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2006年3月21日 (火)

義務をすべて、対応する権利に帰着できるか?

お金を持っていることは、社会からそのお金に相当する何らかの財を購入することが認められた状態と言える。その金額の財を得る権利を持っているとも考えられる。

その金額の財を売る者は売ることも拒否できるはずで、単体ではお金を持つ者に対し財を売る義務があるとは言い難い。しかし、社会としては誰かが潜在的にその義務を負っている状態と考えることができる。

権利の性質をめぐる「利益説」「意思説」の議論で、権利の主体がないことが話題とされることがあるが、これは、権利主体が存在するが、義務の主体が特定できないモデルとなる。

このとき社会が貨幣流通の義務(または責任)を負っているということもできる。しかし、その義務と権利の対応は大きく崩れる。
これは上の「利益説」「意思説」で取り上げられる動物愛護法のような例にも似たような議論ができる。

債権であれば「義務を履行する」ときは、自らの別の財産の所有権を「行使する」ことによってなすが、動物愛護の「義務を履行する」とは「動物を殺さないようにする」=「何もしない」ことが必要となる。つまり「履行」を要する直接的な「義務」は誰も持っていない。

しかし、社会としてはそれが担保されるように監視などを行わねばならない。これは社会が不法行為の責任を問うというところに致っているわけではない。その前に「監視」などの義務を負っていることになる。ここでも、義務と権利の対応はあいまいとなっているのだ。


権利を定義するのは難しいが、義務ならばハッキリと定義でき、権利を語る必要は必ずしもないとする論争のための見解があるようだが、私は義務もまたそれほど明白な概念とは思えない。

厳密に法論理を定義しようとすれば、権利と義務は別々に定義し、権利しか定義できないもの、義務でしか定義できないものを認め、債権などはたまたま、権利と義務が同時に生じるとするしかないのではないだろうか?


参考
現代理論法学入門』 (田中 成明 編, 法律文化社, 1993年)
更新: 2006-03-21
初公開: 2006年03月21日 17:16:49
最新版: 2006年03月21日 20:17:44

2006-03-21 17:16:43 (JST) in 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (1)

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