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2007年11月20日 (火)

無コピーの占有デジタルコピーの譲渡の自由:記録保全主義

集団はそこにあっても、名のついた集団は幻想である。名のついた集団を成り立たせているものを習性として人は担っている。難あって集団を守らねばならないとするとき、その習性にかけて自らを集団の中に埋葬し、希望をそこでつなぐことが求められる。その習性と健やかな関係を保ちたいと人は願う。そこに人の責務が成る。

今の時代、人は、人が為し遂げた大量の知的財産と触れあう。その触れあいに、喜びながら悲しみながら、喜びや悲しみを愉しみながら、それに自らを措定しうることを習う。知的財産は、それが自分のモノと映りながら、誰かの想いが伝わるものとして身に受ける。なぜそれが為ったかわからないところがあっても、ある知的営みがモノと為りうることにその社会の容量を想う。その多くが残りうることを示すことが、振り返ったときこの巨大な人口という集団に望みを見出すことにつながるだろう。モノとなる知的財産を継承することは人の責務である。
自然に導かれた特権的所有権という決まり事が、自然な責務の履行を疎外するようになっていれば、もはやそれは自然ではない。その特権的所有権は剥奪も見据えた緊張の中に置かれる。その特権的所有権が、今後とも責務の履行と「健やかな関係」を築きうるなら、それは制限をうけるに留まり、実質的に存続することもできる。一方、その制限も、目的の遂行を担いながらも、いずれ社会と「健やかな関係」を築けるように造られなければならない。


著作権は、その著作物がどのようなものであっても、創作を為らしめた者に向けての尊重の念から導かれる。自由経済の中のめずらしい特権的所有権の一つとして、その権利が守られるようにするためには、権利の周辺に特別な倫理を築く必要があっただろう。

近年、PCやその周辺機器の発達により複製や創作が容易になり、また、インターネットの登場により消費者が創作を発表できる機会が増えた。そのためか、「特別な倫理」が消費者にも学習され、意識のはしばしに登るようになった。それが過度の緊張をもたらしているように消費者の一人たる私は感じてきた。

特に必要のない場面においても、所有者のはっきりしない著作物や、問題があると思われる著作物について、それを消去することが「安全」でそれゆえ正しい在り方であるとする雰囲気があった。その価値を判断できるとは限らない第三者の管理を介することで、ある意味でオリジナルであったものさえ消えてしまう危険があった。

知的財産を継承することを責務とみる立場からは、「とりあえず消去」という選択肢が採られることは避けなければならない。そして、あわよくば、たとえ何らかの問題があったとしても、「継承はしておく」という選択肢が積極的に採られるよう倫理が構築しなおされることを願う。

それに向けた一打として、私は「無コピーの占有デジタルコピーの譲渡の自由」という著作権等への制限を要求する。


無コピーの占有デジタルコピーの譲渡の自由


私は次のような「自由」を要求する。

完全なコピーができるものをコピーができないものとして一年以上占有するように扱うとき、たとえ「正当な所有権」がなくても、そのような扱いの中での占有の有償移転は禁じることができない。


簡単にいえば、これは消去を条件として中古販売を許すことに近い。デジタルコピーについて物権よりもかなり短い期間で「占有による取得」を認めるように読む人もいるかもしれないが、デジタルコピーの特質から実体は中古で譲ることに近くなるだろう。

著作権法 第47条のニの2項にはプログラムの譲渡にともなう消去についての規定がある。すべての著作物がデジタル化していくことが予想しうる時代、その規定を他のものにも拡げる必要がある。上の案はそれを視野に入れたものとも言える。


複雑な文になってしまったのでその意味するところもわかりづらいかもしれない。この文を部分ごとに説明したい。

「完全なコピーができるもの」とはデジタルコピーを指そうとしている。それは、すでに何らかのコピーであるものや、そのもののコピーが可であるもので、アナログ絵画の本物ではないようなもののことである。「アナログ絵画の本物ではないようなもの」に限るのは盗品である本物を廃棄し、足がつかないようコピーを売るということが正当化されないよう保険をかけるためである。

「コピーができないものとして」扱うというのは、占有された同等のデータは一体として考え、コピーが増えるときはそれを捕捉し、他者に「移転」するときはコピー後にそれ以外の同等のデータ全部を消去することを指す。

「一年以上」と書いたが、一年である必要はなく、一瞬ではないが長期ともいえない間であればよく、より短く「7ヶ月」にしても、少しあいまいに「四季を待つ」としてもよい。占有に価値があり、わずかでも有償で移転できるとした場合、確信犯的に消去していないのに消去をしたと主張する者も出てくるかもしれない。そのようなことが簡単にできないように保険をかけるため、一年の猶予を与えるのである。

「占有するように扱う」というのはこの文でもっとも複雑な意味をこめたところである。手にいれたデータを即「譲渡」してもだいたい良いが、譲渡をしてから一年は同じものを譲渡できない。譲渡したあと再びデータを手に入れることを排除しないが、「コピーできないもの」として占有していると言えるかは微妙である。ただし、一年占有していれば「安全」に譲渡できる。……といった具合である。

著作権法には実はその著作物の「所有」についてはっきりした権利規定がない。消費者が持っているものは貸与されたものに過ぎないとでも言ってしまわれかねない。括弧付きで「正当な所有権」としたのは、消費者が正当に持っていることをどう表現されても、それに関係なく規定したいからである。

「そのような扱いの中での」移転とは、上記のようにコピーができないものとしてコピー後に消去を行なう移転である。ネット経由で譲渡後遅滞なく消去するようなものも含まれうる。

「占有の…移転」は、所有の移転とまでは言っていない。「所有」に関しては別途手続きが必要かもしれない。民法162条の占有取得の場合、「平穏に、かつ、公然に」という条件がつくが、デジタルコピーの場合、ホームページへの掲載など公然となる行為をして著作者の目にとまり平穏でない占有になるオソレや、その入手が不正アクセス等によるオソレはあっても、占有が「平穏」であることはむしろ保護されるべきで、「公然」性もほとんど意味をなさない。その中で、「正当な所有権」がどのように守られているかは問題になりうるが、それでも占有を移転することに両者の納得があれば、それは認められるべきである。

「有償移転」すら許す。有償を前提にしたルールからは厳しい条件が導き出されるだろう。それさえクリアすれば無償移転も安全にできるようになるだろう。そのような条件を導き出す過程で、新たな倫理の構築を狙うのである。

「禁じることができない」とするが、前提部分がついているので、制限をするときは前提を部分否定すれば良い。


本来完全にコピーができるものについて、まったくコピーせず、あたかも物体のように受け渡しすることで占有者が変わるだけなのに、なお、有償での取引すら成立するというなら、それは何かがおかしいのである。そういう判断が私にはある。

この「自由」を認めることで、例えば、名簿の有償譲渡も可能になってしまう。しかし、それは他の法律がそのような所持者に対して何らかの規制をすることで対処すべきと主張する立場に立つわけだ。

少なくとも著作権法はそのようなことまで面倒を見ない。つまり、著作権法の限界を明示的に示すのが、この自由の大きな狙いである。

名簿に関連して言えばプライバシーを扱った研究データが著作権法を理由に引き継ぎがなされないということはないだろうか?そのような著作権法の上乗せ的解釈がまかり通り、有用なデータまで死蔵・廃棄されるのを恐れるているのである。


オークション等での取引の制限


この「自由」を認めるということは、持ってない著作物を売るということができるようになるということだ。

単純には問題がある。少なくとも付加的な条件が必要だと頭には浮かぶ。だが、一度、上のまま条件なしでやってみて、本当に不十分か確かめてみたほうが良いと私は考える。

2007年現在、ダウンロードは違法化されていないし、少なくとも違法でない時代は「あった」のである。そしてダウンロードをするにはある種の技術が必要であった。違法でないのにそのような技術が必要なものについて、金銭的にそれを迂回することができないことは自由経済の欠陥と言ってもいい。本当に誰かのためだけにダウンロードし、その占有を渡しただけならば、それは認めるべきではなかったか?

実質、誰もがダウンロードできたという状況はたいがいの者が知っていよう。この「自由」を認めて、市場に参入できるものはいくらでもいる。この状況で参入しても手間賃ぐらいしか要求出ない。しかも、「一年以上占有するように扱う」という制限があるので、まともにやれば儲かるわけがない。

DVDやCDも私的な貸与はできる。貸与ならば貸して返ってきたものは再びすぐに貸すことができる。一方、「一年以上占有するように扱う」という制限は、貸したあと一年以上はもう一度貸すことはできないという制限に匹敵する。

すでに誰かがデジタルデータを占有している状態なら、それを貸して何の問題があっただろうか。貸すことでP2Pファイル共有によるアップロードをしていたことがバレるため、そのような貸与は抑止されてきたというなら、占有移転をするときにもバレるリスクはあるわけである。

この「自由」はアップロードをしていたものを免責する規定ではない。あくまで占有移転は著作権法に(共犯等としても)ひっかかる行為ではないことを主張しているだけである。

本気でこのようなことから儲けを出そうと思えば、販売役であるダウンロード者を囲った上でアップロードを行うといったことが画策されるだろう。多く売って目立つ者がいて、不平等感が高まって、はじめて捜査をすることに支持というか協力が得られるのではないか?

そういったわかりやすい「悪」を仕立てずに、一般人をあるところで圧迫し、別のところで不便を強要しているのは何かが間違っているのではないだろうか。


ところで、この「自由」には組織的関与を認めることが不可欠だろう。例えば、研究のデータを引き継ぐとき、出ていった者と引き継ぐ者との間に時間的な空白が生じることがある。この空白は当然、その組織が埋めることになるが、それにより組織全体が特定のデータについてコピーできない状態になるのは好ましくない。よって、あくまで両者を組織が仲介するという形をとるほかないだろう。

持っていない著作物を売ることにも組織が仲介するといった場合、実際にいる人を仲介するならまだいい(と私は思う)が、借りた名義や存在しない名義を使って同じ著作物を同時に複数売る行為がまかり通るようになるかもしれない。こうなれば、私といえど、さすがに儲けを得ることがありえないという立場には立てない。

そこで仲介を認めるという条件の換わりに次のような「自由」への制限を追加しても良いと考える。

一年の間、コピーができないものとして扱うことの保証に信用がない取引形態は、上項のような「扱いの中」にないものとみなす。


つまり、通常のネットオークションなど、「一年以上占有するように扱う」ことを保証できない上に、名義貸しがありえる信用のない取引形態では、著作権を侵害するような占有移転は認められないということだ。

逆に同僚や友人の間といった長期的関係においてはその「取引形態」はだいたいにおいて信用できるとする。そして、仲介者はだいたい保証人に位置づけられることになる。なお、ここで求められる保証は、譲った者がもし「一年以上占有するように扱」えなければ、譲られた者のほうが消去すれば良いといったものである。

もし、万に一つ、何らかの方法で会員のモラルを保つことができ「保証に信用」がある「取引形態」がだいたい実現できているなら、ネットオークションを通じた占有移転も排除されるべきではないだろう。


消去に関する特例


アップロードをともなって手に入れたものは「足がつく」が、Webサイトなどで普通にダウンロードできるもの、自分のツールで「造った」ものを占有移転する場合は、それが著作者の意図でなかったとしても合法となる。

例えば、ネットをできない友達にゲームを改造するためのコードを紹介したいとき、他に方法がないならば、この「自由」が最後にそれを保障できる。

例えば、コピーガードをはずして圧縮した映像をどうしても手に入れたいというユーザーがいたとき、正規のDVDと同時に売り、DVDが買えることを「保証」とみなすことで占有移転が成り立つという慣行ができるかもしれない。

例えば、自分が作った二次創作物を誰かに譲るとき、あたかも印刷料を理由に情報料をとったように、占有移転料を理由にその製作料をとることもできるだろう。

こういったことは、補償金を求めて認めたほうが良いのではないかという意見もありうる。わざわざ消去を求めるのは酷ではないかとも思える。

しかし、現状で「合法化」される方向に向かうことが考えられるだろうか?私は、占有移転を利用した「まっとうな形態」のおかしさが注目されてはじめて、現状を打破できるのではないかと思い詰めている。

この「自由」は消去を求める。自由といいながら厳しい面を要請する。しかし、もし、著作者達がギリギリ譲れるところと決めた利用形態があれば、それにすがることまで排除するつもりはない。

私は「まっとうな形態」に理解が得られると信じるからこそ、次の特例を「自由」に追加したい。

正当な貸与の形態を自己に適用できるものは消去の対象からはずしても、いまだ上項のような「扱いの中」にあるものとみなす。


極端な例だが、例えば、正当なDVD-Rのコピーが複数作れるデジタルビデオレコーダーがあって、録画したものをどうしても欲しい者がいるといったとき、デジタルビデオレコーダーを譲って、DVD-Rを残しておくようなことを想定している。

このような場合さえ、それは「正当な貸与」と認めないという者もいるかもしれない。著作物の「貸与」や「所有」という概念をあいまいにするためである。

もし、そうならば、「著作者達がギリギリ譲れる」と言った前言を翻すようだが、正当な貸与の「形態」を別に考えれば良いのだと思う。

アナログビデオの場合。ダビング元のほうを渡し、ダビング先を持っているのが自己に貸与する形態とすれば良いだろう。

ところによっては、譲ったもののバックアップを残したあと、一年間使わなければ、そのバックアップは「正当な貸与の形態を自己に適用」した物とみなし、「一年以上占有するように扱」ったとする慣行ができるかもしれない。

こうなると、消去が実質的になされないことを認めてしまうわけだが、放言すると、それで良いのではないか。

ある程度の年齢にある人は実感があろう。インターネットが現れるまで、著作権という権利の解釈はぐじゃぐじゃだった。それが「闘争」を通じ意味が明瞭になりすぎたように私は感じている。それを再びカオスに放りこめばよい。それぞれの事情にあった「倫理」を再構築していくことを私は求めるのである。


ラディカルな記録保全主義


上で私が主張したのは、適切に「消去」せよということである。

しかし、それは遺ることを求めるがゆえである。

財産というのは価値がわかるものだけに与えられたものではない。いつか価値がでるんだよという者にも、価値などあるはずがないと嘯く者にも託されているのである。

今、価値を認める者は、それを譲るのにも真剣になる。「消去」はその真剣さゆえになされうる。そうして選ばれた結果は誰かが何らかの形で継承していなければならない。

国に謂われて消すものがいよう。人を信じて消すものがいよう。違う。あなた方が消してはならなかったのだ。どこかで引き継ぐものが必要だからこそ、あなた方のようではない人々も求めるのである。

ある知的財産を引き継ぐためには、その周辺の文化や技術も引き継がなければならない。大切な何かを喪失したことに気付いたなら周りを見よ。過去に失ったものを求める者は、機械を受け継ぐことにも真剣になるだろう。

このような主張は社会の経済的混乱を許容し、できあがりつつある著作権法の秩序を破壊するだけのものだという人がいるかもしれない。その通り、私はラディカルに主張している。

だが、違法のおそれが強いと喧伝され「一般人」が敬遠しているのに、P2Pファイル共有が興り、ビデオ共有サイトが隆盛を極める今、時代がそういったことを必要としているように私には思えてならない。


関連サイト

2007年11月15日のパブコメ締切に向けて私的複製を考えるシリーズ。

政治的な知的財産の破壊もありえる。それに対抗するにはお互い知らない同志のほうが良い。私はP2Pファイル共有をその理想において支持する。:《P2Pとかその辺のお話:デジタルアーカイブを考える》、《JRF の私見:雑記:P2Pファイル共有がある社会の著作権法に向けて》。

知的営みに人の責務を見出す歴史は当然あっただろう。その結末がどうなったかを考えるのも一興である。:《小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」:第4回 気分はもう戦争・そのIV》、《世界史の授業:ルイ=フィリップのコイン》。

更新: 2007-01-??--2007-11-20
初公開: 2007年11月20日 16:36:18
最新版: 2007年11月23日 14:58:27

2007-11-20 16:36:17 (JST) in 法の論理, 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (2)

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