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ぐはっ。SP3 更新で、うちの無線LANが使えなくなった。ドライバ関連のエラーらしいのでメーカーのサイトに行くと、なぜか、ドライバのページにつながんねー。
JRF 2008年8月31日 (日)
ぐはっ。SP3 更新で、うちの無線LANが使えなくなった。ドライバ関連のエラーらしいのでメーカーのサイトに行くと、なぜか、ドライバのページにつながんねー。
JRF 2008年8月31日 (日)
ページにつながったが更新の情報はない。うぅ…どうするべきか。しばらくは SP2 のままいけってことかな。
JRF 2008年8月31日 (日)
神義論を派生とするって何だろう?人が義しいとはどういことか、かな。人義論か(ん?仁義論?)。道による違いというのは当然に意識されるだろう。
JRF 2008年8月31日 (日)
神が人をどう「裁く」か、がまずあって、ならば、神自身の正しさはどうなのかというあたりが出てくるのはそのずっと後ということか。つまり、神義論といった時点で、神を人のところに下ろしてくる見方がビミョーにある、と。でも、「ホサナ、神はいと高くいまし」だ。
JRF 2008年8月31日 (日)
でも、高くあるから責任があるわけではない、がノア的義しさか。でも、それも一つの道なのではないか。「裸」すなわち自尊心の領域を超えた真実を知る者が「奴隷」ともなって生きるという道もあるはず。その生き方は人としての義を何ものか高きところに預けてしまい流されて去ぬることでのみ表す。
JRF 2008年8月31日 (日)
それは人としての義しさではありえない。
JRF 2008年8月31日 (日)
それは神の義しさというわけでもないと思う。その人は機械のように生きているともいえない。「動物」のようではもちろんない。軍の下にあって、問われるのは軍のトップの正しさだというのは違う。責任の根は認めがたい。あえていうなら法の正しさか。法はヤグラ。
JRF 2008年8月31日 (日)
「区別できない」のは本質的じゃないかと書いた。本当は「予想できない」のは本質的と書こうと思っていた。思い出して考え直した。予想の任をつくったから、見えるようにしたから、知識を得たから、予想できるようになったということは普通ないだろう。予想は「できるようにする」ものなのだ。
JRF 2008年8月31日 (日)
ただ、地面をよく見ていれば揺れたことがよくわかるというものではない。棒を立てて見てはじめてわかることもある。
JRF 2008年8月31日 (日)
王をたてて、王の子に病があることがわかった、というとき、それは怒りが強いということではない、けれども、そういうことが隠れていない社会になったということはわかるようになる。
JRF 2008年8月31日 (日)
「予想できるようにする」ためエネルギーを使って何かをきずいている、だからと言って、もちろん、エントロピーが減りはしない。それはクーラーのヒートポンプのように、大きなエントロピーを外に振りまいただけだ。エントロピーというか、この文脈では混沌と言ったほうがいいのかもしれない。
JRF 2008年8月31日 (日)
混沌が増えることで、偶然に自由な意志とか霊が生まれるようになると考えるのは、魔術的だが、それで正当化したものもあるのかな。
JRF 2008年8月31日 (日)
バベルの塔(予想できるようにするもの)と言語の混乱(自由な複数の言語)がうっすら見えるかな。以前記事に書いたところでもあるか。 → http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_13.html
JRF 2008年8月31日 (日)
…ちょっと違うか。予想できるようにするのではなく、どういう予想であっても対応できる何かをつくっておくほうが基本か。
JRF 2008年8月31日 (日)
でも、その限界も必ずあるしなー。
JRF 2008年8月31日 (日)
昔、「アキレスとカメ」の問題を「アルキメデスと亀」と言い間違いしていた。ググると結構間違えてる。ということはどこかの先生が間違って教えていて、私も影響されてたということなのかな。
JRF 2008年8月31日 (日)
義人ノアの物語というのは義人ヨブの物語と同じような周辺を持っているのかもしれない。ノアの行動というのは表面的には決して善ではない、洪水が最も恐ろしい災害だった時代に一人だけ逃れるようなことは唾棄すべきこと、しかし、ノアは善とされる、その条件は何か、という構造だったのでは?
JRF 2008年8月31日 (日)
おネショがその記念ってことになるのかな?(^^)。酒飲んで裸になってって結末。ドラえもんのアニメで、予言するメカが洪水の図を映し出したんだけど、それは夢の中の出来事を予言したに過ぎなかったんだってオチがあったなぁ。
JRF 2008年8月31日 (日)
なんで「世界地図」を外に干すのさぁ!ってギャグはまだ通用するんだろうか。
JRF 2008年8月31日 (日)
「くもる」を「雲る」と書いてはいけない、「曇る」なんだ、って口を酸っぱくして言われた。ただ、確かに、名詞「くも」に「る」だけ付けて動詞にする、「る」が取れて「くも」だけで通用するようになる、というのは語感がおかしい。「くま」と「こもる」の激しい対立があったとか…。
JRF 2008年8月31日 (日)
お子様のお嬢様ならお逃げなさい、と。
JRF 2008年8月31日 (日)
「もり」と「はやし」って、大きいから「森」、小さいから「林」じゃなくて、もりもりっと自然にはえているから「もり」、人が育て生やしたから「はやし」と違うのかな。昔から住みついて守っているのが「もり」、ハケンしたのが「はやし」とか。おはやしにしかならなかったら問題だから言わぬが花?
JRF 2008年8月31日 (日)
派遣使と書いてはやしとか?
JRF 2008年8月31日 (日)
ググったら他の人も書いてた。もりとはやしの違いについては正解らしい。が、そう言われると別の説も考えたくなる。とりあえず二つで林、三つで森というのは、大小ではなく、二木=ふたつき=降(り)立つ木=はやし、三木=みつき=見つ木=見た木=もり、ということではないか。
JRF 2008年8月31日 (日)
先の問題、ノアの問題意識なのかもしれない。ヨブよりずっと前という点で、神義論の派生ではなく、神義論が派生なのかもしれない。
JRF 2008年8月30日 (土)
「爻の象」って「チョメチョメのショー」って読むんだろうか。
JRF 2008年8月30日 (土)
少年A(エース)10月号の付録のハルヒちゃんの占いシャーペンがちょっと気に入った。禁則事項連発してますか、私は(^^)。易までするのはどう考えても手に余る。岩波新書「易のはなし」がおもしろかったりするけど。
JRF 2008年8月30日 (土)
笑いはわからないと書いたことがある。正直に告白すれば、笑いに、自分を含め笑う人を超えたものを感じる。なぜ、あなたは笑ったのか、私は笑っているのか。そして、そう考えて黙ってしまうことの無意味さ。時間が感じられる。
JRF 2008年8月29日 (金)
まぁ、その、自分の審級となっている者の感覚を接いでいる部分の現れだから、そんなふうに思える、と言えば言えるのだろう。
JRF 2008年8月29日 (金)
個々のコメントに関しても「パス」ボタンが欲しいと思った。「パス」と書けばいいというのも真理だが、それだとトゲトゲしいし、ボタンがあるということはシステムの側でパスすることがあることを広く認めていることを示していると見える。
JRF 2008年8月29日 (金)
コメントにパスを「集計」する機能まではいらない。ひとこと欄に対するコメントはもちろん他の人も読んでいるが、ひとことを書いた人が主なターゲットとみなせるので、その主な人のみ「パス」がなされたか表示されれば良い。「欄主の状態:パス」とか「欄主はパスを選択しました」とか表示する。
JRF 2008年8月29日 (金)
ある人のコメントをすべてパスするとか、ある単語が含まれていれば読まないようにしている、とかいうことがあることをシステムの側で広く認めていることを示すためには、API でパスの機能を公開しているべきだ。
JRF 2008年8月29日 (金)
…そう考えると API の公開には、一般的に機械「的」処理の了解の含みがあると言えるのか。
JRF 2008年8月29日 (金)
機械が責任を負ってくれるなら、削除もあっていいかな。削除、パス、非表示、あとは未読(化)が必要かな。あと欲を出すなら、「それらとは別に」自由なタグを付けられるようにならば良い。
JRF 2008年8月29日 (金)
自由なタグと「パス」「非表示」「未読」の特殊タグを分けるのは後者は新着管理などの特殊な処理を前提とするため。あと、すべてのユーザーに状態を表示するときは欄主の情報のみを載せればいいが、「非表示」「未読」はすべてのユーザーが選べるべきだな。
JRF 2008年8月29日 (金)
でも、削除や変更を行う API というのはコストが高い。また、ほんの少し複雑な API でも API の更新にユーザーが対応するのが難しくなる。API を使う「者」は限ったほうが対応がしやすい。
JRF 2008年8月29日 (金)
また、機械が責任を負うと言っても実際に削除しているのは結局、欄主だと映るのは精神衛生上よろしくない。責任転嫁をしたい。
JRF 2008年8月29日 (金)
とすると、moderator がいたほうがいいか。削除などの権限を欄主と共有する者。
JRF 2008年8月29日 (金)
ただ、moderator を作るとすると、今度は moderator の横暴が問題になるか。ネット型スパムフィルタの問題と同じ。
JRF 2008年8月29日 (金)
昔、こういった問題の対処に関して私は random_mail_redirect, balance_mail_redirect というプログラムを作ったことがある。公開しなかったし、実用に具す機会がなかったが。
JRF 2008年8月29日 (金)
balance_mail_redirect は来たメールについて、用意されたリストの中の一人(二人等にもできる)をランダムに選んでそこを宛先とするというもの。
JRF 2008年8月29日 (金)
そして、過去の配送記録から、できるだけリストの中の人に平等に配分する機能もあった。これは「検閲」を行う「秘書」に仕事を分担するというイメージで作った。
JRF 2008年8月29日 (金)
random_mail_redirect は来たメールについて、一定の確率でのみ指定された宛先に送り、あとは捨てるというもの。balance_mail_redirect だけだと秘書が結託した場合、重要なのに届かないメールが出てくるかもしれない。
JRF 2008年8月29日 (金)
そこで何(十、百、千…)回かに一回は random に秘書を通さずメールを受けとることで、秘書にプレッシャーをかけるというイメージで作った。
JRF 2008年8月29日 (金)
シンプルなトイプログラムだが、秘書が機械になってもこれは有効、上の moderator に関してもそう。moderator に関しても random_mail_redirect や balance_mail_redirect ができたほうがいい。
JRF 2008年8月29日 (金)
ただ、random や balance はブラウザ側でできるし、「秘書」が信用できないことがあると考える以上、ネットの先にまかせるべきではない。
JRF 2008年8月29日 (金)
[アイデア] …とするとアバウトミーのひとこと欄(等)に必要なのは、moderator (削除等の権利共有者)がコメントごとに指定できる、それだけでなく、Javascript から指定できる、こと。…かな。
JRF 2008年8月29日 (金)
録画していたソウルイーター第21話を観た。パスばっかりされるのも辛いか。歪むな。未読もタグも moderator もとなってその周辺も造るとなるとエラいコストだしな。
JRF 2008年8月29日 (金)
嘲笑された私が哀しいのではなく、嘲笑する者の性が哀しいわけでもなく、嘲笑そのものが哀しみ表現、過去の何ものかの哀しみの発露だと見られるようになったら、ナカーマ。面倒くさい感じ方だけど、自己防衛の面になるときもあるから、そういう感じ方もつかう。
JRF 2008年8月29日 (金)
そういう感じ方は、微妙に転生への信仰を隠しているようにおぼえて避ける人もいるかもしれないけど、先の笑いを審級に結びつける考え方をすれば、転生まで持ち出す必要はない、…はず。
JRF 2008年8月29日 (金)
すごい湿度に感じるな。
JRF 2008年8月29日 (金)
災厄がなぜ「私」に及んだのか。応報はあると考えたいけれど、そこまで悪ではない「私」がなぜ?…神義論の派生ともとられる問題。一つの解答として、「悪が区別できないから」というのが考えられる。
JRF 2008年8月29日 (金)
誰かが悪いことをする → 何者かが怒り応報する → しかし「何者か」は「誰か」を特定できない、というか、特定しようとせず、人や class に対して報いようとする →
JRF 2008年8月29日 (金)
→ 悪が「誰か」を区別せず、かといって人全体に平等に何かするわけではないので、別の誰か「だけ」が他の誰かの応報により苦しむ。…という解答。
JRF 2008年8月29日 (金)
だから、その応報として間違った部分を人が人を責めることで補う、という論につながる。しかし、じゃあ、人が人を責めるとき「区別」できているのか、災厄と同じことをしていないか。
JRF 2008年8月29日 (金)
高い地位にあるだけで人を責めたりしていないか。高いところにあるというだけで「神」を責めていないか。人だけの社会で高い地位にあるから逃れられてしまうようなことがあるのに、いい立地に住んでいて災厄を免れやすいということが許されないのか。
JRF 2008年8月29日 (金)
「誰か」が悪をなしているというのはエネルギーを発散させてエントロピーを増やしている状態に擬せられる。
JRF 2008年8月29日 (金)
じゃあ、それを特定の誰かに向けることができるというのは、高いエントロピーのエネルギーを低いエントロピーの特定の仕事にするようなものだから、「区別できない」というのは本質的なことなんじゃなかろうか。「熱力学第二法則」が悪いんだという人の気持ちがわからないでもない…か。
JRF 2008年8月29日 (金)
なかなか pop できない。
JRF 2008年8月29日 (金)
確率変数の独立性に関して、Cochran の定理なるものがあることを知る。 これで懸案にとっかかりができるか?
JRF 2008年8月28日 (木)
「高度なシステム」がある状況での「ダミー行動」は権利としてすら認められるべきである。それは「迷惑」とすべきではなく、問題の表出ととらえるべきである。ダミー行動ですり抜けられることは犯罪者の本気に対抗できない。迷惑でかたづけられる表出は、幸運なのだ。
JRF 2008年8月28日 (木)
プライバシーは私生児の生命を意味することがありうる。本当にプライバシーが必要な状況というのは確かにあるが、人はときに無意識的にそのような状況を擬したダミー行動を行う。その自由としてプライバシーを主張できるべきだ。
JRF 2008年8月28日 (木)
それはある種の自尊心、自分だけしかわからないことがある、自分がかかえなければならないことがある、といった心として表現される。それが事実である必要はない。プライバシーとは自尊心の領域とほぼ同義であると私は言ってしまう。しかし、それは社会が事実を知るべきでないことを意味しない。
JRF 2008年8月28日 (木)
では、どうアプローチするか。話は変わるが、お年寄りに席をゆずるべきとき、「高齢者から声をかけるようにする」よう呼びかけてはどうかと考えはじめている。もちろん、それは「常識」ではない。しかし、正当な理由があるとみせかけることもできるのではないか。
JRF 2008年8月28日 (木)
まず、ここでの「常識」の理由を考える。若年の者のほうが注意力がある、または、それを鍛えるべきである、と考えられているのが一つ。高齢者が、自尊心より、または、トラブルになる可能性を考え、自ら要求することを避けているのが一つ。
JRF 2008年8月28日 (木)
「正当な理由」にみせかけるとすれば、前者の問題について状況が変わったと説明することになるだろう。高齢者の人口が増え、元気なお年寄りに譲るより、必要とするお年寄りに譲るべきときがあとから来るかもしれない、という予想が妥当性をもっている。
JRF 2008年8月28日 (木)
「元気なお年寄り」は、「必要とするお年寄り」が来たら「彼が私に声をかければいい」と思うかもしれない。でも、それなら、元気なお年寄りもまず声をかければいいのである。
JRF 2008年8月28日 (木)
しかし、それでも後者の(自尊心の)問題は残っている。
JRF 2008年8月28日 (木)
この問題は一端、置いておきます。レジスタに気分だけ残してスタックにプッシュ。
JRF 2008年8月28日 (木)
自戒を込めて。何かが正当化を「している」というとき、自分は「している」前のものを不当と感じている。その不当性は、そのときは自明に思えていて、実際そうであるのだろうけれども、必ずといっていいほど、似た事案で不当かどうか判断しかねるものが現れてくる。それは心のどこかに置いておくべき。
JRF 2008年8月28日 (木)
スタックをちょっと侵犯して、その前の部分の気分を取り戻して…。プライバシーを私生児などの「生命」に直結した場合、できるアプローチとして健康情報の積極的な流布がある。
JRF 2008年8月28日 (木)
王をはじめ自尊心の領域を守ることがうまくいきすぎている場合、それと対照となる十分な健康情報の開示が必要なのかもしれない。たとえば、肉体を「展示」することは、そういう文脈で捉えるべきなのかなぁ…と幽かに思い及んだ。
JRF 2008年8月28日 (木)
所得税の非課税を法人税の損金算入にからめないかわりに、消費税の課税仕入れのほうで加減するのは、前いった枠組をはめるなら可能かもしれない。ただ、やや無原則な感じもするので、将来的な消費税制の展望をつくってそこから、還付というロジックを出す。……って、似たような枠はありそうだな。
JRF 2008年8月28日 (木)
プロフィールを更新し、「また、手近に書いた長文を分割してひとこと欄に出すことがあります。そのため私のIDをコンタクトに追加なさると「コンタクトの新着」欄が、私のひとことだらけになってしまうことがあります。私のIDをコンタクトに追加するのは、あまりおススメできません。」と足した。
JRF 2008年8月28日 (木)
福利厚生費の損金算入と所得税を関連づけるのはかなり難しいと思う。所得税のほとんどが非課税になる人の分の福利厚生費を特別視するというのは、論理的ではあるけど、実現が難しいのでは?
JRF 2008年8月27日 (水)
…いずれにせよ、私は勉強不足だから。……これまでもそうだし、今も、何かと思うようにできてない。
JRF 2008年8月27日 (水)
…違うな。そうじゃない。予防線はりすぎだ >> オレ。
JRF 2008年8月27日 (水)
朝、左膝の調子がおかしかったが、…だいたい大丈夫かな?違和感は…両膝ともあるな…。
JRF 2008年8月27日 (水)
「これぐらいなら/このままなら、大丈夫だろう」の「これ」「この」の内部にはゾッとするものが含まれうる。その私への表出を私は捉えられない、捉えても心に留められない、今きっとそうであるだろう。私は何を見過ごしにしましたか。
JRF 2008年8月26日 (火)
ちなみに、私は「ら抜き言葉」は「れ足し言葉」である説を採る。「食べうる」の「うる」が「売る」との混同を避けるため衰退し、「食べえる」となったが、これが e という母音が二つ重なるため、わかりやすく r 音が足されて「食べれる」となったという説。もちろん「れる」との混同も前提。
JRF 2008年8月24日 (日)
責任を転嫁するようで心苦しいけど…。私に新共同訳のヤコブの繁殖が魔術的なものと読めてしまったというのは、単なる興奮剤と読ませたくないという意図があったからではないか。
JRF 2008年8月24日 (日)
つまり、ヤコブが興奮剤を使って、水を飲みに来たラバンの羊の種を「盗んだ」とはしたくない。さらに、そのような行為は「盗み」でなければならないと、ヤコブの時代のモラルは関係なしに、強硬に主張する者がいた。(陰謀論的だが。
JRF 2008年8月24日 (日)
)ゆえに、ヤコブは興奮剤よりも「魔術」を使ったと読めたほうが望ましい。…そこであのような記述になっている…違うかな…。
JRF 2008年8月24日 (日)
他に問題のある部分が多いなか、そこまで「矛盾」を押し徹すものは何だろう。ドグマが隠れているのだろうか。……。これが新共同訳の問題なら、ひょっとすると、ユダヤ教会からキリスト教会が分離したことと関連付けられている可能性があるけど…。
JRF 2008年8月24日 (日)
本文からだとすると、考えにくいが、木の張型を使った異教祭儀との関連または批判があるのだろうか。まだらやぶち、山羊や羊というものに異教の影響を受けた信者群をなぞらえているとか…。地方の祭りとしては聖書が書かれるころはまだ残っていたとか…。…この推察は苦しいか。
JRF 2008年8月24日 (日)
興奮剤にはならないという知識からすると、逆に興奮剤として使えたことの奇跡性が問題となっていったから、訳(や本文の伝承)が変わっていった、というところで落ち着かせるべきかな。
JRF 2008年8月24日 (日)
…といずれにせよ、私の解釈のいきすぎの責任逃れなんですが。^^;)
JRF 2008年8月24日 (日)
金があるもの、または、知識があるものから、というのはヒドい発想ではあるが、知識が「ただ知っていること」を意味するなら、まだ救いがあるようにはできる。ギリギリの選択…でもないか。逆なんだろうな、知識がないことを受け容れようとすることができる、ということの意味することは。
JRF 2008年8月24日 (日)
それでも世の中が好転しているなら、そこには、そうでなくてもできる人の意思があるのだろう。(なんだろう…。この不安は…。プライバシーが意味してきたものってなんだ。)
JRF 2008年8月24日 (日)
不安は反作用のようなもので、それを今考えている問題につなげただけだ。
JRF 2008年8月24日 (日)
他の訳などを読んでみた。創世記30章を《イメージによる進化》と結びつけるのは、完全な間違いとは言えないものの、いきすぎた解釈であったかもしれない。
JRF 2008年8月23日 (土)
木の束は、イメージをつくるものというよりも、単なる興奮剤のようなもので、ラバンが引き離したまだらなどの羊が水を飲みにきた隙を狙って、興奮剤を使って交尾させた、というだけのことかもしれない。
JRF 2008年8月23日 (土)
タマルやディナの逸話、あれが自分の感情にしっくりくるという人もいるんだろう。私は少し離れているが、その感情の種があるようでわかる気がする、と同時に、これは理解されないことがあるな、という気もする。
JRF 2008年8月23日 (土)
無意識ぐらいになる反応というのは、今は見えにくくなっているけどやっぱりある、社会や個人に表出することがありうる、と思う。
JRF 2008年8月23日 (土)
それとどう向き合うか…。今それを考えていてもしかたがないことなのかもしれないけど…。集合的無意識じゃないけど、私が今思い沈めていることが、どこかで誰かに届くかもしれない、とオカルトじみた考えも持つ。
JRF 2008年8月23日 (土)
ダーウィンの進化論を待つまでもなく、「家畜」を造り出した人類が、自然淘汰を知らなかったはずもないだろう。わずかな優越性が種を選び出す。人は人為的にそれを早める方法を使っていた。それが人というものの認識にも相当程度影響があっただろう。
JRF 2008年8月22日 (金)
ヤコブは兄弟すら出し抜くことをよしとした。その結果、彼はイエをほとんど追い出され、親戚のもとに身を寄せることになった。その途中、彼は地上のすべての氏族が自分と関係を持つようになると神が告げる夢を見た。…すべての「長」となること、それが生きたものの目的になるべきだろうか。
JRF 2008年8月22日 (金)
親戚のもとで結婚したヤコブは、繁殖も含めた家畜の管理を任される。人の管理のもといつか「自由」になる日を夢み、管理者として優れた働きをするようになる。ヤコブの群れの中にはまるでヤコブが羊になったかのように優秀そうな羊もいただろう。だが、それがどれほど彼の役に立っただろうか。
JRF 2008年8月22日 (金)
何十年も親戚のもとに留まっていたヤコブは、半ば強引に独立をはかり、昔兄弟と暮らしていた地に戻ってくる。ヤコブは、かつての自分の行いが恨みとなって残っているのではないかという恐れを抱いている。
JRF 2008年8月22日 (金)
ヤコブは兄弟と争うことも、再び出し抜くこともできただろう。すべての「長」となれるならば、当然、ここでどう行動しても良いはずである。だが、ヤコブはそうしなかった。
JRF 2008年8月22日 (金)
ヤコブが群れを二組に分けたのは互いに争わせるためでない。
JRF 2008年8月22日 (金)
ヤコブは、むしろ「神」と争うことになる。ヤコブが争い、おそらく別人格としたのは自然淘汰の考えだったと私なぞは思う。
JRF 2008年8月22日 (金)
それも束の間、ヤコブの子供達が淘汰することを当然視するような行動に出たり、兄弟の間で争いをするようになる。そしてヤコブが一番かわいがっていたヨセフが、彼の前から消えてしまう。
JRF 2008年8月22日 (金)
だが、このヨセフがエジプトで苦労ののちに大きな権力を掴み、やがてヤコブ達の困窮を救うことになる。ヨセフを大きくしたものは何だろうか。「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」ではないが、人がもち人と支えあうことになりうる知恵は、どのように世を介していくのか。
JRF 2008年8月22日 (金)
《なぜ人を殺してはいけないのか》(http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/12/post.html)に「保険」として書いた部分の私の考え方は、ここから来ていると行っても良い。
JRF 2008年8月22日 (金)
ヤコブはヨセフの子供に祝福を送るとき、その腕を交差させる。私はここに突然変異のイメージを見出してしまう。ヤコブは孫達に予想したことについて、その不条理としかし、運命的必要性を見出しているに違いない、と私は思う。
JRF 2008年8月22日 (金)
社会の悟り、それが「物語」の個人の悟りとして現れている。でも後者の「悟り」は、一切知と呼べるようなものではない。
JRF 2008年8月22日 (金)
でも、私はこういったもののほうに魅力を感じるようになってきた。
JRF 2008年8月22日 (金)
どうも昼ごはんを食べすぎたのが今たたっているもよう。痛みは少ないが、お○とはしてしまった。
JRF 2008年8月21日 (木)
調子が戻らない、ような気がしているが、前からこんなもんといえばこんなもんだったか…。
JRF 2008年8月21日 (木)
創世記 30:37-30:43 で、ぶちやまだらの羊は自分のものとできるという約束をしたヤコブは、ぶちやまだらの羊が丈夫な羊となるような方策をとろうとする。それは交尾のときに、木の枝の皮を一部剥はいだものを見せるというものであった。
JRF 2008年8月21日 (木)
おそらく、ロジックとしては、交尾という興奮状態のときに見たガラの子供が子宮で形づくられやすくなる、または、次回から、印象に残った「背景」に似たガラの相手と交尾しようとするようになり、そういうガラの子供が産まれやすくなる、ということだろう。
JRF 2008年8月21日 (木)
これは現代の畜産の観点からは問題のある記述である(参『旧約聖書略解』)が、私が書いた記事《イメージによる進化》(http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/06/post.html)に似た考えがそこにある。
JRF 2008年8月21日 (木)
重要なのはヤコブのセカイの捉え方である。ヤコブにはこのころ次々と子供が産まれている。動物の繁殖をこのようにとらえたヤコブは、人間というものをどう見なすだろうか。
JRF 2008年8月21日 (木)
…昨日の調子悪さを今日もひきずっている。二日続けてというのは少しめずらしい。体力が落ちてるのかな?
JRF 2008年8月21日 (木)
ヤコブは、まだらやぶち(やその子供など)を掛け合わそうとしなかった。むしろ、それらがどのようなイメージを持っているかに着目する。もし、ヤコブがこの方法により目的のものを得られていたとしたらどうだろうか。その羊は人の提示したイメージに従って、産みわけができる個体、ということになる。
JRF 2008年8月21日 (木)
ヤコブが羊に欲したのはこの特徴であると、私は考える。このような汎用的特徴さえ持っていれば、こちらが用意するイメージを羊たちに理解できるものにさえすれば、どのように望んだ個体も得られるようになるだろう。
JRF 2008年8月21日 (木)
本当にそのような個体を「実現」できるなら、必要なのは、まだらや、ぶちといった外見でも、丈夫であるという特徴ですらないのだ。
JRF 2008年8月21日 (木)
そしてヤコブは、ヤコブが羊に期待したように、神がヤコブに期待するものを感じ取った、と私はとる。「神とはそのようなものだ」と読み込むのはここでの正しい解釈と思う。この「物語」を書いた人もそのような意味を見出して欲しかったと私は思うし、そう解釈する者は私の前にも少なくなかったはずだ。
JRF 2008年8月21日 (木)
ヤコブは一神教ということの意味を、そのときは、イメージを実現できるという一つの評価基準によって、捉えたのではないだろうか。
JRF 2008年8月21日 (木)
だが、現代の畜産の観点からは問題がある以上、古代でも、ヤコブの見識が問われていくのは当然である。一方、「羊」にわかるイメージを創るとはどういうことかも、ヤコブは悩むことになるだろう。
JRF 2008年8月21日 (木)
…一週間ぐらい前に行ったプールで日やけした肩の皮膚が、今ごろボロボロむけてくる。行った次の日あたりからむけはじめていたが、今日がピークのようなズルむけかた。
JRF 2008年8月21日 (木)
《イメージによる進化》を考えても、イメージのみで変化できるのは、蓄積された遺伝的浮動の余祐分だけ、と思っていた。
JRF 2008年8月21日 (木)
実はこのあたりは、ビョーキになったときの考えもちょっと入っている。「争い」(による)「死」が必要なものだったと認めよという抑圧をそのときは感じた。私はイメージのレベルにそれは留められた、その抑圧こそ問題だ…などと応えたりした。
JRF 2008年8月21日 (木)
そのあたり余り覚えていない。でも、忘れちゃいけない芯のようなものは心に残っている。いや、少し違うかな。そのような芯はその前からあって、今に続いている。
JRF 2008年8月21日 (木)
でも、生きたのち、今の自分を判断する限り、そのような芯は世の中の役には立たなかったとなるだろう。いや、私があまり悪いことをしなければ、ほんの少し、ひと一人分は役に立ったとなるかな。
JRF 2008年8月21日 (木)
それで終れれば御の字ではある…か。まだまだわからないけどね。
JRF 2008年8月21日 (木)
抑圧に対するモデル。「死」が無用としないのは蓮の花。未来に出張ってしまったものが、過去に植える。時間は超えてないように見ることもできる。そのモデルは百合の花のよう、とか。
JRF 2008年8月21日 (木)
この辺は、伝わらなくていい、というか、伝わったらその人の精神が心配。
JRF 2008年8月21日 (木)
今日は、この辺できりあげて、「第一資料」の該当部ををもう一度読み返そう。
JRF 2008年8月21日 (木)
法人税を下げて消費税を上げる…。福利厚生費に関して損金算入できる範囲を広げ(チームごとの慰安旅行を認めるなど)、一方、交際費や福利厚生費を課税仕入れとできる範囲をせばめる、といったところか。対策で「必要」と言えそうと思えるのは私はこれだけかな。
JRF 2008年8月20日 (水)
ルソーの自然状態が、ライフルや蒸気機関があればどうなるか、というのがアメリカの関心だったのか。銃社会に哲学的含意を見るべきなのかなぁ。
JRF 2008年8月20日 (水)
違う見解が浮かぶとき、とか、もっと簡単に、本を読んでるとき自分とは違うキャラクターの声が内心に響いているとき、それが「生き霊」のものでないとどうして確信できるのだろう。(世界がすべて私の想像と考えることの亜種か?いや、違うか。)
JRF 2008年8月20日 (水)
自分で見解を統合しているという感覚があるからか、そんなことはあり得ないという常識があるからか。
JRF 2008年8月20日 (水)
「常識があるから」というのが実は大きいのではないか、「生き霊」という概念を知ったあとは。そうでないとどうもこの人…と思うことがあるように思う。そこまでの関心は自分に向けられてないはずだから、というのもあるかな。あと、「生き霊」でなくてもよいか。
JRF 2008年8月20日 (水)
ちょっと、ビョーキになったころを思い出す。
JRF 2008年8月20日 (水)
カルトが大乗に染まると見るのは、他仏教派と同じく大乗にも極まる道があり、「中途半端」になるのがいけない、古いものはそれ独自の価値があるという保守的思考からきているか。
JRF 2008年8月20日 (水)
保守的思考だから間違い、ということはないが、ここでの私の考えは、深みはなかった。
JRF 2008年8月20日 (水)
ここまでで、一つの価値観をメインにして、そこから他の概念があるように「再構成」するという話があることを示して、旧約、ヤコブの羊の繁殖の話につなげる予定だった。
JRF 2008年8月20日 (水)
7月下旬からずっとそこを目指してきたんだけど、そろそろ、「やっつけ」てしまわないと…。いつかブログの記事にすることがあれば、そのとき整えるということで…。
JRF 2008年8月20日 (水)
炭疽菌…。911のころにはこれも異常を私に起こさせるキーワードだった。「Cを入れる」とはどういうことか。英語におけるCの役割、プログラミング言語としてのC、炭素、他にもCの形から何か想像したが忘れてしまった。今見れば炭「素」箘ではないのですね…。
JRF 2008年8月19日 (火)
ピルクルは今はグミのキャンディーになっているんですね。おいしかったです。
JRF 2008年8月19日 (火)
自分の思い残りを絶ってくれたことを、複雑な思いがありがなら、甘んじて容れ、それを多としよう、というとき「ごかいしゃくありがとう」とでも言えばいいのか。その返しは「ゆきしらせよ」か「つゆほどのこともない」か。
JRF 2008年8月19日 (火)
「甘んじて受け容れて下さい」と言われて、自分が折れたとはしたくないとき、「おぼえておれよ」とでも返すかな。
JRF 2008年8月19日 (火)
軍事行動や人体実験を起こす人間までも取り込み、自らの責任としようというところに、大乗の道があるのではないか。違う派のものであったとしても、そういう責任を自分のものとせねばならないと思えば大乗に染まっていくしかないのではないか。
JRF 2008年8月19日 (火)
ある種の迷信をとりこみながら、ギリギリのところで影響を及ぼせないか、と模索すれば、業もバランスを失い、世事を厭えなくなる。
JRF 2008年8月19日 (火)
そのような本来ならば「境地」として体現すべきところをほぼ最初からつきあっていこうとする。
JRF 2008年8月19日 (火)
そこに自らの悟りは半ばにあり、そしてその半ばにあるものが力を持つことを是認する社会がある。そこに我々が仏像などに見るような「悟り」はなくなる。「私ははたらいている」だがしかし、どこの誰かはおぼろげな「あなた任せ」が、どうにも「はたらき」によって支え合っている。
JRF 2008年8月19日 (火)
「あるがまま」がいいわけないはずなのに「あるがまま」が良いようになっている。
JRF 2008年8月19日 (火)
それは「幸せ」ではないサ。
JRF 2008年8月19日 (火)
念仏の改革派一神教的側面を考えようと思っていたときに、小林一茶の『おらが春』を読んだ。創作部分があるそうだから言ってしまうが、その「美的感覚」は、浮わついた部分があったり、強調があったりしても、庶人として此世に身を寄せたことの数奇さをよろこんでいた。…ように読めた。
JRF 2008年8月19日 (火)
念仏というものが意志のものではなく、(地獄)必定に私が唱えることになった。と捉える…ということだろう。それは信仰によって義とされるといいながら、すべての人は十分な信仰をもつことになるだろうと直感することの裏返しのように思える。
JRF 2008年8月19日 (火)
そのメンタルモデルは部分的に理解できる。それは念仏で善いとまで「譲った」結果として現れている。無意識的に唱えることもありえると思えるがゆえに、その心もちがありえる。そして念仏で善いということを正当化するには、弥陀の本願を持ってくるしかなかったということだろう。
JRF 2008年8月19日 (火)
だが、今「あるがまま」に見れない私のような人間には、「結局すべての救いが阿弥陀如来によることになったとしてもいい、それが末世なのだ」という考えは、偏りが大きすぎるように思える。
JRF 2008年8月19日 (火)
そういう救いを求めない人がいる。それらが社会を支えていると、(映像などから、他の価値観が)見えてしまう人は、別の原理があると見てもゆるされてあれなければならない。
JRF 2008年8月19日 (火)
そこに必定はゆらぐ。それも「あなた任せ」であると思えるか。
JRF 2008年8月19日 (火)
帰郷過ぎ卑属と知らぬ電影に忘我のさとは口険しからん。
JRF 2008年8月19日 (火)
音だけで作ったからかなりフィクション。
JRF 2008年8月19日 (火)
自分が戦うという視点を得れたので少し考える。ADR には調停を再利用するものからマージンをとれるようにすべきではないだろうか。ADR はプライバシーを守ったまま司法的解決をはかれる。が、そうするとコストが跳ね上がる。
JRF 2008年8月17日 (日)
そのコストを投資という形に考えれるなら、払える場合も増える。弁護士が自分の収入のために貧乏人のADRを仲介するというケースもでてこよう。これは貧乏を利用する点で普通いやらしいが、調停という財を造り上げるというモチベーションにすれば罪責感を減らすのではなかろうか。
JRF 2008年8月17日 (日)
つまり「司法特許」のようなものが必要である。と。しかし、それをそのまま与えてしまえるなら、これまでもそうしていただろう。契約の自由にもひっかかる。より工学的なプログラム特許に帰着すればなんとかならないだろうか?
JRF 2008年8月17日 (日)
保護を受ける調停の場合には、契約者をコンピュータ上にモデル化しなければならないとすれば、どうだろう。そこに工学的複雑さが出てきて、特許を使うようなことが必要になる。…とか。
JRF 2008年8月17日 (日)
これだと、解決をはかりながら構築するということにならないか。先に契約者のモデルを創ってから、それに合う人を探すことになるかな。…それはなにか違う気がするなぁ。その、言ってしまえば、紛争の「奇跡性」が評価されてないことが不満なんだけど、そうと言うわけにもいかない…。
JRF 2008年8月17日 (日)
「プログラム」特許を使うような複雑なモデルを構成しないと調停の効力がないという調停を創る…。うーん、いい考えだと思ったんだけど、先にすすまない。この考えも塩漬けか。
JRF 2008年8月17日 (日)
味覚は覚えられ、保守的になっていく。それがF1雑種の安定性以上の「価値」を造り出すことがある。…フィードバックループができることが、多元的価値をもった確率モデルにおいて重要ということなのだろうか。
JRF 2008年8月17日 (日)
先の二つの話題、どうも実感が足りない。修業不足か。
JRF 2008年8月17日 (日)
モデルを調停に利用するというのは、乱数の使い方に帰着するのかなぁ。だとすると賭博との関係も問題になるか…。
JRF 2008年8月17日 (日)
帰って行った。その成長ぶりには、私がまた会う機会があるのだろうかというところにまで、思い致させるものがある。生活がいつもと変わって苦しかったり、関係に悩んだりしたけど、…でも…うん。楽しかった。
JRF 2008年8月16日 (土)
かまい方が難しい。私が疲れてしまっている、あきられた面もある。子供のパワーゲーム指向に、どこまで「本気」で対応して良いか、素直な反応が疲れないコツなのかな…。
JRF 2008年8月14日 (木)
削除によって、特定の印象を形づくる。「彫刻」がうまくできるという偶然はそれはそれで意味があることなんじゃないか…。聖典解釈の奇跡性みたいなものは普通の書き込みにもあると思う。そういった解釈を繋げていくことが奇跡を「獲得」することに思えることがある。
JRF 2008年8月14日 (木)
私にとっても精神的な危険を伴う考えかもしれないけど。
JRF 2008年8月14日 (木)
睡眠の仕方がまるきり変わっているので、そこでちょっと気持ち悪さみたいなものがある。これは昔なら、眠気として感じられたのだろうな、というのが、頭の締め付けのような感覚で捉えられている。これを人の親は続けてる、ということか…。
JRF 2008年8月13日 (水)
小学校に入っていない子供が、自分でお気に入りから Youtube を選び、好きな番組を検索して観てる。スゴい世の中になった。こういう世の中にしたかった気もするけど、まのあたりにすると驚く。同時に責任感みたいなのも感じる。私なんかシステムにはまったく関係はないんだけど。
JRF 2008年8月10日 (日)
草の根ネット時代、IDは番号で決まっていて識別できたということもあってか、ハンドルネームを頻繁に変えるような遊びがあった。前口上を付ける人、ハンドルネームの一部のみわかるようにする人、ハンドル無関係に仲間内のそのときの通り名っぽいものに付け変える人。私はあまり変えない人だった。
JRF 2008年8月10日 (日)
昔、友人と歩いていて、車を傷付けたと因縁つけられたことがあった。私は、展開にまかせ、自分だけの保身と受けとられても仕方がないような対応をした。ああいったことは、今でもどこかにある風景だろう。弁護士に頼んでも結局は守られない、という「常識」もあった。
JRF 2008年8月10日 (日)
思えば、あれも私が道を逸れていった一因だな。いろいろ積み重ねで今の自分があるが、あれも大きかった。…なんつーか。ホント、おれ、ロクデモネー。
JRF 2008年8月10日 (日)
今日、葬式だった。親戚が集っている…皆、トシをとってるけど、顔は変わってない…か、「こういうとき」だからそう思えたのかな。どうも私の内心の卑しさ、落ち着きのなさは変わっていないな。黙って座り、一言だけ挨拶して、私と父は先に帰った。
JRF 2008年8月 9日 (土)
少し遠い親戚に不幸があった。天寿、と言っていい年齢だけど…。
JRF 2008年8月 7日 (木)
こういうとき私が非常識人であることが痛い。が、不幸があった家族よりは、それでも余祐あるわけだから、逃げないようにしないと。
JRF 2008年8月 7日 (木)
トスカニーニの「未完成」が聴きたかったのと、名盤といわれる「イタリア」を目的に買ったんだけど、私には「宗教改革」があたりだった。
JRF 2008年8月 5日 (火)
歯の治療、前はムリいって中断してもらったから、やたら物がはさまるようになったのかなぁ。本当に虫歯だから治療しようとしたんだろうか、虫歯が実際あるといえる範囲で、予防的な観点から、そこは治療しときましょう、ということだったんじゃないか。
JRF 2008年8月 5日 (火)
「虫歯治療中」のところに物がはさまりにくくなった。
JRF 2008年8月 5日 (火)
「オープンID」は「保証付き匿名ログイン」と似て非なるもの。前者は、自分の所有が、相手の領域にまで続くことを主張するためもの。後者は、自分の責任が、相手の領域からも続くことを承認するためのもの。
JRF 2008年8月 5日 (火)
「力を誇示しようとしなければ責任はない」という一つの原理ではなく、「責任を負う覚悟がなければ参加できない場所はある」、「場を自由に保てない者はやがて排除される」、「人を守れない者は資産を預れない」という三つの原理で支えようというもの。
JRF 2008年8月 5日 (火)
それだけのコストをかけようということでもある。
JRF 2008年8月 5日 (火)
西部劇に出てくるような「街」をつくろうという提案なのかもしれない。
JRF 2008年8月 5日 (火)
部分的に「ゆとり」をもたらすっていう器用なことはできないのかな。それとも、「ゆとり」があることを強制する方向にエネルギーを使わせることで、別のところで「自由」な人材を育てる意図があったのか。
JRF 2008年8月 4日 (月)
現在の知識人を昭和の知識人として対比する意見を見る。でき上がる「知識人」とは結局何者であったかということを今の時点から見とおすと、「IT革命」の余波を受けた一群ということになるか。そこが「知識人」枠を担っていくのは荷が重いが、そこが核となるのが歴史の必然ということか。
JRF 2008年8月 4日 (月)
「核」というよりはハンドルかな。本当の知識人は今は見えないけど、そこに続くべき人脈は、今見えている人でしかありえない、とか。そうあるべきかどうかは知らないが、その方向にいくには集団意志が必要だろう。
JRF 2008年8月 4日 (月)
いや、違うな。IT革命に限らずバブルにもその時代に対応する知識人はいる。人のせいにしちゃいけないが、「ハメられかけた」かな。
JRF 2008年8月 4日 (月)
ハメたい人がいたとして、その人が伝えたいことは何だろう。リクルートかな。つまり、下部に行く人を確保したい。と思っている一群がいるということかな。…そこを満足させることもある意味で必要である、と。
JRF 2008年8月 4日 (月)
それを技術的に解決できるか。…効率配置なのかな。生理現象のコントロールのための薬品に、介護保険なりを適用できるようにする…とか。もちろん、それは今から見れば非人道的な面があるんだけど、「集中管理」とどちらがマシか、ではないか。理想の違い…か。
JRF 2008年8月 4日 (月)
でも、そこまでするのは私の世代が老人になったときかな。今の高齢者には、自分達が描いた未来があるだろうし。
JRF 2008年8月 4日 (月)
いや、まずいか。じゃあ、それをどう準備するという話になるか。いちじくかんちょうに保険適用する?ってあたりでやめておくべき話なのかな。
JRF 2008年8月 4日 (月)
少しベタな考えすぎた。 でも、何ができるんだろう。
JRF 2008年8月 4日 (月)
誘惑はする。それでも何とかなったろう、といつか向き直ってくれる。それが「救い」となる人もいるのではないか。いや、「救い」ではないか、「希望」、罪人が刑期を終えることを考えるときのような「希望」となる。…それ自体は間違いでなかったとしても、私ごときがそう述べるのは間違いなのかな。
JRF 2008年8月 4日 (月)
これまたトスカニーニの演奏を聴いて、だが。メンデルスゾーンの交響曲第5番が、ブルックナーみたいで良い。変な感想で恐縮だが。「宗教改革」という題で、無言賛歌的な性格がある、ってことなんだろうけど、長い旋律がリフレインしていくところが、なんとも。トスカニーニにブルックナーを感じる?
JRF 2008年8月 4日 (月)
ブルックナーよりもメンデルスゾーンのほうが時代が先なので、影響を受けたとすれば…、でも、きっと、そういうことじゃない。他の指揮者ので聞いたときは凡庸だと思ったのですが、いや、これはいいですよ。
JRF 2008年8月 4日 (月)
コンビニ取り置きサービス。一人暮らしのときは欲しかった。…。「ライフスタイルに応じた便利な利用法の提案」とかいったヘルプがあればいいのでは?と思った。もちろん、履歴やアクセス時間によってそのヘルプを提案するようにする…とか。
JRF 2008年8月 3日 (日)
私の意見は結局のところ、デフレとインフレが混在するような状況はややこしいから、今はやりやすいインフレの側に倒してコントロールしやすくしましょう。ということかな。「私の意見」というか「私がどうも無意識に影響を受けた考え方」としては、かな?
JRF 2008年8月 3日 (日)
ただ、それで「高齢化社会」がまわるかは、わからない。退職金を企業の責任で年金化したりするサービスが必要なのかなぁ……。あ、いや、全々わからない。これはおそらく見当違い。アメリカが何をやろうとしていたかってとこを知るべきってことなのかなぁ。
JRF 2008年8月 3日 (日)
ベートーヴェンの交響曲第8番が良く思えるようになった。前はどうも軽い印象があって「避けていた」。ということは、バッハに続いて、そろそろハイドンもいけるクチになってきたかな。私も。(トスカニーニ指揮のRCAの輸入盤の全集を聴いている。)
JRF 2008年8月 3日 (日)
断定的な短い表現と婉曲的な長い表現にするか。前者だと本当は違うという部分について、あれは違う意味だったんですよ、という逃れ方を許す。後者だと、あとで逃れることを強調したりわかりにくくするために、どんどん長くなっていく可能性がある。後者は「外」の人にはわかりにくい。時代の要請かな。
JRF 2008年8月 3日 (日)
海外でクラシックがむちゃくちゃ安く出てる。これは個人輸入しろということか?しかしなぁ、それでペイするペースでは買えないし、聴けないし。
JRF 2008年8月 2日 (土)
犠牲は必要だと立話しているのが聴こえてきた。すでにその犠牲を払った人はいないか、もう十分じゃないか。死ぬほどの犠牲というのはきっとおかしいだろう。それ以外の道を探すべきだし、そこであがくことはアサマしいとは思わない。
JRF 2008年8月 2日 (土)
…こう諭すのは人に迷いに落す呪いのようなものだろうか。呪いも祝いも真に願う者の前には意味をなさない。祝ったからといって協力が功を奏すると限らず、呪うことが人を発奮させることもある。祝いに呪いを感じてしまうことも、逆もある。
JRF 2008年8月 2日 (土)
呪いと祝いは表裏と言わずとも一体で、それをどう捉えるかは、その人がイマ、どの世界に生きるかということでしかない。…
JRF 2008年8月 2日 (土)
…それは事実とはかなり異なるだろうが、こういう考えをおいておくと自分は迷わずに済む。相手がその心持ちにどう臨むかは知らない。迷わないことが高評価につながる一群がいて、高評価はやはり必要な場合がある。個人にとってはもちろん、社会にとっても。
JRF 2008年8月 2日 (土)
迷わないのがイイコトとしても、親密さが必要な場合は、相手にどう響いたかは気になるのが自然か。
JRF 2008年8月 2日 (土)
「私」も作用する景象をコントロールできるほど簡約に捉えていない。操られる自己を扱えていない。易や古い占いを学ぶか、それより現代のシミュレーションに遊ばれるべきか。
JRF 2008年8月 2日 (土)
私は奇跡を感じたい、奇跡のつながりを覆う場でありたい、ということか。
JRF 2008年8月 2日 (土)
…コイル…。
JRF 2008年8月 2日 (土)
This mortal coil とは「自分」?
JRF 2008年8月 2日 (土)
英語で coil は巻線。電気で使うのは inductor か。いつごろからそうなんだろう?
JRF 2008年8月 2日 (土)
「霊」を磁気のメタファで考える、というのはよくあると思う。というか、私は子供のころそんな考えを持っていたことがある。コイルが磁力をもつというのが、血の巡りによって霊がある、とか。
JRF 2008年8月 2日 (土)
外から磁力を働かせるというのが、言葉で人を動かすのに相当し、だから、霊とはどちらかといえば言葉のようなもの、だとか何とか。
JRF 2008年8月 2日 (土)
その考えを何かに活かせるわけじゃないから、忘却してよいものに、自分によって、分類されてしまうんだけど。
JRF 2008年8月 2日 (土)
ちなみに、出費を抑えているのは、実は、親に言われて。情けなや。マンガも前なら買ってたものを買ってない。私の境遇では当然だけどね。Amazon に毎月1万円を上限としてギリギリ使っているというのも貢ぎ過ぎなのかなぁ。
JRF 2008年8月 1日 (金)
でも、読んでない本とかあるから、無駄があると言えばあるか。それだけでなく、買ってまだ聴いてないCDがあるあたり(50枚組は除いても)は問題か。
JRF 2008年8月 1日 (金)
新しいCDは、精神的な調子を整えないと良さが感じれないからなぁ。その辺が素人まるだしなんだろうけど。クーラーとかの物音がないときに聴きたいから、さらに聴くタイミングが難しくなってる。
JRF 2008年8月 1日 (金)
この地では、ストーブがないのはある程度ガマンできるけど、冷房がないのはときに死活問題だからなぁ。
JRF 2008年8月 1日 (金)
…いや、冬は冬でガマンできなかった気もする。
JRF 2008年8月 1日 (金)
誰かがやらないといけないとは思っていたが、私にできるとは思っていなかった。そうである以上やってみて…やっぱり、というか結局、私にはできなかった。まだある種諦めてない部分はあるけど、そう述べるのはますます恥ずかしくなるばかり。
JRF 2008年8月 1日 (金)
すごい人手だ…。を掻き分けて歩く。「かっこいい」という言葉に一喜し、「芋洗坂係長みたい」の声に一憂する。いずれも私にかけられた声ではなく、単に人ごみの中にたまたま響いただけの言葉だとは思う。でも、黄色い響きは胸にグサリとくる。一種のエロスを私が感じているとすれば、恥かしい…が。
JRF 2008年8月 1日 (金)
相手に瑕疵があったとき値引き等の要求すらしないというのは、商業的慣習を傷付ける「背信行為」になっていないかなぁ。そこで値引きに応じるようだと、それはそれで問題が起きるようになるからアレだけど、何も言わないってのもなぁ。私ならどうするかってだけかな、気にするのは。
JRF 2008年8月 1日 (金)
私と相手とは限らず、次に取引する人の幸運を願う。少なくとも私が瑕疵をもたらさないように、私の瑕疵には先より相手に有利になるように心掛ける、といったところでどうだろう。
JRF 2008年8月 1日 (金)