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2008年5月25日 - 2008年5月31日

aboutme:57224

それを取り戻すにはどうしたらいいんだろう?取り戻す必要があるかどうかは、とりあえず不可知として。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57222

ある人の感覚では決して相容れないはずのものが、「その次の世代」の感覚では両立している。あれ?じゃあ、やっぱり失われたものがあるんじゃない?

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57221

死んだ者が幽霊のように見守るということが、租先崇拝の感覚じゃあないか?

JRF 2008年5月31日 (土)

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aboutme:57216

風邪みたいなものはもうだいたい抜けたと思うのだが、くしゃみと鼻みずがよく出る。ただ花粉症でどうにも辛かったときと比べると、ガマンはできるレベル。うーん、薬をもらいにいくべきか。もう少し様子をみてみるか。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57133

次も同じ形にするかどうかは、そのときの調子による。このやりかたは比較的に楽だが、私に不満が残る。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57131

余計なことをフンダンに取り入れて読んでみましょう。というのが私の今回の読みのスタイル。さらに今日は、メタにメタにというのをやめて、メタだけどベタにテクストに沿った形にしてみた。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57130

いや、ちゃんと読むと、ヨブもエリファズもこんなことまでは言っていない。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57129

……。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57128

私は死んだのちも、幽霊のようにここを見ている。見守るべき子孫がなくても見ている。さぁ、お望みのことを言ったぞ。だが、恨みをもって何かをしえるだろうか。何かができることが「我々」にとって良いことか。あいかわらず敵意をもちつづけるのは「あなたがた」だ。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57126

「あなたたち」は慰めるふりをして苦しめる。私は本当に苦しんでいる。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57125

ヨブは答える。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57124

悪人というものを「あなた」に擬えよう。悪は滅ぼされるべきである。「あなた」は今や侵攻を受ける。あえて述べる。悪人であったことを受け容れよ。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57123

はじまりは侵攻できる土地を与えるというものだったかもしれない。だが、今やそれらを繋ぐものは、父祖が侵攻を受けなかったこと、すなわち正しければ自らを含む子孫が侵攻をされないという信心によっている。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57121

昔から祖先崇拝があったし、それは今の信仰にも接続されている。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57119

そういったことを罪と感じるような雰囲気が、まず、ある。少年のころの疑問が今口をついて出ようとするからといって取り乱してはいけない。まず基本的な尊敬の念についてもう一度確認せよ。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57114

最初の人間を自分のことだと擬するようなおかしな神秘主義に陥ったりしてはいけない。自分を天使のようなものと思っても、特別な奥義に到達したと思い違いをしてはいけない。― そう思ってしまう瞬間がきっと誰しもありえるが ― それは、あたり前に誤解でしかない。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57076

エリファズは再び問いはじめる。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57071

でも、それはどこまで悪いことなのだろうか?人と人が手を結ばねばならないことがあったとき、そこでムリを押して手を握ったことがどこまで悪だというのだろう。むしろ、その違いをことさらにアバき、脆いものを危うい立場に追い込むことのほうが「悪い」、少なくとも分別のないことではなかろうか。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57069

何かそこには、まったく別系統で出てきたものが、一方の好評価のために「誤って」他方も是認される構図があるように思う。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57067

確かに、古典解釈をやったりしていると、言葉に対する理解がとても大切だというのはわかる。しかし、そこで使われる理性的な言語理解と、巷にあるコンプレックスが結びつくようには思えない。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57066

それが良い方法だったからだろうなどと私は想うのだが、言葉を使うことに対するコンプレックスみたいなものが是認されている場面があるようだ。言葉と、信用や時代感覚を結びつけるのは議論の本質からほど遠いと思うのだが、言葉に関するコンプレックスが容認されるためそれが肯定的に捉えられている。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57063

その言葉に相当する概念をその共同体の言葉で話すように強制する。ただし、そうやって言葉だけが置き換えられただけの概念自体は認める。それは、真実であることが共同体に届かなくなることを防ぎながら、「ある者」の概念を疑う契機を与えて、直截的な影響は避ける良い方法なのかもしれない。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57060

ある言葉が使われていることに、ある者の影響を見出し、その「ある者」の他の言説がおかしいからとその「ある者」全体ひいてはその関係性を否定する。それ自体はおかしな話だが、共同体の自己防衛の方法としてはありえるのかもしれない。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57056

…自己正当化が過ぎるだろうか?

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57055

日常を(再)構築していくこと。きっとそれが大事なことで…というか私にはそれ以外思いつかず…、こう、荒れる心には「今そんなことにかかずりあうのか」というようなことを、その心の表出と折り合いながら、積み重ねていくことが、「残りの者」にできるわずかなことだと考える。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57051

無理に拭おうとすれば、「無意識下の不安」とかいうやつが頭をもたげることがある。やりすごそうとすればいいのか。一度その言説にのっかってみて…みるものが出たあと目に見えるようになったものを叩くのがいいのか。でも、そのコストもでかいし何かいい手はないものか…。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57050

困難に遭ったとき、それが避けられなかったものならいっそう、人は何かの応報を見出してしまう。「いや、何かの応報ではない」という理性もはたらくだろうが、一度そう感じてしまったものは拭えない。拭ったつもりでも他の人が感じていて、社会的にそういった感覚がくすぶる。それにどう対処するか。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57048

戦争を祝うような言説は、私はしない。そう決めた。と自分に言い効かす。

JRF 2008年5月31日 (土)

aboutme:57046

昨晩は頭痛がヒドかった。それが朝にはひいたのだが、「病み上がり」のようなけだるさが今も残っている。

JRF 2008年5月30日 (金)

aboutme:56806

それは、またのお楽しみ。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56805

三人の怒りは何なのか、その怒りのもとを振り返りながらでも私は見つけることができるか。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56804

…というかそうでないと私が哀しい。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56803

外部というものはあるのだから、確かに印象操作というものが一定の効果を持つ。いや、それも計算に入れてるのですよ、なんて嘯くほど虚しいが、それと争ってみようとすることは私は間違いでもないと思う。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56802

問いかけを通じてヨブは「神」に向き、三人は遺される人々に向く。といってもよろしかろう。つまり死に往くものの印象を操作しようとする三人と、それを神に向きあうことでかわしていくヨブ、が今の読者には見えうる。でも、そこまでかわせてはいないという印象をもつのが本当は正しいかもしれない。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56801

最初に読む印象は、ヨブが三人から見捨てられたというもので、解釈のすすめかたによって、それが表面上はそうだというだけで真理追及がその意図にあるのではないか、と思うようになるかもしれないが、やはり、三人の激怒を起こす部分があったと考えるのが正しかろう。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56800

ツォファルとの問答のあと、再びエリファズとの問答になる。それはこれまでの救いを含んだ問いかけによらず、ヨブの「地獄往き」をすすめることになる。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56799

苦しむことが人生ということがヨブが対話しようとする「神」の望むことか。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56797

知識はむしろ蘇えるものか。そちらに賭けてみるべきか。そうか自らを知識とすることこそ…どうだというのだろう?ヨブは交替のときを待ち望む、と述べる。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56795

トートロジーはいつだってトートロジーだけど、記号が継がれなければ、解読されないこともでてくる…記号を記号と読める者もいなくなるかもしれない。文字に神聖性を付与してもそれは永遠の属性をもたないだろう。ちなみに唯名論は、一方の極において、文字(列)の永遠性の信仰があったのでは?

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56792

ヨブは答える。私達の知恵に関して「永遠は、ないよ」

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56790

知恵者としての自分を明らかにすることはより明るい星であったことを示すようなものだ。逆にいえば、明るい星となるように自分を位値付けることが、ヨブに求めらているとツォファルは言い含めているのではないだろうか。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56789

人が死んで星になるというイメージを持てば、神の摂理、人の死の摂理を明らかにし、異議を唱えていくということは、夜空に姿を刻むことである。それがないということは人の運命はかわらなかったと見なされよう。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56788

形而上学を極めることは、天の摂理を知るということだけでなく、天の摂理に影響を与えるほどの学問を遺すということ。…だろうか?

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56787

星の神々をはりつけにできれば、永遠を手に入れることができるだろうか。灰となった知恵の木を再び芽吹かせることができるだろうか。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56783

なお、現在読んでいる「副読本」は『「ヨブ記」論集成』(並木浩一, 教文館, 2003)である。影響は受けているが、今ここでつぶやいていることが書いているわけではない。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56781

私が正しいと思うこととそれが違うからだ。この態度が強慢というなら神義論を語る価値はない。

JRF 2008年5月29日 (木)

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aboutme:56778

だが、ヨブが正しいと述べられる結末がここに及ぶなら、ヨブは私が書いたようには述べていないのかもしれない。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56777

昨日は「生きている正しい者の数が問題ではないから、裁きは天も終ったあと」とした。しかし、それは一面において応報がなければ人は正しく在りえないという認識を示すものであり、また一面において人の必要によって神が働くという認識を含むものである。

JRF 2008年5月29日 (木)

aboutme:56748

…また、関心をそらしてしまった。少し休もう。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56747

そこに他者の理解がなければ現在という時代のスポーツはままならないのかもしれないから、インタビューされるものとしては、ああ答えるということなのかなぁ。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56746

肉体をきわめ、あたれば隠約は自ら割れる、とかいった具合で。←テキトーに言ってみただけだけど。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56742

その辺は偏見なのかなぁ。不具合をとらえるためのモデルとしてもコトバではなく身体的実践や譲っても物理理論を中心とした何かでないと、共通理解がえられないとすべきではないかとか思った。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56741

そういや、スポーツマン(ってサッカーの岡田監督だが)のインタビューで「呪縛」という言葉が出てきて少し驚いた。むしろ、そういう言葉を使ってしまうあたりが管理者の呪縛みたいなもので、スポーツマンなら、そこは身体表現におけるおかしさとして表に現れるものをとらえるべきでは?とか思った。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56740

(いや、実はこの下り、アフリカをどうとらえるかというのも意識の下にあるのだけれど…遠い、としか私なんぞにはいえない。彼らから見ればまさに我々こそ辺境にあるのだろうし。こういった言説が現実の呪縛になっているかもしれないし。)

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56739

…それはある種のものについては滅びの予感も受け容れるっていうことなのかな。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56736

「辺境」で生きるものはそういう判断に自己正当化の根拠を見出すこともあっただろう。でも、ヨブなどが持っている論理性は十分な都市性と共にあるというのはおそらくそうなのだろうし、そういう判断に対し「もうそれはいいのでは?」という薄い直感も流れているのだと思う。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56734

フロイトを読んでるとき出てきたトーテミズムというのは、フロイト自身のいうところは私は怪しんでしまうけど、衣食住が足りて、それで失われたものがあり、その代わりとしての抑圧を作らねば、先々あやういという保守的判断というのは、必ずあったようにも思うし、

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56733

ヨブやエリファズのコトバに出てくる風というのは、我々から見ると幽霊みたいなものをイメージしてみてよってことなんだと思うけど、ライオンが出てくるあたり、もっとアニミズムというか理想化された土人的アニミズムというのと関係があるんだろうか。死とは転がった動物の骨であるとかいう世界。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56722

花粉症の薬が切れたのだが、同時に風邪らしきものをひいてしまったので、くしゃみや鼻みずがどちらが原因で出ているのかわからない。さしあたり風邪らしきものを治すのが先決。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56721

仲介者がなぜ必要になるのかわからないというのが元々の感想だった。別トピックとして考えていた「嘲笑」を発展させようと思っているうちに、繋げてしまった。流されてしまったのかもしれない。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56650

まだ、先は長い。ゆっくり読もう。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56649

……うーん、でも、これだけじゃあ被造物性の抗弁の意味がないなぁ。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56648

その後、正しい者の数が問題ではないとしたいから、ツォファルの問いには、天すら終ったあとにそれが起こるとした(?)のではないか。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56647

エリファズの問いに、ヨブは量りのイメージをもって答えた。そこから死の際に心臓を量ることで罪の重さを見るという機械的な「量刑」を見出す。だが、ビルダドの問いに対してヨブが求めたのは仲介者の働きだったと私は見る。その働きが必要だからこそ逆に「裁判」のイメージをもってきたのだと。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56645

「たとえ一時は「悪」がのさばるとしても正しい「我々」の数が多くなる」といったとき、「悪」は「嘲笑されるように陥れ」ようとする「我々」を見、かつ、私達が「悪」となることに気づくことがある。そこにそういうった位格を求めてしまう無意識が生まれるのではないだろうか。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56644

まぁ、それはおいておこう。少し戻って、では「嘲笑されるように陥れ」ようとするものはどうして「生まれた」のか。人生の中でそういう感情を身につけてしまうのは常態としてあろう。しかし、それを「私達」という社会が是認しているのはなぜだ。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56643

そういう「仲介者」が社会の構成者となった次の時代がある。それで満足できれば幸運というぐらいだ。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56642

仲介者がいれば「私」が回復されるとは単純にはいえない。仲介者が自分に嘲笑が向くリスクを負ってもなお、仲介者自身にもある「コンプレックス」と向き合う必要があると私は考える。だが、そうしても「私」自身が回復されることはありえないくらい稀だろう。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56641

陥れようとし、陥れれたものについて「どういうコンプレックスを持っていたか」とは第三者は問える。しかし、実際その立場にあれば、劣後する「私」の指摘が指摘が許されない雰囲気をつくっていく。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56639

嘲笑されていて、笑っている人間に腹が立つというのはもちろんあるが、嘲笑されるように人を陥れたものがいたとすれば、我々はそこに何を感じるべきだろうか。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56638

Amazon のおすすめ。もうちょっとランダムな要素をとりいれて、ランダムシードは保存して統一感のある結果は表示できるけど、シャッフルボタンを押せば全々違う商品が表示されるとかなれば良いのに。…わかりにくいか。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56637

頭痛が眼(とくに右眼)に下りてきて、少し辛い。

JRF 2008年5月28日 (水)

aboutme:56483

今回の読みは、副読本といっしょに、一週間とかかけてゆっくり楽しむつもり。 すぐに記事にまとめる気はないけど、理解を深めておきたい。

JRF 2008年5月26日 (月)

aboutme:56481

いきなり最後まで読んでしまうと、その重い空気が、えーっ、て感じで…「なかったことにされる」っていってしまっていいのかなぁ。いや、今の私にはまだ読みきれないことになる。そりゃ、多くの人が重い空気のまま生きていくわけないケド…。

JRF 2008年5月26日 (月)

aboutme:56477

「もし私がそれを受け容れるなら、受け容れる私達という存在は本当に私達が望む姿になっているのか?」と誠実さ(?)をヨブは問うのだと思う。そこにただよう重い空気が読める。

JRF 2008年5月26日 (月)

aboutme:56471

ヨブ記を読む。エリファズが「愚か者」にも「無知な者」にもならぬようと釘をさし信じにくい偽りの未来を見てでも後の世のためになるよう最期を過ごせなどとヨブに言い含む。ヨブは「陰府」に言及し何もかも受け容れないわけではないことを示しながらも、「神」に抵抗する。それに私という読者は驚く。

JRF 2008年5月26日 (月)

aboutme:56465

昨日暑かった上に、新しいパジャマ(丸首の長袖)だったからか、こう首がしまったような感じがあって、とても寝苦しかった。そのためだろう。今日は頭がいたい。

JRF 2008年5月26日 (月)

aboutme:56374

下っていく道すじ。別に上にいたわけでもない。でも、下っていく。ずいぶん力が落ちた。あのころアレでも力があったほうなんだなぁ。振り返りつつ、別にそれはいい。私はそれでいいとした。でも振り返って詳しく見ることまでは億劫でしない。地道に。そうでなくても、「地道」と思い…夜道を歩く。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56368

社会科学の論説を数学的公理系におきかえてどうこうというのは私だってやってみたい。でも、どうも私にはできない。あたりがつくのは皆がよく思いつく、計算機科学の公理系ぐらいまでだ。「環境」といったものを定義して、コンピュータの支援を得ながらなら、証明だってできよう。ってぐらいまでだ。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56367

ただ、じゃあ、そういったことを証明できるかというととても難しい。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56366

そんなふうに考えることがある。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56365

たとえば、精神分析者がある人の言動を完全に説明可能だと言ったとき、確かにそれは無矛盾なんだけど、それは「選択公理」のようなカラクリで「何でも」導ける変換を見えにくいところでかましているのではないか。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56364

つまり、ある種の公理系をとったとき、無矛盾であるがある種の「何でも」導けるというものを内包することができる一例となっているということだ。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56363

そのパラドクスのインパクトというのは、まるで矛盾から何でも導けるといったごとくに「何でも」導ける変換があるのに、体系としては無矛盾であると考えられることにある。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56362

矛盾からは何でも導ける。これは論理用語としての「ならば」が負った宿命のようなものである。「選択公理」の哲学的おもしろさというのはバナッハ・タルスキのパラドックスにある。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56353

あと首の付け根の左側がなんとなく痒かったり、顔の左側のいつもできないようなところにニキビができたり。なんか体の左側がおかしい。片側だけに症状がでる帯状疱疹のようなものなのかなぁ…とか思ったりするけど、医者に言ったら絶対違うっていわれるだろうな。ただの寝ぞうの関係?

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56347

不幸を見つけられたことに薄い喜びを投影してしまう自分がいやだ。…もっとマシなレポーターがいないのか、理系っぽい淡々としたレポーターが。ってムリな話だよな。だからとりあえず自分のせいにしておく。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56338

左手のヒリヒリが手首より少し上のほうに「移った」というか、そこがひりひり(?)痛くなって、手首のは痛みを忘れているような状態。

JRF 2008年5月25日 (日)

aboutme:56336

最近の私は、少し関心が散漫になっているかな。

JRF 2008年5月25日 (日)

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