ユーザーの占有する PC でスクリーンショットをできなくするのはやり過ぎであった。PCを一時預ると目されるサービス提供者は受託者であり基本的にユーザーのために努力せねばらなないのだから、それは背任(罪)である。それが他では手に入らない著作物を以って迫られたという点において、強要(罪)であった。その契約に不備があるのを知りながら、それを悪意ある存在とみなそうとしなかった OS 提供業者も背任のセンが濃い。そして、それらが著作権者集団の共謀(罪)のうちになされたという疑いが濃厚である。
スクリーンショットをできなくすることは引用をできなくすることである。引用は私的領域・公開しない領域でもなされうるもので、表現の自由どころか内心の自由さえ著しく侵害するものと言えよう。
クラウドロッカーは、根拠不明に、特定のファイルのアップロードを禁止したことがあった。寄託を受ける受寄者としてユーザーの財産の保管をいたずらに危険にさらす背任の疑いが強い。
スクリーンショットの違法化などは、ここを無罪にするため、事後的にそれを正当化する論理が求められ、その犯罪にまさに政府が加担しようとしているとみなさるのではないか?
とは言え、もちろん、そもそも特定の任に着く契約をしたわけでもないという主張や、共謀罪の要件にあたらないという主張や、罪刑法定主義にてらして問題ないという主張を私は排斥するものではない。ただ、ここでは原理的な部分を問うている。
私は別に有罪だから糾弾しようというのではない。先の政府ではないが、原理的な罪でしかなくてもそれを無罪とできるように環境や論理を整えていくことはでき、それをすべきだというだけのことである。
まず、クラウドロッカーの場合は話は簡単で、上のものは単に言いがかりのレベルでしかない。法律の本を読むと、寄託に類似する事務管理ではしばしば、公序良俗との関係が問題になる。公序良俗に反する物は、受け付けなくても受寄者としての任を果たしたことになるだろう。ただ、その場合、その物が違法物であることが明確でなければならない。
私的複製が刑事では違法でないが民事では違法であることにどういう意味があるか疑問に思う人もいるかもしれないが、こういうとき民事で違法であることが明らかなら、それは公序良俗に反するから受け付けない、場合によっては消去する論理が通用することになるのである。
一方、スクリーンショットを禁止したことについて、ここで所有者の管理という軸を導入するのが本稿のタネを明かしとなる。
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身分相応な管理をしない送信者、または、私的性格があると信じるに足る証拠がない送信者は、私的複製者(を構成する)とはみなさない。
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送信者の意志に反し、かつ、応分の負担または応分の負担の意思があることの証拠がない受信者の複製は、私的複製とみなさない。
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この「身分相応な管理」を取り出し、もっと一般に著作物の「応分の管理」ということを考える。その実態は、消費者の場合は、ウィルス駆除ソフトを導入したり、WiFiルーターのパスワード等を適切に設定したりという「消費者として十分な注意(消費者十分注意)」程度のことである。
これにより、スクリーンショット禁止は、応分の管理を容易にするために、または管理コストを安くするために行われたユーザーのための行為であったとなる。
スクリーンショット禁止が「やり過ぎ」というのは依然としてあり、後述していくようにそれをケアすることを考えるにしても、応分の管理という軸を導入することで、背任罪や強要罪まで問うのは「行き過」ぎとなろう。
さて、話のつかみとしてまず煽情的なことを書いてみたが、そもそもの本稿の目的は違法ダウンロード拡大について広く提案を行うことにある。
2019-02-22 03:08:29 (JST) in 知的財産 | 固定リンク
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現在、このブログサイトを電子「辞書」化し販売することを検討している。ただし、このブログは無料公開を存続させるため、新しく創られた会社がそれを販売する形にして、仮に会社に何かがあっても、個人の私がブログそのものを続け無料で読めるよう、逆に私に何かあっても、データの譲渡・貸出という形で読める可能性が高まるよう考えている。
ちなみに、電子「辞書」化とは、辞書のような検索インデックスの付いたアーカイブにすることを意味し、無料でブログは公開しつづける以上、、作品を読めるというより検索がローカルでもできることの利便性に主に商品性を見出していただくモデルになる。敢えて挙げるなら、私という著者からライセンスを取得する作業を行ったことも商品性に含めることができるかもしれない。これは著作権法の歴史から見れば、情報そのものに権利はないという建前の本来の「コピーライト」に近いモデルだとご理解いただけるのではないか。
これまでのアクセス解析から、住民税均等割(現在7万円)以上を稼ぐのは難しく、赤字になるのはほぼ確実となる。どうせ赤字になるのだからということで、これまでの「勉強」の成果を活かし、実験的な「利用許諾」を付して販売しようかと目ろんでいる。
ただ、計画中どころか下準備の段階で、肝心の変換スクリプトさえ書いていない。このまま立ち消えになる可能性もあり、そうすると、以前、集大成的な記事を書こうとして挫折しお蔵入りにしてしまったように、考えかけた「利用許諾」もいっしょにお蔵入りになって、何かの折につじつま合わせに困って《
ひとこと》で小出しに発表しちゃうようなみっともないことを、またしてしまうかもしれない。
それはもったいない。むしろ景気付けにババーンと公開してしまったほうが、あとで退路に気をもんだとしても荷が軽くなっていい。そういう「気合い」で、不完全は承知で、先にそれを紹介することにした。
だから、まずいきなり案を書く。
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利用許諾(案)
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非独占性
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本電版も、ブログサイトに書かれた JRF の許諾の例外ではなく、独占契約に依らない。同等以上の利便性を他者が安価に提供する可能性がある。
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ただし、本データも著作権に基づき、他者が本データの所有権の財産性を毀損する場合、報酬請求権を、本許諾と同様、信義誠実に行使しうるとする。
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所有の等価性
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一個の所有権につき一個人に貸し出しがなされていることが信頼できる場合、財産性を毀損するとは見なさない。譲渡のためになされる複製やアップロードも信用に基づく限り、ただちに財産性を毀損するとは見なさない。その信頼・信用のためには身分相応の管理を求めるが、所有そのものに関してはいかなる個人・企業・団体であっても負担・権利を差別しない。
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いかなる個人・企業・団体も、自己貸し出しは複製に依ることができる。
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広告料の制限
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報酬請求権に関し、明示のない代位はない。ただし、広告主の責を負わないアフィリエイトに関してはこの限りではない。
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所有権の回復
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所有権に基づき貸し出しをする者は、データを保持できる。貸し出しの時効は一年とし、それを超えて未返却であっても、完全な一個の所有権が回復する。
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最新の年版を持つ者の所有権は、それまでの年版の過去の利用に遡及する。ある年版の所有権を持つ者は、それより過去の年版にあって削除された部分についても所有権を有する。
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一個の所有権を持つ者が、もう一個の所有権を得た場合、新しいほうの年版の所有権を二個持っているとして貸し出しが行える。
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隷属使用の解放
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借り入れた者が、その年版の所有権を持っていることを知れば、返却があったとみなさねばならない。七年より前の年版の所有権を持つものは、七年前に、それ一個につき一個の最新の年版の所有権を得たものとみなす。
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最新の年版を持った者のその年版の次の年版の発行日以前(その年版の発行日以前も含む)の貸し出しの利用の報告は猶予される。年版の著作者はその収録物についてこれを認める。猶予を求める場合は、貸付者に所有を報告するか公示せねばならない。なお、それら報告・公示のうち期限の利益を失ったものは免除される。
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所有権を保った複製の滅失は、貸し出しまたは複製の回復を受ける可能性を残してあれば、所有の報告または公示ができる。
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注記
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問題のある表現があるかもしれませんが、アーカイブ性を重視してそのままにしてあります。
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フィギュア写真など他者の著作物が主となる物は、「写り込み」として縮小版のみの掲載に留めています。
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当アーカイブは、JRF が提供するデータに基づいていて、nifty 等に代わり第三者の確定日付等の証明を提供するものではありません。
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強制力のある18禁の判断については、JRF がそう書いていた部分についても、客観的基準に照らせば該当する部分はありませんでした。一方、自主規制でしかない15歳(14歳)以上という指定は、JRF の意志を尊重し、15歳未満版と無制限版を同梱し、15歳以上という指定で販売しております。
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2012-05-01 04:09:28 (JST) in 知的財産 電子金融 | 固定リンク
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先日、ゲーム機での海外ダウンロード購入に関してトラブルに見舞われた。海外ダウンロードを禁ずるのはそもそも「法の下の平等」に照らして間違いであり、「市民的不服従」と「反知性主義」の葛藤の中、公正に補償を要求せねばならない……。本稿は、トラブルの解決に致るまでの私のそういった「法的検討」を書き留めたものである。
2011-07-17 05:37:28 (JST) in 租税制度 知的財産 国際法 | 固定リンク
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版を造れば、いくらでもコピーができる。コピーの価格が劇的に下がった時代があった。それは結局、著作者がパトロンや他の収入により支えられるという形から、版の独占を認めそこから著作者が対価を得る形に、転換がなされることにつながった。
しかし、独占権のように強い権利は必要なく、著作者の収入は基本的にはパトロン等に頼る形にして、あとは報酬請求権のような弱い権利を認めれば十分だったのではないだろうか?
2007-11-23 00:18:12 (JST) in 租税制度 知的財産 | 固定リンク
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集団はそこにあっても、名のついた集団は幻想である。名のついた集団を成り立たせているものを習性として人は担っている。難あって集団を守らねばならないとするとき、その習性にかけて自らを集団の中に埋葬し、希望をそこでつなぐことが求められる。その習性と健やかな関係を保ちたいと人は願う。そこに人の責務が成る。
今の時代、人は、人が為し遂げた大量の知的財産と触れあう。その触れあいに、喜びながら悲しみながら、喜びや悲しみを愉しみながら、それに自らを措定しうることを習う。知的財産は、それが自分のモノと映りながら、誰かの想いが伝わるものとして身に受ける。なぜそれが為ったかわからないところがあっても、ある知的営みがモノと為りうることにその社会の容量を想う。その多くが残りうることを示すことが、振り返ったときこの巨大な人口という集団に望みを見出すことにつながるだろう。モノとなる知的財産を継承することは人の責務である。
2007-11-20 16:36:17 (JST) in 知的財産 法の論理 | 固定リンク
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何かを誰かに表現する。そこには不安があり羞恥心があり高揚感がある。多くの人が賞賛する夢を見ても、多くの人に知ってもらいたいと思うのはずっと先のことだ。踏み出せる小さな一歩を確実に前にすすむ。誰かの言ってることなど気にしない、というのは嘘だけど、自分の表現したいことにせいいっぱいでありたい。
人は人を私的な領域に圧し込めることがあった。そこでしか表現できないものがあるように人を追い込んだ。誰かに評されることを期待してはならない。ただ正しく伝えること、そこに思いを込めるのだ。伝えられることを喜んではならない。聞いているということがリスクなのだ。許すな、想像力の込もった表現を。それが彼の出所を示し、怨讐の炎が彼を焼き尽くすことがないように。
表現を私的なものに留める理由には正当なものがある。だが、現在、その理由は幸運なことにコンプレックスでしかないだろう。まぁ、それはできるだけ個人が克服していくべきものとして、じゃあ権利としてそれを掲げるとき重要なものというと、払えるものはできるだけ払う理由を作って著作者の経済的利益を邪魔しないようにするけど、あまり高い金を要求するなら拒否できるようにもするよ、というのがあるだろう。
2007-11-12 18:39:22 (JST) in 知的財産 | 固定リンク
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著作権法の次の検討課題の一つとして、第30条の私的複製への制限があがっている。中でも私が危険に感じるのは、「オーバーライド契約」により私的複製を制限できるようにしようとする「適法配信事業者から入手した著作物等の録音録画物からの私的録音録画の第30条適用範囲からの除外」(長い!)である。
サービスのイメージとしては、サーバーでの管理のもと私的複製に相当するような複製物を安価にいくらでも作れるようにするので、「私的複製」そのものは必要なくなるでしょ、というものだろう。
その際、「安価にやらせるかわりに私的複製は認めませんよ」と契約にうたい第30条をなかったことにする(オーバーライドする)。ただ、誰でも「なかったこと」にできると消費者に不利な方向に流れると簡単に予想できるので、「適法」な事業者にのみ限るわけだ。
私が問題としたいのは二点である。
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個人にとって大切な思い出の外部記憶である著作物のメディアが、そう望む者が(断続的に)居つづける間にも、存在できなくなる可能性があること。
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オーバーライド契約を許すという「発想」が危険で、不正があらわれそれに歯どめがかからない心配があること。
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それらに対応して著作権に関するある事業規制と間接侵害規制への条件を提案する。
2007-11-03 23:31:15 (JST) in 知的財産 | 固定リンク
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著作権法 第30条の私的複製への制限として、「違法録音録画物、違法サイトからの私的録音録画の第30条の適用範囲からの除外」、俗にいう「違法サイトからのダウンロード違法化」が検討されている。
私は、下記のように概ねそのような条項を設ける妥当性を認める。しかし、インターネット消費者団体
MIAUの活動に足並みをそろえ、「違法サイトからのダウンロードの違法化」に反対すると言おう。
2007-11-03 23:09:28 (JST) in 知的財産 | 固定リンク
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特許の要件として進歩性がある。
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特許法 第二十九条 2 |
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特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。
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「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」を法律用語で当業者と呼ぶ。
当業者にとって容易であるという判断はつけにくいが、容易でなかったことの十分条件として、その分野にいただけでは知ることのできない知識の混入があげられる。
「その分野にいただけでは知ることのできない」とは単に異分野というわけではなく、例えば、予想はされているが非常に見つけるのが困難だった蝕媒や化学式の発見など、その分野の範囲内で特定されていなかった知識も含まれ得る。ここでは、これを未確定知識と呼ぼう。
また、「その分野にいただけでは知ることのできない」は異分野であればなんでも良いわけでなく、IT 革命の成果をとり入れる場合のように、そのときの流行で一般的に散見される知識は除かれ得る。ここでは、これを衝動知識と呼ぼう。
未確定知識にはその知識そのものを記述できなくても「知識の未確定領域」がある程度確定されていることを必要とする。一方、衝動知識は記述できる必要があるが、どれほどインパクトがあり一般性を勝ち得たのかは、あとから統計的にしか測ることできない。
2006-03-23 19:37:31 (JST) in 知的財産 法の論理 | 固定リンク
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初公開: |
2006年01月31日 17:20:14 |
2006-02-03 01:30:07 (JST) in 知的財産 | 固定リンク
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