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不安だけがつのる。あまり良くない状態なのかもしれない。

JRF 2008年8月26日 (火)

こんにちは。
ブログの「自動人形」のエントリが面白かったです。
この前提だと「他人」が人間か自動人形かは悪の犠牲になってみるまで判定できないわけですが、「自分」の魂の有無はわかるのでしょうか。
わかるとしたら、魂を自覚できる人は銃弾の飛び交う戦場において無傷でいられるな、と思ったものですから。
思考実験の趣旨と外れる質問で申し訳ありません;

くろねこ 2008年08月26日 6491

くろねこ様はじめまして。

まず、普通の「信仰者」には「神を試してはならない」で済む話なのかもしれませんが…。

「魂があるから心配するな、もし、魂があると信じて死んだ仲間がいるとしたら、本当の肉体は別の次元に飛んでいって生きていて、瞬間、自動人形に入れ替わってるんだ」とか言えそうですね。だから魂を自覚したあなたは、結局生き残っている、と。魂があると「確信」させる方法はありそうですし。

それでも無数の血を流す「自動人形」、「私」の形をした「自動人形」が転がっている。

JRF 2008年08月27日 6620


魂を確信した「私」は、それらに魂がないことを確信できる…でしょうか?多くの魂ある人間は、そんなに器用でしょうか。

…と教えた場合、自分に魂がある、と思う人間のほうが多くなるでしょう。一方、自分を機械だと思う人間は、ことによったら、とても献身的な働きをするかもしれません。

試してみますか?

JRF 2008年08月27日 0363

ご質問への私の答えは、このコンテクストにおいて「魂の有無がわかるという人はいるだろう」です。答えになっていなければ恐縮です。

なお、魂の存在一般について、《魂の座》(http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_10.html)という小話を書いています。一度、ご覧いただければと思います。ちなみに、意志の働きが、脳の動きによって説明できるようには、完全には、まだなっていないと認識しております。

JRF 2008年08月27日 8631

せんべい様、こんばんは。

JRF 2008年08月27日 3689

(おっと。)コメントありがとうございました。

JRF 2008年08月27日 5485

《魂の座》(http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_10.html
) リンク。括弧があるとうまくいかないようですね。今気付きました。

JRF 2008年08月27日 5544

>瞬間、自動人形に入れ替わってるんだ
なるほど。もしそうであれば、
>誰かを殺せたら、その誰かは自動人形である
というのは、
「誰かを殺せたら、その誰かの死体は自動人形である。しかし、死を迎える直前まで自動人形であったかは定かではない」ということになりますね。

外部から魂の有無を判定できない、という点で哲学的ゾンビを連想しました。 http://tinyurl.com/5fckqw

くろねこ 2008年08月27日 0019

なるほど、「哲学的ゾンビ」をご存知でしたか。私は、自動人形のリンク先にある《忘却からの帰還》(http://transact.seesaa.net/ )様ではじめてその言葉を知りました。その tiny リンクは踏みませんのでご容赦ください。

コンピュータ用語でいえば、fork した「自動人形」には定かではなかったということですね。そのようにはできるでしょう。5分前創造論を部分的に取り入れたりすれば。

JRF 2008年08月27日 6280

センベイ様。id を消しているのではないのですね。失礼しました。RSS でいつもひとことは見ています。

JRF 2008年08月27日 3885

くろねこ様、《魂の座》と《シミュレーション・アーギュメントを論駁する》から、いちおう、私は、外部から魂の有無を判定できない、とは限らないと思います。(前者で、神の記憶モデル、後者で超人の立場の認容を行えば、不可能とまではいえないと思います。)私の個人的立場は、なんとも言えません。これから先の問題だと思っています。

JRF 2008年08月27日 1390

…とりあえず、今日はおやすみなさいです。

JRF 2008年08月27日 2488

いや、大丈夫なようです。(今のところは、なのかな?)おやすみなさい。

JRF 2008年08月27日 1959

>しかも、レベルDの文明からは見捨てられているわけですから、「自分達はコンピュータ・シミュレーションにある意識ではない」と信じる積極的な根拠が得られます。

ここが面白いと感じました。現実の人類が神の存在を信じなくなっていく過程と似ていますね。
自然現象を神による介入と考えていた時代なら「人間は上位の存在による被造物である」という思想が一般的でした。科学の進歩により自然現象が神の手によるものでないと考えられるようになったことは、「上位の存在に見捨てられた」とも解釈できますね。

くろねこ 2008年08月27日 8988

せんべい様、こんにちは。ひとことはいつも消されているようなので、最新のものがたまに読めたり、読めなかったり、です。それ以外について、特に何か「意見」のようなものはないですが、「悪の犠牲」になれば「自動人形」というのは、死んだときの話ですし、予定説を信望していなければ、まぁ、そういう考え方もあるという程度です。

JRF 2008年08月27日 9112

くろねこ様、こんにちは。

まず、被造物という意識が一般的であったかという点については、判断を留保します。

次に被造物だという意識を持っている集団について、「神の存在を信じなくなってい」るというのも疑問です。かの宗教圏で、「神」の影響から離れるというのは、自由意志の存在の問題として今も残っていて、解決はしていないと認識しています。(拙記事:《自由意思と神の恩寵》(http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_2.html
)。
(つづく)

JRF 2008年08月27日 0540

そういうところで「正統」な考え方はおそらく「自然現象は神の手によるものでないようにも見える」というものだと思います。神の無限小時間での創造もまったくないとはいえない概念だと思います。

ただ、そこで述べたかったのは(部分)シミュレーションをしているものが神だと思っているとすれば、それは単なる「上位の存在」と呼べるものでしかないかもしれないのであり、誰かが、あなたにそれから見捨てられたと告げるように言っても、むしろ希望を持つことだ、ということです。

(つづく)

JRF 2008年08月27日 2642

いや、「述べたかった」というのは、ちょっと嘘ですね。書いたときはこういうことまでは考えていませんでした。純粋に論理的な反駁のみを考えていました。しかし、その論を、私達の歴史性に接続しようというなら、熱くなってしまわざるを得なかったのです。

大切な機会を与えてくださり、ありがとうございました。

JRF 2008年08月27日 0319

>神だと思っているとすれば、それは単なる「上位の存在」と呼べるものでしかないかもしれないのであり

すみません、ここちょっとわかりませんでした。
私は「神」という語を「上位の存在」と区別無く使っておりましたが、JRFさんは両者をどう使い分けておりますか。

区別無く使った理由は、仮に神が上位の存在よりも上の「最上位」に居る、たとえば文明レベルCの我々から見てZが神だとしても、DとEとFとZの存在が同時に登場した場合、私たちにそれを見分ける手段が無いように思えたものですから。
バトルロイヤルでもしてくれたら、最後に残ったのが神だとわかるのだけれど。

くろねこ 2008年08月27日 6520

「神」を唯一神だとすれば、「上位の存在」は神ではない、さしずめ「超人(スーパーマン)」(や天使)といったところだという使い方です。普通は超人を指して神でいいですし、超人がすべてにおいて人を超える必要もないわけですからそれを神と呼んだほうが妥当かもしれません。が、このコンテクストにおいてはそういう語法をします。

ただ、その唯一神がバトルロイヤルをして勝つかと言えば、ビミョーなんですけどね。某唯一神はヤコブ(人間)に負けてるぐらいだし。超人が複数いて見分ける手段があると言った場合もどうしても人は騙されてしまうでしょうね。

JRF 2008年08月27日 7353

見分ける手段があるとしても、人はきっと見分けないんですよ。ナンテネ。

JRF 2008年08月27日 2835

了解です。
長々とお付き合いいただき、こちらこそ有難うございました。

くろねこ 2008年08月27日 9805

「不安がつのる」というのをご心配くださったのかもしれませんね。そうでなくても、そういう精神状態のときに他の方と話ができたことは幸運でした。くろねこ様、センベイ様、お心遣いいたみいります。

JRF 2008年08月27日 4084

なお、上の議論があった頃、アフガニスタンでNGO職員 伊藤 和也 氏の拉致があったむねが8月26日に報道され、解放の誤報などがありましたが、27日の夜、銃で撃たれ死んでいたことが報道されました。事実のみ付記しておきます。

JRF 2008年08月28日 6319

センベイ様ですよね?おはようございます。

JRF 2008年08月28日 2101

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