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2008年11月2日 - 2008年11月8日

aboutme:86837

目を明けると他の部屋で寝ているらしいことがわかる、という夢を見た。夢だと気づきながら、いやに鮮明に見えてる(覗けてる)なあと感じていた。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86836

……。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86835

それがこれまでの経済とも同居できる…なぜだろう。なんで今ないように見えるんだろう。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86834

責任を持って価値を維持したものが解散して…、でも、二次創作者に文句はなくて、穏やかに次のものを練って…。それができるのは余剰の取得権は先に「昇天」した者から遺されたものを散った個人が継ぐからで…。その個人が別のところに資産を持参して…。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86833

…新しいものを作っていくのではなく、細々としたもので生活を支えられる…。それは生活を支えるようなもの(ベーシックインカム?)がすでに一般にあって、ちゃんと時間をかけさせた者のところに金融されていくという構図をつくる…。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86832

少し前、10月24日から10月29日に書いたフェアユースに修道院持参金のようなものが必要と思ったという私の直観を、もう少し詳らかにできないか。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86831

……。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86830

例えば「横暴な監視」は負債の管理、「横着な監視」は資賛の管理といったぐあいに。もちろん、資産と負債は表裏をなすものだけれど…。

JRF 2008年11月 8日 (土)

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aboutme:86829

「横暴な監視」と「横着な監視」の両方を使うとどうなるだろう?結局、「横暴な監視」だけをやっているのと変わらなくなるのではないか?自分の別の側面をそれぞれ二つの監視に割り当てれないだろうか。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86828

一方、今回作った「横着な監視」のほうのランダム性は啓示的性格を持つ。アラートが表示されない偶然を積極的に捉えることを許すことになる。機会主義的な性格を育てることになるかもしれないが、その辺りはしばらく自分で使ってみて確かめよう。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86827

「横暴な監視」には罰が必要で、手はじめには DOM ではなく alert 関数を使って作業のジャマをするようにすることになるだろう。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86826

この場合、「私」が時間をすごく気にしていて、その時間だけアラートを避けようとする場合には効果があるだろう。つまり逆に正確な時間をたたきこむために「横暴な監視」をするといったところか。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86825

同じ乱数を取り入れるにも、いつアラートが出されるかわからないようにするため、アラートの表示時間をランダムに前後に揺らせる方法もありえる。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86824

自主性を重んじるというプログラミング哲学をもととする。アラートを毎回出すのをやめることで、出さなくても時間を守るだろうという「信頼」をプログラミングしたことになる、と今は考えている。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86823

今回のキモとなるアイデアは、30分ごとに制限時間外かチェックするとき、2/3 の確率で制限時間外でもアラートを出さない「横着な監視」を取り入れたこと。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86822

30分ごとに制限時間外かチェックするようにし、他の作業を中断させる alert 関数を使うのをやめ、DOM に要素を足してオーバーレイする形にした。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86821

10月2日ぐらいにはじめて作った Greasemonkey スクリプト、自分で制限した時間外にアバウトミーの mypage に訪れるとアラートを表示するだけの Greasemonkey スクリプトを少し改造した。

JRF 2008年11月 8日 (土)

aboutme:86712

「API」の日本語訳は「尺貫」でいいんじゃなかろうか。物を統一した「尺貫」で用意することで、再利用を促す、というあたりで。あとおとが「借款」と同じで一時的に間借りするような雰囲気も出る。

JRF 2008年11月 7日 (金)

aboutme:86708

思いのほか、本の字をたくさん辿れている。その満足感が「私はもっとできるはず」という思いを刺激し、やり過ごしてきた現在のふがいなさが逆に目立つようになって、「徒労感」に繋っているのかな?

JRF 2008年11月 7日 (金)

aboutme:86623

なぜか、徒労感がある。最近は感じてなかった、というかうまくやり過ごしていたのに。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86621

……。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86620

最後に、なぜこの本には「復活」がないのだろう?

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86619

何か「原罪」があるのだろうか?

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86618

投票をまとめるという作業に力が及び、結局役に立たない…多数決は無駄であることを肯定する文化だったのでは?赤信号みんなで渡れば怖くないではないが、突然大量の数が動くことだけで力が変化する、すなわち、動的に偏りが出やすいことも利用できる、という考えをとりたくなかったのではないか?

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86617

「障壁」の節。>私は中国人が、なぜギリシア人のように投票に考えが及ばなかったか不思議に思う。<

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86616

逆に規定する…。天子が正しければ民が応ずる。というのを逆にして、民直ければ天子直し、すなわち、まず個人が正しくすることが第一で、それによって上が正されていく、とか?

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86615

>そして明治はこの「ない部分」をヨーロッパ的組識で埋めた。<>ただ、この中間の組織論が上(天皇)と下(個人的規範)を逆に規定していけば、日本は西欧化するであろうという楽観論は明治にはあった。<

JRF 2008年11月 6日 (木)

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aboutme:86614

「シントイズム」の節。>日本人は伝統的に組織的発想を嫌うところがあり、闇斎も絅斎も天皇の絶対と個人の規範は記しても、この二つをいかなる組織論でつなぐかの明確な発想がなかった。いわば組織神学抜きで「神絶対、信仰のみ」と言っているようなもので、この真宗的伝統は徳川時代も変わらない。<

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86613

そしてシミュレーションを肯定しても何とか「会計」できないかが今の私の関心。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86612

シミュレーションの否定…。「進化論」的に考えれば、頭が回る者が生き残ったほうが良いはず。しかし、皆が計算高ければ、社会はすばやく偏る。静的に偏りがあることはいいが、動的に偏りが出やすいのは、社会を破壊しやすいから…が私の一つの解釈。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86611

>「人にいわれぬ前(さき)に我よりいうが罪もかろくて然るべしと思い」<、告白するのは正直ではないとした。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86610

「「実情」と「事実」」の節。石田梅岩>「(…)毛するほども私(わたくし)なく、ありべかかりにするは正直なる所也」<。石田梅岩は、父が盗みをしたとき子がそれを告白することが正直か、という問題を挙げ、それは「実情」に正直であったかによるとした。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86609

形を践む…。山本氏が過去を辿るほど、絶対性はとりあえず崩れる。しかし、同時に「伝道」の余地がなくなるのではないか?そうなっても通ずるという無意識は、「あるがまま」であれば良い、または、「形を践んで」「自然の理」に従って生きていくのが良い、というのを肯定するのと何が違うんだ?

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86608

>人間は人間の形をしている。これは結局「労働により食を得る」という形であり、(…)人間の形もまたその心を規定しているはずであり、<>動物のように「形を践(ふん)で」「自然の理」に従って生きていけるのが最もよい(…)ことになる<。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86607

「自然の理」の節。石田梅岩(1685年生)の思想。>「形ニ直ニ心ナリト知ルベシ」<。>馬は草を食って生きるような形に生まれており、ノミは人の血を吸って生きるような形に生まれている。<

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86606

高田淳『易のはなし』を読んだだけの私には、事実とは矛盾もある解釈または「学説」を紹介したのち、解釈にとりあえず順って事を賭し、結果を俟(ま)つ、のは易の態度であり、それは確かに私の中で「科学的方法」に通じているように思う。なお「創造論と進化論」は幼いときからの私の関心領域の一つ。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86605

>「(…)人身の如きも其初(そのはじめ)唯(ただ)禽獣胎中より展転変化して生じ来るものなるべし。(…)」<これが、占い、または、易の本として出ている。その範疇が今もだいたい日本の「科学」でないか、と。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86604

戻って「科学」の節。>鎌田柳泓(1754年生れ)の『心学奥の桟(かけはし)』(…)「一種の草木変じて千草万木となり、一種の禽獣中魚変じて千万種の禽獣中魚となるの説」という一章<

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86603

絶体化した前提があるところに伝道の余地がある。ならば、まず「絶体化した前提」を築かせるべき?奪わんと欲すればまず与えよ(老子)?だが、それはすでに築かれていた。天主教が奪うために、儒学が与えられたと考えよ、と?山本氏が省みたのは自己をまず崩されないように「精神防壁」を張ったのか?

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86602

「招魂思想」の節。>人が人に何かを伝道しようと思うとき、私の部隊長のように相手が「無意識」のうちに絶対化している前提をまず壊さなければならない。<

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86601

これは日本人天主教徒である山本氏自身も省りみてのことか…。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86600

儒学は>(…)内的規範になると、政治教というべきものになり、これが、「儒学は程度の悪い宗教にとどまらざるをえないという運命を暗示している」(松浦玲氏の評)と思われる。<

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86599

「聖人」の節。太宰春台(1680年生)の言葉として>「若(もし)今にも天主教の禁を弛(ゆるめ)られば、闇斎の如き者は、必皆天主教に帰すべきなり」<。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86598

「伝道」の節。>私にとって興味があったのは、ある思想の「伝道」が本当に日本人を変え、日本の歴史を一転させた例が過去にあった<。それは>朱子学<の>絶対的正統主義や、それを基とした個人の絶対的規範<。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86597

山本七平『静かなる細き声』(文藝春秋 社 山本七平ライブラリー版内)を読んだ。それに関してメモ。

JRF 2008年11月 6日 (木)

aboutme:86453

「PC を使えば」で希望が見出せる私…。そろそろ時代遅れか。クロノス的には「そろそろ」なんてものじゃないかな?

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86450

だが、それこそ、もしできるなら誰かが既にやっている在り方ではないか。…PC を使えば自分の手の内で市場が造れることを活かせないだろうか?

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86449

だから、帳尻を合わすもう片方となるのか、自分が。いや、一つの生き方にその両面がある。…その経済の両面を一つの実体として会計する方法を探せるか?…このテツガクを実践をもって伝えるために。

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86448

信託の利を引き出したものに責を帰さない。それは大きなリスク管理の対象だったとあとから納得せよ、と、そういう生き方をせよ、と。…そんなわけあるか!

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86447

預けるってどういうことだ?果実取得権の第一番の権利者でなくなるということか、より大きなリスク管理の対象に数え自らによる管理を放棄するということか?でも、天に預けたと仕訳けしても、地上で帳尻を合わす預けられたものも(概念として)構成できるはず。いや、それは溶けてなくなるのか?

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86446

そう生きる方法はない。何かがあるから子がそう生きれるようにはしない。

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86445

絶望が去って普通の生活が営まれていく。それがあったことを歴史にするため組織を作っていくという在り方は既にあったことで、それができたことは余裕をもらえていたということでしかない。そこに力はない。生きていく者は、自らの思いを預け、または、自らを預け、伝わらぬ生を選択する。

JRF 2008年11月 4日 (火)

aboutme:86325

他を優先し小説はあとでいいやとして、最近、小説を読んでない。心の余祐がなく、ある意味易きに流れているのかもしれない…。

JRF 2008年11月 3日 (月)

aboutme:86323

他者から見て「信託」になるのは「子」または「未来」としての関係に入るからだろうか?…何か違う。捩れのようなものがあるように思う。老いや、老いて肥大化する自分と関係がないか。むしろ、アダムからの正統から見たとき他者が子「だった」とか。…今少し考えよう…。

JRF 2008年11月 3日 (月)

aboutme:86322

神の保証債務は、自分の苦として引き受ける。苦として引き受け自分となし、他者と対称していく。天の価値を地上の価値に確定していく。…そう積極的に「自分の側では解釈する」…それは会計的には一体何だ?

JRF 2008年11月 3日 (月)

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aboutme:86321

神は父の罪を子に着せない。悪は、過去の者の問題ではなく、「今確定している者」の問題。でも、ある程度の過去が問題にされるわけで…カイロス的な「今」なのかな。

JRF 2008年11月 3日 (月)

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aboutme:86320

何か悪をして神に「損害」を及ぼしたといってもそれは財貨によらない。しかし「信託」は財貨により支払われたと考える。地上では帳尻が合わなくなるのではないか。

JRF 2008年11月 3日 (月)

aboutme:86319

その集団は敵であったものにとり込まれたり、子が取り込んでいたりするが、その者に求償はできないし、そう考えたい。

JRF 2008年11月 3日 (月)

aboutme:86318

その「誰か」とは集団の過去の人で、現世的には求償できないと考えるのだろうか。それとも破産債権を転換して、集団の未来の人に対する株式を取得するみたいに考えるんだろうか。いや、でも、保証した者の立場はそんなに希望に満ちた者ではない。

JRF 2008年11月 3日 (月)

aboutme:86317

神の損害賠償請求権が信託として機能する、といったとき、信託で「収入」を得るのは「敵」になる。自分にとって「信託」は連帯保証債務に相当するということになる。ただ、保証しただけなので、払ったあと「誰か」に対して求償権が発生すると見たてる。

JRF 2008年11月 3日 (月)

aboutme:86316

こすっからい債権者や物の価値を知らないド田舎者の中に神さまを見ることもあるのかな。

JRF 2008年11月 3日 (月)

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