ダーウィンやメンデルを待つまでもなく、「家畜」を造り出した人類が、自然淘汰や遺伝を実感として知らなかったはずはないだろう。わずかな優越性が種を選び出す。人は人為的にそれを早める方法を使っていた。それは人というものの認識にも相当程度影響があっただろう。
ヤコブは、親戚で雇い主であるラバンに、労働への報酬として、ぶちやまだらの山羊や黒みがかった羊は自分のものとできるという約束をした。
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30:35 |
ところが、その日、ラバンは縞やまだらの雄山羊とぶちやまだらの雌山羊全部、つまり白いところが混じっているもの全部とそれに黒みがかった羊をみな取り出して自分の息子たちの手に渡し、
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ヤコブがラバンの残りの群れを飼っている間に、自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた。
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ヤコブは、ポプラとアーモンドとプラタナスの木の若枝を取って来て、皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り、
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家畜の群れがやって来たときに群れの目につくように、皮をはいだ枝を家畜の水飲み場の水槽の中に入れた。そして、家畜の群れが水を飲みにやって来たとき、さかりがつくようにしたので、
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家畜の群れは、その枝の前で交尾して縞やぶちやまだらのものを産んだ。
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また、ヤコブは羊を二手に分けて、一方の群れをラバンの群れの中の縞のものと全体が黒みがかったものとに向かわせた。彼は、自分の群れだけにはそうしたが、ラバンの群れにはそうしなかった。
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また、丈夫な羊が交尾する時期になると、ヤコブは皮をはいだ枝をいつも水ぶねの中に入れて群れの前に置き、枝のそばで交尾させたが、
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弱い羊のときには枝を置かなかった。そこで、弱いのはラバンのものとなり、丈夫なのはヤコブのものとなった。
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こうして、ヤコブはますます豊かになり、多くの家畜や男女の奴隷、それにらくだやろばなどを持つようになった。
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ラバンによって、まだらなどの家畜が遠ざけられたとき、ヤコブは、まだらなどの家畜が産まれるように、そしてそれらが丈夫な家畜となるような方策をとろうとする。それは交尾のときに、木の枝の皮を一部剥いだものを見せるというものであった。
2009-02-18 12:40:03 (JST) in 旧約聖書ひろい読み 創造論と進化論 | 固定リンク
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2006-10-25 00:02:47 (JST) in 創造論と進化論 疑似科学 | 固定リンク
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《
前稿》をトラックバックしたところに Kumicit 様から《
忘却からの帰還:遠い世界からのトラバ》という返信がありました。ありがとうございます。ただ、当然 Kumicit 様のごとく多くの文献にあたった厳密な言葉遣いができなかったこともあり、いろいろな部分で間違いや思い込みを指適されました。
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進化"には、"進歩"あるいは"階梯を昇る"といった意味合いはない。 JRF氏は明示的にはこの定番を踏んでいない。
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進化という現象については、他の人がおっしゃるような誤解をしてると思いながら、自分も「正しい意味」と認知されているのは「進歩」だと誤解していましたが、科学者達についてはそういう意味でないのはあたりまえのことだったのですね。
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続いて、わりとあるのが"利己的"遺伝子というメタファーを字義通り解釈すること。
この超有名な誤解もしているように見える。
それらしいJRF氏の記述がある:
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生物の本質は、遺伝子でありあとは属性または環境要因に過ぎないのだろうか?または、もっと過激に、生物とは遺伝子の入れ物に過ぎないのだろうか?
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いやいや、それは誤解です。ここは「素朴進化論」を煽っているわけですから、少なからず多くの人がそう思っているかもしれないが、それは違うよ、と言いたかった部分です。
私の考えているもの以外を「素朴進化論」と言うなどとは思ってませんが、そうミスリードさせるような面があったかもしれません。
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となっており、"突然"はなくてもよいという記載になっている。
"突然"の意味「物事が急に思いもかけず行われるさま」(大辞林)をどう歪ませても、JRF氏のような記述にはつながらない。
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簡単にいえば「急に」とか「その世代ではじめて」というのが「言葉と踊る」私には違和感を感じさせてしまうのです。「知らない間に」とかいう語感があればまだ良かったのですが。この点は Kumicit 様が「変な世界」というぐらい認識に差異があるようですね。
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たとえ、今では適切とは言えない名前であっても、それを変更するこはない。というのが習慣だからだ。恒星の終焉への過程に付けられた新星(Nova)・超新星(Supernova)という真逆の名前。あるいは、はじめはアルファベット順に並べたつもりが、結果としてぐちゃぐちゃになってしまった恒星系列 (O B A F G K M, R N, S)。幾らでもある。整理しなおさないのは、名称変更すると過去の文献やデータが読めなくなってしまうからだ。それは混乱の元でしかない。
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私が踊った語法が何かを変えるに値しないものであることは十二分にありえますが、ギリシア神の名をローマ神の名にあてはめたとき、様々な性格が付与されることもあるわけで、自らのイメージに基づく言葉で、自ら教えられた「神話」を語りつげば、進化論の言葉の神様も足さばきを変えてくれるかなと思ったしだいです。
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自然淘汰はNatural Selectionに対するちょっと古っぽい訳語である。そのまま自然選択と訳されることも多い。
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実際そういう試みもあるわけですから。
ただ、私のような門外漢の意見は取り入れないほうがかなり安全であることには同意します。
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ここではJRF氏は、"本質論"という言葉ではなく、"環境"という言葉と踊っているようだ。なかなか、お目にかかれないパターンだ。JRF氏は「環境は副次的役割の存在」という神学の上にいるようだ。
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これは、単に昔議論した方が遺伝子の役割を説明したときに、遺伝子だけあれば、あとはどういう親の子宮にあるのかも含めて環境要因ってことだとジョーク(?)でおっしゃっていたので、つい、書いてしまいました。消そうかとも思ったのですが、間違いやすい部分を直す目的ではそれほどおかしくもないかと思って残しておくことにしました。
更新: |
2006-06-24 |
初公開: |
2006年06月24日 17:35:39 |
最新版: |
2006年06月24日 17:56:18 |
2006-06-24 17:35:38 (JST) in 創造論と進化論 | 固定リンク
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進化論が教える自然淘汰と適者生存は、それらのみではあまりにも乱暴に聞こえる。「環境要因」と呼ばれる部分におしこめられたモノや、DNA の後天的変化を否定するあまり、配偶者決定時などの後天的形質の役割が過少評価されているように、私は感じている。
そういった素朴な進化論に対抗するために、「イメージによる進化」と「形質の重ね合わせ」という概念を唱えたい。
2006-06-17 19:49:53 (JST) in キリスト教 ユダヤ教 創造論と進化論 疑似科学 | 固定リンク
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