解への糧となるかもしれません。

ユダヤ人から見た新約聖書』 (サミュエル・サンドメル, 平野 和子 and 河合 一充 訳, ミルトス, 1996年)


現代の聖書解釈者達はユダヤ教にも関心を払っているからかもしれませんが、いかにもユダヤ教らしい解釈というものは少ないように思います。ただ、ユダヤ教の知識に乏しい私には、その点がわかるという点で価値がありますし、「異端的」視点を中心にすえることで一貫性があり、読み易かったです。

死海写本とイエス』 (K. ベルガー, 土岐 健治 監訳, 教文館, 2000年)


アニメのエヴァンゲリオンでも有名な死海写本。これはそこででてきたような謎本を否定するために書かれたものです。

死海写本に関してはカトリック側の過剰ともお粗末とも言える反応を楽しむのもいいのですが、やはりその中身は私のような人間にとって興味深いものです。一般のキリスト教徒やユダヤ教徒からは無視されがちな当時の周辺部の様々な思想が読みとれそうです。

こういう概説書も読んでおかないと、一般から見たキリスト教の姿を見失うことになるかもしれません。ちなみに、「事典」として使える物ではないし、おそらくそれを意図して作られた物でもありません。

〈神〉の証明』 (落合 仁司, 講談社現代新書 1392, 1998年)


私は記号論理学を少々かじっていたのですが、基礎数学においては「無限」にもいろいろあるので、「無限」と神を結び付ける時点でかなり眉つばに感じます。ただ、方便としてはわかりやすいのかもしれず、特に「数学を研究する神学者」が「成果」を求められた場合、こういう議論の持っていきかたしか現状できないのかな、とか思いながら読みました。

『ルター』 (小牧 治 and 泉谷 周三郎, 清水書院 人と思想 9, 1970年)
カルヴァン』 (渡辺 信夫, 清水書院 人と思想 10, 1968年)
エラスムス』 (斎藤 美洲, 清水書院 人と思想 62, 1981年)
カール=バルト』 (大島 末男, 清水書院 人と思想 75, 1986年)


ほとんどの伝記は「伝説」的で、その人のものとされる思想はその時代に広くあった思想を代表して書いているだけかもしれない。また、伝記を書く者は個人に思い入れが強くなる一方、そういった自分の思い込みはしばしば、伝記の対象に自分のモノでしかない思いを無意識のうちに托してしまうことがある。

ただ、それをわかって読むなら、フィルター越しであれ思想の一面を知ることができますから、「その人」や「その思想」そのものを対象とせず、どういった思想があるのか知ってみたいという人間にはある意味役に立つシリーズでした。

最近では個人崇拝的な傾向が嫌われるのか、昔の人は昔の人ということからか、こういった伝記物は少ないのですが、ある偶像を立て、その偶像を追いかけていくという文章形式は読み物として面白く、思想だけを取り出すよりはとっつきやすいように思います。

今後何らかの形でこういったものが復活してくれたらなぁと思います。

アウグスティヌス講話』 (山田 晶, 講談社学術文庫 1186, 1995年)


講話集は軽く読めるものが多く、復習には持ってこいです。偏った見方も講話という性質から納得できることもあります。

電子版の新共同訳聖書です。昔出た物のあまりのぼったくり加減にはあきれてしまいましたが、これは 1050 円と大変お得です。Perl とかでフィルタが書けるのならば、exe から utf-16 のデータをゴニョゴニョしたほうが何かと便利かも。ちなみに、そういったフィルタがネット上に出まわらないよう厳しく監視しているようです。

本の場合、文章を作る費用を本の製作費(や流通費用)の上に課すことで回収します。これはそのモデルをまねてプログラムの製作費に上載せして回収しようということでしょう。何だか、印刷技術が普及しはじめたころにビラが人々の教会生活からの離反をさそい、財政的逼迫を危惧して免罪符というビラを乱発したのと同じ匂いを感じますが、まぁ、過渡期の現象なのでしょう。
更新: 06/03/05
初公開: 2006年03月06日 03:56:29
最新版: 2006年04月03日 19:50:48

2006-03-06 03:56:25 (JST) in キリスト教 参考文献・リンク集 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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