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公訴時効の延長さらには部分的な時効の廃止まで含む法案が、閣議決定されるに致っている。私はこれに強く反対する。本稿では、やや想像力豊かに時効の必要性を訴える。

2010-03-23 14:27:49 (JST) in 司法制度, 国際法, 法の論理 | | コメント (3) | トラックバック (4)

集団はそこにあっても、名のついた集団は幻想である。名のついた集団を成り立たせているものを習性として人は担っている。難あって集団を守らねばならないとするとき、その習性にかけて自らを集団の中に埋葬し、希望をそこでつなぐことが求められる。その習性と健やかな関係を保ちたいと人は願う。そこに人の責務が成る。 今の時代、人は、人が為し遂げた大量の知的財産と触れあう。その触れあいに、喜びながら悲しみながら、喜び...

2007-11-20 16:36:17 (JST) in 法の論理, 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (2)

■ 理想化された経済史的解答 まず、「現代の人」が「昔の自然状態」から考えつくような解答を与えよう。 ● 分業 人は一人では生きられない。 すべての人が武器を取り、お互いがお互いを監視し続けなければならないのならば、他にできる仕事は少なくなる。 災害があるとしても、侵略があるとしても、それに備えるために人は寄り沿わねばならない。武器を持つ者だけではだめで、誰かが武器を作ったり、農作業をしたり、知的...

2006-12-15 17:58:48 (JST) in 法の論理 | | コメント (3) | トラックバック (1)

入札や輸入の条件を緩和し自由にすることで、これまで除外されていた者が機会を得て参入が可能となり、より平等に近づくことがある。 教育の機会を平等にすることで、はじめて、貧しさから脱却する自由を得られる場合がある。 「自由」と「平等」は対立する概念ではない。

2006-11-07 19:19:28 (JST) in 法の論理 | | コメント (4) | トラックバック (1)

特許の要件として進歩性がある。 特許法 第二十九条 2 特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。 「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」を法律用語で当業者と呼ぶ。 当業者にとって容易であるという判断はつけにくいが、容...

2006-03-23 19:37:31 (JST) in 法の論理, 知的財産 | | コメント (0) | トラックバック (0)

努力のような内心にかかわるものは道徳であって、法ではないという議論がある。むろん、内心を完全に知ることはできないが、現実の裁判では内心を判定することは、ままある。 もちろん、それは内心そのものではなく、内心の結果である外観によってなすのではあるが、それを問題視するならば、偽証かどうかを究極的に知ることはできないし、あらゆる証言証拠もまた無効となってしまうだろう。 実際に努力しているかどうかは内心を...

2006-03-21 18:16:26 (JST) in 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (0)

お金を持っていることは、社会からそのお金に相当する何らかの財を購入することが認められた状態と言える。その金額の財を得る権利を持っているとも考えられる。 その金額の財を売る者は売ることも拒否できるはずで、単体ではお金を持つ者に対し財を売る義務があるとは言い難い。しかし、社会としては誰かが潜在的にその義務を負っている状態と考えることができる。 権利の性質をめぐる「利益説」「意思説」の議論で、権利の主体...

2006-03-21 17:16:43 (JST) in 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (1)

大陸法は議員の発案を立法機関で合意する形で発達した。これは制定時には議員が、運用時には市民が、内心で判断できるように、意思形成を重視する形で法体系が整備された(意思表示論など)。その信条は「誠実な内心の動きは保護されなければならない」というものであろう。よって、罰則を与える際の根拠は、社会的制裁よりも自力更正を重視することになる。 一方、英米法は判例法として発達した。その結果、第三者である裁判官や...

2006-02-04 17:38:43 (JST) in 法の論理 | | コメント (0) | トラックバック (1)

「結果」の平等は、一見、「結果」重視に思えるかもしれないがそうではない。これは、同じ「努力」をしたのならば同じ「結果」になるよう、「結果」のほうを操作すべきだという「努力」重視の考え方である。「結果」重視の人々は、むしろ、良い「結果」が得られるように「努力」するべきであるが、得られた「結果」はどのようなものであれ、甘受しなければならないと考えがちである。 「機会」の平等は、ある時点において、それま...

2006-02-04 16:45:26 (JST) in 法の論理, 経済学 | | コメント (1) | トラックバック (2)