2007-06-08 22:33:27 (JST) in キリスト教, 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「神学・教学」カテゴリ内の記事
(初公開日順)
2007-06-08 悪の犠牲の「自動人形」にも救いあれ
《忘却からの帰還:慈悲深い神と魂の存在を信じる者に幸いあれ》に「神が人間を創造したなら、モラルは高まる」というに対する対抗議論として次のようなことが述べられていました。 前提: 1. 超越的な(transcendant)神が存在する。 2. その超越的な神は慈悲深い(benevolent) 3. その超越的な神が、魂を創造して、人間が誕生したときに吹き込む[霊魂創造論] 4. 魂を吹き込まれないと...
2006-02-14 象徴の利用形態
何がしかの象徴(物・行為)を用いる方法には次のものが考えられる。 1. 「真理」の一部としての象徴の刷り込み 2. 知的好奇心を刺激するための象徴 3. 「自発的」信仰表現としての象徴 4. 強制的信仰の許しまたは免罪符としての象徴...
2006-02-14 17:20:27 (JST) in 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006-02-04 魂の座
意志の働きが、脳の動きによって説明できるようになった場合、霊魂がどのように意志を持つかが問題となる。次のようなモデルが考えられるだろう。...
2006-02-04 16:51:34 (JST) in 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006-02-04 神の全知性
全知性を強調して四次元上の全知性しか考えないことは、神が予測し得ない決定を行える者を神が「創造しえない」と考えていることを意味する。すなわち神の全能性に疑問を呈しているのである。もちろん、そのような創造をできるとした場合は、神の全知性は過去の事実と将来の可能性の認識や大まかな計画に限られることになる。 全知性を強調すると、創る苦しみはあるかもしれないが、人にわかる間違いがあると考えることは難しくな...
2006-02-04 16:50:46 (JST) in 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006-02-04 神は至善か、暴君か
神はどのような人間にも平等に接し、自由に選択する人間一人一人に最良の結果をもたらすよう努力して下さるのか、はたまた、神は己れの栄光のみのために、または、人間全体として最良の結果になるように、人を動かすのであって、人はその予定に従うだけであるのか。...
2006-02-04 16:49:41 (JST) in 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (2)
2006-02-04 仏教とキリスト教:教えの誠実さ
仏教は、信者が新たな真実を語る預言者、すなわち、ブッダになることは肯定したが、教えを神の責任とすることを禁じた。そして、信者は、自分が必ずしも信じていないものを信じよと説く「方便」を語ることができるが、その方便を使った効果については、自らの中に確信がなければならないとする。 一方、キリスト教は、神の名のもとに教えをただ信じることを求めるが、信者が新しい真実を語る新たな預言者になることを否定した。そ...
2006-02-04 16:36:17 (JST) in キリスト教, 仏教, 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006-02-04 教義の内発性と外部の影響
特定の宗教者が、ある教義が、外部の宗教の教義からの転用であることを認めず、あくまでも自分達の歴史的なバックボーンからの内発的なものであり、創始性があると主張することがある。 多くの場合、この宗教者の意見はある意味で正しい。つまり、そのような教義に目覚め、それを迫害の可能性がある中で強く主張しようとする人間は、やはりその人生から内発的にその教義をつくり出したという自負があるからこそ、迫害と戦えるので...
2006-02-04 16:30:39 (JST) in はじめにお読みください, 神学・教学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)