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2008年7月27日 - 2008年8月2日

aboutme:72613

その考えを何かに活かせるわけじゃないから、忘却してよいものに、自分によって、分類されてしまうんだけど。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72611

外から磁力を働かせるというのが、言葉で人を動かすのに相当し、だから、霊とはどちらかといえば言葉のようなもの、だとか何とか。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72610

「霊」を磁気のメタファで考える、というのはよくあると思う。というか、私は子供のころそんな考えを持っていたことがある。コイルが磁力をもつというのが、血の巡りによって霊がある、とか。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72609

英語で coil は巻線。電気で使うのは inductor か。いつごろからそうなんだろう?

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72538

This mortal coil とは「自分」?

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72537

…コイル…。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72536

私は奇跡を感じたい、奇跡のつながりを覆う場でありたい、ということか。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72534

「私」も作用する景象をコントロールできるほど簡約に捉えていない。操られる自己を扱えていない。易や古い占いを学ぶか、それより現代のシミュレーションに遊ばれるべきか。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72530

迷わないのがイイコトとしても、親密さが必要な場合は、相手にどう響いたかは気になるのが自然か。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72529

…それは事実とはかなり異なるだろうが、こういう考えをおいておくと自分は迷わずに済む。相手がその心持ちにどう臨むかは知らない。迷わないことが高評価につながる一群がいて、高評価はやはり必要な場合がある。個人にとってはもちろん、社会にとっても。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72528

呪いと祝いは表裏と言わずとも一体で、それをどう捉えるかは、その人がイマ、どの世界に生きるかということでしかない。…

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72527

…こう諭すのは人に迷いに落す呪いのようなものだろうか。呪いも祝いも真に願う者の前には意味をなさない。祝ったからといって協力が功を奏すると限らず、呪うことが人を発奮させることもある。祝いに呪いを感じてしまうことも、逆もある。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72526

犠牲は必要だと立話しているのが聴こえてきた。すでにその犠牲を払った人はいないか、もう十分じゃないか。死ぬほどの犠牲というのはきっとおかしいだろう。それ以外の道を探すべきだし、そこであがくことはアサマしいとは思わない。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72514

海外でクラシックがむちゃくちゃ安く出てる。これは個人輸入しろということか?しかしなぁ、それでペイするペースでは買えないし、聴けないし。

JRF 2008年8月 2日 (土)

aboutme:72511

私と相手とは限らず、次に取引する人の幸運を願う。少なくとも私が瑕疵をもたらさないように、私の瑕疵には先より相手に有利になるように心掛ける、といったところでどうだろう。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72510

相手に瑕疵があったとき値引き等の要求すらしないというのは、商業的慣習を傷付ける「背信行為」になっていないかなぁ。そこで値引きに応じるようだと、それはそれで問題が起きるようになるからアレだけど、何も言わないってのもなぁ。私ならどうするかってだけかな、気にするのは。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72490

すごい人手だ…。を掻き分けて歩く。「かっこいい」という言葉に一喜し、「芋洗坂係長みたい」の声に一憂する。いずれも私にかけられた声ではなく、単に人ごみの中にたまたま響いただけの言葉だとは思う。でも、黄色い響きは胸にグサリとくる。一種のエロスを私が感じているとすれば、恥かしい…が。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72487

誰かがやらないといけないとは思っていたが、私にできるとは思っていなかった。そうである以上やってみて…やっぱり、というか結局、私にはできなかった。まだある種諦めてない部分はあるけど、そう述べるのはますます恥ずかしくなるばかり。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72393

…いや、冬は冬でガマンできなかった気もする。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72392

この地では、ストーブがないのはある程度ガマンできるけど、冷房がないのはときに死活問題だからなぁ。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72390

新しいCDは、精神的な調子を整えないと良さが感じれないからなぁ。その辺が素人まるだしなんだろうけど。クーラーとかの物音がないときに聴きたいから、さらに聴くタイミングが難しくなってる。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72389

でも、読んでない本とかあるから、無駄があると言えばあるか。それだけでなく、買ってまだ聴いてないCDがあるあたり(50枚組は除いても)は問題か。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72388

ちなみに、出費を抑えているのは、実は、親に言われて。情けなや。マンガも前なら買ってたものを買ってない。私の境遇では当然だけどね。Amazon に毎月1万円を上限としてギリギリ使っているというのも貢ぎ過ぎなのかなぁ。

JRF 2008年8月 1日 (金)

aboutme:72386

だが、幼い解釈でつまづくものもいるのだから、日本語のネットにないならば、私が解釈を書いてもまったく意味がないことはないだろう。…と自分を取り繕う。ってゆーか、有害情報?…そこは私なりに気を付けてるつもりなんだけど。有害なところは「雑記」に隔離したり。

JRF 2008年7月31日 (木)

aboutme:72384

前は関心が違うといって避けた文庫本が、「良い」と某所で紹介されていたので買ってくる。チラと見ても、ラビの解釈はすごいな。私の解釈の「幼さ」を省みてしまい、恥かしくなる。

JRF 2008年7月31日 (木)

aboutme:72383

病院に行って、街にでた。今日は「無駄使い」をやっとがまんして帰ってきたつもり…。前は何も買わずに帰ってきたこともあった、というか、ほとんどそうだったことを考えると、出費が増えている。病院から街が近くなったのが恨めしい。って、お前がしっかりしろ!>>オレ。

JRF 2008年7月31日 (木)

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aboutme:72191

それに最近は自分もかなり安定しているようで、セカイ系の異常はほとんど感じなくなった。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72190

セカイに異常性が見えたとき、自分にできる範囲で、他の者が折り合える方向に何かをすべきだとは思っている。小さなことしかしないし、できないし、それでいい。それは私が異常であったときに「受け容れた」ことで、それぐらいは、今も、気にかけている。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72187

自己承認欲求ということでいい。ただ、承認であったとしても反応が得られることは、むしろ、怖い。ただ、それはそういうことに慣れてないからだと思う。あまり意識していないが、理解されない自分を鼻にかけてる部分もあるかもしれない。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72183

……そう自分に問えば、功名心みたいなものがないわけではない。人々の中で今の自分がギリギリできることで、甘えであったとしても自分は何かをしていると感じられること、私がしなければならないと私に空想させられることをしている。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72182

悟りの「イデア」も、一般的な気付きについても私の考えはわかった。ならば、己はそういった気付きをもって何をしようとしているのか。何を思って書いているのか。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72180

釈尊の時代、中国でも諸子百家の時代、移動の時代だった。釈尊が悟った後の最初の弟子は、商人だった。経済というのは、社会の悟りという場合は当然、個人の悟りに関しても多くの宗教者が思っているより大きな要素なのかもしれない。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72179

当然、期待が大きくはずれて、しっちゃかめっちゃかになることもしばしばなんだけど、それは過去の認識の誤りを訂正を求めることもある。…誤りを訂正しなくてもなんとかなることもあるし、なんとかはなっているけど、経済では影響をうける。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72178

この辺、少し前に紹介した《時間の貨弊価値:金で買えないモノはないか?》を思い出す。なんだかわからないけど価格に表されると、それを加味していたと解釈するほかない。未来など私達は予想してないといくらいっても、価格にはそれが現れていると見るほかない。

JRF 2008年7月30日 (水)

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aboutme:72177

「私」がその未来の期待にコミットするようになったとき、すでにその未来の期待は、経済という形で過去の私にコミットしていて、ときどきそのことに気付かされることもある。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72176

未来が過去に影響する、というのを「正常」な範囲で述べるなら、今なら投資に関する話がうってつけ。つまり、未来の期待のもとに現在の価格が決まっているわけだが、じゃあ、その期待を形成するものを「私」がすべて知りうるかというとそうではない。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72174

釈尊から、未来から過去への「逆流」を教わる、というのは、「因果ではなく縁起だ」といったときに、「異常」者は、時間の方向性を超えた含みを感じてしまうから。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72156

昨夜歩いていると雷で空がビカビカ光っていた。「でも、音は鳴っていないなあ」と家に帰ったら書こうと思った時点で、空がごうごう唸っているのに気付いた。あれは飛行機の音?あまり気にしていない自分。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72127

キタナイ話で恐縮。自分の健康の記録としての意味もあるのでご勘弁を。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72126

反芻…もちょっとあったけど、肉のアブラっぽさが気になって嘔吐してきた。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72121

奇跡を確定することで、救いがリアリティを帯びるようになる。何をどうすれば救いとなるという構造が信じるに足るようになるのは不運、…幸運とは呼べないだろう…、であったとしても、それは運命的な「奇跡」である。私は今に生をつながれた一人として、「正常」だからこそ、こうまで述べる。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72120

「正常」に引き戻して考える。宗教者がテツガクして何かを訴える。その言葉の片鱗のみを信じて誰かが殉じるとき、宗教者の誠実は、片鱗であった言葉を背負って生きることになる。そこには迷信でしかないことも含まれていくだろう。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72119

少し「異常」に踏み込んだままいえば、いくつかの分化した性格を統合というか包括できるようにしているのが、釈尊の一歩、あの時代に敢えてその時代の「異常」を体現していた者たちに解決を与えるという一歩で、私があの「多重人格」を正常のまま見られるのは、その悟りの遠い帰結なのかもしれない。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72118

ただし、手塚治虫は、釈尊が異常者のようであったかもしれないが「それだけではない何か」が釈尊にあったと描いていたと私は思う。その「何か」を感じる前にあるハードルを超えたくないという人も多いかもしれないが。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72117

手塚治虫の『ブッダ』に描かれる釈尊。精神異常を経験したあとの私が読むと、あの多重人格的にさえ見える釈尊は、手塚治虫の精神異常者に関する医学的知識が反映されているのではないかと思う。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72116

少し「異常」というか信仰の領域に踏みこめば、それから先に生きる全ての者の転生に影響を与える、どころか、過去さえ変えるというか過去に生きていた者にそこから見て未来に生まれた者が約束する救い、死を越えた救いがあった、となろう。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72115

観察する者が変わることで世界が変わり、私も変わる、私が変わっていれば世界がその時変わっていなくても意味がある。…《シュミレーション・アーギュメントを論駁する》のほうが近いかな。あれは「「私は変わらない」で良い」という結論でも良いようにしたんだけど。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72114

ギリギリ「正常」な範囲で語れば、過去私が書いた《イメージによる進化》において漠然としたイメージでしかなかったことに、決定的なイメージを与えた……はむしろイエスか。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72113

もう少しイデアの方向を「想い出す」ことにすると、悟ったこと自体が社会というか世界に決定的影響を与える、ようなことが釈尊においてあった、ということだろう。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72112

新生と呼べる気付きなのだとして、自らその責任を負う。釈尊の「悟り」にそういう面があったと私などは想像する。釈尊の悟りが悟りのイデア(理想型)として、先の「気付き」は、イデアの投影の一つということでよいはず。

JRF 2008年7月30日 (水)

aboutme:72096

いつものお腹痛があるが、どうも鈍い痛みになっている。改善したのか、痛みをより広く感じるようになったのか。

JRF 2008年7月29日 (火)

aboutme:72086

今は、自分とは違う美しさを感じれるようになった……のだと思うのだが…。

JRF 2008年7月29日 (火)

aboutme:72085

なぜだろう。ドイツ・レクイエムが「わかる」ようになってから、ブラームスを再びよく聴くようになった。昔から好きではあったのだが、どこかその重さに違和感があった。その重さがブラームスの魅力だけど、そこに自分を認めたくなくて避けていた。

JRF 2008年7月29日 (火)

aboutme:71941

どうなんだろう。少し受験者も減るだろうし、今そういった試験をもう一回挑戦したほうがいいのかなぁ。…とか、思わないでもない日もないわけではない。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71940

いや、私がペーパー試験に落ちたことを念頭に置いてるだけなんですが。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71939

ただ、それは「気付き」であって「知識」ではない。だから、間違いからの気付きに頼るようなあり方(もっと言えば人材)が淘汰され、ペーパー試験による記憶偏重にむしろ人々を追いやったのではないだろうか。……。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71935

それが教育方法が異なることにより、そういった差異が出なくなってしまうことがある。そうすると、自然に受け継がれない「気付き」もでてくるということだ。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71933

教科書に書いてあったはずなのに「い」と「ゐ」の区別のつかない者が現れる。そういう人が自分と同じ階層にまで来たのに、なぜ区別がつかないか、ということが契機となって、社会構成の違いのようなものへの気付きが受け継がれていく。といったように。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71931

何かを教育として強制していく。すると自然に「できない」という人が現れる。実は上部構造でもある種のできなさというのが常に存在するのだが、そういう「できない」人に対処することによって、逆に上部構造の「ゆるみ」にタガをはめていっていたのではないだろうか。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71930

見えるようになっていない。その構造的なものがあるとすれば、こういわれると嫌がられるらしい「ゆとり教育」にあるのではないか。それは下の世代がバカだということではない。むしろ、上の世代を愚かにしていく構造があったのではないかという疑いが私にはあるということだ。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71929

今、そういう気付きがあるべきなのに私には見えない。それは私の視界が狭いということでほぼ間違いないが、寂しくはある。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71928

ならば、誰かに帰することない気付きは、異物による活性作用を狙ったものなのだろうか。それとも新生とまで称するべきなのか。

JRF 2008年7月28日 (月)

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aboutme:71927

他人に気付かせるというのはおせっかいに思えることもあるが、知的活動の承継は社会という体を健康に保たせるのに必要なことでもあるだろう。つまり、その気付きは誰かから与えられたように見えることが、社会の統合を実現している。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71926

その「運」(幸運かどうかは知らないが)を誰かに帰することなく、自分のものだと考えるなら、それは「組織」の構造を変えることもある。その変化すらも備えられた社会の仕組の中にあるのかもしれないが、「そんな仕組だとは考えるな」ということも同時に気付くこともあろう。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71925

何かを見えないはずの「私」が気付くようになる。ああ、それはきっと「私」でなくても誰かが気付くようになったということなのだ。そういう社会の変化の芽の一つが「私」というところに萌え出ただけなのだ。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71924

「常識」を私が知らなかっただけでそれに気付いたことが社会に意味があるか。社会には、ある種のことに気付かせない構造があるように思えることがある。それが意図的なものかどうかは別として。それを気付きうる変化が起きているということかもしれない。ならば、社会にとって大きな意味がある。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71923

だったら、社会的な意味はどうだろう。気付きにくいことを、気付けるようになったことは、概ねすばらしいことだ。何かに気付かれたことを嫌がる人もいるかもしれないが、少し時間をかければ、それを善い方向に導く知恵も生まれる、私はそう信じる者だ。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71922

私が何かを気付くことに意味があるだろうか。あたり前に意味がある。私にとって意味があれば、それで悩む必要はない。もちろん、一人一人が気付くことは、以前に誰かも気付いているということでほぼ間違いない。

JRF 2008年7月28日 (月)

aboutme:71793

「的を得る」と「的を射る」は、「射(い)る」と「居(ゐ)る」でくさしたり新入りをイビったりできなくなったことの意趣返しで創られた話題ではないか?

JRF 2008年7月27日 (日)

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