aboutme:42353
ははは、私にとって毎月1日はAmazonの日…なのに、待ちきれなくなって街に買い物に出かけてしまった。
JRF 2008年2月29日 (金)
ははは、私にとって毎月1日はAmazonの日…なのに、待ちきれなくなって街に買い物に出かけてしまった。
JRF 2008年2月29日 (金)
おそらく若い人には「自己啓発」など必要ない。それをすれば逆に人格を失う。しかし、人格を失ったように自覚した人にはある種の「自己啓発」が必要なのかもしれない。どうも私にとってのそれは、小言のようなものらしい。
JRF 2008年2月29日 (金)
ただ、私は私が必要とした人のようにはならないだろうし、なるべきでもないだろう。
JRF 2008年2月29日 (金)
私がある人を反射すべき場面において…そういう場面があるとして…私は「地道さ」を身につけておかねばならない。
JRF 2008年2月29日 (金)
それは普通の地道さであるわけがない以上、憎むべき地道さでなければならない。
JRF 2008年2月29日 (金)
ある当たり前の解決について、こういう見方であるというのを「夫婦」の間に置いて、「子ども」や「家族」のためにその一面の真実を自らの真実とする。それは大人の方法だ。だが、私はあくまで当たり前でない部分を拾い出し、それでも解決ができることを傲慢にも示したい。
JRF 2008年2月29日 (金)
モンティ・ホールの見本空間Ωの使い方が、わかったぞ。
JRF 2008年2月28日 (木)
[賞の位置]×[最初の選択]×[モンティの選択] ということで、Ω={A,B,C}×{A,B,C}×{右,左}ととり、選択を変えないのを f_s、変えるのを f_c という関数従属で表せばいい。
JRF 2008年2月28日 (木)
ただし、とても重要な点は、賞の位置と最初の選択が違うとき{右,左}の情報は「使わない」ということ、「一方だけがValid」というわけではないということ。<A,B,右>はよくて<A,B,左>はダメということはないのがミソ。
JRF 2008年2月28日 (木)
それがモンテカルロ法で答えを出すプログラムから「逆算」した結論。
JRF 2008年2月28日 (木)
しかし、同時にイヤなことに気付いてしまった。モンティ・ホール問題は三囚人問題と普通は同じであるということ。昔、私は自分の確率が上がるという囚人の主張のほうが正しいと思っていたのに、これでは変わらないのが正しいということになる。
JRF 2008年2月28日 (木)
ただ、私の昔の答えを正当化する道もあって、それは可能な世界が「見えないところ」で枝かりされていると考えることだ。モンテカルロ法を使ったプログラムにも、そういう主張をおりこむのは簡単だ。
JRF 2008年2月28日 (木)
そういう主張というのは、三囚人問題の場合は、看守が答えたという事実そのものが、可能世界を刈り込んでいるということにでもなるのだろうか。
JRF 2008年2月28日 (木)
でも、プログラムに書くとき、それは「自然」ではない。それはどういうことだ?見えるところがすべて……ということなんだろうか。
JRF 2008年2月28日 (木)
出力以外の部分で枝刈りがなされるような見本空間のつくり方はおかしいということか。いや、でも、この場合、{右, 左}は出力されてないわけではないしなぁ。ああ、わからんぞ、わからんぞ。どう考えればいいんだ。
JRF 2008年2月28日 (木)
ピッタリ直積にならず、Valid な見本空間かどうかをチェックしなければ解けないような問題ってないのかな?
JRF 2008年2月28日 (木)
A×(B×C)×D の B と C のどちらを使うかの情報 D = {b, c} が A の関数従属になっていれば、D を記載する必要はない、っていうか、関数従属 or 空間的利用でなければ使っちゃいけないのか?
JRF 2008年2月28日 (木)
ダメだなぁ。オレぜんぜんわかってないや。
JRF 2008年2月28日 (木)
「使っちゃいけない」って書いちゃったけど、それって何に?事象としての記述に使えない?そんなバカな。ボレル集合の定義とか関係ないだろ。この辺の話は。
JRF 2008年2月28日 (木)
こんなこと書いても無意味だ。黙って考ろ >> オレ。
JRF 2008年2月28日 (木)
モンティ・ホール問題をΩを描いて解こうとするとできない。プログラムに書き出すとちゃんと答えは出てるのだが…。Ωにどういうqueryを出せばいいのだろう?
JRF 2008年2月27日 (水)
「Ωを描く」というのは、ベイズの公式を使うための表を作るとかそういうことじゃなくて、全部の状態を網羅的に書き出して、状態を搾っていって「可能空間」と目的の場合の数を、数えあげるということ。
JRF 2008年2月27日 (水)
Aのドアに商品が入っているとき○××で表すと、Ω={○××, ×○×, ××○}×「何か」という直積で表せるはずだと思うんだけど、うまくいかない。
JRF 2008年2月27日 (水)
ドアの数が増えても、賞品の数が増えても、司会者による暴露がある限り、最初の選択から変えたほうが有利。ただし、最初の選択で賞品の価格が何倍かになるときはバランスできる。
JRF 2008年2月27日 (水)
モンテカルロ法は楽だが、それをどう解析につなげるか…。
JRF 2008年2月27日 (水)
楽だけど、それなりに神経は使うから、何かをなしとげた気になるのが問題だな。わかった気になるってやつだ。もちろん、何もやってないよりはわかってるんだろうが、こういう考えがアブナイんだよな。
JRF 2008年2月27日 (水)
ただ、そういうフレーム付けは映画によって今つくられたものかもしれない。
JRF 2008年2月26日 (火)
今の私が「神託」を得る方法に二つ。一つは、自分の知識にある式だけの適用によって、その式達の限界が折りなす造形を導くこと。もう一つは、理想そのままのモデルを作ったあと、そのモデルから導ける他の事実に目を向けること。数学とプログラミング。今はその二つに「宗教的」安寧を探りたい。
JRF 2008年2月26日 (火)
昔、遊びでやったプログラムが役に立つなぁ。Toy でも、他人が使うために作ったプログラムは、テンプレートとしても便利だ。
JRF 2008年2月25日 (月)
ダメだな。ココロ。言ってることがまともすぎる。もっとキワどいこととかワケわかんないこととか言ってくれよぉ。ヤバいことを書いていたら、担当者が消すぐらいの感じで。
JRF 2008年2月25日 (月)
CMカット→DivXという流れだと、AviUtl を使えば簡単ということがわかった。付属の PowerDirector Express でのエンコードがムチャクチャ時間がかかる(というか止まっていたようだ)ので、そういうものかなぁ、とあきらめてたが、それはバグだったらしい。
JRF 2008年2月25日 (月)
GV-MVP/RX2 で録画して、即 AviUtl で OK。MPEG-2 VIDEO VFAPIPlug-In と LAME 3.97 Release ACM codec を install しておくことで作業ができる。
JRF 2008年2月25日 (月)
もしくは mAgicPlayer で CM カットしたあと TMPGEnc-2.524.63.181-Free で OK。ただし、TMPGEnc を使うときはインターリーブを1に設定しないと再生できない機器があるらしい。
JRF 2008年2月25日 (月)
しかし、問題は将来のメディアプレイヤーにDivXのサポートがついているかどうかだな。オペラの録画とかの分数を考えるとライブラリを DivX で作ることには合理性があるけど、使えなくなったら元もこもないからな。
JRF 2008年2月25日 (月)
…それ以前に作業にCPUを使われること自体がかなり面倒でもあるんだけど…。とりあえず、ライブラリを移す作業ができることはわかった。
JRF 2008年2月25日 (月)
『秒速5センチメートル』を見た。見終った。色男。羨ましい。そんな人生もあるんだろうなぁ。と途中まで思っていたが、最後は、俺もまだまだがんばらないとイケナイなぁ、と思い直した。
JRF 2008年2月25日 (月)
気持ち悪いかもしれないけど、ある種の男は、幼い頃の恋心を秘めているものなのですよ。そして、それが…「彼女」がどうなったとしても…自分のモチベーションを支えている。探す想いだけが残っている。この映画で私はそういうことに気づかされた。…結婚した人はどういう感想を持つんだろう?
JRF 2008年2月25日 (月)
えーっと、本当にそれは気持ち悪い心の作用なのですよ。
JRF 2008年2月25日 (月)
だから、自分で意識してまでもそれを他の作用で上塗りする。そういう人は「幼い」ということなのだろうな。でも、誰しも「幼い」と思う部分はあるから、こういう映画が受け入れられるのだろう。
JRF 2008年2月25日 (月)
やはり一歩がなかなか踏み出せない。数学もプログラミングも手につかない。相互作用で睡眠時間のコントロールをしっかりすることも狙っているのだが…。
JRF 2008年2月24日 (日)
えひめ丸の事故のときは私もいきりたったようになっていた。今回はそれほどでもない。私は国籍によるコンプレックスを持っていたのか、それとも単に鈍感になったのか。
JRF 2008年2月22日 (金)
病院に行った帰りに街に出た。目あてのCDを置いていたはずの店が定休日だった。というか、なんばCITY全体が定休日…本気ですか…。
JRF 2008年2月21日 (木)
書店で本をパラパラ読む。自分の知識のなさと、やりたいことに本来必要な知識の多さを痛感する。さしあたってその知識を得るための本の値段にトホウに暮れる。…まぁ、今ある本を読んでからと思うことでやりすごす。
JRF 2008年2月21日 (木)
でも、洋書を買うことにくらべれば安いんだけど。
JRF 2008年2月21日 (木)
私のはてブにタグ[よくわからなかった]を追加したほうがいいんじゃないかと思うほど、わからないを連発している。
JRF 2008年2月21日 (木)
「脳梗塞の患者にとって音楽は重要」ってたいした記事じゃないのかな。若いころはそういうことなかったんだけど、最近、頭の中にひっかかりみたいなのを感じる(本当は中が感じることはありえない)ことがあって、音楽を聞くとそれがプチプチとときおり音まで立てて解消されることがある。
JRF 2008年2月21日 (木)
今聴いてるバッハもそんな感じで、finalvent 氏だったかがバファリンと引っかけるジョークを書いてるのを読んで、ああ、そうなんですよ、とか真に受けてた。
JRF 2008年2月21日 (木)
はてブ、とかで「わからない」と素直に書くのは、著者への文句ではなく、自分がわからないままブクマしたことを記録しようとしているからなんだけど、…文句に受けとられるよなぁ。でも[あとで読む]というのとも違うし。まぁ、でもそう婉曲に表現するのもありだけど…、そういう配慮はやりすぎとも…
JRF 2008年2月21日 (木)
[アイデア]プライベートモードって大事だ。たとえばおもむろに羞恥心がわきあがってきて過去の記事を消したい衝動に駆られたとき、たとえGoogleのキャッシュに残っていようと、自分の意志としては隠そうとしていることを表示できる。
JRF 2008年2月21日 (木)
血縁淘汰が有利になるような威圧ってなんだろう。起きやすい「変異」のうちに巨大な致死圧力がある場合だろうか。ただし、遺伝子レベルで起きやすい変異はないとすると、これは「変異」というよりはヘテロ接合として表現されるだろう。…そういう危険性を持った二つの「種」が合流したということか。
JRF 2008年2月20日 (水)
そのようなリスクがないものと、あるものとの発展がそれぞれにあるということが考えられるか。特にリスクのあるものがどう発展すればいいのだろう。よりリスクのないものに献身的である場合だろうか。…これは、ちょっと結果から判断しすぎているかな。
JRF 2008年2月20日 (水)
劣性遺伝が発現しやすいのは、もちろん発現した個体が問題となる人間ではダメだが、家畜や実験動物の場合、むしろ問題がわかりやすくなっていいだろう。コスト面で問題なければマーカーとしては役に立つだろうに。…人の場合はむしろマーカーになってしまうのが問題なのかな?
JRF 2008年2月20日 (水)
長期的には異常の排除がしやすいため、逆に他「種」との交尾において生まれた個体の頑健性が損われる…学習的に生命力を得るのが難しい場合が出てくる…のかな?
JRF 2008年2月20日 (水)
NATROMさんのシロアリに関するブログを読んでちょっと考えたシダイ。
JRF 2008年2月20日 (水)
どちらかというと生物と有機化学は不得意。今になっていろいろ関心がでてきた。核物を頂点とする物理・数学こそロマンだったのですよ。若いときはね。で、いろいろ脱落して情報系に。っていうと情報系の人に怒られそうだが、事実ですから…。
JRF 2008年2月20日 (水)
あ、でも、そのころの情報系は人気だったので、そこに移るには成績が必要だったんですよ。まぁ、いろんな科目の講義で稼ごうと思えば稼げたので、受験ほどキビしくはなかったんですけど。
JRF 2008年2月20日 (水)
だから、正確には物理・数学の専門に進む道もあるにはあったんですが、とてもそこで「商売」ができるようになるほどの自信は消えうせていたということで。
JRF 2008年2月20日 (水)
で、「商売」につながりそうな情報系に行ったのですが、何の因果か…。いや、私が悪いんですがね。いろんな意味で。
JRF 2008年2月20日 (水)
昨日にひきつづきヤってしまった。ダメだな、オレは。大切な電話にまともな対応ができなかった。
JRF 2008年2月20日 (水)
「血縁淘汰」の話。ヘテロ接合で致死性が発現するペアを作り出したあと、ペアを分離し、それぞれをホモ接合になるように個体数を大きくする。両者に表現型の差異なく、環境を作れば交接するように確認しながら大きくする。準備後、両集団をまぜあわせて「進化」をみる。
JRF 2008年2月20日 (水)
すると、その後はお互いに区別できるようにするための表現型が発達してきて、その表現型の遺伝子は致死の原因となる遺伝子と同じ染色体にあるようになる…とか。まぁ、そんな時間のかかる実験はできないし、それ以前に私の論理にマチガイがありそうな気がする。
JRF 2008年2月20日 (水)
あとこれができるなら、致死性が1/2とかである場合などどうなるかも興味深い。
JRF 2008年2月20日 (水)
というか、こういうのをパパッとコンピュータでシミュレーションできるようになりたいなぁ。
JRF 2008年2月20日 (水)
そのシミュレーションが現実を予測すればいいけど、その必要はない。どうせ生の実験ができるわけでもないしね。モデルをつくることで私の論理の導出過程のマチガイが見つかることがある。理想的な状況をわざわざつくるんだから理想とした結果が出なけりゃ私にまちがいがあるってこと。
JRF 2008年2月20日 (水)
で、論理さえあっていればブログの記事ぐらいにはできるだろう…と。
JRF 2008年2月20日 (水)
アブラハムとサラの性病による不妊と、割礼による治療というストーリーは簡単に想像できるけど、イシュマエルの誕生の位置によって、慎重にそうではないという示唆がなされているのかも。「異邦人」の王宮での治療をまねた可能性は否定できないけど、それが割礼であるという順序にはなってない。
JRF 2008年2月20日 (水)
ただ、いろいろ「無意識的」に試そうとしていたとは読めるかもしれない。
JRF 2008年2月20日 (水)
ちょっと逸れすぎた。
JRF 2008年2月19日 (火)
ボルツマン分布を離散的なモデルで表す。すると、昆虫などの飛行を表すためのヒントが出る。ということは…ないかな。
JRF 2008年2月19日 (火)
ボルツマンマシン…名前は聞いたことあったはず。なんでそれが出てくるんだか。
JRF 2008年2月19日 (火)
またやってしまった。本当、基本的なイイツケも守れないやつだな、私は。
JRF 2008年2月19日 (火)
とりあえず大学二年生ぐらいでやる実験のような位置付けで、先に誰かがやっているのはあたりまえだけど、あたりまえであるがゆえに資料にあたる必要もほとんどない。英文の資料は本当に興味がある場合のみあたる。まぁ、そういった位置づけで、最終的にブログのネタにできれば上々。
JRF 2008年2月18日 (月)
ただ、数学やプログラミングのリハビリも兼ねているから、ゆっくりとしたペースで、精神的な負担にならないようなペースでやる。八月ぐらいに来年のはじめぐらいに仕上げるものの目標を決められればよい。資料あつめはまぁ、目標を達成してからでもいいということで。
JRF 2008年2月18日 (月)
四月までは…できれば、その日「数学」「プログラミング」「その他」「何もしない」のうちどれをやったかをレコーディングする。というのを試してみようかな。それは2月22日以降やってみようと。
JRF 2008年2月18日 (月)
あとPCの電源を入れたかどうかもレコーディングしよう。ちなみに現在は就寝・起床時間・睡眠剤の量をレコーディングして診察時に医師にみせている。もちろん、それとは別でレコーディングする。
JRF 2008年2月18日 (月)
初等的なことをやる。謙虚さを忘れてはならない…、いや、それを思い出すためにもやるということにする。するべきだ。…つまり、私は高慢だったのか。
JRF 2008年2月18日 (月)
高慢さは昔からあった。だが、これも高慢さだというなら、ブログを書けなくなって、その前からプログラムをやらなくなって、ブログを書きはじめたことが救いをもとめたことであったとしても、ほとんど反応が得られないことを謙虚に受けとめるのに十分でなかったことは、高慢の過程だったのか。
JRF 2008年2月18日 (月)
違う。単に努力が足りないだけだな。
JRF 2008年2月18日 (月)
私にひがみがあるな。それを抑圧している。勝つ必要はないがスクラムには勝てない。スクラムと認識した時点で負けているという話もある。で、そういう話を持ち出した時点でオワってるから、抑圧している。この点は正しい。が、それがストレスにもなっている。
JRF 2008年2月18日 (月)
でも、ストレスそのものが悪いわけではないが、種類ごとの被曝量を調整しないといけない。逆に考えて、私がストレスになっていることはないか。自意識過剰な面はあるが、私のような人物がある程度いれば、私がこういうことに気付いて変わるということがありうるなら、行動をとってみるべきかも。
JRF 2008年2月18日 (月)
…。いきなりですが、ごめんなさい。
JRF 2008年2月18日 (月)
うん、まぁ、これは意味がないな。でも、意味がないはずだから挟んだっていいはずだし、定期的に挟むと私の精神にとって何かいい効果があるかもしれない。罪悪感を軽減できるから。
JRF 2008年2月18日 (月)
いや、ダメだな。書くときは私にとっては抵抗ない(まぁ、これも抑圧しているからかもしれないが)けど、読むときは、イイ気分になるな。これはイケナイ。
JRF 2008年2月18日 (月)
ワクチンに関するモデルで、ワクチンによらない獲得免疫の遺伝があるとする場合、その獲得の感染というか学習というかと遺伝・消滅はどう表せばいいのだろう。
JRF 2008年2月17日 (日)
無意識学習って言ったら何かアレだが。
JRF 2008年2月17日 (日)
ワクチンがあることで、そういったものは、あるとすれば、消えてしまうと示したいわけだが。
JRF 2008年2月17日 (日)
「自分の言うことの重要性と客観性を過大評価する」人間。あーそれオレだよ、オレ。
JRF 2008年2月17日 (日)
どうやって治せばいいんだろ。逆側に思い込もうとしてもダメだし。
JRF 2008年2月17日 (日)
親が子に対して平均への回帰を遮断するとかする必要があるのだろうか。あるとしても、子が生まれるときや、生んですぐの認知的不協和が何か影響するだろうか。そして子の何に影響するのだろう。結婚?で、それをどうモデル化できるのか。
JRF 2008年2月17日 (日)
あるバイアスが存在するとき、そのバイアスがないと推定できる集団が観測できる?分布の形がまるで違うとか?隠されているはずのマーカーに反応するのが、その集団だけとか?後者はかなりSFだな。本当は隠れてないってだけで。
JRF 2008年2月17日 (日)
が、真に乱数的ならば反応するといったときは違うか。…でも、それは分布が違うってことだから、前者と同じか。いや、でも積分的効果があって…うーん、電気理論とか想像しちゃうけど違うかな。
JRF 2008年2月17日 (日)
まぁ、私がここでやってるアイデア出しも、近いことは意識しているかな。他の人がやっていることを参照する期会が多くなる「作業」には、十分アイデアを「積分」してからじゃないと移らないようにするってね。まぁ、限界(って微分じゃないよ)も示唆されるわけだが。
JRF 2008年2月17日 (日)
ロスカットっていっても、結局私が評価を下しているわけだからなぁ。まだオラクルに頼る段階ではないというか、私のやろうとしている範囲ではその必要なもうないということもあると思う。
JRF 2008年2月17日 (日)
もちろんその配剤は、相互作用によるもの…いや、相斥作用とでもいうべきか。平衡状態が「非平衡定常状態」を含まないということが一般的な世の中では、そういった新しい言葉がいるだろう。
JRF 2008年2月16日 (土)
別に新しい言葉でもないかな。中国語では使われているよう。
JRF 2008年2月16日 (土)
コレコレというパッケージはdefaultにして欲しいなぁ。というのはよくあるダメな要求なんだろうけど、つい、言いたくなる。…はぁ、めんどうくさい。
JRF 2008年2月16日 (土)
プログラミングもだいぶ忘れている。再修業にどれだけ時間をかけるか…。
JRF 2008年2月16日 (土)
いろいろバージョンアップすることを考えると、チェックしなければならないことの多さに鬱になるな。
JRF 2008年2月16日 (土)
数学とプログラミングの訓練か。なんというか…いやぁ、道は長いっスよ。とりあえず今月はパスな方向で。メンタル部分の下地をつくるのが先。って何チューショーテキなこと言ってんだか。
JRF 2008年2月16日 (土)
認知的不協和をわざとつくりだすというのは、むしろ乱数に頼ったほうが「確率」が高くなることにつき平均への回帰を遮断するという「祈り」の一種なのだろうか。
JRF 2008年2月16日 (土)
用意をしたうえで、判断と記憶を「殺し」、「神」というか無意識に身をまかせる。って「祈り」というよりは「魔術」かな。
JRF 2008年2月16日 (土)
いや、「まつり」か。でも、まつりというには Personal すぎるか。
JRF 2008年2月16日 (土)
私の体験は正しくは強制ではないか。多くの強制連行を「強制」と呼ぶ意味において強制かもしれないが。奇跡が起こっていると認識するのを許可した覚えはある。そういう「病」のとき以外は、許可しても無意味だったのにそのときは…。
JRF 2008年2月15日 (金)
告白すると、ときどきそういった「奇跡」を懐かしむことがある。精神的にはあまりよくなさそうだし、なにより、そういう状態になったら親をはじめ周りに迷惑がかかるのだけれど。
JRF 2008年2月15日 (金)
その辺は心の弱さなんだろう。…病いに対する弱さというのではなく、つい自己承認を求めてしまうとかいったような弱さ。
JRF 2008年2月15日 (金)
良心によって支えられているものには不安がある。モラルの低いものでも子の生活を支えられるなら、何十年というスパンで見た場合、親としてはそのほうが頼りがいがあると思うのは、自然さがある。
JRF 2008年2月15日 (金)
遺伝は突然変異が消えやすいという特徴がある。しかし何らかの奇跡が確定し、特別に残るようなものがあるという前提を入れると変わってくることも示せそうな気がするが…難しいか?分布の精度をよくすると救われるものがあるというぐらいのことしか言えないか。
JRF 2008年2月15日 (金)
眼を様々な種が獲得する過程において、「眼」という(奇跡的な)ものが存在するのかもしれないという「認識」が、その方向に「イメージによる進化」しようと bet する個体を増やしたということはないか。
JRF 2008年2月15日 (金)
進化においても奇跡があったという確信が犠牲の様式を決める、そんなことがあったのではないか…。
JRF 2008年2月15日 (金)
進化生物学を学んでブログで発言している人はすごいといつも思う。「性選択」について誰か彼らが批判する機会を提供すれば、もっとおもしろい意見がきけることと信じている。彼ら、または彼らをうんだ周りの環境には、きっと彼らが望むような大事業の芽があるに違いない。
JRF 2008年2月15日 (金)
そう思わせる気骨と優秀さがある。私はそういったところから脱落してしまって何の協力もできないけれども、応援したい。…こう書いて強制的に自分を落ちつかせないと、我を見失ないかねない。
JRF 2008年2月15日 (金)
自らの抑圧して誤解を誘うのも、誤解から嫉妬をおこさせるのもテクニックだ。埋めがたい溝がたとえできても必要な関係は続けることができる。そういう「歴史」の認識をぶつけられる。それが性に関して唱えられるとき、有史以前から動植物の「進化」をコントロールしてきた事実を想う。
JRF 2008年2月15日 (金)
アブラハム、サラ、イサクとガネーシャの物語を念頭においている。ただし、後者の物語は進化に関しないということが示唆されているようにも思う。
JRF 2008年2月15日 (金)
奇跡に様式はない。あるとすれば奇跡として受け留められやすい形式があるというだけだ。犠牲は様式を必要とされる。犠牲が内心だけのものであったとしても、それは幸福感の否認である。そのようなものまで含めて過度な犠牲があり、社会の信用のためにそれは避けられるべきだからだ。
JRF 2008年2月14日 (木)
さらに犠牲によってどこかに利益が生じるとき、その上、分配を必要とするような利益であるときはとくに、政治性が生じる。その利益を求めることは犠牲を求めることに等しく、それを避けようと利益を「必要のない芸術」に分配しても結局その利益を求めるものが出てくる。
JRF 2008年2月14日 (木)
そのような利益が出ないように、または、コントロールしやすいようにするために様式を定めるという側面もありうるだろう。
JRF 2008年2月14日 (木)
耐性を付与した個体とそうでない個体を感染の相関が高い状態におく、そのときの感染の相はどう変わるか、さらにそれが子孫を「自然に」or「人為的に」残す場合に遺伝に与える影響はどうなるか?
JRF 2008年2月14日 (木)
誰でも気付くように人は犠牲として生きることを強制される瞬間がある。そして私の体験からすると生を奇跡として認識することも強制されることがある。ただし、それは後から見れば犠牲者となったに過ぎないのだが…現代においては…いや、おそらくいつの時代においても。
JRF 2008年2月14日 (木)
受動的に生きることの「選択」は能動なのだろうか。では能動的原理とは何だろう。「肉による思考」だろうか、でもそれは分裂症的に感じる。
JRF 2008年2月13日 (水)
LDのモンテヴェルディ: 聖母マリアの夕べの祈り(ガーディナー指揮)をDVDに移す作業をした。取り扱いが面倒なLDで、さらに合唱に今ほど感じないころに手に入れたものだったので、聴く機会がなかったが、ふと思い出して聴くと実に良かった。昔はこの良さがわからなかった。
JRF 2008年2月13日 (水)
でも、この作業は面倒だ。他のLDでもやるべきか迷う。
JRF 2008年2月13日 (水)
神の痛みを私が見出す、というのは確かに能動的なのかもしれない。でも見出さないものには犠牲の十分性を認めないのか?
JRF 2008年2月13日 (水)
見出さないもののために、自分が犠牲を引き受けているこということか。…うーん、それをそうだとしておいて、奇跡についてはどう考えればいいんだろう。
JRF 2008年2月13日 (水)
新しい奇跡に参与する。子を産むことであったり、育てることであったりするのかなぁ。それを自然に行ってしまうこと。うーん。
JRF 2008年2月13日 (水)
自然であることを選択しようとすることは自然ではないし、自然でないようにするのはもちろん自然でないことが多い。禅かよ。ここから能動性はでない。
JRF 2008年2月13日 (水)
ある人にとっての自然さには習慣の役割が大きい。習慣は社会との関わりの中で形成される部分が大きい。「奇跡として生きる」ことに対応する能動性はある社会への参与の能動性に還元できるのかもしれない。すると、聖餐や洗礼に致ったということが大事か。…少し飛躍しすぎか。
JRF 2008年2月13日 (水)
また私は知識のなさを露呈している。顔を最初につけることを推奨するブログのシステムってそこかしこにあったのか。
JRF 2008年2月12日 (火)
犠牲として生きることに対するのは、奇跡として生きるということだろう。とるにたらない自分を奇跡として感じることだろう。
JRF 2008年2月12日 (火)
が、そういうキーワードを使ったところで、何の指針になるのか。
JRF 2008年2月12日 (火)
大きく私を支えているのは自己に対する「社会資本」の整備の理論だ。機会なく余剰があるなら投資にまわせば良いというものだ。もし「国が物価高」、具体的には親の収入がなくなる事態になれば、必要な労働にきり返れば良いというものだ。
JRF 2008年2月11日 (月)
だが、きり返るまでにはタイムラグがあり、その間も生活を支えねばならない。もし、その間生活を支えれるなら、その前からも生活を支えられるはずなのだ。
JRF 2008年2月11日 (月)
私の働かない言い訳は破綻しており、犠牲の理論は自己に適応できない。それでもまだこんな状態を続けている。どこか国の経済にも思いあたるが、それは妄想が過ぎるだろう。
JRF 2008年2月11日 (月)
永遠の火に相当する罪なんて、人ごときにありえるのか?自分にもその可能性が開かれているというのは、いったい何を望んでいるのか。
JRF 2008年2月11日 (月)
辛い。セルフリミッター発動中でAmazonが使えないのが辛い。このままだと、Amazon にはいかないけど、わざわざ街に買い物にいっちゃいそうだ。交通費を考えると Amazon 使ったほうが安いのに。
JRF 2008年2月11日 (月)
犠牲を求める心理とは何なのだろう。人身御供さえ意味する自己犠牲がなければ足りないと感じる、その由来は何なのか。罪があればわかりやすい、やまぬ不幸があればわかりやすい。罪も不幸もそれほどないとすれば、何が残るのだろう。
JRF 2008年2月10日 (日)
犠牲としていきることを選ぶこと。それをなぜ尊いと思ってしまうのか。
JRF 2008年2月10日 (日)
何によってこの感覚がつくられたのか。たくまずしてできたことに意味を見出す。今という時代にあっては危ういことが、この感覚を支えているのではないか。その模範を形にすることにどれだけ実物の支えをしているか。それは必要ないのか。犠牲である以上、そういう支えをたくんではいけないか。
JRF 2008年2月10日 (日)
そしてそれを自己に適用するとき、それは「逃げ」であることが明白にも思える。それ自体がワナなのか。それがシステムなのか。
JRF 2008年2月10日 (日)
宗教的なものを探す弱い自分がいる。しかし、動いてまでは探さない。それがまちがいだとわかっていても、もう一つのバイアスに抑圧されている。
JRF 2008年2月10日 (日)
他人にあたれる人は抑圧がないと思う。では、私にある抑圧とは何で、なぜ必要なのか。恥ではない。もっと社会「学」的な理由を見つけたがゆえに設定したのだ。それは他人があたっている自分をどうみるかだけではない。それが他人の「眼」を通して自分をかえていってしまうからだ。
JRF 2008年2月10日 (日)
では結局、私のモチベーションの問題であるのか。ある意味そうだ。なりたい自分があるのだ。だが、それはあるべき社会につながっていたはずだった。だが、実際は社会につながっているとはとうてい思えない。それでも自己の完成を求めるのは矛盾していないか。
JRF 2008年2月10日 (日)
少し鬱になって、でもそれほど落ち込んでもいない、というときに、音楽でも聞こう、どういうのがいいかなぁ、と思って選んでいると、手に取るのが、シューベルトの合唱曲や交響曲。ロマンティックってことなんだろうけど、私にはイイ具合に優しい。
JRF 2008年2月 9日 (土)
微力ながら地方の政治を応援したい。何ができるのだろう。別に使い捨てにされるのはかまわないが、役に立たないことをとらえられて都合よく言い訳のために何かをやり、それが去るべきものが去らない理由にされるのはいやだ。でも、それが贅沢なんだろうな。
JRF 2008年2月 9日 (土)
シューベルトの「未完成」に奈落を見る人は、シマノフスキをどう聴くのだろう。
JRF 2008年2月 9日 (土)
経済学まで手を出すとあやうい。自重だ。自重 >> 自分。若くないし、その上、体も弱くなっているのだから。
JRF 2008年2月 9日 (土)
でも、誰か、「若手」が出てこないかなぁ。
JRF 2008年2月 9日 (土)
いろいろと議論が沸いているということは、出てきているんだろうが、私には見えてないということなのだろう。
JRF 2008年2月 9日 (土)
モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」のDuo Seraphim、それだけが好きというわけではないが、こういう曲って他にないのだろうか?クィリスマ(?)を使っている曲。こういうのが流行して、それを得意とした作曲家もいてそうなものなんだけど。
JRF 2008年2月 9日 (土)
いや、こういうのは即興の一種であまり残ってないのかな?
JRF 2008年2月 9日 (土)
今日は他の人のブログが心にしみる…。なんとなくスターはつけてないけどね。
JRF 2008年2月 8日 (金)
自己愛が足りないというのは違うなぁ。むしろ過剰なほどだ。そうやって自分を支えている面がある。ただ、隣人愛どころか他の人への愛(性愛)を知らないがゆえに、自己愛もまた成熟してないということはあるかもしれない。
JRF 2008年2月 8日 (金)
昨晩から左胸の帯状疱疹あとがイガイガするというか軽くウズく。
JRF 2008年2月 7日 (木)
マクスウェル=ボルツマン分布で自由を説明しようとしている人もいるのか。でも相互作用があるかないかは自由にはあまり関係ないのでは?なんで正規分布には批判的なんだろう。相互作用があっても和でみていれば正規分布的になるだろうに。
JRF 2008年2月 7日 (木)
ちなみに『熱力学で理解する化学反応のしくみ』(平山 令明, ブルーバックス, 2008)の話ね。
JRF 2008年2月 7日 (木)
読みたかった本で手ごろに読めるものはあらかた読んで、少し空白ができた。不安感のようなものがつのる。さて、ここからは気合が必要だ。
JRF 2008年2月 7日 (木)
ああ、私の知識のなさは相当なものだ。働いたことで知識を得た者となんと差がついてしまったことか。黙ることはしない、が、それが人を迷わすことの害の補償が私が払える用意があるなら向けられることは覚悟せねばならないだろう。
JRF 2008年2月 7日 (木)
そして払うことはまったくできない以上、それはサイレントテロ(サイレントではないが)と呼ばれてもしかたないだろう。
JRF 2008年2月 7日 (木)
自分のことでせいいっぱいだ。というか、他の人のために本当に役立ったことがあったろうか。
JRF 2008年2月 7日 (木)
「美しい」象徴で生活を囲んで安心を得ようとしていないか…。それほど悪いことではないかもしれないが、少しの安心が得られたのなら、少しずつ量を減らしてそれで安心を得られるようにしていったほうが、後の生の安心につなげることができるのではないか。………
JRF 2008年2月 6日 (水)
「音楽史」に分類されるものはダメだ。バッハが良く思えるようになった今でもそうだ。モテットとか無伴奏なものは特にそう。このあたり室内楽曲と同じで実際音楽やってる人じゃないとわかんないんじゃないか…とかヒガむ。でもモンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」はイイ。演奏によるかも…
JRF 2008年2月 6日 (水)
サイエントテロか…。どうやって稼げばいいんだろう。昔の私は、くだらないものかもしれないけど、もっと夢があった。でも、ちゃんとした生活をするのがまず最初だな。学校にでも通えれば…とかもときどき思う。
JRF 2008年2月 6日 (水)
いや、ときどきなんだけど、高校や大学に、今の私がもう一度通うという(寝たときの)夢を見る。それで単位がたりなかったりしてオロオロしている夢。
JRF 2008年2月 6日 (水)
教える側には絶対になれないしな…。
JRF 2008年2月 6日 (水)
単純労働。「それでもいいと思っている」といいかける自分の、侮蔑的まなざしを知る。働くことへの尊敬とそこからの疎外感が、そういう感情ともないまぜになっている。
JRF 2008年2月 6日 (水)
上位15%以内だけが重要なら平均を1増やすより分散を1増やしたほうがいい。しかし、分散を1増やす意味は難しく、それを求めればまず評価方法の変更が画策されるだろう。で、それが求める部分の分散がえられるかといえばそうとは限らない。
JRF 2008年2月 5日 (火)
また「教育」において、教師は下側の分散については小さくし、上側の分散については大きくしてもかまわないと思っているはずで、それは教育にも反映されているはずで、そこを考えればχ2乗分布のようになりそうだが、結果としてはそれでも正規分布になる。
JRF 2008年2月 5日 (火)
一つには教育は絶対的な平均を上げる過程なので、上の分散を大きくしようと、その他に対して少しでも気を緩めると簡単に絶対的な平均が落ちてしまうこと、下に行かないことにする効果が大きいことがあるのかもしれない。
JRF 2008年2月 5日 (火)
あと集団がより大きな集団に含まれていて、より大きな集団が「誤った」戦略として分散を大きくしようとしているとすると、小集団がすでに上位にあるなら分散を犠牲にしても小集団の平均を上げたほうが、その戦略にひっかかりやすくなるということはあるかもしれない。
JRF 2008年2月 5日 (火)
この辺はちゃんとモデルで考えないとダメだな…。
JRF 2008年2月 5日 (火)
重積分、昔はよくわからない部分があったのに、今はわかるなぁと思って読んでたら、ベクトル解析のところでつまづいた。ココだよ。ココ!
JRF 2008年2月 5日 (火)
それでベクトル解析の参考書も買ったんだけど、結局それはあまり使わない道を選択したので手をほとんどつけなかった。これをやらないとなぁ…というのはずっと思ってるんだよな。;
JRF 2008年2月 5日 (火)
時間の使い方というのは、限られているけど拡張もできるという点で、下で「温度」という言葉で表したかったものに似てるかなぁ。
JRF 2008年2月 4日 (月)
平均を犠牲にせずに分散を大きくする…温度を上げるということ?
JRF 2008年2月 3日 (日)
ダイレクト・インストラクションのよさっていうのは、到達度のわかりやすさと連帯意識の醸成にあることしか表面的にはないと思う。しかし、その平均を強制する「外部効果」として生徒どうしの教えあいや教師の余祐につながるなど、そこ以外の分散を大きくする作用があるのではないか。
JRF 2008年2月 3日 (日)
まぁ、もちろん軍国主義教育の残滓としての性格もあったんだろうけど…。ただ、皆兵主義だからこそ底を上げる必要とその余地がありそれに有効な教育がうまれたわけで、現代の支願兵中心の軍隊からは別のメソッドがうまれるのかもしれない。
JRF 2008年2月 3日 (日)
「読み」については底上げすることを欲する層もそろそろいるのではないか?
JRF 2008年2月 3日 (日)
確率の操作について記事を書きたいなぁ…と思ってはいるのだけど、力不足。
JRF 2008年2月 3日 (日)
むしろ平均を保って分散を大きくするというイメージは圧力を下げても温度を一定にするというイメージかなぁ。いや、温度と結びつけるのはちょっとおかしいかな。ちなみに淘汰圧という言葉、私は違和感ありまくりだから、その辺、私がわかってないのだろうな。
JRF 2008年2月 3日 (日)
物理学とは縁を切って久しいが…。まぁ、ごく自然な態度で思い出せるところは思い出してぐらいにしとかないと、また時間がなくなる。
JRF 2008年2月 3日 (日)
「淘汰威圧」といえばまだわかるかなぁ。でも残すとしたら圧じゃなくて威のほう、「淘汰威」という感じなんだよな。そうすれば、数値で表してしかも比較できるとすることへの私の違和感が表現できる気がする。
JRF 2008年2月 3日 (日)
影響がもっとも小さいのは工場の問題とすることだったということはありえるかな。
JRF 2008年2月 2日 (土)
ダイレクト・インストラクション(DI)って軍隊での訓練がもとになっているのかな?
JRF 2008年2月 2日 (土)
月しょっぱなだが、Amazon もうセルフリミッター1万円ギリギリ使いはたしました。今月、ガマンしきれるだろうか。
JRF 2008年2月 1日 (金)
1968年刊の『推計学のすすめ』(佐藤 信, ブルーバックス)を読んでいる。
JRF 2008年2月 1日 (金)
はじめのほうに出てくるパンの話で、規格化のススメが出てくる。分布の悪い方のスソを切るようにしようという話だ。平均を上げるにはコストがかかるから、分散を小さくすることが「正義」なんだという話が出てくる。
JRF 2008年2月 1日 (金)
でも、その章のトビラにあるように「公平」にするなら量り売りをするという方法もあり、分散を小さくする工程改善にも金がかかる。結局、どれがいちばんコスト安かという問題だ。
JRF 2008年2月 1日 (金)
そこで規格化を通じた工程改善を「正義」としたのは、たぶんに科学のコトバを用いた政治であって、昨日書いたような操作をするぐらいなら、それらを別の商品として扱えるようにするから心配するな、ぐらいの意図があったのかもしれない。
JRF 2008年2月 1日 (金)
特に思いいたるのが、これがパンを例としていたこと。我々が知るように、まさにこのパンこそ 80 年代以降、工業化すなわち規格化から、再度手造りへと辿っていったものだ。
JRF 2008年2月 1日 (金)
その背景には輸入できる小麦が良質になったということがあるのかもしれない。ちなみに、それが昨年のオーストラリアの不作で危機にあるかもしれない、と。
JRF 2008年2月 1日 (金)
あと今日の昼のニュースでやっていたブランド果実の話。あれは逆に分布の良いほうだけをとることで、むしろ最初はバラツキのあるほうが良く、売れるようになったら、じょじょに平均を上げて改善するという話なのだろうか。
JRF 2008年2月 1日 (金)
重要なのは見わける目、検査機器の問題。
JRF 2008年2月 1日 (金)
いや、分散をどのような方法で大きくするのかも問題か。「良い」もののとなりが「悪い」、例えば薬品漬けになってるとか…。
JRF 2008年2月 1日 (金)
生物だから、いろいろ工夫のしかたもあるのだろう。…ほんと、どうやってるんだろう?
JRF 2008年2月 1日 (金)