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2008年6月1日 - 2008年6月7日

aboutme:58157

いや、意図は…していないかなぁ…。こう、「昨日のはダメだった」ってのを心の底に置いて、意図としては気になっていることを書いたという感じだ。

JRF 2008年6月 6日 (金)

aboutme:58153

昨日の「サイボーグ云々」については、少し陰口めいたものになっていたかもしれない。少し大人げなかったかも。削除まではしないけど、少し反省。下の「自らを信じる」に関する部分も意図としては似たものがあるけど、「陰口」っぽくなららないようにしてみた…つもり…。

JRF 2008年6月 6日 (金)

aboutme:58150

「それでも結局…」は、まぁ、そういう学問に手を出すのは、そういうのが好きだったり、手を出せるような人は、人生の終局においてはそういうのに頼るようになる…ということなのかもしれない。

JRF 2008年6月 6日 (金)

aboutme:58149

神学をちょっとカジったことがあるものからすると、神は疑って良いというところから入る(「彼ら」はそれでも結局は信じるようになるという態度をとる)んだが、ググるとどうもそうでない言説のほうが多そうだ。

JRF 2008年6月 6日 (金)

aboutme:58146

自信が備わっているようになることは良いことだとは思う。…私なんかは「神を疑っても良いのか」という議論を思い出すが、「自分」というものに関しては身体性があることから、少し違った結論があるようにも思う。ひょっとすると「神を疑って…」のほうに逆にそれを援用すべきなのかもしれない。

JRF 2008年6月 6日 (金)

aboutme:58039

うちはもう梅雨入りしているのかぁ。変な天気だった。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58037

うむ。今日も孤独だ。好きなことが書ける。…と、ちょっと強がり。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58036

BSデジタルとかいらないとか思ってたけど、NHK が 5 チャンネルあるというのはいいことだな。と思う。親がテレビを買い換えたんですよ!

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58034

昔、「インターネットは便所の落書き」論があったけど、それをいうなら「テレビは電話BOXのテレクラ広告」だよな。とか考えた。今考えると私の考えはおかしかった。電話BOXは消えたけど、テレビはまだ消えてないもんな。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58031

動物のサイボーグってどう解釈されるのだろう。魂の実在みたいに、まず在る証拠を出せっていわれるんだろうか?

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58028

まぁ、わかっている判囲でガンバル。…正直、気力不足なのですよ…。

JRF 2008年6月 5日 (木)

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aboutme:58027

この辺はちゃんと勉強し直さないとダメだな。あんまり地理とつなげて考えてこなかったし。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58024

ああ、とするとイスラエルというのは海岸ユダヤ人。ユダっていうのは内陸ユダヤ人とか言ってしまって良いのだろうか。…私の中では、そういう認識だったってことなんだろうか。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58022

…とまぁ、これは私の偏見だな。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58021

あと三人の友人の「出身地」をどこに割り当てるかも興味深い話題だ。ツォファルはメソポタミア流域だろうか。エリファズはエジプト的でもありながら、フェニキア的でもあるということでイスラエルあたり。ビルダドはローマ人と言いたいところだが、ユダあたりに考えればいいのだろうか。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58020

「神の愛」といったものは私の解釈でも「クライマックス」あたりで出したつもりだけど。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58019

あと妻と誕生日の論が近いのは、性愛に関する何かの主張が隠れているのかもしれない。「愛」については私は基本何もわかってないと言っていいので、その辺りを読める人には、もっと他に強く訴えかける部分があるかもしれない。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58017

ヨブが最初に生まれた日を呪うが、そこがギリギリのところという思考法が、転生概念は受け容れないことを暗に主張していたのかもしれない。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58013

あとさらに東にいくと、転生という概念が出てくるわけだが、そういった概念はかなり抑圧されているように思う。あえていうなら、大気の循環のようなところがそれに相当するか。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58012

そういえば、その日の最後の次回への挨拶のようなところに「光」と「陰」に関するコメントがきたが、そういったことを示唆しようとしていたのだろうか…。いや、考えすぎだろうな。←まぁ、こういっても怒られないだろう。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58009

中東もさらに東にいけば、「光」と「闇」の対立といったモチーフもでてくるわけだが、ヨブ記の枠物語りで「サタン」が「神」に従属するのは、「光」と「闇」の対立モデルの明確な否定という意味があるのかもしれない。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58007

ヨブ記についての補論というか…。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58006

逆にいうと、「まぁ」がない他者の意見は自分にはストレートすぎるように聞こえているのかもしれない。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:58004

私の口ぐせは「まぁ」。説明とかするとき、気づかないうちに挟んでいる。言い訳のための留保を残しておきたいって心理の現れかな?

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:57971

今日も鼻みずグズグズな私だが、電車の中では他の人のグズグズもけっこう聞いた。あれは風邪なの?それとも私みたいに今の時期に花粉症になってる人がけっこういるの?

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:57969

いや、違うな。単行本の価格を考えたら、あれでも十分安いんだろう。ただ、哲学が、金があってひまがある人のものに「戻った」というだけだろう。公立の大学すらそんな感じらしいし。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:57966

文庫本もけっこう高いしね。哲学系は。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:57965

1500円ほどの本を買うのに躊躇してしまった。それでいて私にとっては知識がひろがるわけではない CD を買ったりするんだけどさ。

JRF 2008年6月 5日 (木)

aboutme:57893

さて、明日は街に出るか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57892

……。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57891

これまで読んでくださった方、ありがとうございました。(全体を読んでいた方はいないとは思うのですが)。ただ、ひき続きアバウトミーには日々書き込む予定ですので、これからもよろしくお願いします。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57890

エリフについては、今回書いたことをブログ記事にまとめたあとに、その記事を批判的に読む過程で、読もうと思っています。それが、いつのことになるかは…わかりません。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57889

さて、さらなる論争が続くヨブ記ですが、今回一週間程度にわたって続けてきたアバウトミー上での私の読みは、これで一端終了ということにします。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57888

……。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57887

しかし、この「神」をどう捉えるかは私にとっても惱みどころである。この書がつくられた当時の雰囲気において神を登場させるのには、どのような意図があるとして良いのだろうか。一種の預言のように読むべきなのだろうか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

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aboutme:57886

そしてエリフのあとは、いよいよ神が直接ヨブ達に語りかけるシーンとなる。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57885

ここでヨブ記には若いエリフが「突然」登場することになる。エリフの論は後代の挿入だという説(むしろ定説)があるが、いずれにせよ若い世代がどう感じたかが焦点となる。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57884

でも、これから先、つながれた意味を生きる若い世代は、本当にそれでやっていけるのだろうか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57883

死に至ろうとするものに「何かができた」と思わせることは精神に良いことだと私なんかは思う。年をとったヨブと三人の友人にとってみれば、実は心安らかになる結果が得られたのかもしれない。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57882

でも、これまで場合に応じて否定することで守られていたモラルが守られなくなるという面があるかもしれない。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57881

だが、そうやって通ったスジは、果たして生きていくものにどれほど意味があるのだろうか。現実的な方向だけから見れば、他の地方から来るものに迷わされないで済むといったメリットがあるだろうか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57880

ヨブは、当時その辺境にあった、矛盾がほの見える様々な「神」や「死後」に関する概念について、意味をつないでみせた。それは「強い人」がある種の精神状態に陥ればできてしまうものなのかもしれないなどと私は想う。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57874

まぁ、確かに大した問題ではなく、そういう部分も持っているのは、人間的だという点は好意すら抱ける。そこもまたヨブが義人たる所以なのかもしれない。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57873

あと、蛇足だが、ヨブの言葉に「太陽の輝き…を仰いでひそかに心を迷わせ口づけを投げたことは、決してない。」とあるが、当時そういう習慣があったことがわかって興味深い。でも、これを裁かれるべき罪だというのは、そういう人々を呪っているのと何が違うのだろうか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57872

ヨブは自分に姦淫の罪があれば「わたしの子孫は根絶やしにされてもよい。…わたしの妻が…よその男に犯されてもよい。」とまでいう。たとえ自分に罪がないからと言っても、そこに厳罰を認めることは、結果、他者に暴力を加えることを許すことにならないか、などと私は考えてしまう。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57871

ヨブは「わたしより若い者らがわたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすらわたしは忌まわしいと思っていたのだ。」という。こういった差別意識は現代に生きる私からすると潔白なように見えない。思い出して見れば私にもそういうところがあったという反省がならばわかるが…。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57870

ヨブは「すべて命あるものの目にそれ(知恵と分別)は隠されている。…その道を知っているのは神。」と述べているが、ならば、神は命を持ったものではないのだろうか?生物とは違っていても命があるのかもしれない。時間的にどう超越しているかもわからない。そこまで言い切って良いものか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57869

…少し先を急いだ。少し戻って、ヨブの主張をいくつか詳しく見よう。今の私が、自分を棚に上げて、ヨブが潔白だ、または主張しても安全だ、と思うところに疑問をさしはさめないわけではない。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57861

ヨブが死んで終りというわけにはいかないのだろう。ヨブの主張はここで終るが、物語はもう少し続いていく。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57860

だが、義人ヨブですら疑問を胸に抱き続けるしかなかったということは、きっと「この」辺境にも、違う季節が訪れたと見れるのかもしれない。これから先、そこに生きるものは決してヨブのような信念は持てないかもしれない。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57859

おそらくそういった「あたり前の真理」というものは素朴すぎる。すべての人は裏切られるといってよい。ただ、裏切られたとしても、総じては、そういった素朴なものを信じられるように生きることも可能なのだろう。それがヨブの病に至るまでの生ではなかったか。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57858

ヨブは、これまでのような「キワドイ真理」ではなく、まるで三人が主張し彼が否定したようにさえ見える「あたり前の真理」を代わりに主張する。力・応報・知恵、そして人に求められる倫理である。

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57857

そうしてヨブは言った。「断じて、あなたたちを正しいとはしない。死に至るまで、わたしは潔白を主張する。」

JRF 2008年6月 4日 (水)

aboutme:57645

次で、ひとまずの区切り…。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57644

ちょっと、多幸的解釈すぎたかな。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57643

そんなふうに、ヨブは「怒って」いるのだと思う。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57642

これから先も生きていく者が、そんな哀しいこといわないでくれ。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57641

だから…。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57640

世界はワンダーに満ちている。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57639

どうしようのないもの(そんなものがいたとして)も、生かされている。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57638

今までの議論で、「創造主」に対する信頼が薄れてしまったかもしれないからうれしくないかもしれないが、私は「あなた」からも「創造主」の息吹を感じるよ。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57637

人の子が、ビルダドのいう「虫けら」のわけないだろう!

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57634

人を助けようとしたことをあるだろう。たとえ、それが裏切られる結果に終ったとしても。大人になって、そういった思いを捨てていたとしても。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57633

ヨブは答える。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57632

ビルダドは述べる。「神は…最も高いところに平和を打ち立てられる。…人の子は虫けらにすぎない。」

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57631

…正義になお期待しているという見方もできることは指摘しておく。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57630

そして全能者の力を痛みとして自分の中に抱きながら、それが信じれるなら痛みがヒドくなるかもしれないことをわかりながら、全能者の働きのない現実を非難する。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57628

共に不正にあずかっているという幻想をうち砕きながら、憤る。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57627

…いや、違うな。そこに希望を見出そうとするのは、本物の苦境を知らず、「真実」を受け容れられない私だ。ヨブは希望がさらに裏切られるように自分を追い込むことはしない。滅ぼされるまでにさらに苦しむことになるかもしれないという予感を呼びおこし、憤る。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57626

ヨブはまず自分に罪がないことをもう一度述べようとする。真に苦しむものは正義を求めながら「自分は犠牲になってもいい」などとは言わない。「なぜ、滅ぼし尽くされずにいるのか。」そこに希望を敢えて見出す。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57622

ヨブはその矛盾に人為の「応報」をすべきだろうか。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57621

エリファズには指導者としての責任があるだろう。その強迫された余裕が発言に善意の衣を着せている。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57620

その葛藤が、エリファズの言をねじまげる。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57619

「世の中には応報がある。人為を超えた応報がある。」と信じさせようとしてきた者が現実に認識するのは、自らが応報の行使者になりながら、その受苦者となることをこばもうとする意志の葛藤である。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57617

「清くない者すらあなたの手の潔白によって救われる。」と述べるとき、まず救われようとしている者は誰なのか。

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57616

エリファズはヨブにいう。「あなたは兄弟から質草を取って何も与えず、…あなたはいう「神が何を知っておられるものか。」…」ヨブは義人であると読者は知っている。おそらく周りの者もそう気付いている。とするならば、エリファズが述べているのは誰の「罪」なのだろうか?

JRF 2008年6月 3日 (火)

aboutme:57435

要するに私が暗いんだな。まぁ、いいさ、次を考えよう。

JRF 2008年6月 2日 (月)

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aboutme:57434

ヨブ記を読む人は、ヨブに自分を投影してしまう、とあったが、それは本当だと思う。私にもあてはまっている。もちろん、ヨブだけでなく、その「周り」についても私の世界理解のようなものが反映されているのだろう。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57433

ここまで読んだ人は、ヨブ記だけは最後まで読んでおくように。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57432

その場の重い雰囲気はなくなった、なくなっていっているかもしれない。でも、ヨブのところから帰る人は、このままでは、現代の鬱のようなものをかかえて過ごすことになるのではないだろうか。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57429

「私はそうではないが、逆らったからといって不幸になるわけではない。お互いそういう生き方がある…でやってきたではないか」というのがヨブのツォファルに対するとりあえずの答えではないか。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57428

知っているということが罪と向き合う鍵のようなものだたかもしれない。黙っていることが労りとは、実感として持つものがいただろう。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57427

そういったことに気付かずすごす人がほとんどだったのだろうか。それとも、あたり前に目の前にあったのだろうか。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57426

金山でどういう労働がされているだろうか。銅の製錬がおこなわれている村の周辺に病はなかっただろうか。「工場」ではどういう人々が働いていたのか。街のほんのはずれにスラムのようなものがなかっただろうか。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57425

ここからの三人とヨブとの問答は、ヨブへの「地獄往き」のすすめが、それを下じきにしながら、「告白大大会(!?)」ってちゃかしたらだめだが、自分達の罪の記憶というものに焦点がうつっていくと見ていいのではないか。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57424

ツォファルの「問い」にあるのは「あなたは私と同じだ」という責めではないか。ならば、ヨブへの非難は、すなわち自らへの非難となってはねかえることになる。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57423

他の二人が三度発言するのに対し、ツォファルは二度しか発言しない。形式が崩れているともいえる。しかし、そのツォファルへのヨブの答えらしきものは他の二人への質問のあと答えられるが、これまでのような「答え」はないように見える。答えがないのが答えだという気はないが、これまでとは違う。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57422

「…ヨブがそうでないならば私がやってきたことは何なのだ。私に救いはないのか?」

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57420

ツォファルはヨブに非常に特殊な知的訓練のあとを読みとろうとしたのではないか?そうやって自分が納得したかったのではないか?

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57419

ヨブが言説をすくいとったことは、ある人にとっては希望になったかもしれないが、ツォファルにとっては、そうでない側面があった。救いなどあってはならないという思いもあったのかもしれない。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57418

言説だけではない。応報という概念は、言説ならぬ事実さえ矛盾しているように映っていただろう。言説の通りに事実は起こらないし、事実を解釈した言説は互いに矛盾する。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57417

そこから反省することで自分の罪が意識されたということだろうか。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57416

そうして内心シニカルに見ながらも、世間体から「うそ」(っぽいこと)でごまかすこともしている。それなのに、そういった概念をヨブがうまくすくっていったように見えた。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57415

というか、ある種の概念については嘲笑を自らのうちに抱くようになっているかもしれない。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57414

彼らの時代には、というか、普通の世間にあるように、矛盾のある言説が流通していただろう。人々は自分の中でなんとか折り合いをつけ、いくつかの言説はばかげたものとして斥けていくものだ。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57413

私は幽霊だとか救い主とか、はっきり言ってしまっているが、ヨブはそんなことは「実は」言っていない。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57412

ツォファルはなぜヨブの答えを「非難」と感じてしまったのだろう?超然としようとすれば、できたはずなのに。ヨブが望む「黙っている」に近いことができただろうに。

JRF 2008年6月 2日 (月)

aboutme:57395

…が、その辺は私はまだまだ力不足だから、さくっと先に進もう。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57393

「控えるようになる構造」…いや、それがむしろ私が明らかにすべきことで、先の「法」のようなものの作用ではないか。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57389

ただ、それが「自」戒とすることの意味だと受けとられると、私の中の感覚とは違うなぁ…ともやもやする。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57388

それを結びつけようとすることは控えられるし、控えるようになる構造があるように思う。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57387

もう一点。怒りを自戒と結びつけることについて、少しはっきりしないというかもやもやしたものが私の中に残っている。「自」戒とするというのは、戒めをそのもととなった「怒った人」(の権威)に結びつけないということ。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57386

その「おびえ」が一度できてしまえば、それを生長させるという対応はありえるのだと思う。…ちょっと、錬金術っぽいかな。だから、まぁ、先の問いには「不可能ではない。すぐにはムリだが…」と不本意ながら答えることになると思う。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57384

しかし、その「おびえ」のようなものが、どういう具体的な形になるかは、偶然の作用が強く、たくんで「失われたもの」を復活させるというのはできない。(というか、たんくんでなされればそれは「法」のようなものとなって、まったく違う原理の支配するところになるというのが私のいいたいこと。)

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57382

そうなったときそれが「失われたもの」に対応するとはいえ、それとはまったく別の機構を持つものだと思う。ただそういった「裁き」の対象となるものではなしに、付随的に出てきた「おびえ」のようなもの、それは、むしろ「失われたもの」に直結することがあるように思う。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57380

支配の移転ということまでが「法」的に正しいとすると、「失われたもの」を強制するというのは結局、新しい「法」で対応するという枠でとらえられると考える。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57378

昨日の書き方で、当然出てくる「失われたもの」をとりもどすのに暴力的なものを使うのが有効かという点について。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57279

何はともあれ、つづく…。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57278

次は、いろいろな人にいろいろなストーリーが与えられている。それで悪いか?って話になるのではなかろうか。支配者だって一人の人間だしね。ってことで。今回のところまでで、もう少し身分制度みたいなものに踏み込んだほうが良かったんだろうか…。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57276

で、そういったことを頭に入れながら、テツガクすれば何かもっともらしいことが言えるだろうとやってみたのが今日の読みだった。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57275

ビルダドとヨブの二回目の問答。一回目が裁判に関するものでそれが継がれていると考える。で、「嘲笑」に対するモチーフとして「怒り」があり、そこを詰めた結果が「贖う方は生きておられ…立たれるであろう。」にいたる、と。あと岩や石碑のイメージは支配権とその交替が表されているのかな、と。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57274

その「おびえ」は裁きがありえないことの永遠の不安、と言ってしまってよく、その解消として「救い主」の待望が生まれたのではないか。という仮説を今思いついたのだが…どうだろう?

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57272

ならば、その「おびえ」も正しいものと受け容れるべきなのか?

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57271

…それは正しいはたらきとさえ言っていい。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57270

暴力の記憶へのおびえから来る暴力はもちろん正しくない。だが、その元となる記憶として「だけ」残る「暴力」は裁けない。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57265

「生命がない」……。それは本人達にとってはもはや暴力ではないかもしれないが、周辺に生きる者の中には必ず暴力としてそれを記憶する者が出てくるだろう。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57264

少し人間理解がロマンティックすぎるだろうか?でも、指導的立場にあるものはそういった幻想をひきうけなければ、生命がない。それが人間社会の一面ではないか。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57263

人を嘲笑するためだけに怒りを偽装して、何かができるなら、恐らく怒りがなくても、それができる。怒ったものが嘲笑しているとしても、それは嘲笑のためになされたのではなく、怒っても埋めきれない思いを嘲笑で埋められないかと試しているだけだ。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57260

それは社会への信頼と言っていい。だが、その怒りが家族や他人に及んでいるなら、私が黙っているのが正しいことだろうか。それでも今の社会ならば私は、より正しい方法を探しながらも、それが自分の身辺に起こったという結果には、納得…、いや、受け容れるだろう。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57259

正しい結果ならば受けいれる。何かが怒るとき、そこには、慣習的なものにすぎないかもしれないが、正しさがある。それは受け容れる…いや、私だけならば受け容れても良いだろう。私はそういう人だし、そうありたいと思っているとさえ言っていい。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57257

いや、そもそも怒りとは暴力に結びつけるべきものであり、そう受け取らなくなった私のほうがひねくれてしまっているのだろうか?

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57256

しかし、怒りに対して、反発によって隠さねばならないほどたじろいだり、卑しいと見てしまうほどおびえたりする人々、場合によってそうなる人々がいる。その背景には、暴力の記憶があるのではないかと私は勘ぐる。

JRF 2008年6月 1日 (日)

aboutme:57253

人の怒りは厳しく受けとめ、自戒としていく。「普通の大人」ならば、いってしまえば、それだけだ。自戒となっていれば、何かの対策を講じるなどしていくうちに徐々に状況が、自分が、改善されていく。

JRF 2008年6月 1日 (日)

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