aboutme:72383
病院に行って、街にでた。今日は「無駄使い」をやっとがまんして帰ってきたつもり…。前は何も買わずに帰ってきたこともあった、というか、ほとんどそうだったことを考えると、出費が増えている。病院から街が近くなったのが恨めしい。って、お前がしっかりしろ!>>オレ。
JRF 2008年7月31日 (木)
病院に行って、街にでた。今日は「無駄使い」をやっとがまんして帰ってきたつもり…。前は何も買わずに帰ってきたこともあった、というか、ほとんどそうだったことを考えると、出費が増えている。病院から街が近くなったのが恨めしい。って、お前がしっかりしろ!>>オレ。
JRF 2008年7月31日 (木)
前は関心が違うといって避けた文庫本が、「良い」と某所で紹介されていたので買ってくる。チラと見ても、ラビの解釈はすごいな。私の解釈の「幼さ」を省みてしまい、恥かしくなる。
JRF 2008年7月31日 (木)
だが、幼い解釈でつまづくものもいるのだから、日本語のネットにないならば、私が解釈を書いてもまったく意味がないことはないだろう。…と自分を取り繕う。ってゆーか、有害情報?…そこは私なりに気を付けてるつもりなんだけど。有害なところは「雑記」に隔離したり。
JRF 2008年7月31日 (木)
新生と呼べる気付きなのだとして、自らその責任を負う。釈尊の「悟り」にそういう面があったと私などは想像する。釈尊の悟りが悟りのイデア(理想型)として、先の「気付き」は、イデアの投影の一つということでよいはず。
JRF 2008年7月30日 (水)
もう少しイデアの方向を「想い出す」ことにすると、悟ったこと自体が社会というか世界に決定的影響を与える、ようなことが釈尊においてあった、ということだろう。
JRF 2008年7月30日 (水)
ギリギリ「正常」な範囲で語れば、過去私が書いた《イメージによる進化》において漠然としたイメージでしかなかったことに、決定的なイメージを与えた……はむしろイエスか。
JRF 2008年7月30日 (水)
観察する者が変わることで世界が変わり、私も変わる、私が変わっていれば世界がその時変わっていなくても意味がある。…《シュミレーション・アーギュメントを論駁する》のほうが近いかな。あれは「「私は変わらない」で良い」という結論でも良いようにしたんだけど。
JRF 2008年7月30日 (水)
少し「異常」というか信仰の領域に踏みこめば、それから先に生きる全ての者の転生に影響を与える、どころか、過去さえ変えるというか過去に生きていた者にそこから見て未来に生まれた者が約束する救い、死を越えた救いがあった、となろう。
JRF 2008年7月30日 (水)
手塚治虫の『ブッダ』に描かれる釈尊。精神異常を経験したあとの私が読むと、あの多重人格的にさえ見える釈尊は、手塚治虫の精神異常者に関する医学的知識が反映されているのではないかと思う。
JRF 2008年7月30日 (水)
ただし、手塚治虫は、釈尊が異常者のようであったかもしれないが「それだけではない何か」が釈尊にあったと描いていたと私は思う。その「何か」を感じる前にあるハードルを超えたくないという人も多いかもしれないが。
JRF 2008年7月30日 (水)
少し「異常」に踏み込んだままいえば、いくつかの分化した性格を統合というか包括できるようにしているのが、釈尊の一歩、あの時代に敢えてその時代の「異常」を体現していた者たちに解決を与えるという一歩で、私があの「多重人格」を正常のまま見られるのは、その悟りの遠い帰結なのかもしれない。
JRF 2008年7月30日 (水)
「正常」に引き戻して考える。宗教者がテツガクして何かを訴える。その言葉の片鱗のみを信じて誰かが殉じるとき、宗教者の誠実は、片鱗であった言葉を背負って生きることになる。そこには迷信でしかないことも含まれていくだろう。
JRF 2008年7月30日 (水)
奇跡を確定することで、救いがリアリティを帯びるようになる。何をどうすれば救いとなるという構造が信じるに足るようになるのは不運、…幸運とは呼べないだろう…、であったとしても、それは運命的な「奇跡」である。私は今に生をつながれた一人として、「正常」だからこそ、こうまで述べる。
JRF 2008年7月30日 (水)
反芻…もちょっとあったけど、肉のアブラっぽさが気になって嘔吐してきた。
JRF 2008年7月30日 (水)
キタナイ話で恐縮。自分の健康の記録としての意味もあるのでご勘弁を。
JRF 2008年7月30日 (水)
昨夜歩いていると雷で空がビカビカ光っていた。「でも、音は鳴っていないなあ」と家に帰ったら書こうと思った時点で、空がごうごう唸っているのに気付いた。あれは飛行機の音?あまり気にしていない自分。
JRF 2008年7月30日 (水)
釈尊から、未来から過去への「逆流」を教わる、というのは、「因果ではなく縁起だ」といったときに、「異常」者は、時間の方向性を超えた含みを感じてしまうから。
JRF 2008年7月30日 (水)
未来が過去に影響する、というのを「正常」な範囲で述べるなら、今なら投資に関する話がうってつけ。つまり、未来の期待のもとに現在の価格が決まっているわけだが、じゃあ、その期待を形成するものを「私」がすべて知りうるかというとそうではない。
JRF 2008年7月30日 (水)
「私」がその未来の期待にコミットするようになったとき、すでにその未来の期待は、経済という形で過去の私にコミットしていて、ときどきそのことに気付かされることもある。
JRF 2008年7月30日 (水)
この辺、少し前に紹介した《時間の貨弊価値:金で買えないモノはないか?》を思い出す。なんだかわからないけど価格に表されると、それを加味していたと解釈するほかない。未来など私達は予想してないといくらいっても、価格にはそれが現れていると見るほかない。
JRF 2008年7月30日 (水)
当然、期待が大きくはずれて、しっちゃかめっちゃかになることもしばしばなんだけど、それは過去の認識の誤りを訂正を求めることもある。…誤りを訂正しなくてもなんとかなることもあるし、なんとかはなっているけど、経済では影響をうける。
JRF 2008年7月30日 (水)
釈尊の時代、中国でも諸子百家の時代、移動の時代だった。釈尊が悟った後の最初の弟子は、商人だった。経済というのは、社会の悟りという場合は当然、個人の悟りに関しても多くの宗教者が思っているより大きな要素なのかもしれない。
JRF 2008年7月30日 (水)
悟りの「イデア」も、一般的な気付きについても私の考えはわかった。ならば、己はそういった気付きをもって何をしようとしているのか。何を思って書いているのか。
JRF 2008年7月30日 (水)
……そう自分に問えば、功名心みたいなものがないわけではない。人々の中で今の自分がギリギリできることで、甘えであったとしても自分は何かをしていると感じられること、私がしなければならないと私に空想させられることをしている。
JRF 2008年7月30日 (水)
自己承認欲求ということでいい。ただ、承認であったとしても反応が得られることは、むしろ、怖い。ただ、それはそういうことに慣れてないからだと思う。あまり意識していないが、理解されない自分を鼻にかけてる部分もあるかもしれない。
JRF 2008年7月30日 (水)
セカイに異常性が見えたとき、自分にできる範囲で、他の者が折り合える方向に何かをすべきだとは思っている。小さなことしかしないし、できないし、それでいい。それは私が異常であったときに「受け容れた」ことで、それぐらいは、今も、気にかけている。
JRF 2008年7月30日 (水)
それに最近は自分もかなり安定しているようで、セカイ系の異常はほとんど感じなくなった。
JRF 2008年7月30日 (水)
なぜだろう。ドイツ・レクイエムが「わかる」ようになってから、ブラームスを再びよく聴くようになった。昔から好きではあったのだが、どこかその重さに違和感があった。その重さがブラームスの魅力だけど、そこに自分を認めたくなくて避けていた。
JRF 2008年7月29日 (火)
今は、自分とは違う美しさを感じれるようになった……のだと思うのだが…。
JRF 2008年7月29日 (火)
いつものお腹痛があるが、どうも鈍い痛みになっている。改善したのか、痛みをより広く感じるようになったのか。
JRF 2008年7月29日 (火)
私が何かを気付くことに意味があるだろうか。あたり前に意味がある。私にとって意味があれば、それで悩む必要はない。もちろん、一人一人が気付くことは、以前に誰かも気付いているということでほぼ間違いない。
JRF 2008年7月28日 (月)
だったら、社会的な意味はどうだろう。気付きにくいことを、気付けるようになったことは、概ねすばらしいことだ。何かに気付かれたことを嫌がる人もいるかもしれないが、少し時間をかければ、それを善い方向に導く知恵も生まれる、私はそう信じる者だ。
JRF 2008年7月28日 (月)
「常識」を私が知らなかっただけでそれに気付いたことが社会に意味があるか。社会には、ある種のことに気付かせない構造があるように思えることがある。それが意図的なものかどうかは別として。それを気付きうる変化が起きているということかもしれない。ならば、社会にとって大きな意味がある。
JRF 2008年7月28日 (月)
何かを見えないはずの「私」が気付くようになる。ああ、それはきっと「私」でなくても誰かが気付くようになったということなのだ。そういう社会の変化の芽の一つが「私」というところに萌え出ただけなのだ。
JRF 2008年7月28日 (月)
その「運」(幸運かどうかは知らないが)を誰かに帰することなく、自分のものだと考えるなら、それは「組織」の構造を変えることもある。その変化すらも備えられた社会の仕組の中にあるのかもしれないが、「そんな仕組だとは考えるな」ということも同時に気付くこともあろう。
JRF 2008年7月28日 (月)
他人に気付かせるというのはおせっかいに思えることもあるが、知的活動の承継は社会という体を健康に保たせるのに必要なことでもあるだろう。つまり、その気付きは誰かから与えられたように見えることが、社会の統合を実現している。
JRF 2008年7月28日 (月)
ならば、誰かに帰することない気付きは、異物による活性作用を狙ったものなのだろうか。それとも新生とまで称するべきなのか。
JRF 2008年7月28日 (月)
今、そういう気付きがあるべきなのに私には見えない。それは私の視界が狭いということでほぼ間違いないが、寂しくはある。
JRF 2008年7月28日 (月)
見えるようになっていない。その構造的なものがあるとすれば、こういわれると嫌がられるらしい「ゆとり教育」にあるのではないか。それは下の世代がバカだということではない。むしろ、上の世代を愚かにしていく構造があったのではないかという疑いが私にはあるということだ。
JRF 2008年7月28日 (月)
何かを教育として強制していく。すると自然に「できない」という人が現れる。実は上部構造でもある種のできなさというのが常に存在するのだが、そういう「できない」人に対処することによって、逆に上部構造の「ゆるみ」にタガをはめていっていたのではないだろうか。
JRF 2008年7月28日 (月)
教科書に書いてあったはずなのに「い」と「ゐ」の区別のつかない者が現れる。そういう人が自分と同じ階層にまで来たのに、なぜ区別がつかないか、ということが契機となって、社会構成の違いのようなものへの気付きが受け継がれていく。といったように。
JRF 2008年7月28日 (月)
それが教育方法が異なることにより、そういった差異が出なくなってしまうことがある。そうすると、自然に受け継がれない「気付き」もでてくるということだ。
JRF 2008年7月28日 (月)
ただ、それは「気付き」であって「知識」ではない。だから、間違いからの気付きに頼るようなあり方(もっと言えば人材)が淘汰され、ペーパー試験による記憶偏重にむしろ人々を追いやったのではないだろうか。……。
JRF 2008年7月28日 (月)
いや、私がペーパー試験に落ちたことを念頭に置いてるだけなんですが。
JRF 2008年7月28日 (月)
どうなんだろう。少し受験者も減るだろうし、今そういった試験をもう一回挑戦したほうがいいのかなぁ。…とか、思わないでもない日もないわけではない。
JRF 2008年7月28日 (月)
「的を得る」と「的を射る」は、「射(い)る」と「居(ゐ)る」でくさしたり新入りをイビったりできなくなったことの意趣返しで創られた話題ではないか?
JRF 2008年7月27日 (日)
背負ったのは個人だけではない。国も抑圧された「エコノミック・アニマル」から、世界に志しをもって一極をかまえ、イノベーション(革新)の籤を担おうとした。小渕氏は死に、橋本氏もすでに亡いが、国としての「青雲の志」は、さすがにまだ忘れ去られていないと思う。
JRF 2008年7月26日 (土)
多少歪んだ表出もあったが、世界経済がまた大きな曲がり角に来ている今、ここから立ち上がっていかねばならないのだろう。
JRF 2008年7月26日 (土)
…と、この大言壮語は、ちょっと恥かしいな。自分の一面ではあるけれども。
JRF 2008年7月26日 (土)
煽りに乗せられた部分もあるが、そうやって人は動いていた。おかしいが、あれが普通の風景だったなぁ、と、今の自分から遠目に見れば想える。もっと歳を経た方は別の感じ方もあるのだろう。
JRF 2008年7月26日 (土)
社会の悟り。社会にも悟りがあってその型があると思う。想い浮かべると、蓮の花だったり、百合の花だったり、機能がそう見える…と私なんかは認識したことがあった。
JRF 2008年7月26日 (土)
「米」って形はユニオン・ジャックに似てるよね。「印」度は「亜」細亜の国。レムリア大陸は、「零無理亜」とでも書くのかな。
JRF 2008年7月26日 (土)
経済犯に関する司法改革について、一連の判決で、弛緩した考えを持ちそうになったが、某掲示板をチラと見ることで思い直すことができた。課税的財産刑、司法取引への規律、時効、組織構造の外形からの再規定、いずれも必要だと意を強くした。某氏には逆側から締め上げる心の強さが具わりますように。
JRF 2008年7月26日 (土)
「覆い」「沈黙」か…。『錬金術』に関する私見を書いたことがあるけど→ http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_11.html 。
JRF 2008年7月25日 (金)
「達人」でなければ隠そうとしなくても自然に隠れているものだし、沈黙は多言しなければこれまた自然にあるものでしょう、と私なんかは思っている。あと「公開鍵暗号」の考え方には衝撃を受けたなぁ。あれを読んだら「シミュレーション・アーギュメント」について書いた記事も読んで欲しいなぁ。
JRF 2008年7月25日 (金)
ついでにWinnyに関する記事も。
JRF 2008年7月25日 (金)
今日の話題としては《時間の貨弊価値:「金で買えないモノはない」か?》(http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/02/post_27.html)。この記事、Google にひっかからなかった。陰謀か!?(^^;
JRF 2008年7月25日 (金)
所詮、ブログだからな。全部の記事がGoogleに残してもらえることはないか。…こうやって、私のネットでの幽かなプレゼンスも消えていくんだな…。シミジミ。
JRF 2008年7月25日 (金)
私は97年、ネットをしながら、もっとヒドい地獄を想像したよ。あれは想像に過ぎなかったのだろうな。でも、私は「生かされた」と思った。それで自分なりに何かやろうと思ったけど、できてなかった。時代の寵児は、やっと形が現れてきてくれたかとうれしかった。
JRF 2008年7月25日 (金)
彼らには技術があった。遊んでいるように見えているから、才能の数が多かったから、そのかけた労力はたいしたものでないと思われたかもしれない。だが、今 IT 技術を教える人をかたわらにして、あれは何だったのかと思い直す人も多いのではないか。
JRF 2008年7月25日 (金)
その評価額が過少だったと人々は気付く。それが良いことかどうかは別にして、そういう時代に私は何をコミットできるだろうか。
JRF 2008年7月25日 (金)
誰かが何かを一生の仕事にできるということ。それに社会がどれほどの資源を約束すべきなのか。社会保障ということまで考えて欲しい、精神がくずれる人の生活のことも想像して欲しい。
JRF 2008年7月25日 (金)
どんな職業でもそうだ。その通り。だが、97年、その職業者のポートフォリオでいけるように見えていたか。
JRF 2008年7月25日 (金)
過度に背負い過ぎていたのかな。…私みたいなお気楽な人も、それなりにいたけど、そうなれない人も多かっただろうし。
JRF 2008年7月25日 (金)
少し頭痛がする。今日は変な生活をしちゃったからか、体調が悪くなってきた。
JRF 2008年7月25日 (金)
これまでリーフリとの間に価格差を設けていたのは、中間マージンをとるビジネスができるようになるとふんで、それが受け容れられる土壌を創るための戦略的投資だった。もう、マージンをとれる環境が整ったのだから、それを回収にかからないと「寄附」になるだろう。…とするべきだ。
JRF 2008年7月24日 (木)
…そして、著作権侵害の幇助は「罪刑法定」されていないのだから気にする必要はなかったのだというところに戻り、おかしな逮捕を今こそなかったことにするべきではないか。
JRF 2008年7月24日 (木)
ちゃんと「関税権」というか「輸入権」も設定してさ。
JRF 2008年7月24日 (木)
しかし「投資」だったとしてもエラいことですよ。それを「税」で回収していくってことになるわけですから。
JRF 2008年7月24日 (木)
放送の枠組を利用してしかID管理ができないならば、管理データの機械間での移殖は難しい。どういうDVDに関税を払ったのかというデータを持ち出せないのだから、永続権はなしで、1日リーフリ権や、1週間特定のDVDリージョン解除権、といった期限付きのものだけに留めておくべきだろう。
JRF 2008年7月24日 (木)
ところでID管理と言えば話題の「お知らせ」。契約者固有IDは機種変更でも変わらない「持ち出し」ができたほうが便利。電子資産をそこにひも付けするようになれば、売買可能としちゃったほうが便利。プライバシーの懸念があるから譲渡には弁護士等の立合付きで、ってことにしていけば?
JRF 2008年7月24日 (木)
って、前ならブクマしていただろう。が、そこは下手が岡目から八目を読むようなもので、誰かがすでに考えているだろうし、否定もされてるんだろうなぁ…と、まぁ、その、あれだ、えーと、「空気を読む」ことにしておく。
JRF 2008年7月24日 (木)
「あえて外道に堕ちる」ことを受け容れるというのは、どれほど真剣に深刻な気持ちを伴っていたとしても、自分のみで終れないし、自分もそこで終れるはずないのだから、後々「堕ちる」ことの軽視、偽善化へとつながることを恐れなければならない。そこに「悟り」というものはあってならないだろう。
JRF 2008年7月24日 (木)
過去、人々が神を求めたのは本当でしょう。神が定義できることまで認めたなら、その機能を教えてよ。その社会的機能は何?その機能まで否定するわけ?「神の機能名」の連関って私は興味ある。騙したというならどういうロジックだったのか教えてよ、「定義」できるならわかるんでしょう?
JRF 2008年7月24日 (木)
具体的には消磁がおかしそうなところがあったのだが…、今はおかしくなくなっている。ブラウン管テレビが国内になくなった影響か…とか思ったんだが、単に私の設置方法がまずかったか、最初だけの問題だったらしい。
JRF 2008年7月22日 (火)
あとリモコンとデザインは、前使っていたほうが良いというか、確実に「高級」だった。このあたりはデフレで得をしていたということだろう。
JRF 2008年7月22日 (火)
家電リサイクルでせっかく回収するんだったら、アンケート用紙を配って「我慢して使っていた不具合は?」とか書いてもらうようにすればいいのに。この国だと、書いてくれる人は特典なしでも書いてくれるだろうし。
JRF 2008年7月22日 (火)
で、何げにアンケートを「買いとる」形にする、と。そう見えなくてもね。
JRF 2008年7月22日 (火)
法人税逃れの手法として、コンサルタント料や根拠のうすいパテント料として利益処分を行う方法が思いつく。そういった実体がありうることに着目して知財課税というものをできないか。
JRF 2008年7月22日 (火)
私はリージョンコントロールというやつが解せない。子供が海外の友人から信頼を伴って送ってもらったDVDやゲームを、内容がどうあれ、ほぼ鑑賞できないって何?「技術」がないと「文化」が味わえないって上下がおかしいでしょ。金で解決できる「関税」のほうがはるかにマシだ。
JRF 2008年7月22日 (火)
生涯学習というものが本物なら、高齢者が海外からソフトを送ってもらうことがあるだろう。「それが仕様です。」といったあと「こういった製品があります。」と言えない状況で本当にいいのか。無知を罪と思う者が言いだせないことにつけこみ不当に利得、業務として横領しているとさえ言えないだろうか?
JRF 2008年7月22日 (火)
私的録音録画補償金は、リジョンコントロールとは別枠で決まっている。ならばリージョンコントロールって、なんでメーカーは協力をしているのだろう。著作権者等に対する「利益」供与、寄附金みたいなものじゃないのか?ひょっとしてこれが「メセナ」?
JRF 2008年7月22日 (火)
しかし、その供与額は莫大だろう。機能を付けたさなければリージョンコントロールはできない。それなのに海外向けリージョンフリーのほうが割高にしか手に入らない。ならば、その「リーフリ」と国内向けのものとの差額に販売個数を掛けたものがその額として良いと私は思うんだが。
JRF 2008年7月22日 (火)
今なら、地デジHDDと一体化したDVDプレイヤーやネットに接続したゲーム機について、細かなコントロールが可能となっている。
JRF 2008年7月22日 (火)
この状況で、リージョンを超えたものには追加支払いが必要、という法律のようなものがあるなら、メーカーは徴収に協力することで中間マージンをもらえるようになり、それでプレイヤーを安くできるという理由がたつ。
JRF 2008年7月22日 (火)
もちろん、後払いにするか先払いにするかという問題もあるだろうし、「督促」の表示があまりにヒドいものは、「消費者」が拒絶するとするしかないかもしれない。でも、そういう努力ができるのにそうしないならば寄附金としてもう計算すべきじゃないか?
JRF 2008年7月22日 (火)
少なくともそうやって、ユーザーサポートが一時的にリージョンフリーにできるような体制は組み込んでおくべきではないか。もちろん、一時的にすべてのDVDを使えなくすることが万一でもできないようにする必要もあるけど。
JRF 2008年7月22日 (火)
「普通」に比べて徴収率が良いなら優遇するという考えも必要か…。 その考え方は何をもとにして出せばいいんだろう?
JRF 2008年7月22日 (火)
むしろそういうことをしちゃダメだ、という理由のほうが見つかりやすいんだよな。徴収できない者というのを「裏」で造りだされてしまう(そこで人権侵害がおこる)、とか、そういうことで。
JRF 2008年7月22日 (火)
徴収できなさの正当化根拠として私的複製を捉えてはどうだろう?その境界は曖眛で、自己の認識に頼らねばならないものだから、逆に寄附的な側面を否定できないとかなんとか…。すると、なんでその寄附はいいのか、…相続の問題もでてくるか…。
JRF 2008年7月22日 (火)
私の国際経済の認識は陰謀論的なものから出ていない。それが古いと自分でも思うようになってきているのはなぜだろう。まだ、何も示されたわけではないのに。ある種の国がガンチューにない、と言えば主体的だが、ネットでも観えにくくなっているからというのはあるかもしれない。
JRF 2008年7月20日 (日)
しかし、それは力学的変化を捉えているのかもしれない。私が体面しているテクノロジーというのがどこから来ているのか…。
JRF 2008年7月20日 (日)
狸(?)に遭遇した。腹がピンク色がかって大きかった。「メタボ」かと思ったが、犬の写真とくらべると、姙娠してたと考えたほうが良さそうだ。しかし、そういったのが川べりとはいえ、あんな街中に出てくるか。そういや道端の猫用にエサが置いてあったのを見たことがある。あれを狙って来たのかな?
JRF 2008年7月18日 (金)
アルコールを飲む人と、私のような向精神薬を飲む人は、いってみれば別世界にいる。「異常な言動」は前者では飲んだために現れることが普通となり、後者では飲まなければ現れるのが普通とされかねない。その精神性がとらえる世界は違うというのが一つの解釈。
JRF 2008年7月18日 (金)
そしてやはり精神異常で見える世界と、酒でゆがむ世界は、まったく違うというのもある。
JRF 2008年7月18日 (金)
「経験者は語る」と言っていいだろう。
JRF 2008年7月18日 (金)
テンプレな見方だったけれど、(いろいろな)人を造っていく過程であるというのは前向きな見方かもしれない。
JRF 2008年7月17日 (木)
少しさかのぼって書いたメモとかみると、この期間もいろいろ書いてる。気楽に書いてるつもりだったんだけど、鬱っぽくはならなくとも、考え込んだりしてたということなのかなぁ。本はこれまでとジャンルが違うから読めないんだ、とか思ってたけど、どうもそうではない。
JRF 2008年7月16日 (水)
海外から通販で買ったDVDって、おそらく振動により、ケースからディスクがはずれてやってくることがある。新品なのにディスクにキズが付いてしまっている。でも、これで「再生できない」とか文句を言ったら、まずリージョンとかの問題だと言われるんだろうなぁ。今回はセーフだったけど。
JRF 2008年7月16日 (水)
病気になってからバリバリ食うというのは、いってしまうと「空威張」というやつだと思うが…。先に挙げた「策」をやれば、そういうことができるんだと示したくなる方向へ圧力をかけることになるのかもしれない。病院が食事を過度に低リスクにさせないという配慮をする必要があるのではないか…、
JRF 2008年7月16日 (水)
その辺りネットがうまく作用できればとも思うけど、逆方向に作用することもありそうだし…。うむむ。
JRF 2008年7月16日 (水)
ブックマークもブログも、思った以上に時間がかかる。それを毎日こなす人ってスゴイ。けど、それを普通の人ができる方法というのもあるはずだと信じたいんだけどなぁ。
JRF 2008年7月16日 (水)
自動的に作られるブックマークの「まとめ」の見やすさのために、ブックマーク量が自然に制限されるってのは確かにおもしろい見解だな。ただ、その方向性はワザと不便な道具を使って「平等化」をはかるという点で、効率化とは逆のベクトルでもあるように思う。
JRF 2008年7月16日 (水)
こういうたとえが適切かはわからないが、「日本刀の美学」を見るような気がしないでもない。そのココロは、ある種の合理的な文化がそこにはあるだろうが、「世界」からはとりのこされることになる、もっと電脳を使いこなす人材を重視する方向に進むところが「世界」をとっていくのでは?ということ。
JRF 2008年7月16日 (水)
それがダメなのか、といえば、答えるのが難しいところ。近世について、違った歴史観というのがありそうなので、それを知りたいというのが今の感想。
JRF 2008年7月16日 (水)
飛躍しすぎだな。針小棒大な語りでもある。でも、メモだから、これでいい。
JRF 2008年7月16日 (水)
ヨーグルトを舌で味わうことなく、喉の奥から飲み込むようにすると、ひんやりとした感覚が、ズデッと食道などを伝わっていくような気がして気持ちいい。口のまわりではなく消化器が「気持ちいい」というのは、人として間違った食べ方と思うが、痛みがあったのが少しスッとしたので今はよしとしよう。
JRF 2008年7月14日 (月)
死病を生き延びることは、死病の種類こそ違え、人数の多寡こそ違え、昔からあった。風景が違う…でも、それを言えば働く者の風景は今よくある死病の風景と同じでは……いや、どうだろう。「その日暮らし」に持つ一片の明るさという印象も後の世代のものでしかないのでは、とも思うし。
JRF 2008年7月14日 (月)
肯定的に捉えてみようとすると、死病でも正常に保つためのメンタリティを、後続世代に移殖しようとしているとは、いえないか。…いえないな。
JRF 2008年7月14日 (月)
そもそも死の意識がある闘病生活と死までは考えていない労働では大きな違いがある。……でも、病から生還したものが、闘病期に見た「カゲ」を「現在」の生につなげる誤認識をおこした場合、死の意識のなさというものがシミュレートされてしまうのではないか?
JRF 2008年7月14日 (月)
だとすると本当の病、社会の病は、自分の死を軽くみすぎていることにあるのではないか…。いや、それはない、それはないよ。死に真剣にならぬ人はいない。ただ、これは私は自戒として心に留めておこう。
JRF 2008年7月14日 (月)
死を重くみるとは死を恐怖することではない、病にあっては死と闘うのではなく病と戦う、死は待つべきものとみつけるべきではないか。…そんな理想像を描くが、結局のところ、私にはわからない。そういうメンタリティならば日常にも持てるではないか。そうでない非日常が必要ということか?
JRF 2008年7月14日 (月)
慰安旅行とかの福利厚生をやればいいということなのかな?迂遠というより変な提案だけど、おじさんまるだしな提案みたいだけど。ここは病室でも牢獄でもなく、働いている場所と住んでいる場所の間には異空間がちゃんとある、ということを示す、…それが基礎としてあっていいのではないか。
JRF 2008年7月14日 (月)
そういうのはうっとうしいだけだと思っていた、というか、今も思うんだけど、こう考えてみると、ああいう「文化」も、何がしかの配慮だったのかなぁ、とか思い致る。
JRF 2008年7月14日 (月)
「明日生きることに希望をつなぐだけ」ってのは「死刑囚」に残された希望と同じように私なんかは想う。年金とか将来の結婚とかに想い及ばない労働者像を許すのは、どんな世界観が背景にあるのだろう。戦争のカゲかなぁ。いや、でも婚約をさせておくとかいう配慮がないし…。
JRF 2008年7月13日 (日)
死病から生還する者が増えて、「なぜ私が…」と悩む者が増えているのが一因とか……ないか。 いや、つまりそういう者が「今の(ようになった)自分」を肯定できるモデルを求めているとか。……ビミョーすぎか。
JRF 2008年7月13日 (日)
胆のうを意識するようになってしまった。暑いのも重なって、腹の調子をどうはかるべきか、迷う。
JRF 2008年7月13日 (日)
公然の秘密を、公然としましょう…という文脈でしか読めないか。昨日の ADR と世襲に関する話、つながったと思ったんだけどなぁ…、考え直すと意味不明だ。手をひろげすぎだし。
JRF 2008年7月12日 (土)
係数があわないんだよなぁ。2/3 とか、ヤバイ数字だよ、積分のやり方で間違ってそうな数字だ。単純な計算間違いならいいんだけど…。
JRF 2008年7月12日 (土)
私の腹痛って、前は「ニラ」が原因のような気がしていたんだよね。でも、おそらく問題はコレステロール。どうも胆石の民間療法にニラジュースというのがあるらしい、食い合わせということだったんだろうか、それとも「ホメオパシー」がプラシーボの反応を持つための「条件付け」的要素があったのか?
JRF 2008年7月11日 (金)
そういった面で、ニラに関しては私は苦手意識もあるから、のりを多めに摂ることにするかな。でも、そうすると塩分が心配だなぁ…。
JRF 2008年7月11日 (金)
「か」っていう字の形、蚊に似てるよね。本当は「か」は「加」が変化したものなんだけど、「か」は蚊の象形文字なんじゃないかって、ときどき思うよ。
JRF 2008年7月11日 (金)
最近では、日本でも、北のほうまでマラリアにかかったとかいう話を聞いて思い出した。
JRF 2008年7月11日 (金)
まぁ、おさない連想も、たまには、ね。私の調子を確かめる意味でも。
JRF 2008年7月11日 (金)
DRM に課税するというのは塩に税金かけるようなものなのかなぁ…。
JRF 2008年7月11日 (金)
世襲を認めるなら、「おとりつぶし」の制度が必要かな、と浮かんだ。なぜだろう?職人には移動の上での未来があるが、イエのものにはブランドの有名さが逆に仇になる。でも、これはそれで十分だとする「許し」の制度でもあるのではないか?
JRF 2008年7月11日 (金)
仇にできる作用を持った主体があることが前提となる。明示的な許認可権はなくても良い。逆に、許認可権が名ばかりにならないためには、そういう主体が存在していなければならない。そういう主体が体裁を保つために許認可権というものを作るということはあるだろう。
JRF 2008年7月11日 (金)
主体というのが、人間をトップに抱く組識でなくても良い。そういう主体が作用するという構造がありさえすれば良い。逆に組識を持たなくて済むほうが「効率的だ」という判断が、現代にはあるのかもしれない。
JRF 2008年7月11日 (金)
しかし、それはあくまで「つぶし」に関する部分だけで「許し」の効果については、それほど効率的でなくなっているのではないか。ちょっと昔なら、マスコミが報道しなければ「逃れ」の状態になることができた。そして「逃れ」させているのは「実は上部なのだ」と感じることができた。
JRF 2008年7月11日 (金)
それが上へのベクトルを保っていた。
JRF 2008年7月11日 (金)
でも、現在、ブログ等が盛んな今では、決してマスコミだけが「逃れ」を形づくっているのではなく、ごく近くの「周り」こそが、「逃れ」を扶けていると見えはじめているのではないか。
JRF 2008年7月11日 (金)
本当の近く「家族的つながり」と「つぶしをしかけている主体」だけが「許し」をもっていて、他は「つぶしをしかけることに加担している」という認識を与える構図が変化し、
JRF 2008年7月11日 (金)
複雑さが間に入って、今は希望を増やすような方向に作用している。
JRF 2008年7月11日 (金)
少し前までの方法が効率的だったのは、今よりも良い境遇を探す努力が必要と感じられなかったからだという仮説を立てれば、どうだろうか、デフレだったからまだ良かったのだ、ということが言えないか。それは他の国とかのことを考えれば違うか…。
JRF 2008年7月11日 (金)
そこで空気を読み合っているのが逆に非効率になっている。なんで、ブログ等がこんなに書かれる時間があるんだ、ということになっていないか。
JRF 2008年7月11日 (金)
手打ちができたんだということが表に出てきたほうが良くはないか?そのADRとかの話を念頭においているのだが、そういったもののWeb上での表示について適切な規制をしたほうが、効率的にならないだろうか…。もちろん、「効率的」ならば式にもたてられそうなものだけど…。
JRF 2008年7月11日 (金)
ADR について、それを解説というか「邪推」するトラックバックがみつかるとか、そういうことを想像するんだけど。
JRF 2008年7月11日 (金)
私の「構想」は、迂遠なことばかりで、そこが不遜に見えるかもしれないが。
JRF 2008年7月11日 (金)
「知らないからこそできることがある」のは危険な考えだというのは同意するけど、「知らないからこそやってしまうことがあって、そこは全力でフォローしようよ、仲間なんだから」ってのができる余裕はまだあるでしょう、とは言いたい。
JRF 2008年7月11日 (金)
いや、そこがどうも限界を超えている、ように見えるのは人口の巨大さを考えると本当は違うでしょ、と私なんかは思うのだけど…。でも、そういうとき、私のことを棚に上げてるという面はあるからな。
JRF 2008年7月11日 (金)
勉強ができる自分になっていけば、学校にいる時間が自由な時間になりますよ。…ってワナ。そんなの求めた自由じゃねぇ!しかし、このワナは、うまくなさそうな「据え膳」と心得べし。
JRF 2008年7月11日 (金)
病院に行った。腹が痛いのは、場所としては胆のう、症状からは胆石ではないか、とのことだった。消化器科への紹介状を出してもらった。
JRF 2008年7月 9日 (水)
私は全員一致を求めるのは反対だな。最後まで反対のポジションをとりきった職業者が、ハレの場で宣告を担う、という形なら、まだわかる。ただ、そもそも、そんな罰が必要か、ということに私は疑問がある。
JRF 2008年7月 9日 (水)
ただ、本物の終身刑にも大きな疑問がある。そこには希望がない。作為的な希望であっても、何かを用意しておかねば反対しないわけにはいかない。「逃れの町」ではないが、ある種の軟禁、結婚ができる軟禁への移行を用意すべきではないか。他の国では、その辺りどう考えているのだろう?
JRF 2008年7月 9日 (水)
調べられるし、調べるべきではあるのだろうな…。
JRF 2008年7月 9日 (水)
ヨブ記に関して書いているとき、量刑と判決の出自の違いが見えたような気がした。別々の神々のはたらきといった側面があったのかもしれない。ただ、その意味するところがまだ私には判然としない。これも今後の課題だろう。
JRF 2008年7月 9日 (水)
母の使っている家電の不具合があいつぐ。燃料代が上がって電気の仕掛けが替わっているとかないだろうな!って、私が使ってるものとかは影響ないんで、たまたまなんだろうけど。
JRF 2008年7月 9日 (水)
ちなみに、ビミョーな問題というのは、まだまだない。私の調子のほうが心配が多いくらい。
JRF 2008年7月 9日 (水)
「結婚ができる軟禁」…。それが安定するためには、まともな仕事も必要になるように想える。それは一種のパラダイスではないか?人がこの世界に軟禁されている、それどころか、そうあるべきだ、という認識へと繋り、そこにいわゆる「中世」が現れるのだろうか。
JRF 2008年7月 9日 (水)
…ここでどう問うべきだろうか。この辺りで止めとかないと、私はハマるな。
JRF 2008年7月 9日 (水)
エディタで作るときは「以上」だけど、出力では「以下」になる。この書式でエディタを使うのはキホン反則か。
JRF 2008年7月 8日 (火)
蒸している。風があると少しマシにはなるけど。
JRF 2008年7月 8日 (火)
「鹿をさして馬という」説は後世による語源俗解なのか。角(才、カド)がとれてよくはしるとかいうシャレでもないのかな?指の数が違うから、数を知らないことを指すとか。半神に関する呪術の名残りとか、は地域が違うか。
JRF 2008年7月 8日 (火)
「はじめての人のための…ガイド」が 8000 円近くするってスゴイな。(^^;
JRF 2008年7月 8日 (火)
私は歴史っぽい感じが匂う話が好きなんだろうな。それだけで評価を上げてしまう傾向にある。
JRF 2008年7月 8日 (火)
反芻ね。「芻」の字をまちがえてた。「趨」だとはしるという意味が強くなる。胃がどこにはしるってんだ。>> オレ。
JRF 2008年7月 8日 (火)
ココだけにメモっている限りは、影響はない、ってことで。
JRF 2008年7月 7日 (月)
…でも、そういう「交渉」はあっていいし、あるんじゃないかってのは結構ホンキ。
JRF 2008年7月 7日 (月)
今夜はブーンという機械音が耳につく。源はクーラーかPCか両方か。
JRF 2008年7月 7日 (月)
考え直した。昨日の意見はちょっとヒドいな。つまるところ、過去に消費がなかった場合は消費が「強制」されることを認めてしまうことになるわけだし、さらに、親から引き出した消費が多ければ資産をためることを許すということなのだから不公平だ。
JRF 2008年7月 7日 (月)
消費を「強制」されることに合意した場合で、それでも、若年層に貯蓄させたいとき、ミクロではなく、マクロの意見としてこの年代はこれだけ消費してきたのだから、もういいとしましょう、的な流れで、ようやく正当化できるような意見であった。…まだ、ワナがあるかもしれない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
回しすぎだよ。…申し訳ないが消してしまった。
JRF 2008年7月 7日 (月)
「折り込みずみ」ではなく「織り込みずみ」だな。また間違いに気付いた鬱。
JRF 2008年7月 7日 (月)
正規直交行列の逆行列はその転置行列。ってそういえばあったなー。計算してから気付く…まぁ、普通か。いや、さっきまで計算間違いしてたから…。
JRF 2008年7月 7日 (月)
鰻の偽装という事件があった。あの鰻ではなく、普通の「高級鰻」で日本産と中国産にどんな違いがあるのだろう。味ならばよくわかる。品質のばらつきのなさなども、まだわかる。
JRF 2008年7月 7日 (月)
だけれども、今、普通の日本人が、日本産のほうが良い、先の偽装がヒドい、ということにしているのは、日本産が安全だからという思いがあるからではないか。先の事件、偽装は日本で起こっているのに、である。
JRF 2008年7月 7日 (月)
安全性を食品のブランドの一属性とすることを日本の社会は許している。ならば、私は、なぜ、BSEの全頭検査をしたうえで輸出したいという会社が認められなかったとき、そこに強い異議を唱えなかったのか、なぜ、全頭検査をするというブランドがダメなのか、問いたい。
JRF 2008年7月 7日 (月)
未だメカニズムが解明されていない病気について私は納得できなかったが、危険部位の除去で十分だということは、専門の方々にとっては示せていたかもしれない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
危険部位の除去が仮にないとすれば、全頭検査は意味のあるものであることは確かであり、そういうものを二つ組み合わせるというのは、極端な非効率となっても、ブランド戦略だと割り切れば別に間違った選択ではない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
あのころは特別だから補助金を出しましたが、今はそこまでの根拠まではないですね、全頭検査を続けるところはご勝手に、で何が悪いのか。
JRF 2008年7月 7日 (月)
私は理由を知っているといおう。簡単なことだ。「食の安全は平等に提供されねばならない」からだ。
JRF 2008年7月 7日 (月)
ブランドというのは味だとか、匂いだとか、精密な機械でしか測れなかったとしても、そういうものでつけるべきで、食の安全がブランドになることは「許されず」、安全性はどれも水準をクリアしていなければならない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
それが理想でしかないのは、現在において当然だとしても、そういう理想は語られるべきなのだ。だが、あのころから今まで、日本のテレビに、そういう主張を責任として背負って立つものが出ただろうか。私のような凡人から見えるところにはいなかった。
JRF 2008年7月 7日 (月)
偽りの唇に従う必要はない。その理想を語らずに全頭検査という「ブランド」を斥けるものを私はとても信用できない。ネットで、医療の平等を語らずに何かを言おうとするものと同じ人脈が見えるのも気になる。そう、ネットのマスを私は信用できていない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
こんな国で消費者庁をつくったところでまともな運営をする人材が見つかるのだろうか?
JRF 2008年7月 7日 (月)
さらに、私は全頭検査というシステムには期待する部分もあった。そういった検査をする企業は、食に関する現場も職責もかなり異なり、業界にとって常にフレッシュな存在でありえる。そういった眼が入るというのは、これから先も安心の再分配に役立つ「かもしれない」という期待があった。
JRF 2008年7月 7日 (月)
また、さらに言ってしまえば、「誤解」への敏感さを意識せざるを得ない「歴史的」経緯がある以上、介入を合理的な文脈で行えるというのは「政治的」にも意味があったろう。
JRF 2008年7月 7日 (月)
私は「全頭検査」という旗を降ろさない地域があって良かったと思う。私はあって欲しかった。
JRF 2008年7月 7日 (月)
お隣りの国では「暴動」が起きている。私はあのような方法論はとらないが、あの怒りはもっともだとも思う。
JRF 2008年7月 7日 (月)
怒りが形となり、将来、全頭検査にはじまったものが、より何かに対応しやすい形に変わって残ればいいと思う。
JRF 2008年7月 7日 (月)
そうやって残ったとしても役に立ったと見做されるような何かが「発見」されることはなく、ブランド価値の根拠として薄弱なものとなるだろう。それは良いことだ。
JRF 2008年7月 7日 (月)
だが、そうやって余計な金銭的コストを世界が支払うことになることは、食の平等に強くコミットする者が出てこなかった以上、当然ではないか。
JRF 2008年7月 7日 (月)
私は「あの人」を尊敬している。しかし、最近の「暴動」に対する「あの人」の両義的態度をどう見るべきなのかはわからない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
卵や牛乳が低価格で提供されることを重視する「あの人」が、安全性について何か別の見識、私には到達できない見識を持っていたとしても不思議はない。少なくとも「こういうことはないほうが良かった」というのは本当だ。
JRF 2008年7月 7日 (月)
あの人の周りには先に述べたような責任をあのとき担った人が何人か見えたのかもしれない。
JRF 2008年7月 7日 (月)
だが、私には見えなかったのだ。それはきっと私が悪いのだろう。でも、「誤解」を共有するものがたくさんいるということは、今、また明らかになったのでもあるから、その機会をとらえて、以上を書いた。
JRF 2008年7月 7日 (月)
正規乱数が3変数の場合の標本平均と標本分散の独立性。「定義」に従って、密度関数の積に帰着する方法、手数が増えたとしても、もっともストレートなはずの方法を試している。
JRF 2008年7月 6日 (日)
標本平均と標本分散の2つで、密度関数の積が書けてしまい、3つめの変数がないとおかしいんでは…、と考えたところで止まっていた。
JRF 2008年7月 6日 (日)
Helmert 変換を使えば、標本平均とあと2変数が得られることはわかっていて、その残り2変数の二乗和が標本分布につながる、ってことにアタリをつけてはいた。
JRF 2008年7月 6日 (日)
でも、その残り2変数が標本平均と独立だから、その2変数の二乗和も独立であるという結論は、私の方針だと受け容れられない。手数さえかければ「定義」に戻って独立を確かめられる「はず」なのがスウガクってもんなのだから、何らかの方法があるだろう、と考えた。
JRF 2008年7月 6日 (日)
で、やっと気付いたのが、Helmert 変換で得られる残り2変数のうち、1変数は標本分散から逆にもとめる方法。「標本平均、標本分散、Helmert 変換の残り2変数のうちの1変数」の3つをとれば、良いのではないかと考えいたった。
JRF 2008年7月 6日 (日)
ただ、こうしても問題なのは exp の引数部分が「標本平均、標本分散」という2つだけの変数を使って表せてしまうこと。Jacobian の行列式の絶対値、部分にしか、Helmert変換の残りの変数が現れない。
JRF 2008年7月 6日 (日)
この「残りの変数」を積分しちまえってことなのかなぁ。そんなことしていいのか?どうもスッキリしない。私の重積分への無理解がこんなところでネックになってきている。
JRF 2008年7月 6日 (日)
しかし、それでいいとしても、じゃあ、n 変数に拡張するときは積分込みで帰納法するってことですかい?…そこにいたるまでに「定理」というか、いちいち「定義」に戻らなくてもいいという確信が欲しいなぁ。
JRF 2008年7月 6日 (日)
うーん、まぁ、それも、とりあえず、おいといて。結局 Helmert 変換に頼るしか私にはないようだが、そもそもの直感は、積で表せねばならないというところに持っていくのだから、関数形に制限が出て、そっから何かわかるんじゃないかというものだった。
JRF 2008年7月 6日 (日)
でも、この積分が出てくる解き方を見てると何かがわかるような「制限」なんてつけれないんじゃないか、という感想を持つんだよな。Helmert さんはどうやって、この変換を見つけたんだろう?
JRF 2008年7月 6日 (日)
ちゃんと計算して、係数とかもピタッとあえば懸案が一歩前進ってことになるけど…。記号操作をアバウトにやった部分、積分のところがうまくいってないっぽいんだよな。うう、教科書に戻らないとダメか。
JRF 2008年7月 6日 (日)
Proof Checker が欲しい。が、それが優しくないけど、数学の分野ならなんとかなりそうってのが今の私の根っこの一つ。でも、思ったようには進んでないんだよなぁ。
JRF 2008年7月 6日 (日)
それとも、進んでるのか?私が知らないだけで。
JRF 2008年7月 6日 (日)
あまり意味ないかもしれないけど…。もし、労使交渉みたいな環境で「消費」を求めるというステージがあったして、過去のヲタク的消費についてはその額を商法利子率で「過去に向かって」割り引いた額を根拠として、それを現在消費したものとみなしますよー、
JRF 2008年7月 6日 (日)
結婚資金や育児資金にまわしたとしても、文句いいませんよー、そういう計算を上でもしますよー。ってのを、最近、労組的なものに属すようになった人に適用するってどうだろう?
JRF 2008年7月 6日 (日)
それで何が起こるか問われても困るケド、若年層の貯蓄率を上げることになるのか、それともその下の消費性向を上向かせることになるのか、ちょっと私は予測できない…。過去の自分の発言に関する個人的な反省を背景として、こんなことを考えている…。
JRF 2008年7月 6日 (日)
もうちょっと精度のある意見にしないと、意味ないかな。やっぱり。
JRF 2008年7月 6日 (日)
意見があるなら、すでになされているはず、か。新しい技術があるか、時宜を重くみるなら状況の変化があるか。
JRF 2008年7月 6日 (日)
…インフレになるかどうかは別として、「金利の上昇だけを心配して、物の値段はほとんど変わらず」という無意識的な認識から脱却し、本当の意味で経営者が必要になる時代になる、とか考えていたときに、下の考えが浮かんだんだよね。
JRF 2008年7月 6日 (日)
うーん、でも、外食店とかの最近の変遷をみると、そういったことはすでに折り込みずみ。だから、わざわざ指摘するほどの状況の変化はないかなぁ。「昔の認識」ってのがあるってのがあたっていて、そういうのに直面しているのに上がわかっていない人とかには、意味のある意見ではありえるけど、
JRF 2008年7月 6日 (日)
昨日は病院に行ったついでに街に寄ったのだった。不必要に私が同定されたり他の人が私に同定されてするのを恐れて、病院に行ったというのをためらった。
JRF 2008年7月 4日 (金)
街は結構人がいた。物価上昇があるべき反応を呼んでいるのかなと思った。これですぐに景気が良くなるとは言わないけど、20代かそれ以下の人が渋いお店にいて、ここから意外に「世代交代」がすすむのかな、とか思った。
JRF 2008年7月 4日 (金)
母のDVDプレイヤーが壊れている。トレイが開きっぱなし。機械が作動して閉じかけたところで再び、はき出される。以前 PC に DVD ドライブを付けるときにも似たような症状になったことがある。微妙にキチンと閉まらなくなったということなのかな?
JRF 2008年7月 3日 (木)
今日も街に出た。あまり奥まで歩かず帰ってきた。道路は暑かった。
JRF 2008年7月 3日 (木)
PC にドライブを付けるときは、ベゼルを一度はずしてもう一度くっつけることだけで解決した。…それに気付くまで結構、はまったけどね。
JRF 2008年7月 3日 (木)
今回はそれはできないしなぁ。強く押してみたりはしたんだけど。
JRF 2008年7月 3日 (木)
親がいない場合どうなるのだろう?わからない…な。将来の私は自分で気付いて病院に行けるだろうか…。
JRF 2008年7月 2日 (水)
昨晩もあまり眠れなかった。昨日は「胸騒ぎ」という表現をしたが、特に不幸があったわけではない。眠れなかったが、眠れない理由が特になかったというだけだ。
JRF 2008年7月 2日 (水)
最近、自分の中の他者への「嫌悪感」にとまどう。なぜそういう感情が出てくるのか不明だ。美意識的なすりこみかとも考えたが、そのようではない。もっと言語化されたものを契機としていそうだ。
JRF 2008年7月 2日 (水)
笑いというのが何なのかはわからないが、笑いによって恥じるという構図があるとき、恥じる者にあるのは社会性に関する錯誤の認識だろう。あざける場合は、その社会そのものの違いを認識させようとする(or 確信しようとする)感情がある。…この論は、私の中のモデルにひっぱられすぎ、粗すぎか。
JRF 2008年7月 2日 (水)
自分の社会性を確信できないことに不安があるということなのかなぁ。
JRF 2008年7月 2日 (水)
バージョンアップして、操作は簡単になるが、意味不明になる。専門用語が減って「あいまい」だけどわかりやすい、ということなのだろう。時代の流れ、か。
JRF 2008年7月 2日 (水)
千里の道は高速道路。自転車こいでいけたらな。
JRF 2008年7月 1日 (火)
昨晩は胸騒ぎみたいなものがあってよく眠れなかった。
JRF 2008年7月 1日 (火)
近所で昔の私のような病状の人を見た。「誰もいない」のに身ぶり手ぶりで「何か」と対話している人。思い出し笑いみたいなのは普通の人にもある。そんなものではない。楽しく対話しているという面もあるが、対話するのをやめようとしても何か辛くなる。私は、親に入院させられるまで治らなかった。
JRF 2008年7月 1日 (火)