2019年2月22日 (金)

受託者責任と違法ダウンロード拡大

ストーリー


ユーザーの占有する PC でスクリーンショットをできなくするのはやり過ぎであった。PCを一時預ると目されるサービス提供者は受託者であり基本的にユーザーのために努力せねばらなないのだから、それは背任(罪)である。それが他では手に入らない著作物を以って迫られたという点において、強要(罪)であった。その契約に不備があるのを知りながら、それを悪意ある存在とみなそうとしなかった OS 提供業者も背任のセンが濃い。そして、それらが著作権者集団の共謀(罪)のうちになされたという疑いが濃厚である。

スクリーンショットをできなくすることは引用をできなくすることである。引用は私的領域・公開しない領域でもなされうるもので、表現の自由どころか内心の自由さえ著しく侵害するものと言えよう。

クラウドロッカーは、根拠不明に、特定のファイルのアップロードを禁止したことがあった。寄託を受ける受寄者としてユーザーの財産の保管をいたずらに危険にさらす背任の疑いが強い。

スクリーンショットの違法化などは、ここを無罪にするため、事後的にそれを正当化する論理が求められ、その犯罪にまさに政府が加担しようとしているとみなさるのではないか?

とは言え、もちろん、そもそも特定の任に着く契約をしたわけでもないという主張や、共謀罪の要件にあたらないという主張や、罪刑法定主義にてらして問題ないという主張を私は排斥するものではない。ただ、ここでは原理的な部分を問うている。

私は別に有罪だから糾弾しようというのではない。先の政府ではないが、原理的な罪でしかなくてもそれを無罪とできるように環境や論理を整えていくことはでき、それをすべきだというだけのことである。

まず、クラウドロッカーの場合は話は簡単で、上のものは単に言いがかりのレベルでしかない。法律の本を読むと、寄託に類似する事務管理ではしばしば、公序良俗との関係が問題になる。公序良俗に反する物は、受け付けなくても受寄者としての任を果たしたことになるだろう。ただ、その場合、その物が違法物であることが明確でなければならない。

私的複製が刑事では違法でないが民事では違法であることにどういう意味があるか疑問に思う人もいるかもしれないが、こういうとき民事で違法であることが明らかなら、それは公序良俗に反するから受け付けない、場合によっては消去する論理が通用することになるのである。

一方、スクリーンショットを禁止したことについて、ここで所有者の管理という軸を導入するのが本稿のタネを明かしとなる。

2007年ごろ《違法サイトからのダウンロード違法化に「反対」する》という記事で著作権法の除外規定として次のような項を足すことを私は主張した。

身分相応な管理をしない送信者、または、私的性格があると信じるに足る証拠がない送信者は、私的複製者(を構成する)とはみなさない。

送信者の意志に反し、かつ、応分の負担または応分の負担の意思があることの証拠がない受信者の複製は、私的複製とみなさない。


この「身分相応な管理」を取り出し、もっと一般に著作物の「応分の管理」ということを考える。その実態は、消費者の場合は、ウィルス駆除ソフトを導入したり、WiFiルーターのパスワード等を適切に設定したりという「消費者として十分な注意(消費者十分注意)」程度のことである。

これにより、スクリーンショット禁止は、応分の管理を容易にするために、または管理コストを安くするために行われたユーザーのための行為であったとなる。

スクリーンショット禁止が「やり過ぎ」というのは依然としてあり、後述していくようにそれをケアすることを考えるにしても、応分の管理という軸を導入することで、背任罪や強要罪まで問うのは「行き過」ぎとなろう。

さて、話のつかみとしてまず煽情的なことを書いてみたが、そもそもの本稿の目的は違法ダウンロード拡大について広く提案を行うことにある。

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2019-02-22 03:08:29 (JST) in 知的財産 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年9月 9日 (日)

ミクロ経済学の我流シミュレーション その2 バランス戦略

バランスを取る


その1では、経済がよくなるよう利益に関してスコアを最小化するよう最適化していったわけだが、もう少し一般的に、複数のプレイヤーがいて、それぞれがスコアを最小化しようとしていることを考えたい。

それぞれのプレイヤーが独立ならば、それぞれのスコアを足し合わせたものを最小化すれば、その要素に含まれるプレイヤーごとのスコアも最小化しているはず…となる。

もし、プレイヤーどうしに利害の対立があれば、どうすればよいか。利害が重なるところは、それぞれの力が「釣り合う」ところで決まるとでも考えるとすれば、それはバランスに関するパラメータを新たに定義し、それをスコアに加えることになる。そうではなく、もし、力関係が決まっていて、常にどちらかの利益を重視するなら一方だけをスコアに加えたり、バランスを取るときに重みを付けたり、運で決まるというなら、ランダム性を加えたりすればよい。

バランスを取るときは、具体的には、スコアの分散などをスコアに加えることになる。ある程度、バランスを見るが利益の最大化を行うといった場合、利益とバランスのどちらをとるか、スコアの分散などを加えるときの係数で調整することになる。

今回は、基本、バランスを取るために必需品・贅沢品・原料の各分野のごとの利益に関して分散を取り、それをスコアに足すことにした。

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2018-09-09 22:39:48 (JST) in 経済学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月19日 (月)

ミクロ経済学の我流シミュレーション その1 基礎経済モデル

ミクロ経済学に基づき、経済シミュレーションまたはゲームを作った。モデル自体は簡単なものなのだが、「動く」までにするのが一苦労であった。コンピュータでシミュレーションができるようになるまでには、いろいろ決め難いことを決めねばならない。あいまいにしたいことがあれば、どうやってあいまいにするのか、乱数を使うならどのような乱数を使うのかを決めなければならない。企業が赤字の場合どうするか、パラメータが 0 や無限に近くなるのをどのような考え方で防ぐか、そういったことを決めていかねばならなかった。本記事は、その記録である。

基本的なアイデアは、価格によって需要と供給を決め、その需要と供給が一致するように、つまり(需要-供給)の二乗が最小となるように、最適化関数を用いれば、経済シミュレーションができるのでは?…というものである。

しかし、商品の生産について考えてみると、価格が増えると供給が増えるという経済学の法則が、個々の企業においては成り立っていないと考えるようになった。もちろん、利益が出ていれば新しい企業が参入があるし、利益が出ていなければ退出があって、そういう意味で「供給力」の増減はあるだろうけれども、むしろ、個々の企業は赤字にならない限り需要があれば必ず生産はするのではないかと考えるに致った。しかし、そう考えると、需要と供給は必ず一致するわけで、(需要-供給)の二乗を最小化するという道は崩れる。替わりに各企業を総合した利益を最大化することを最適化に組み込むことにした。

マルクス経済学を参考に、商品は、必需品、贅沢品、原料の三種ということにした。労働者は必需品を毎期需要し、また、貯蓄を持ち、(マルクス経済学と違って)貯蓄等の余裕から贅沢品を需要すると考えた。必需品、贅沢品、さらに原料も、原料と労働から作られると考えた。

資本家は、違った戦略を持ったエージェント 5人で表し、一期につき一分野に一社しか企業が参入できないと決めた。モデルを簡単にするためである。参入する資本家はランダムとした。

本来は、このシミュレーションを使って経済学的知見を確認するのが目的であった。しかし、思いのほか、シミュレーションをまともに動かすのに手こずり、たまに「まとも」に見える動作をするだけで満足するのが現状で、経済的知見のような微妙なことを言えるまでには致っていない。それが残念である。今後の課題としたい。

プログラム言語は、流行の Python を使った。人工知能入門を私が勉強したときに Python の最適化関数を知ったのが、Python を使おうと思ったキッカケである。

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2018-03-19 17:04:10 (JST) in 経済学 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年5月 1日 (火)

ブログアーカイブの電子書籍の利用許諾(案)

現在、このブログサイトを電子「辞書」化し販売することを検討している。ただし、このブログは無料公開を存続させるため、新しく創られた会社がそれを販売する形にして、仮に会社に何かがあっても、個人の私がブログそのものを続け無料で読めるよう、逆に私に何かあっても、データの譲渡・貸出という形で読める可能性が高まるよう考えている。

ちなみに、電子「辞書」化とは、辞書のような検索インデックスの付いたアーカイブにすることを意味し、無料でブログは公開しつづける以上、、作品を読めるというより検索がローカルでもできることの利便性に主に商品性を見出していただくモデルになる。敢えて挙げるなら、私という著者からライセンスを取得する作業を行ったことも商品性に含めることができるかもしれない。これは著作権法の歴史から見れば、情報そのものに権利はないという建前の本来の「コピーライト」に近いモデルだとご理解いただけるのではないか。

これまでのアクセス解析から、住民税均等割(現在7万円)以上を稼ぐのは難しく、赤字になるのはほぼ確実となる。どうせ赤字になるのだからということで、これまでの「勉強」の成果を活かし、実験的な「利用許諾」を付して販売しようかと目ろんでいる。

ただ、計画中どころか下準備の段階で、肝心の変換スクリプトさえ書いていない。このまま立ち消えになる可能性もあり、そうすると、以前、集大成的な記事を書こうとして挫折しお蔵入りにしてしまったように、考えかけた「利用許諾」もいっしょにお蔵入りになって、何かの折につじつま合わせに困って《ひとこと》で小出しに発表しちゃうようなみっともないことを、またしてしまうかもしれない。

それはもったいない。むしろ景気付けにババーンと公開してしまったほうが、あとで退路に気をもんだとしても荷が軽くなっていい。そういう「気合い」で、不完全は承知で、先にそれを紹介することにした。

だから、まずいきなり案を書く。


利用許諾(案)


非独占性

本電版も、ブログサイトに書かれた JRF の許諾の例外ではなく、独占契約に依らない。同等以上の利便性を他者が安価に提供する可能性がある。

ただし、本データも著作権に基づき、他者が本データの所有権の財産性を毀損する場合、報酬請求権を、本許諾と同様、信義誠実に行使しうるとする。



所有の等価性

一個の所有権につき一個人に貸し出しがなされていることが信頼できる場合、財産性を毀損するとは見なさない。譲渡のためになされる複製やアップロードも信用に基づく限り、ただちに財産性を毀損するとは見なさない。その信頼・信用のためには身分相応の管理を求めるが、所有そのものに関してはいかなる個人・企業・団体であっても負担・権利を差別しない。

いかなる個人・企業・団体も、自己貸し出しは複製に依ることができる。



広告料の制限

報酬請求権に関し、明示のない代位はない。ただし、広告主の責を負わないアフィリエイトに関してはこの限りではない。



所有権の回復

所有権に基づき貸し出しをする者は、データを保持できる。貸し出しの時効は一年とし、それを超えて未返却であっても、完全な一個の所有権が回復する。

最新の年版を持つ者の所有権は、それまでの年版の過去の利用に遡及する。ある年版の所有権を持つ者は、それより過去の年版にあって削除された部分についても所有権を有する。

一個の所有権を持つ者が、もう一個の所有権を得た場合、新しいほうの年版の所有権を二個持っているとして貸し出しが行える。



隷属使用の解放

借り入れた者が、その年版の所有権を持っていることを知れば、返却があったとみなさねばならない。七年より前の年版の所有権を持つものは、七年前に、それ一個につき一個の最新の年版の所有権を得たものとみなす。

最新の年版を持った者のその年版の次の年版の発行日以前(その年版の発行日以前も含む)の貸し出しの利用の報告は猶予される。年版の著作者はその収録物についてこれを認める。猶予を求める場合は、貸付者に所有を報告するか公示せねばならない。なお、それら報告・公示のうち期限の利益を失ったものは免除される。

所有権を保った複製の滅失は、貸し出しまたは複製の回復を受ける可能性を残してあれば、所有の報告または公示ができる。



注記

問題のある表現があるかもしれませんが、アーカイブ性を重視してそのままにしてあります。

フィギュア写真など他者の著作物が主となる物は、「写り込み」として縮小版のみの掲載に留めています。

当アーカイブは、JRF が提供するデータに基づいていて、nifty 等に代わり第三者の確定日付等の証明を提供するものではありません。

強制力のある18禁の判断については、JRF がそう書いていた部分についても、客観的基準に照らせば該当する部分はありませんでした。一方、自主規制でしかない15歳(14歳)以上という指定は、JRF の意志を尊重し、15歳未満版と無制限版を同梱し、15歳以上という指定で販売しております。

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2012-05-01 04:09:28 (JST) in 知的財産 電子金融 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2011年7月17日 (日)

海外ダウンロード購入にまつわる私のトラブルに関する法的検討

先日、ゲーム機での海外ダウンロード購入に関してトラブルに見舞われた。海外ダウンロードを禁ずるのはそもそも「法の下の平等」に照らして間違いであり、「市民的不服従」と「反知性主義」の葛藤[かっとう]の中、公正に補償を要求せねばならない……。本稿は、トラブルの解決に致るまでの私のそういった「法的検討」を書き留めたものである。

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2011-07-17 05:37:28 (JST) in 租税制度 知的財産 国際法 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2011年1月 9日 (日)

外作用的簡易経済シミュレーションのアイデアと Perl による実装

抽象化された確率モデルにおいて、内的作用(内作用)により作られたモデルと外的作用(外作用)から作られたモデルが同じ臨界をもたらすことがある。経済に関するモデルを作るとき、ミクロな部分でなしたことがマクロに影響するということがいいたいことがあるが、マクロの大きな数と複雑な動きを表すにはコンピュータを用いても限界がある。確率モデルのようなアイデアをもってすれば、コンピュータシミュレーションなどで解析できるほど少ない数でも、しかし、それが外作用的にミクロな内作用と関わるというモデルが作れるのではないかと考えた。

私は本稿の実験および考察を通じ、外作用をとても簡易で厳格なモデルにするが、内作用については外作用との関わりはごく限るかわりにその表現を自由にすることで、いろいろな問題についてある種の見通しを出すことができるかもしれないという感触を得た。

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2011-01-09 00:18:52 (JST) in 経済学 | | コメント (6) | トラックバック (4)

2010年3月23日 (火)

時効延長絶対反対

公訴時効の延長さらには部分的な時効の廃止まで含む法案が、閣議決定されるに致っている。私はこれに強く反対する。本稿では、やや想像力豊かに時効の必要性を訴える。

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2010-03-23 14:27:49 (JST) in 司法制度 法の論理 国際法 | | コメント (3) | トラックバック (4)

2007年11月23日 (金)

デジタル著作権の報酬請求権化に向けて

版を造れば、いくらでもコピーができる。コピーの価格が劇的に下がった時代があった。それは結局、著作者がパトロンや他の収入により支えられるという形から、版の独占を認めそこから著作者が対価を得る形に、転換がなされることにつながった。

しかし、独占権のように強い権利は必要なく、著作者の収入は基本的にはパトロン等に頼る形にして、あとは報酬請求権のような弱い権利を認めれば十分だったのではないだろうか?

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2007-11-23 00:18:12 (JST) in 租税制度 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月20日 (火)

無コピーの占有デジタルコピーの譲渡の自由:記録保全主義

集団はそこにあっても、名のついた集団は幻想である。名のついた集団を成り立たせているものを習性として人は担っている。難あって集団を守らねばならないとするとき、その習性にかけて自らを集団の中に埋葬し、希望をそこでつなぐことが求められる。その習性と健やかな関係を保ちたいと人は願う。そこに人の責務が成る。

今の時代、人は、人が為し遂げた大量の知的財産と触れあう。その触れあいに、喜びながら悲しみながら、喜びや悲しみを愉しみながら、それに自らを措定しうることを習う。知的財産は、それが自分のモノと映りながら、誰かの想いが伝わるものとして身に受ける。なぜそれが為ったかわからないところがあっても、ある知的営みがモノと為りうることにその社会の容量を想う。その多くが残りうることを示すことが、振り返ったときこの巨大な人口という集団に望みを見出すことにつながるだろう。モノとなる知的財産を継承することは人の責務である。

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2007-11-20 16:36:17 (JST) in 知的財産 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年11月12日 (月)

文化祭と著作権の問題から私的翻案を考える

何かを誰かに表現する。そこには不安があり羞恥心があり高揚感がある。多くの人が賞賛する夢を見ても、多くの人に知ってもらいたいと思うのはずっと先のことだ。踏み出せる小さな一歩を確実に前にすすむ。誰かの言ってることなど気にしない、というのは嘘だけど、自分の表現したいことにせいいっぱいでありたい。

人は人を私的な領域に圧し込めることがあった。そこでしか表現できないものがあるように人を追い込んだ。誰かに評されることを期待してはならない。ただ正しく伝えること、そこに思いを込めるのだ。伝えられることを喜んではならない。聞いているということがリスクなのだ。許すな、想像力の込もった表現を。それが彼の出所を示し、怨讐の炎が彼を焼き尽くすことがないように。


表現を私的なものに留める理由には正当なものがある。だが、現在、その理由は幸運なことにコンプレックスでしかないだろう。まぁ、それはできるだけ個人が克服していくべきものとして、じゃあ権利としてそれを掲げるとき重要なものというと、払えるものはできるだけ払う理由を作って著作者の経済的利益を邪魔しないようにするけど、あまり高い金を要求するなら拒否できるようにもするよ、というのがあるだろう。

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2007-11-12 18:39:22 (JST) in 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (0)