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2006年3月23日 (木)

未確定知識と衝動知識 ― 非当業者性から考える特許の報酬モデルの二形態

特許の要件として進歩性がある。

特許法 第二十九条 2
特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。


「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」を法律用語で当業者と呼ぶ。

当業者にとって容易であるという判断はつけにくいが、容易でなかったことの十分条件として、その分野にいただけでは知ることのできない知識の混入があげられる。

「その分野にいただけでは知ることのできない」とは単に異分野というわけではなく、例えば、予想はされているが非常に見つけるのが困難だった蝕媒や化学式の発見など、その分野の範囲内で特定されていなかった知識も含まれ得る。ここでは、これを未確定知識と呼ぼう。

また、「その分野にいただけでは知ることのできない」は異分野であればなんでも良いわけでなく、IT 革命の成果をとり入れる場合のように、そのときの流行で一般的に散見される知識は除かれ得る。ここでは、これを衝動知識と呼ぼう。

未確定知識にはその知識そのものを記述できなくても「知識の未確定領域」がある程度確定されていることを必要とする。一方、衝動知識は記述できる必要があるが、どれほどインパクトがあり一般性を勝ち得たのかは、あとから統計的にしか測ることできない。

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2006-03-23 19:37:31 (JST) in 法の論理, 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月21日 (火)

行動義務と状態義務、努力義務と消極義務

努力のような内心にかかわるものは道徳であって、法ではないという議論がある。むろん、内心を完全に知ることはできないが、現実の裁判では内心を判定することは、ままある。

もちろん、それは内心そのものではなく、内心の結果である外観によってなすのではあるが、それを問題視するならば、偽証かどうかを究極的に知ることはできないし、あらゆる証言証拠もまた無効となってしまうだろう。

実際に努力しているかどうかは内心を見なければわからないが、人が、ある人の行為を努力していると判断することは現実にある。これを、何らかの結果の記述で対処しようとすると、煩雑になってしまい、現実的には、「法を理解する努力」が不可能になってしまうかもしれない。

この場合、法として記述する際は、努力の外観があることについて、「努力」の言葉を使い、その判断には柔軟性をもたせることが合理的になる。

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2006-03-21 18:16:26 (JST) in 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (0)

義務をすべて、対応する権利に帰着できるか?

お金を持っていることは、社会からそのお金に相当する何らかの財を購入することが認められた状態と言える。その金額の財を得る権利を持っているとも考えられる。

その金額の財を売る者は売ることも拒否できるはずで、単体ではお金を持つ者に対し財を売る義務があるとは言い難い。しかし、社会としては誰かが潜在的にその義務を負っている状態と考えることができる。

権利の性質をめぐる「利益説」「意思説」の議論で、権利の主体がないことが話題とされることがあるが、これは、権利主体が存在するが、義務の主体が特定できないモデルとなる。

このとき社会が貨幣流通の義務(または責任)を負っているということもできる。しかし、その義務と権利の対応は大きく崩れる。

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2006-03-21 17:16:43 (JST) in 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (1)