未確定知識と衝動知識 ― 非当業者性から考える特許の報酬モデルの二形態
特許の要件として進歩性がある。
|
「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」を法律用語で当業者と呼ぶ。
当業者にとって容易であるという判断はつけにくいが、容易でなかったことの十分条件として、その分野にいただけでは知ることのできない知識の混入があげられる。
「その分野にいただけでは知ることのできない」とは単に異分野というわけではなく、例えば、予想はされているが非常に見つけるのが困難だった蝕媒や化学式の発見など、その分野の範囲内で特定されていなかった知識も含まれ得る。ここでは、これを未確定知識と呼ぼう。
また、「その分野にいただけでは知ることのできない」は異分野であればなんでも良いわけでなく、IT 革命の成果をとり入れる場合のように、そのときの流行で一般的に散見される知識は除かれ得る。ここでは、これを衝動知識と呼ぼう。
未確定知識にはその知識そのものを記述できなくても「知識の未確定領域」がある程度確定されていることを必要とする。一方、衝動知識は記述できる必要があるが、どれほどインパクトがあり一般性を勝ち得たのかは、あとから統計的にしか測ることできない。
言葉の定義から、未確定知識と衝動知識は対立するような概念ではない。未確定知識を確定させるためにある衝動知識が役割を果たしたり、確定されたあとの未確定知識が衝動知識となり得る。さらに「知識の未確定領域」の確定もまた衝動知識となり得る。
注意すべきは、だからと言って、未確定知識の確定に必ずしも衝動知識が必要ない場合があることである。その分野ですでに確立した手法を組み合わせれば結果的には発見できるような場合もあるからである。
また、衝動知識がそれ以前に未確定知識として認識されていたとも限らない。「知識の未確定領域」として誰も注目していないような知識が偶然のように生まれることがあるからである。
■ |
未確定知識には資本投入が有効
|
未確定知識でも、例えばゲノムの解読のように機械を導入できるような事例の場合、その機械の製法に何らかの新しさを見出せても、そこで解読された個々のゲノムについてまで新しいものと判断するのは難しい。
「予想はできても、それを機械化や単純労働で発見できるほど明確にならない」しかし「未確定領域は確定できる」わけだから、結局、特許を認めるべきは「資本を投入して訓練された研究者を多く雇えば、成功の確率を上げられる」ものに限られる。
このような未確定知識に特許を認めるのは、資本の投入を促すため、企業を引き込むことが目的となる。
■ |
衝動知識には事後的な資本投入のみ
|
衝動知識は、例えば IT 分野においてもある程度高度な知識であっても、衝動の強さによっては異分野において複数の者が同時に知ることとなり、同時期に高度な発明をしたことによって特許性が否定されることがありえる。一方で、アニメ番組で得たちょっとしたアイデアのように狭い範囲の弱い衝動であっても、ごく限られた流行に基づくためにオリジナリティのある発明に結びつくことがありえる。
何が衝動知識に結び付くかわからない以上、限りある資本を投入することで「役に立つ」衝動知識が生まれるとは限らない。
逆に、研究者というのはしばしば流行に鈍感であり、社会が強い衝動を受けていても、研究者がその知識を得ようとしないことはありえる。もちろん、そういった姿勢は衝動知識を生むために必要と思われる多様性の確保には重要であったとしても、政策的に研究者に知らしめたいということはあり得るだろう。
そのような場合は、IT 関連研究予算を設けて、IT に絡めれば予算がもらえるようにすると、知識取得のインセンティブが高まることになる。
ただし、このとき注意しなければならないのは、この予算は「未確定知識」の確定のために使われるのではないため、その費用対効果を期待できないことである。「IT 関連予算」を知識の普及や研究者の交流のために使うならば良いが、新しい知識に基づくため有効な投資方法が確立していないのに、そのような投資をすれば「政府の失敗」が散見されるようになるだろう。(例えば、多額の IT 予算が降りたはずの業界で、個人の PC で簡単に扱えるデータすらチェックするシステムが官庁にはないとかね。)
衝動知識を得ることに資本を投入することはできても、衝動知識を生み出す側に資本が渡るとは限らない。しかし衝動知識を生み出した分野に後から資本を投入したり、賞を与えたりすることで利益を還元することはできる。
■ |
報酬モデル
|
資本を投入したものについては、それが回収できるよう利益により還元するべきである。どれぐらいの資本が投じられるべきかは、その時の利子率と特許の有効期間で決めれば良い。
一方、資本投入との関連が明白でない場合、資本への誘因を増やす意味は薄い。むしろ、長期に渡り継続的に研究者が収入を得、研究を続けられるようになるのが大事で、仮に成功報酬が必要であるとしても、短期に多額の報酬を与えるのは、その研究者を逆にダメにしてしまう可能性があるため、年金の給付や役職を与えることが重要となるだろう。
両者には中間形態が存在し、そこが割を食うかもしれないが、両者の最小上限の報酬を与えて、それを社会に還元することをせまるより、割けた上で最大下限を確定させてから、そこに上積みするほうが、「交渉」しやすいのではないだろうか。
現在の特許は、その利益が得やすいよう強い独占権を認めながら、かなり長期に渡って利益が得られるようになっている。つまり、上の「両者の最小上限の報酬」を与えるシステムになっているが、その実、企業が研究者に短期に多額の報酬を与えて買いとることで、未確定知識を得ることにのみ有利な形態になっているように思う。
■ |
たとえ
|
両者の違いは、よくある例だが、ため池を造るのと井戸を掘るのとの違いのようなものである。
未確定知識の探索はため池を造るようなものだ。大くの資本を投入すれば、それだけ早くできる。
衝動知識を得るのは井戸を掘るようなものだ。一人で井戸を掘るのに 30 日かかるからといって、30 人で井戸を掘れば一日で済むことにはならない。複数の井戸を掘らせることもできるが、隣接領域で複数掘らせるぐらいなら、時間をかけてより深い井戸を一本掘らせたほうがいいかもしれない。
ため池も井戸も使用料を徴収できる。前者は資本の回収および維持管理することが目的となり、受益と負担がおよそ一致する。後者は井戸の涸渇を防止するための需要調節が大切な役割となり、徴収された使用料は公的な性格が強くなるため、その使用料を井戸に掘った者に集めるのはしばしば著しい不公平感を生むことになる。
上記のアイデアの基は、数学的なイメージにある。未確定知識が「因果関係を表すのは難しいが確率空間を定義して相関までなら表せるもの」に相当し、衝動知識が「確率で表そうとすると 1 か 0 になってしまうが、振り返るとその導出過定を特定できるもの」に相当するものとして考案した。
本稿は、特許について経済学の方面から知的財産の価値を語るとき、近年の発達した確率論を用いて現在価値を求めることができる、との「知識の未確定領域」の予想は、未確定知識のみに適合するだけで、それでけですべてを決定することは危険であることを暗示しようとして書いたものである。
参考 | |
特許と確率に関するブログ | |
特許の進歩性に関するブログ | |
更新: | 2006-03-18--2006-03-23 |
初公開: | 2006年03月23日 19:37:31 |
最新版: | 2006年03月23日 23:31:44 |
2006-03-23 19:37:31 (JST) in 知的財産 法の論理 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
トラックバック
他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)はまだありません。
» JRF の私見:税・経済・法:未確定知識と衝動知識 ― 非当業者性から考える特許の報酬モデルの二形態 (この記事)
コメント