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2009年2月20日 (金)

『六方礼経』にちなみ、友ならぬ知り合いの道を語り解く

『六方礼経』そのものではなく、それをもとに書かれた道徳書『ブッダが語る人間関係の智恵 − 「六方礼経」を手がかりに』(田上太秀)の主に第一章「友人とのつきあい」を読んで、友のない私が、友というよりも知り合いの道を語り解こうと思う。

>
ブッダは慈悲の心を具現する方法として「四摂法[ししょうぼう] (四つの愛護)を説きました。四つとは、「与えること」(布施)、「やさしく語ること」(愛語)、「ためになることを行うこと」(利行)、「協力すること」(同事)です。詳しい説明は後にゆずりますが、四摂法を国家、社会、家庭のあらゆる人間関係の基本的理念として説き示したのです。

以下で紹介する『六方礼経』というお経(経典)は、この四摂法を中心に説かれたものであると言っても過言ではありません。

(…)「世間は寄り合い、依り合い、縁り合いの場」と考えて、友人関係、親子関係、夫婦関係、師弟関係、労使関係などで「四つの愛護」を実行すれば、必ず平和な人間関係が実現できると、この経典の中でブッダは説いているのです。(pp.17)


『六方礼経』の六方の由来は、東西南北・上下の六つの方角である。この経典は、六つの方角へ漫然と礼拝している資産家の息子、シンガーラ青年に対して、釈尊(=ブッダ)が、方角に礼拝するとき込めるべき正しい意義を述べ、もって特に世俗生活の倫理を説いたものである。東・西・南・北・上・下の六つの方角について、親子・師弟・夫婦・友人・労使・聖俗の六つの関係を配置して説く。

当たり前のことを説くのが現代では大切なのかもしれないが、その捉え方は私には一面的に思える。この本の著者は、この教えが、在俗のいずれ財産を相続する立場の者へ向けられていることをしばしば述べる。釈尊ですら在俗の者には「その程度」しか語り得なかったと考えられれば、私には慰めがある。
私は、読みはじめて次のところにつまづき、以降素直に読み進めなくなった。

>
罪を指摘し、あやまちを告げてくれる人こそ賢い人で、同じようにその人に従えと教えています。今日、友人の罪を隠したり、友人が犯したあやまちを指摘しなかったりする風潮があります。これが悪の横行を助長していると考えられます。(pp.34)


あやまちを指摘するべきであることについては、その通り。しかし、罪を隠してはいけないというのは、知り合いならまだしも、友人の場合はどうか。友人を[かく]まえというのではない。友人ならば、本人に罪を[さと]した上で、自らがその責任に連なる内部のものとして、外部からの追及のおもてに立たねばならない。追及が急ならば誰がしたかを隠すだろう。その上で内部で罪を裁こうと構えるべきではないか。

「復讐」が国家の独占物となった現代の罰は、おおよそ良い意味で個人主義的で、家族などに累を及ぼさない。それは正しいことだけれども、罪、とくに友人の罪ともなれば、被害者だけでなく加害者にも罪が降りかかったものとするのだから、生じる恨みは重なった[えにし]の内部が緩衝して受け留めねばならない。罪に対する誓いを自分達のものとして獲得するためである。

私がこのように考えるとき、思い浮かぶのは「義」の一字だ。漢文学や時代小説に現れる義兄弟や仁義の「義」である。

義は[いく]さを基とする。死に連ならねばならぬとき、自らとともに亡びないもの、すなわち、義が恨みなく希望を継げる。そのためには自身にとって[よろ]しいというだけのものを超えなければならない。それによって選ぶ「友人」は、人によっては感覚を超えたところで連なる。


釈尊は悪友として「放蕩する仲間」を挙げる。言いたいことはわかるが、道教的「義」が描かれた文学に親しむものには違和感がある。

>
放蕩する仲間にも四種あると説きました。(pp.34−35)

(1)
酒類などの怠惰のもとになることにふける仲間。
(2)
時ならぬときに街をふらつき歩く仲間。
(3)
祭りや踊りなどの集まりにふける仲間。
(4)
博打などの遊びにふける仲間。


戦さになれば義兄弟となりうる者も、戦さがなければ交わらぬ種類の人物でありうる。戦いにおいて必要な特質は、平時においては自暴自棄となって現れることもある。

そういう人物に近付かないのは、確かに賢明な生き方だ。「彼らのことはわからない」それでいい。だが、わからぬ部分が感覚は超えうるという疑いをしたたませる。

戦さがないとき、義を秘めた人々は各々の生の間合いを測る。友人ならぬ知り合いとして生き、義に集わねばならぬ大事に備える。

そして、人は戦さのために生きるのではない。ならば、何の義によって自分を社会に継げばよいのか。

(1)
自ら楽しめるよう[そな]わっている。その恵みを[よろこ]んで生きるよう人は獲得してきたのだ。その感覚に[したが]っても継いでいけることを保つ生き方も必要である。

(2)
陰部を抱えたまま人は連なる。敢えて自分が望んだのとは違う関わり方を模索する。恥を忍んで時ならぬ彷徨をするなら、修行とさえいえる。自らを[さら]して人の陰部が共に在ることを悟らせる生き方も必要である。

(3)
自らが秘めた能力を利する方法は創られていくものだ。習熟することで明らかにすることから始める。生産が十分にある社会では、そこに今は利がなくても、習熟のみを評価する生き方も必要である。

(4)
世の中、何が吉凶にあたるか見極めがたい。社会は何が必要であるかをすべて識り得ない。リスクを人生においてとる生き方も必要である。


これら、いってみれば「賢者のモデル」としての(1)から(4)の生き方が、その上の(1)から(4)の放蕩にまで堕ちる。

人は他者に理想を投影し、投影されうるような生活をしようとする。賢者のモデルに[なぞら]えて生きることは人の生活を支えない。そのイメージを経済的に支えたのは、きっと、誰しも死を受け容れることと向き合うときが来るが、どのような在り方であれ生きて老いる人が希少だったということだけだ。


人が生産をし、社会を運営していくとき、自然が平癒しうることを保ちそれと共存しながら少しずつ発展を目指す方法と、資源を大量投入することで自然が平癒しようと社会を侵すのに常に先回りして長足の発展を目指す方法がある。二つの方法の違いは、人が生きていることは「静」なのか「動」なのか、その哲学の違いとも言えよう。

釈尊が活動したのは経済が興った時代である。増えた人口に属する人々には、交易が飢饉に対する保険として機能するようには見えなくなっていただろう。それでも他者と交易する必要があるとすることを、放蕩する人がいたりして生産が足りないから、という考え方をとり、釈尊は、道徳を説いて平「静」に導こうとしたのかもしれない。

その一方で、政治的「動」員によって、辺境から資源を剛く集めつづけ新しい時代の到達点を探ろうとする者もいただろう。いや、むしろ、自分達はすべてを支配するには無力であり、かならず辺境が存在すると信じていたかもしれない。

敵がいる。人を堕落させるのは「敵」の奸計[かんけい]であるやもしれない。逆に堕ちた自分は大抵[たいてい]敵でありえない。堕とそうとするところまで導いたものを「敵」としてあぶり出すという生き方もあるのではないか。

戦さでもないのにそれに[とら]われる。それを次代に継いで幸福が現れるようにすれば、戦いこそ望みとするようになるだろう。経済の興隆を自分達の体にしていっても、自傷せねば平癒せぬのは尋常ではない。傷をもって自己の根拠とするような教えは、釈尊にはない。

敢えて戦さを考えの基に据えても、兵糧を誰が用意するのか、新兵器を誰が買うのか造るのか。地で敵と向き合う者だけが戦うのではない。社会の分断を急にするところに義に集う姿はない。戦争という認識装置に曝そうと[たくら]んだものに、人は、悔いのほかを継げさせようとはしない。

社会全体がそのような傾向を持ち、放蕩の先に賢者のモデルを見て育ったところから、人々を引き戻さねばならない。放蕩することを、決して自らにも互いにも求めないように、それでも人々が生活を継げるだけの利をもって、人のつながり、友人という概念を建てておかねばならない。

友人をつくる縁起の善い方法が決まるわけではない。相互の機先[きせん]によって始めるとしか言えない。相手に自分ができることしか求めず、そのように求めることを相手になすこと。それを友人になる機先とせねばならない。

>
(…)シンガーラ青年に対して説いた親友の特徴を見ると、人が生活する中で互いに協同する人を親友と意義付けているように思えます。釈尊は次のような四種の友人を親友だと説きました。(pp.36−37)

(1)
助けてくれる人。
(2)
苦楽を共にする人。
(3)
ためを思って話してくれる人。
(4)
同情してくれる人。


これが真実だろう。ここから外れれば友人と名乗れまい。


だが、私は、この釈尊が敢えて[さだ]めた利を守る関係に疑問を持って生きてしまった。あまのじゃくの強さに憧れた。たとえ、友人を離れることになっても、大人たろうとして自らを建てる錯覚を潔しとしたように覚えている。

私は、釈尊の挙げた親友とは違う在り方を擁護したい。私は是認する、友人に次のような人であることを求めて良いし、自分もそうなって良い。

(1)
経験から学ばそうとしてくれる人。

助けてくれる人がいることも、自分が助けられる力があることも当然と思ってはいけない。自分でできることだからといって、相手が助けられるようになる必要はないと思うべきではない。やってみなければわからないことも多い。助けてないように見えても経験を与えることこそ後の助けとなることがある。
(2)
成功できることを示してくれる人。

苦楽を共にする人は、どこか近い人であり、馴れ合って自分の到達できるところを低く見せる人になりうる。成功こそ尊い。誰も成功しないより誰かが成功したほうがはるかに善いとせねばならない。苦は物的な支えによってわかちあうべきだが、楽は恵みが在りえたという知識を共に喜ぶべきだ。
(3)
他人を思って沈黙を守る人。

ためを思って話してくれる人が話してくれるのは「私」と「あなた」にとって都合のいいことだけだ。私とあなた以外の他人のため沈黙を守っていることも善いこととされるのを知らねばならない。その「他人」が自分に当たるとき、[]いては、私とあなたのためになる。
(4)
実力をつけたことを認めるために待つ人。

同情してくれる人は、結局、自分がわかる部分だけを見がちである。実力を測ることは難しいと認めねばならない。自分には見極められないものがあって、異なる部分を互いに持っているのだとまず信じることが、個人を超えた「同情」の機先となりえる。


私が述べた(1)から(4)は、伝統的に父のイメージに仮託されてきたものである。これを「厳父のモデル」と呼ぼう。男子はもちろん女性もまた(実際の父たろうとしないまでも)厳父のモデルによって人に接することを学ばねば大人の社会はなりたたないだろう。

厳父はしかし、近付き過ぎれば、過去の厳しさに対して隠しもつような嫌悪を生じさせる。友人と思っていたのに裏切られたように思ってしまうことがありうる。相手を厳父のモデルを[まと]った、それでも、知り合いとして、見れる間合いを保たねばならない。


厳父とくれば慈母を双対として見出す。慈母を求め、または、慈母たることを求め、それを相互に許したところに友人関係を築こうとするとき、相手が慈母的であることを試そうという機先が働くかもしれない。

>
(…)次のような相手は見せかけの友であると言って、四種の悪友の特徴を挙げて説明しました。(pp.28−29)

(1)
何でも持ち去る人。
(2)
ことばだけの人。
(3)
甘いことばを語りかける人。
(4)
放蕩する仲間。


何を持ち去ってもその人が有効に使うことだけを信じて文句を言わず、挑戦に失敗したときせめて言葉だけでも取り[つくろ]い、仔細[しさい]を省りみずとにかくその人が言って欲しい甘い言葉で勇気づけ、放蕩にいたりかねない遊びを元気の証と考えてくれる。

そういうことを相互に認め合う関係が、友人としても生じうると信じる。そこに悪友の芽があるのだろう。また、それが悪友とならずに存在しうるところが、理想体としての「義」の姿なのかもしれない。

私はどうだったろう。

小学生のころ、私は、友人を求めるのに「甘いことばを語りかける人」だったことがある。自分の言うことをきいてもらうのに、その場にふさわしい言葉を探した。そういうことを見つけて言えるのが優秀さだと思っていたのかもしれない。虚言癖はこのころからあった。私は今、昔とほぼ変わらぬ住所に住み、彼らの実家の近所に住んでいるはずなのに、今何も親交はない。

中学生のころ、私は、友人を求めるのに「何でも持ち去る人」だったことがある。私は貸し借りにルーズであったばかりでなく、物事をいかに狡猾に運ぶかがすぐれた証だと思っていたフシがある。社会の暴力と軽く向き合い、不良っぽさに目覚めたというヤツかもしれない。夢に出るほど懐かしむこともあるが、この頃の「悪友」とも、今何も親交はない。

高校生のころ、私は、友人を求めるのに「ことばだけの人」だったことがある。幸運にも私は成績優秀で、かつて私が「同列」とみなしていた者より上の成績になった。私はそれを「他の人が努力をしていない」とすることがカッコイイと感じたのだろう。友人は才能としてすぐれていると思い込むことにし、それに基づいて言葉を放っていた。彼らは私に今も好意的であろうと夢想しそうになるが、今何も親交はない。

大学生のころ、私は、友人を求めるのに「放蕩する仲間」だったことがある。私の時代の大学生は遊びにかまけるのがわりと普通だった。私はサークルに入り、酒よりも特に対戦格闘のテレビゲームで夜を明かしたことを覚えている。それまでなら性格的に嫌っていただろう者とも仲間として楽しく過ごせた。私が苦しいときしばしば連絡をとりたいと思ったのがこのサークルの「仲間」なのだが、今何も親交はない。

他人が「慈母」性に関する相互性を求め、または、「厳父」性を学ぶことを求め、「親友」たろうと私に近づく。私は「厳父」性または「慈母」性または相互性を装うが、やがて、メッキがはがれ、嫌われるか「悪友」として認定されうる状態に移行する。その繰り返し。そういうことなのだろう。


何がしかのモデルを踏んで自分の成長をなぞっていくのは、最近読んだ『ユング心理学入門』(河合隼雄)などの心理学的議論を意識してのことだ。同書に、遊戯療法を紹介したあと、友人を通してコンプレックスを解消していく例が示されている。

>
今まで攻撃的な面を抑圧して生きてきた学生が、大学に入学する。(…)始めのうちは場面に慣れるまであまりひとともつき合わず、自分なりに行動している(…)が大学にも慣れるにしたがって、彼の攻撃性は、ある一人の同級性の上に投影され、その「攻撃的な同級生」との戦いが始まる。(…) 腹を立てたりしながら、その底のほうで、この学生は自分の潜在的な活動性を伸ばす(。…)今まで敵と思っていた男が、味方であるのか、と思わされる事柄にぶつかる(。…)彼は一種の混乱を味わいながらも、今まで攻撃的なのは相手とばかり思っていたのに、その実は、自分自身がそうであったこと、それに適当に攻撃的であることはけっして悪くないことなどを発見する。つまり、投影のひきもどしが行われるのである。(…やがて)話し合って笑い合うことになるだろう((…)儀礼的行為)。かくて、この学生は、内的には自分の攻撃性のコンプレックスの解消と、その自我への統合を経験し、外的には一人のよき友人を獲得することになったのである。(…)

この例によって、コンプレックスを解消するために、われわれがいかに実際的努力を払わねばならぬかがわかったことと思う。(…)弧独な修行をするよりは、今の例に示したように、嫌いな同僚と争い、あるいはライバル同志のなかに芽生える友情に驚きなどしてゆくほうがはるかにコンプレックスの解消につながる場合が多いのである。前者のような方法の場合は、どうしてもコンプレックスについて考えることが多くなり、後者の方法のように、コンプレックスを生きてみて、それを統合してゆく努力とは異なるものになるからである。もちろん前者のような方法も大切なときがあり、考えることをやめて無意識のうちにコンプレックスに生きていられる人(…)も困りものである(。…)その時機において、ある個人が対決してゆくべきコンプレックスがある場合、ちょうどその対決を誘発するような外的な事象が起こる(…)。このような内的外的な現象が、一つのまとまりをもって布置されるような事実をユングは非常に注目している。(pp. 83−85, 強調は原著の指定による)


私を去っていった(元)友人が変わったな、という印象を持つことは多々あった。私自身に関しては、無意識的に変わっていってる部分は思い返せば確かにあるようだが、それが友人との「外的葛藤」によるものかはわからない。覚えていないということかもしれない。虚言癖のある私には、言ってしまって外観を固めれば内面が変わっていくという方策が日常だったということもある。とにかく、先の大学生の友達にいたるまでは、少なくとも私の中では友人のために何かを変えたつもりはなかった。

私が友人を参考にして意識的に自分を変え、新しい人格を統合したのは、大学生時代の後半研究室に配属して、ある「同僚」の態度に衝撃を受けてからだ。

優秀さは譲ってはいけない貴重なものであり、知識がある者が「ある知に達していないレベル」に見られ列せられることは、何らかの優秀さを証しする方法で避ける責任がある。受験という制度のせいかもしれない。そういう思い込みが私にはあった。いわゆる「空気」としても広く世間にあったと思う。

私は、あるとき、私が友人に教える側に一方的に立っていたのに、その友人が、私が思っていた以上の知恵を持っていたことを知った。彼は、私が教える側に立ち易いように、ときどき知らないふりをすることを受け容れていたのだ。実は彼は私を見下していた?私はそうも思ったかもしれない。けれども、彼は私がそのことに気づいてからも決して態度を変えなかった。エラい私のメンツを立てたというのではない対等の関係を彼はその後も構築しようとしてくれた。

私は学んだ。その彼がその性質を保つために人格として持っていたものを。態度や言葉尻で判断しがちな自分を抑えて話をとにかく聴き出せるよう、自分に話しかける人の深さを信じることを。

余断だが、彼はそのころの超有名企業に就職した。当時、私から見て実力があるというだけでなく、博士課程に誘われるほど研究者として優秀で、ネット黎明期のコンピュータの管理をまかされるほど実務能力と献身性がある先輩達のほうが、忙しさなどから、逆に良い就職先に恵まれてないのを見て、私は日本企業の将来を本気で危うんだものだった。しかし、成績優秀でもなかっただろう彼の素質をその超有名企業が見抜いたのには、さすが、と感嘆せざるをえなかった。(そしてそのことが私が就職できなかったことの正当性を私に突きつけることになる。)

なお、しっかり仕事をしているはずの彼ともその先輩達とも、今何も親交はない。


ネット(World Wide Web)が広まりはじめたのは、その大学時代の後半だった。私は研究室の友人にもサークルの仲間にも知られることなく、ネットに匿名でやや政治的な意見を書くようになった。

思い返すに、教師に巨大さを投影しすぎていた私は、自意識過剰に苦しみながら、黎明期のネット社会に、私がそのころ獲得した従順さを受け留められる存在を求めたのかもしれない。

NetNews の fj というネット掲示板のようなところで、J. Rockford という筆名を使い macska 氏や B 氏と議論したことを覚えている。macska 氏や B 氏は私が凄いと思った人だが、私が強い印象をもっているのはその二氏だけだ。私は優秀さを貴重とする空気から結局抜け出せなかったということだろう。そこから類推するに、逆にその二氏から見れば、私は空気のような存在だったろう、はじめからそうだから、もちろん、今何も親交はない。

「幸運にも」、産まれたばかりの「ネット自我」(ネット用にこしらえた外面[そとづら]とそのための内面[ないめん]の用意)が強い反応を得たことで、様々なイイワケが建つにしても、私が生きるべき場所を心の奥深くでは「誤認」したのだろう。私はネットの可能性とやらを信じる形で、独り引きこもるようになる。

イイワケ……。社会資本の整備の理論を自己に適用して支えとした。機会なく余剰があるなら投資にまわせば良い、もし「物価高」すなわち自己に適用すれば親の収入がなくなる事態になれば、必要な労働にきり返れば良い、というものだ。だが、きり返るにしてもタイムラグがあり、その間も生活を支えねばならない。もし、その間生活を支えれるなら、その前からも生活を支えられるはずで、今考えれば、イイワケとして破綻している。

国際的な企業を公正な競争という枠組みで生き残らせるために、生産性の低い個人の在り方は公正さを担保する範囲外では見えなくされる。「公正さを担保する範囲」で雇われる者の「実態」は無意味な働きしかしていないように見える。そして安く雇われることは他の人の賃金を高める努力の邪魔になり、国の潜在生産力の伸びを抑える。だが、そうやって他者の賃金が上がったことはなく、そう心を[いざな]ってキツイ仕事を恐れていただけだ。

犠牲として生きることを選ぶことは、尊い。私は、生を奇跡として認識し、犠牲であることを受け容れたと思うこともあった。犠牲によってどこかに利益が生じるとき、それが分配を必要とするような利益であれば、政治性が生じる。その利益を求めることは犠牲を求めることに等しく、それを避けるために利ではなく義を果実にせねばならない。そうして、義が認められうる結果を何も出していなかったのに、利が自分を避けていることを正当化したつもりになった。


2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ(911テロ)を契機として私は明確に発狂する。そこから平癒する過程で、私は、すっかり連絡を途絶えさせていた「友人」の機能に頼ろうとした。引きこもっていた私は、心の底で「同志」が昔と変わらない生活をしていると想い続けていたようだ。二度の機会に強く[した]い、大学時代のサークルの仲間の何人かに連絡を試みて、機会ごとに一人の後輩から応答だけはもらえた。

そういえば、そのずっと前、連絡を途絶えさせていた友人というより知り合いから、二度ほど突然連絡が来たことがあった。一度はよくある宗教の勧誘、一度はマンガの最終回の話だったか。ああ、私はそれを無下[むげ]に扱ってしまったな。そんなはずはないが、その報いというものなのかな……。


昔は、友人がいないということは、生き倒れになることを予想させただろう。金品を融通しあうという「友情」も究極には考えに入れねばならない。理想的には、ほんとうに困っているなら友人かどうかは関係ないのであって、社会がその機能を代替するのが望ましいとは言えるから、現代はその方向の政策は存在する。しかし、相互の利を親友の基に据えた釈尊は正しく、有益だけど自分にはできない(その人ならできる)か、自分と同じチャンスがあることぐらいなら、利となることを提供するのは友人の[つと]めだろう。

孤独であることを選んだものの一人として私は、友愛よりも福祉の社会化が[ただ]しいとして運動していくべきなのかもしれない。

しかし、私は、危機に陥ったとき、向こうから見れば「友人というより知り合い」になった者から連絡をもらえたことが支えになったことを、忘れてはならない。

私はネットに自由を求める。昔は、せっかく得たネットという自由を、抑圧へ回帰させないこと・社会の発展を信じてのイデオロギー的な部分が濃かった。今は、かつての知人からの連絡を求める気持ちがそれを支えている。そうなる自分に習熟してしまったのだ。

私は、私のような危機に陥った知り合いがそのように私を見つけるようありたいし、ネットをこれからもそのようであらしめたい。昔のメールアドレスを使えるように保ち、過去共有したキーワードにより Goole で検索すれば私だとわかるようにありたいし、社会との繋りを失った人間もネットでは多くの匿名者と変わらないとできるようにあらしめたい。


……ひょっとして、これは、誰かが危機になることを無意識に望むことだろうか。

将来の孤独は誰もがかかえた問題で、結果的に、それが早く訪れることを私は待ったことになった。だが、そこに積極的意義を見出すのは、犠牲に利することになる。

社会が孤独を生きるよう求めているわけではない。何より、私が孤独のわけがない。日本の社会で家族と共にくらしていて、孤独も何もない。孤独を厳しくする不幸が私にあるわけでもない。誰かの危機を望んでないのは、その不幸を私が望んでいないのと同じだ。

泡沫ネットユーザーが無意識を表出したぐらいでは影響があるはずがない。そこから出発すれば、むしろ、それを望んでしまうと考えてしまった自分のコンプレックスの問題なのだ。自分なりの努力はしたつもりなのに影響力をもてないことに私は悩んでいて、自分の影響力が強くてその無意識が危機を導くほどだと不安に思うことが、心地よくなっているのだ。

では、心地よいように、実際、外的葛藤として危機が訪れるよう私は導いていないか。

私の家族が、こんな近くに苦しみを抱えながら毎日働いているのに、選んだ孤独をネットに表出する。それは、私が人の深さを信じることを自分に統合したように、まずは親が、そしてネットが総体として、私という人の深さを信じてくれるようになると期待しているからだろう。

でも、その先に何があるというのか。収入もない、子供を儲けるあてもない私が、未来を支えていると感じれるのは、恥を曝せば、親からもらう小遣いから出す社会保険料しかない。

ネットに何かを書いてそれが収入のあてになる「友人」を得させるとし続ける。そのようなサイトが無数にあるのは、幼い人間に間違った期待をもたせるか、無責任な人間が遊び続けて将来重荷になることへ不快感を抱かせるかするだけだ。つまり私は狂気の見本を表出している。

いや、だから、「普通の人」がサイトを構築する時間を持ち、友人のサイトに訪れたことを残せるようにしないといけない。ちょうど私がブログをはじめた 2006年ごろから、内部統制の徹底によって、きっと、そういうことがやりにくくなったのだ。社会保険庁改革のニュースで45分の入力作業のあと15分休憩を求めてたというのがあったが、あのように労働者全体で 45:15 ぐらいの割合で通常の仕事ではない「生活」部分のネット利用の時間を労働時間中に認めるべきなのだ。交際費なんかよりよっぽど健全に、交友するものが増えるはずだ。

だが、それは、企業の抑圧が危機を生んでいることを肯定し、もって、労働者が自らに危機が起こっていることを認め易くし、その方向に追いやっているのではないか。

休憩は、危機があるからとるのではなく、自己啓発のためにとるのだ。そういう労働者が、兼業規制のあいまをすりぬけれるようにもしないといけない。企業側にバレないはずの匿名の支払いはできるようにすべきだ。そう、ネットで儲けにくいのがすべての元凶なのだ。

ネットが生まれた時代、新自由主義の無政府介入を是とし、一方で、巨大な民が収獲逓増で独占的にふるまうことが効率的だとしたため、政府の規制をあいまいに取りこんで発展するような形がなかなかできない。独占的でなければ無政府的で無料が第一の共同体を強制される。そんな「共同体」を私は望んだことはない。

もっと良い発展の姿があったのに、ネットを、私を、社会が追いやったのだ。……違う、そう信じれるほどの無責任さを自分に統合はしたくない。社会がそういう無責任さを私に投影せねばならないとするなら、かまわない。心地よいぐらいだ。ドン・キホーテのようであろうと、私はまだ理想を模索できる。


私は今、ネットという誰かの「あの日の夢の共同体」に記事を書いている。今親交はないが、かつての知り合いのサイトをいくつか知っている。

コルシア書店の仲間たち』(須賀 敦子)で、須賀氏は、この本がまとまったころ様々な事情からわかれていった共同体の仲間のうちの主たる一人が死んだとき、その昨年、イタリアで彼の「最後の詩集」が山積みになっていた偶然を思い出す。その表紙の折り返しには、かつての仲間達が作り今はその形が消えた小さなコルシア書店の創立者としての紹介があった。須賀氏はそれを読んで「なぜか安心し」詩集を買わずに去った。

>
(…)それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間だれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。

若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。(pp. 232)


「放蕩」が人を堕落させる「敵」の奸計のようにあったと心に去来しても、したたませた想いのために、将来、生きた悦びを友ならぬ知り合いと共に在れるとする。ネットが私に孤独を投影するよう矯正するものであったとしても、危機でなく理想の実現が知り合いの思いがけない反応を呼び、その実現を自分のものともして統合できることがあるとし続ける。

過去知り合ったことが人生の孤独に偶然をもたらす。その悦びを信じて私は生きてゆこう。

参考

ユング心理学入門』(河合 隼雄 著, 培風館, 1967年)

コルシア書店の仲間たち』(須賀 敦子 著, 文春文庫, 1995年(単行本 1992年))。河出書房文庫の全集版のほうがお得かも。

「八方」の玄義 [ JRF の私見:雑記 ]》。方位に関して同時期に書いた記事。

アバウトミーひとこと欄》、2007年12月10日から12月14日、2008年12月 13日、2009年01月20日から02月20日。
更新: 2009-01-23--2009-02-11
初公開: 2009年02月20日 15:02:49
最新版: 2009年03月02日 17:49:57

2009-02-20 15:02:49 (JST) in 中国思想, 仏教, 心理学, 経済的動機付け, 道を語り解く | | コメント (0) | トラックバック (0)

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