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2007年11月12日 (月)

文化祭と著作権の問題から私的翻案を考える

何かを誰かに表現する。そこには不安があり羞恥心があり高揚感がある。多くの人が賞賛する夢を見ても、多くの人に知ってもらいたいと思うのはずっと先のことだ。踏み出せる小さな一歩を確実に前にすすむ。誰かの言ってることなど気にしない、というのは嘘だけど、自分の表現したいことにせいいっぱいでありたい。

人は人を私的な領域に圧し込めることがあった。そこでしか表現できないものがあるように人を追い込んだ。誰かに評されることを期待してはならない。ただ正しく伝えること、そこに思いを込めるのだ。伝えられることを喜んではならない。聞いているということがリスクなのだ。許すな、想像力の込もった表現を。それが彼の出所を示し、怨讐の炎が彼を焼き尽くすことがないように。


表現を私的なものに留める理由には正当なものがある。だが、現在、その理由は幸運なことにコンプレックスでしかないだろう。まぁ、それはできるだけ個人が克服していくべきものとして、じゃあ権利としてそれを掲げるとき重要なものというと、払えるものはできるだけ払う理由を作って著作者の経済的利益を邪魔しないようにするけど、あまり高い金を要求するなら拒否できるようにもするよ、というのがあるだろう。

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2007-11-12 18:39:22 (JST) in 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (0)