そうでないと示さない限り『』にかこまれた部分が「老人」のセリフ。
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「老人(大審問官)が指摘しているとおり、キリストは昔すでに言ったことに何一つ付け加える権利はないんだからね。」
「つまり、『お前はすべてを教皇に委ねた。したがって今やすべては教皇の手中にあるのだから、いまさらお前なんぞ来てくれなくてもいいんだ。少なくとも、しかるべき時まで邪魔しないでくれ』」(p.301)
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キリストによる救いではなく、教皇による救いを目指すのがカトリックであると主張しているのか。
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「『お前が新たに告げることはすべて、人々の信仰の自由をそこなうことになるだろう。なぜなら、そのお告げは奇蹟として現れるからだ。』」 (p.302)
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「信仰」をする、すなわちカトリックの傘下に入ることではじめて得られる、パンの形をした「自由」が、「奇蹟」を見せられることで、キリストの意図した自由ではないことがバレてしまうということか。
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「『警告や指示に不足はなかったはずなのに、お前は警告をきこうとせず、 |
人々を幸福にしてやれる唯一の道をしりぞけてしまったのだ。』」 |
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老人は、模範ではなく、警告や指示で自分達が人々を幸福にしたことを述べている。
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「『(悪魔の)この三つの問いには、人間の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれているからだ。』」 (p.303)
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これはマタイ4章にある。
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悪魔:『人間と人間社会にとって、自由ほど堪えがたいものは、いまだかつて何一つなかったからなのだ!この裸の焼野原の石ころが見えるか?この石ころをパンに変えて見るがいい』『もっとも、お前が手を引っ込めて、彼らにパンを与えるのをやめはせぬかと、永久におののきながらではあるがね。』 (p.304)
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焼野原の「石ころ」は争いの象徴。自由は争いを誘うが、石をパンに変えることができれば争いはやむ。ただし、そこにあるのは教会への服従。
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キリストの自由 |
パンを自分の力で得られる自由。教会の指導のない自由。
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悪魔の自由 |
パンを得る苦労からの自由。教会への服従で買う自由。
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「『しかし、われわれはあくまでもキリストに従順であり、キリストのために支配しているのだ、と言うつもりだ。彼らをふたたび欺くわけだ。』」 (p.305)
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老人自身は、それに葛藤しているようだ。
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「『人間という哀れな生き物の苦労は、わしなり他のだれかなりがひれ伏すことのできるような、それも必ずみんながいっしょにひれ伏せるような対象を探しだすことでもあるからだ。』」(p.305)
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服従の平等。
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「『もしだれかがお前に関係なく人間の良心を支配したなら』」(p.306)
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老人には実際には良心を支配できるのは「お前」だけだという理解があるのか。
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「『地上には三つの力がある。そしてただその三つの力のみが、こんな弱虫の反逆者たちの良心を、彼らの幸福のために永久に征服し、魅了することができるのだ。その力とは、奇蹟と、神秘と、権威にほかならない。お前は第一の力も、第二も、第三もしりぞけ、みずから模範を示した。』」 (p.307)
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奇蹟と神秘と権威は、ちょうどマタイの4章の順番に合わせようとしているのであろうが、奇蹟と神秘はそうはっきり分れるだろうか。
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奇蹟 |
人々を組織につなぎとめるために、人に現世的利益を提供すること。
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神秘 |
人々の耳目をひくために 人に来世の存在を確信させること。
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権威 |
人々に教えを守らせるために、人に罰を与える力があることを示すこと。
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といったところか。
老人自身は「模範」がなくなっているが、それはしかたがないと判断しているのか。
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「『お前が渇望していたのは自由な愛であって、永遠の恐怖を与えた偉大な力に対する奴隷的な歓喜ではなかった。』」(p.308)
「『人間が今いたるところでわれわれの権力に対して反逆し、反逆していることを誇っているからといって、それがどうだと言うんだ?』」
「『しかし、愚かな子供たちもしまいには、たとえ自分たちが造反者であるにせよ、自分の造反さえ持ちこたえられぬ意気地なしの造反者にすぎないことに思いいたるのだ。』」(p.308)
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老人がプロテスタントを批判している。ということは、ドストエフスキーはプロテスタントをある程度評価しているということか。
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「『まさか本当にお前は選ばれたもののために、選ばれた者のところへだけやって来たわけではないだろう?だが、もしそうなら、それは神秘であって、われわれの理解すべきことではない。また、もしそれが神秘であるなら、われわれも神秘を伝道して、《大切なのは心の自由な決定でもなければ愛でもなく、良心に反してでも盲目的に従わねばならぬ神秘なのだ》と教えこむ権利があるわけだ。』」(p.309)
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ドストエフスキーにおいては、
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奇蹟 |
欲望と服従の肯定。
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神秘 |
理性(良心の自由)の否定。
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「『われわれはお前の偉業を修正し、奇蹟と神秘と権威の上にそれを築き直した。』」(p.309)
「『われわれはおもはやお前にではなく、彼(悪魔)についているのだ、これがわれわれの秘密だ!』」「『ちょうど八世紀前、われわれは彼から、お前が憤りとともにしりぞけたものを、……、あの最後の贈り物を受け取ったのだ。』」(p.309)
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訳注によるとフランク国王ピピンの教皇領の寄進のこと。
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「『世界的な統合の欲求こそ、人間たちの第三の、そして最後の苦しみにほかならぬからだ。』」(p.310)
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「『お前の自由にひたっていたころのように、いたるところで反乱を起すことも、互いに滅ぼし合うこともなくなるだろう。そう、人々がわれわれのために自由を放棄し、われわれに服従するときこそ、はじめて自由になれるということを、われわれは納得させてやる。』」(p.311)
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キリストの自由と教会の自由の違い。人々に奇蹟の裏付けのない自由をもたらすには教会が必要であることを納得させてやるということ。
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「『本当の話、彼らはパンそのものより、われわれの手からパンをもらうことのほうをずっと喜ぶだろう!なぜなら、以前われわれのいなかったころには、自分らの稼いだパンが手の中で石ころに変ってしまってばかりいたのに、われわれのところに戻ってくると、ほかならぬその石ころが手の中でパンに変わったという事実は、あまりにも記憶に新ただろうからな。』」 (p.311)
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つまり、パンを作(ったり作れなかったりす)ることが争いを呼んでいたのが、服従の下では、争い(競争)がパンを生むことになるということか。石ころはインティファーダのような反抗の象徴か。
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「『彼らは、神に対する罪をわが身にかぶってくれた恩人として、われわれを崇(あが)めるようになるだろう。そして彼らはわれわれに対して何の秘密も持たなくなる。彼らが妻や恋人と暮すことも、子供を持つか持たぬかということも、すべて服従の程度から判断して許しもしようし、禁じもしよう。』」 (p.312)
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告解と、結婚の秘蹟のことを述べている。
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「『われわれは秘密を守りとおし、彼らの幸福のために天上での永遠の褒美で彼らを誘いつづけるのだ。なぜなら、かりにあの世に何かがあるとしても、もちろん彼らのような連中のためにあるわけではないのだからな。』」 (p.312)
「『彼らの幸福のために彼らの罪をかぶってやったわれわれが、お前の前に立ちはだかって、言うのだ。《できるものなら、そんな勇気があるのなら、われわれを裁いてみよ》とな。』」(p.313)
「『わしも荒野にいたことがあるのだ』」「『わしは引き返して、お前の偉業を修正した人々の群れに加わった。』」(p.313)
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老人は、自分の自己犠牲に陶酔し、大審問官としての「必要悪」を納得しようとしている。
イワンの語りで締めくくられる。
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「これらの哀れな盲どもがせめて道中だけでも自己を幸福と見なしていられるようにするため、どこへ連れてゆくかをなんとか気づかせぬよう、途中ずっと彼らを欺きつづけねばならないのだ。そして心に留めておいてほしいが、この欺瞞もつまりは、老審問官が一生その理想を熱烈に信じつづけてきたキリストのためになされるのだからな!」(p.315)
「軍隊やイエズス会などを全部含めたローマの全事業の真に指導的な理念、この事業の最高の理念が生れるためには、こういう人物がひとり先頭に立っているだけで十分なんだ。」(p.315)
「こんな結末にするつもりだったんだ。」「老審問官にしてみれば、たとえ苦い恐ろしいことでもいいから、相手に何か言ってもらいたかった。」「血の気のない九十歳の老人の唇にそっとキスをするのだ。これが返事のすべてなのだ。」(p.316)
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イエスが老審問官にキスをするのは、ドストエフスキー自身は、老審問官が表すカトリックの方法には反感を感じても、その自己犠牲の精神には、キリストから、誤った形式でかもしれないが、確かに受け継がれた模範を見ているということか。
ドストエフスキーが属するロシア正教やギリシャ正教は、修道者が神のイコン (イメージ)を目指していることに最大の特徴がある。正教の教義は、人が理想的状態を忘れているだけであることと、人がイコンにしかなれないことを主張する。
そのためか、歴史的にはカトリックと較べて、教会は、安定を指向して自分達が悪をなすことを徹底的に否定する一方、外部の圧力に対し簡単に自分達の限界を受け入れてしまうように見える。それを人々が見て模範のように見えないとき、人々はどう判断するのだろうか。例えば、ロシア革命前夜、「解放」に向かったはずの社会で何もできない教会を人々はどう考えただろうか。
「イエス像」には東と西の差が現れている。東に原罪という考えはなく、罪は、神のイコンをなくしていることとする。よって、西の苦しむイエス像に対し、東のイエス像は刑死という屈辱から復活して「イコンを回復」し光輝くイエスが描かれる。
ただし、東方に根強く残るネストリウス派的信仰とこの「勝利者イエス」があわさると、刑死という屈辱を受けた未だ神そのものではないイエスが、単に名誉を回復するだけでなく、一つ上の位である神の右に座ったという革命指向の解釈になる。このような解釈のもとでは、理想的状態になるためには、一度、自ら屈辱的状態にならねばならないなどという誤解も現れることになる。
正教では、人が自らを罰して屈辱的状態になることは、何の意味もないとするが、神が人を罰していることに気づき苦しむことと、神のイコンを信仰生活によってとりもどして、そのような「死」に似た苦しみから人が「復活」することは、求める。その過程を「神化」と呼ぶが、これも誤解を招きがちな表現である。
19世期末ロシアでも社会主義思想が広まるなか、1880年に『カラマーゾフの兄弟』は単行本となった。社会主義国家樹立につながるロシア革命は1917年に起きる。
ロシア革命の前に、信仰生活にない人々も、プロテスタントの万人司祭説に影響されたのか、自分達もまた「罰されている」ことに気づき、自分達こそがわざわざ国難という「屈辱を引き受け」ても、他の国民より「一つ上」の社会体制を実現することで「イコンを回複」するのだという思想的ムードができていたのではないか。
そんな中、ドストエフスキーは、『大審問官』を書くことで、ローマ教会に、いずれ革命によって失われるツァーリズムに替わり、人々に平和をもたらしうる服従の平等の模範を探ったのではないか。
ドストエフスキー自身にどれほど革命指向があったかは知らない。だが、正教を否定したソビエトは、ある意味、ロシア正教の異端としての性格を帯びていたのかもしれないと、これと『
ギリシャ正教』を読み終えて、思った。
参考 |
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『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー, 原卓也 訳, 新潮社 ドストエフスキー全集 15, 1978)の第5篇の5『大審問官』
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コメント
更新:最後の解説部分に加筆し、事実解説だけでなく意見を鮮明に出した。
投稿: JRF | 2007-06-08 17:21:57 (JST)