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2008年8月17日 - 2008年8月23日

aboutme:75485

だったら、イイのに!っていいのか?いや、いいとしうる。 いいとすべかりせば、いいけまつらじ。

JRF 2008年8月23日 (土)

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aboutme:75472

それとどう向き合うか…。今それを考えていてもしかたがないことなのかもしれないけど…。集合的無意識じゃないけど、私が今思い沈めていることが、どこかで誰かに届くかもしれない、とオカルトじみた考えも持つ。

JRF 2008年8月23日 (土)

aboutme:75470

無意識ぐらいになる反応というのは、今は見えにくくなっているけどやっぱりある、社会や個人に表出することがありうる、と思う。

JRF 2008年8月23日 (土)

aboutme:75469

タマルやディナの逸話、あれが自分の感情にしっくりくるという人もいるんだろう。私は少し離れているが、その感情の種があるようでわかる気がする、と同時に、これは理解されないことがあるな、という気もする。

JRF 2008年8月23日 (土)

aboutme:75461

そういうことだと思った私の直感は、自分が書こうとしていた記事のために雲っていたということなのかなぁ。

JRF 2008年8月23日 (土)

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aboutme:75460

木の束は、イメージをつくるものというよりも、単なる興奮剤のようなもので、ラバンが引き離したまだらなどの羊が水を飲みにきた隙を狙って、興奮剤を使って交尾させた、というだけのことかもしれない。

JRF 2008年8月23日 (土)

aboutme:75459

他の訳などを読んでみた。創世記30章を《イメージによる進化》と結びつけるのは、完全な間違いとは言えないものの、いきすぎた解釈であったかもしれない。

JRF 2008年8月23日 (土)

aboutme:75344

でも、私はこういったもののほうに魅力を感じるようになってきた。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75343

社会の悟り、それが「物語」の個人の悟りとして現れている。でも後者の「悟り」は、一切知と呼べるようなものではない。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75342

ヤコブはヨセフの子供に祝福を送るとき、その腕を交差させる。私はここに突然変異のイメージを見出してしまう。ヤコブは孫達に予想したことについて、その不条理としかし、運命的必要性を見出しているに違いない、と私は思う。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75341

《なぜ人を殺してはいけないのか》(http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/12/post.html)に「保険」として書いた部分の私の考え方は、ここから来ていると行っても良い。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75340

だが、このヨセフがエジプトで苦労ののちに大きな権力を掴み、やがてヤコブ達の困窮を救うことになる。ヨセフを大きくしたものは何だろうか。「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」ではないが、人がもち人と支えあうことになりうる知恵は、どのように世を介していくのか。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75339

それも束の間、ヤコブの子供達が淘汰することを当然視するような行動に出たり、兄弟の間で争いをするようになる。そしてヤコブが一番かわいがっていたヨセフが、彼の前から消えてしまう。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75338

ヤコブは、むしろ「神」と争うことになる。ヤコブが争い、おそらく別人格としたのは自然淘汰の考えだったと私なぞは思う。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75337

ヤコブが群れを二組に分けたのは互いに争わせるためでない。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75336

ヤコブは兄弟と争うことも、再び出し抜くこともできただろう。すべての「長」となれるならば、当然、ここでどう行動しても良いはずである。だが、ヤコブはそうしなかった。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75335

何十年も親戚のもとに留まっていたヤコブは、半ば強引に独立をはかり、昔兄弟と暮らしていた地に戻ってくる。ヤコブは、かつての自分の行いが恨みとなって残っているのではないかという恐れを抱いている。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75334

親戚のもとで結婚したヤコブは、繁殖も含めた家畜の管理を任される。人の管理のもといつか「自由」になる日を夢み、管理者として優れた働きをするようになる。ヤコブの群れの中にはまるでヤコブが羊になったかのように優秀そうな羊もいただろう。だが、それがどれほど彼の役に立っただろうか。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75333

ヤコブは兄弟すら出し抜くことをよしとした。その結果、彼はイエをほとんど追い出され、親戚のもとに身を寄せることになった。その途中、彼は地上のすべての氏族が自分と関係を持つようになると神が告げる夢を見た。…すべての「長」となること、それが生きたものの目的になるべきだろうか。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75332

ダーウィンの進化論を待つまでもなく、「家畜」を造り出した人類が、自然淘汰を知らなかったはずもないだろう。わずかな優越性が種を選び出す。人は人為的にそれを早める方法を使っていた。それが人というものの認識にも相当程度影響があっただろう。

JRF 2008年8月22日 (金)

aboutme:75200

今日は、この辺できりあげて、「第一資料」の該当部ををもう一度読み返そう。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75196

この辺は、伝わらなくていい、というか、伝わったらその人の精神が心配。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75195

抑圧に対するモデル。「死」が無用としないのは蓮の花。未来に出張ってしまったものが、過去に植える。時間は超えてないように見ることもできる。そのモデルは百合の花のよう、とか。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75191

それで終れれば御の字ではある…か。まだまだわからないけどね。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75189

でも、生きたのち、今の自分を判断する限り、そのような芯は世の中の役には立たなかったとなるだろう。いや、私があまり悪いことをしなければ、ほんの少し、ひと一人分は役に立ったとなるかな。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75185

そのあたり余り覚えていない。でも、忘れちゃいけない芯のようなものは心に残っている。いや、少し違うかな。そのような芯はその前からあって、今に続いている。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75184

実はこのあたりは、ビョーキになったときの考えもちょっと入っている。「争い」(による)「死」が必要なものだったと認めよという抑圧をそのときは感じた。私はイメージのレベルにそれは留められた、その抑圧こそ問題だ…などと応えたりした。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75183

《イメージによる進化》を考えても、イメージのみで変化できるのは、蓄積された遺伝的浮動の余祐分だけ、と思っていた。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75176

…一週間ぐらい前に行ったプールで日やけした肩の皮膚が、今ごろボロボロむけてくる。行った次の日あたりからむけはじめていたが、今日がピークのようなズルむけかた。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75175

だが、現代の畜産の観点からは問題がある以上、古代でも、ヤコブの見識が問われていくのは当然である。一方、「羊」にわかるイメージを創るとはどういうことかも、ヤコブは悩むことになるだろう。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75174

ヤコブは一神教ということの意味を、そのときは、イメージを実現できるという一つの評価基準によって、捉えたのではないだろうか。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75173

そしてヤコブは、ヤコブが羊に期待したように、神がヤコブに期待するものを感じ取った、と私はとる。「神とはそのようなものだ」と読み込むのはここでの正しい解釈と思う。この「物語」を書いた人もそのような意味を見出して欲しかったと私は思うし、そう解釈する者は私の前にも少なくなかったはずだ。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75172

本当にそのような個体を「実現」できるなら、必要なのは、まだらや、ぶちといった外見でも、丈夫であるという特徴ですらないのだ。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75170

ヤコブが羊に欲したのはこの特徴であると、私は考える。このような汎用的特徴さえ持っていれば、こちらが用意するイメージを羊たちに理解できるものにさえすれば、どのように望んだ個体も得られるようになるだろう。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75169

ヤコブは、まだらやぶち(やその子供など)を掛け合わそうとしなかった。むしろ、それらがどのようなイメージを持っているかに着目する。もし、ヤコブがこの方法により目的のものを得られていたとしたらどうだろうか。その羊は人の提示したイメージに従って、産みわけができる個体、ということになる。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75113

…昨日の調子悪さを今日もひきずっている。二日続けてというのは少しめずらしい。体力が落ちてるのかな?

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75112

重要なのはヤコブのセカイの捉え方である。ヤコブにはこのころ次々と子供が産まれている。動物の繁殖をこのようにとらえたヤコブは、人間というものをどう見なすだろうか。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75110

これは現代の畜産の観点からは問題のある記述である(参『旧約聖書略解』)が、私が書いた記事《イメージによる進化》(http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/06/post.html)に似た考えがそこにある。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75109

おそらく、ロジックとしては、交尾という興奮状態のときに見たガラの子供が子宮で形づくられやすくなる、または、次回から、印象に残った「背景」に似たガラの相手と交尾しようとするようになり、そういうガラの子供が産まれやすくなる、ということだろう。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75108

創世記 30:37-30:43 で、ぶちやまだらの羊は自分のものとできるという約束をしたヤコブは、ぶちやまだらの羊が丈夫な羊となるような方策をとろうとする。それは交尾のときに、木の枝の皮を一部剥はいだものを見せるというものであった。

JRF 2008年8月21日 (木)

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aboutme:75036

調子が戻らない、ような気がしているが、前からこんなもんといえばこんなもんだったか…。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75035

どうも昼ごはんを食べすぎたのが今たたっているもよう。痛みは少ないが、お○とはしてしまった。

JRF 2008年8月21日 (木)

aboutme:75034

7月下旬からずっとそこを目指してきたんだけど、そろそろ、「やっつけ」てしまわないと…。いつかブログの記事にすることがあれば、そのとき整えるということで…。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75033

ここまでで、一つの価値観をメインにして、そこから他の概念があるように「再構成」するという話があることを示して、旧約、ヤコブの羊の繁殖の話につなげる予定だった。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75022

保守的思考だから間違い、ということはないが、ここでの私の考えは、深みはなかった。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75021

カルトが大乗に染まると見るのは、他仏教派と同じく大乗にも極まる道があり、「中途半端」になるのがいけない、古いものはそれ独自の価値があるという保守的思考からきているか。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75019

ちょっと、ビョーキになったころを思い出す。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75018

「常識があるから」というのが実は大きいのではないか、「生き霊」という概念を知ったあとは。そうでないとどうもこの人…と思うことがあるように思う。そこまでの関心は自分に向けられてないはずだから、というのもあるかな。あと、「生き霊」でなくてもよいか。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75016

自分で見解を統合しているという感覚があるからか、そんなことはあり得ないという常識があるからか。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75015

違う見解が浮かぶとき、とか、もっと簡単に、本を読んでるとき自分とは違うキャラクターの声が内心に響いているとき、それが「生き霊」のものでないとどうして確信できるのだろう。(世界がすべて私の想像と考えることの亜種か?いや、違うか。)

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75014

ルソーの自然状態が、ライフルや蒸気機関があればどうなるか、というのがアメリカの関心だったのか。銃社会に哲学的含意を見るべきなのかなぁ。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:75007

法人税を下げて消費税を上げる…。福利厚生費に関して損金算入できる範囲を広げ(チームごとの慰安旅行を認めるなど)、一方、交際費や福利厚生費を課税仕入れとできる範囲をせばめる、といったところか。対策で「必要」と言えそうと思えるのは私はこれだけかな。

JRF 2008年8月20日 (水)

aboutme:74813

音だけで作ったからかなりフィクション。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74806

帰郷過ぎ卑属と知らぬ電影に忘我のさとは口険しからん。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74805

そこに必定はゆらぐ。それも「あなた任せ」であると思えるか。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74804

そういう救いを求めない人がいる。それらが社会を支えていると、(映像などから、他の価値観が)見えてしまう人は、別の原理があると見てもゆるされてあれなければならない。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74803

だが、今「あるがまま」に見れない私のような人間には、「結局すべての救いが阿弥陀如来によることになったとしてもいい、それが末世なのだ」という考えは、偏りが大きすぎるように思える。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74802

そのメンタルモデルは部分的に理解できる。それは念仏で善いとまで「譲った」結果として現れている。無意識的に唱えることもありえると思えるがゆえに、その心もちがありえる。そして念仏で善いということを正当化するには、弥陀の本願を持ってくるしかなかったということだろう。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74797

念仏というものが意志のものではなく、(地獄)必定に私が唱えることになった。と捉える…ということだろう。それは信仰によって義とされるといいながら、すべての人は十分な信仰をもつことになるだろうと直感することの裏返しのように思える。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74793

念仏の改革派一神教的側面を考えようと思っていたときに、小林一茶の『おらが春』を読んだ。創作部分があるそうだから言ってしまうが、その「美的感覚」は、浮わついた部分があったり、強調があったりしても、庶人として此世に身を寄せたことの数奇さをよろこんでいた。…ように読めた。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74791

それは「幸せ」ではないサ。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74790

「あるがまま」がいいわけないはずなのに「あるがまま」が良いようになっている。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74789

そこに自らの悟りは半ばにあり、そしてその半ばにあるものが力を持つことを是認する社会がある。そこに我々が仏像などに見るような「悟り」はなくなる。「私ははたらいている」だがしかし、どこの誰かはおぼろげな「あなた任せ」が、どうにも「はたらき」によって支え合っている。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74784

そのような本来ならば「境地」として体現すべきところをほぼ最初からつきあっていこうとする。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74782

ある種の迷信をとりこみながら、ギリギリのところで影響を及ぼせないか、と模索すれば、業もバランスを失い、世事を厭えなくなる。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74780

軍事行動や人体実験を起こす人間までも取り込み、自らの責任としようというところに、大乗の道があるのではないか。違う派のものであったとしても、そういう責任を自分のものとせねばならないと思えば大乗に染まっていくしかないのではないか。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74706

「甘んじて受け容れて下さい」と言われて、自分が折れたとはしたくないとき、「おぼえておれよ」とでも返すかな。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74702

自分の思い残りを絶ってくれたことを、複雑な思いがありがなら、甘んじて容れ、それを多としよう、というとき「ごかいしゃくありがとう」とでも言えばいいのか。その返しは「ゆきしらせよ」か「つゆほどのこともない」か。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74697

ピルクルは今はグミのキャンディーになっているんですね。おいしかったです。

JRF 2008年8月19日 (火)

aboutme:74695

炭疽菌…。911のころにはこれも異常を私に起こさせるキーワードだった。「Cを入れる」とはどういうことか。英語におけるCの役割、プログラミング言語としてのC、炭素、他にもCの形から何か想像したが忘れてしまった。今見れば炭「素」箘ではないのですね…。

JRF 2008年8月19日 (火)

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aboutme:74532

モデルを調停に利用するというのは、乱数の使い方に帰着するのかなぁ。だとすると賭博との関係も問題になるか…。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74452

先の二つの話題、どうも実感が足りない。修業不足か。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74449

味覚は覚えられ、保守的になっていく。それがF1雑種の安定性以上の「価値」を造り出すことがある。…フィードバックループができることが、多元的価値をもった確率モデルにおいて重要ということなのだろうか。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74443

「プログラム」特許を使うような複雑なモデルを構成しないと調停の効力がないという調停を創る…。うーん、いい考えだと思ったんだけど、先にすすまない。この考えも塩漬けか。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74441

これだと、解決をはかりながら構築するということにならないか。先に契約者のモデルを創ってから、それに合う人を探すことになるかな。…それはなにか違う気がするなぁ。その、言ってしまえば、紛争の「奇跡性」が評価されてないことが不満なんだけど、そうと言うわけにもいかない…。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74439

保護を受ける調停の場合には、契約者をコンピュータ上にモデル化しなければならないとすれば、どうだろう。そこに工学的複雑さが出てきて、特許を使うようなことが必要になる。…とか。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74438

つまり「司法特許」のようなものが必要である。と。しかし、それをそのまま与えてしまえるなら、これまでもそうしていただろう。契約の自由にもひっかかる。より工学的なプログラム特許に帰着すればなんとかならないだろうか?

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74437

そのコストを投資という形に考えれるなら、払える場合も増える。弁護士が自分の収入のために貧乏人のADRを仲介するというケースもでてこよう。これは貧乏を利用する点で普通いやらしいが、調停という財を造り上げるというモチベーションにすれば罪責感を減らすのではなかろうか。

JRF 2008年8月17日 (日)

aboutme:74433

自分が戦うという視点を得れたので少し考える。ADR には調停を再利用するものからマージンをとれるようにすべきではないだろうか。ADR はプライバシーを守ったまま司法的解決をはかれる。が、そうするとコストが跳ね上がる。

JRF 2008年8月17日 (日)

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