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最新コメント一覧 (20件) [RSS]

JRF on 十二縁起と八正道:仏教教義の提案的解釈

更新: 題を改めた。

投稿: JRF | 2020-07-17 01:43:39 (JST)

JRF on 四諦:仏教教義の提案的解釈

更新: 題を改めた。

投稿: JRF | 2020-07-17 01:37:28 (JST)

JRF on 「ヨブ記」を読む

反応ありがとうございます。陽秋さまのブログの RSS をチェックするようにします。

投稿: JRF | 2020-05-23 14:45:24 (JST)

陽秋 on 「ヨブ記」を読む

とても興味深く読みました。ヨブ・コンプレックスを検索して着いたものですが、
そのうちに記事に「ヨブ記」について書こうと思います。暇でしたら、よろしく。

投稿: 陽秋 | 2020-05-22 17:44:05 (JST)

JRF on 『創世記』ひろい読み − アダムの再婚

もう何年も前のコメントに今さらですが、補足説明です。

すべての「寿命の長い奴ら」が部族名かについては上に書いた通りですが、ことこの記事の「アダム」に限定すると、言及しておくべきことがあったようです。

それは、イサクの長子、ヤコブの兄のエサウが「エドム」とも呼ばれていることです。その「エドム」ははっきり部族名(や地方名)となります。ヘブライ語では基本子音のみで表記するのですが、このエドムは、アダムとほぼ同じつづりになります。英字アルファベットで書けば、アダムは adm のようにつづり、エドムは adom のようにつづります。 エドムの名付けの理由のところ(創 25:30)で「赤いもの」から名が付けられるのですが、そのつづりは adm となっています(正確には hadm、h は定冠詞)。

ただ、エドム人と「人類の始祖」アダムとの関係については、聖書が書かれたとき、どれほど意識されていたかは私にはわかりません。似た名前なのに、二者を結びつけるそれらしい言及は聖書にはないからです。それ以上の学識は当然のごとく私にはありません。

不十分だと思いますが、私からできる説明は以上です。2008年にコメントを書いたあと、そういえばとエドムのことにも気付いたのですが、良い機会がなく、長い間、そのままにしていました。最近、聖書を読みなおしていて、この質問を思い出したので、説明を書くことにしました。気付いていたのに、補足が遅くなって、すみません。

(ひょっとすると、「匿名」様は、このことへの言及を解答の試金石にしていたのかもしれません。そうだとすれば、私は失格者ということになりますね…。)

投稿: JRF | 2016-03-27 19:48:50 (JST)

JRF on 「ヨブ記」を読む

更新:主にエリフの発言に対する「私の答え」を書き加えた。その他も少しいじっている。

投稿: JRF | 2015-05-01 17:49:01 (JST)

JRF on 『創世記』ひろい読み − ヤコブの一神教

更新:typo 修正のみ。主に、ルビがらみの typo を修正した。

投稿: JRF | 2012-05-29 05:11:57 (JST)

JRF on 十二縁起と八正道:仏教教義の提案的解釈

「あ」様、まず、この人の訪れの少ないサイトにコメントをありがとうございます。何がきっかけでそこまでお怒りかは存じません。わかってやっていらっしゃるのかもしれませんが、《『新約聖書』ひろい読み - イエスはサタンか》に私は、「悪」によって人と人が争っているならば、争い続けられるだけの余裕が、「悪」の繁栄の余地を提供することになる…といったようなことを書いています。悪をにくんでのコメントならば、まずはお怒りを鎮められますよう。

また、「差別的表現」を使われてます。それなりの支持者がいるがゆえの影響力を感じてのことでしょうから、それは宗教者の功労を別の者の力をより増すために使うようなものです。《教義の内発性と外部の影響》に書きましたが、宗教者そのものは末端の者以上に真剣な思いを抱いているものでしょう。その思いが社会で歪んだ形となり、それが当人にも歪みをまたらすことはままあるかもしれません。

いずれにせよ、扇情的なコメントを書き散らすだけでは火に油を注ぐだけです。このようなことはおやめなさい。

ただ、このようなコメントが今書かれたということは、私という個人がよく考えるべきことがあるのかもしれません。それが何かははっきりしませんが、警鐘として心に留めたいと思います。

「あ」様のご多幸を願います。

投稿: JRF | 2011-11-28 17:22:27 (JST)

on 十二縁起と八正道:仏教教義の提案的解釈

創価学会の教えは間違っちょんじゃら!!!!!!
潰すぞコラ
在日朝鮮人の考えやろが!!!!
はよ朝鮮かどっか帰れや
汚れるんじゃら

会員の人
創価学会に騙されちょうぞ!!

投稿: あ | 2011-11-28 02:46:56 (JST)

ああ on 十二縁起と八正道:仏教教義の提案的解釈

創価学会とかいうふざけた宗教作んなちゃ!!!!!
マジふざけんな
はよ潰されろ!!!!
ゴミ
ゴキブリ
寄生虫

投稿: ああ | 2011-11-28 02:43:07 (JST)

JRF on 悪の犠牲の「自動人形」にも救いあれ

人が生きられる限界は 120 年ぐらいといいます。80 年ということは平均としての人間を考えるということでしょうか……。20 年に足らず死ぬ者がいて、でも、たいていは 70 年ぐらい生き、普通 100 年は超えられないなと知りつつ、とりあえず自分はまだ生きています。平均としての大枠で見れば、ほとんどの人は自動の範囲にあるのかもしれませんが、「誤差」のうちのいいほうを選んで生きれたのですから、その意志は自分のものでしょう。

ずいぶん自動的に働いていると考えたときがあっても、あれは自動ではなかったと振り返ることがあります。「自動化された挙動」を、つきつめた「短時間」として発見するのは僥倖なのでしょう。

わけのわからない文章になってしまいました。私にとって「短時間」の一つが今なのかもしれません。いつかこの文章の本意を知る一生になればうれしいです。

コメントありがとうございました。

(call/cc に関するひとこと↓をふと思い出しながら……。)
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/114758

投稿: JRF | 2010-01-11 17:16:59 (JST)

鹿 on 悪の犠牲の「自動人形」にも救いあれ

人生80年としたら、ずっと自動人形なのだろうか。ある短時間だけ自動だが、その自動化された挙動にどう対処するかが問題かと思います。

投稿: 鹿 | 2010-01-10 10:57:51 (JST)

JRF on 『創世記』ひろい読み − ヤコブの一神教

更新:「現代の遺伝に関する知識を持った我々にはまだらでない家畜からまだらなどの家畜が産まれることに驚きはない。…」と「ある解釈によれば、ヨセフは、親戚に産みの遅い羊を押しつけたヤコブに生まれた産みの遅い母からの子である。」を追記した。

投稿: JRF | 2009-03-16 17:23:54 (JST)

JRF on イメージによる進化

更新:ほとんど意味不明になっていた冒頭部の改善を主にした。以前書きかえたときに、宗教側からすると少し眉をひそめるような要素をとり入れすぎたという反省があって、もう少しレトリックで「奇跡」のようにうけとられるような記述にしたかったのだが、今回は、そこまで大幅な改善はできなかった。

投稿: JRF | 2009-01-24 17:25:56 (JST)

JRF on 魂の座

アバウトミーで魂に関する議論をしました。そちらへリンクもご参照いただければと思います。

投稿: JRF | 2008-10-01 12:20:07 (JST)

JRF on 『創世記』ひろい読み − アダムの再婚

「匿名」様への解答ではなく、主に他の訪問者への補足になるかと思いますが、この記事で「アダム」を部族名と考えた場合について考察します。

この場合、最初のアダムと再婚したアダムは「別人」であるという解釈ができます。そして、部族なので、再婚したほうのアダムの相手が人間か近親かというのはあまり問題ではなくなります。ただ、「再婚」が、部族長の再婚のことか、「同盟」関係の見直しなのか、といった観点はでてきます。

一方、最初の「物語」がついたアダムも部族だとした場合、この記事と同様な問題が出てきます。アダムの集団を複数にするのはどういう者達かという問題です。「説2」のように獣のようなものを集めてアダムという(人間)集団にしたんだ、または、「説3」のように同時にたくさんのアダムを並行して創ったんだ、そして、象徴として物語がある、という解釈が考えられるでしょう。

私は支持しませんが、集団となってはじめて人間(アダム)なんだというのは、興味深い見識とは言えるでしょう。

投稿: JRF | 2008-08-27 16:38:02 (JST)

JRF on 『創世記』ひろい読み − アダムの再婚

あり得ると思います。ただし、具体的な物語のある「族長」の物語を敷衍して、(現代でも古代でも)個人名として読んでいる人のほうが多いだろうことは、最初に述べおかさせてください。

暦の問題ではないかとも個人的にはよく思うのですが、あまり肯定する意見を見ません。おっしゃるような部族名や王朝名と考えないと、不自然なほど長く、暦の問題にはできないという判断があるのかもしれません。

基本的には私の理解を超えた問題です。

ただ、一点、このサイトの標題である「宗教と動機付け」という側面から判断したことを申しますと、(前半部の名が)部族名であると主張することによって、後半部もそのようなものだと考え、一つ一つの人名の物語を分けて考える傾向がついてしまう可能性を誰かに与えてしまうことがあることにご注意ください。

確かに、創世記等には複数(派)著作説があったり、ご指摘のような解釈がありえるとは思いますが、一方で、一つの人名に「作者」がかけた思い、また、そう解釈してきた人々の営みがあることを忘れないようにしてください。…いや、「ください」というのは自戒です。

別々に解釈することで何かを得た人もいるし、これからもあるかもしれない、とは覚えておきたいと思います。今回の質問で私が気付きました。

「匿名」様には不十分な解答かもしれませんが、いろいろな文献等にあたれば、私に問うよりもはるかに、すばらしい知識に出あえるでしょうから、私の解答は、上のとおりとさせてください。

コメントありがとうございました。

投稿: JRF | 2008-08-27 00:07:01 (JST)

匿名投稿 on 『創世記』ひろい読み − アダムの再婚

創世記の最初に出てくるやたら寿命の長い奴らって、個人名ではなく部族名、と言うことはないでしょうか。

匿名投稿 | 2008-08-26 19:39:35 (JST)

JRF on 四諦:仏教教義の提案的解釈

更新:「追記」の部分に「が、もちろん、その意図はない」を足した。これがないとその意図があるかのように思われるかもしれないことに気付いたため。

投稿: JRF | 2007-12-30 22:57:54 (JST)

JRF on 四諦:仏教教義の提案的解釈

更新:「追記」をした。かなり初期のものなので大きく手を入れようかと思ったがやめ、wikipediaへのリンクを足してリスト項目名(「苦諦」など)を付けた以外は、追記にとどめた。

投稿: JRF | 2007-12-21 23:18:14 (JST)