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2009年1月

aboutme:93493

ムラヴィンスキー指揮『プロコフィエフ:交響曲第6番』。プロコフィエフの音楽は、偉大なのにさびしい。少し、私は怯えている?サトゥルヌスを想い浮かべた。偉大「だから」ではなく偉大「なのに」さびしい、…自己抑圧というか選択がある。

JRF 2009年1月31日 (土)

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aboutme:93385

ああ、ケーキはおいしいなぁ。

JRF 2009年1月30日 (金)

aboutme:93317

ペットボトルのウーロン茶を電子レンジでチンしてホットウーロン茶にして飲むのが最近の私のはやり。

JRF 2009年1月29日 (木)

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aboutme:93314

悔や吝だけど咎[とが]なしっていうのは、自分ではそう思っているかもしれないけど、社会的には問題なしってこと?咎ってなんだろう?凶との違いは人との関係において、または、自分の心の中であらわれる気持ち悪さってところか。

JRF 2009年1月29日 (木)

aboutme:93313

実態は下なのに(下であることがわかったのに)上にあるから「悔」。実態は上なのに(上であると思っているのに)下であるから「吝」。「悔やしい」ってのは、判明した実力が、今まで扱われてたよりも練習で実現したはずだった地位より下だったということか?このセンに沿えば。

JRF 2009年1月29日 (木)

aboutme:93239

表現の統一は昔から言われてるけど、それは検索しやすい文の書き方でもある。いや、でも、なかなかできません。

JRF 2009年1月28日 (水)

aboutme:93238

過去の自分の書いたものを検索しようとして、思った単語では出てこないとき、Big Brother に消されたのか、とまで思ってしまう。さすがにそれはないので書こうとして書かなかったのかな、あれは夢だったのかな、とか思う。で、ズラっと昔のものを読んでいって見つかった。

JRF 2009年1月28日 (水)

aboutme:93193

哲学書はなかなか読み進めない。…他の本もそのスピードで読むのが本来の姿なんだろうか?

JRF 2009年1月27日 (火)

aboutme:93192

あと、「自然変異」は「自然個性化」と変えたほうがいいかなとか迷った。DNAの変異を必ずしも指さないため。でも個性化だと偶然の同時発現があるというニュアンスが一層消えるか…。

JRF 2009年1月27日 (火)

aboutme:93191

《イメージによる進化》の記事を少し修正した。後ろのほうでもおかしい部分を見つけたが、なぜそう書いたかが思い出せなくて今回はそのままにしておいた。

JRF 2009年1月27日 (火)

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aboutme:92978

アルバン・ベルク四重奏団『シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」』。凄い。昔から音楽はある種の狂気をあらわしていたんだなぁ、と思う。それにしてもシューベルト好きだな >> 私。若いころ聞いていたものを今思い出すごとに好きだったとわかるのがシューベルト。年齢か?

JRF 2009年1月24日 (土)

aboutme:92968

ひとことを寄せ集めて記事にできるものもあるけど、ほとんど書いたままのツギハギになるのはいかがなものか。かといって、まっさらな記事はまったく書きすすまない。

JRF 2009年1月24日 (土)

aboutme:92897

手が冷たい。

JRF 2009年1月23日 (金)

aboutme:92892

「一周先逝ってる人が復習するには丁度いい」とかいう記述を自分のこととして、ほくそ笑む私がいる。そんなことあるはずないと自分に言いきかせても慢心を修正できない。一周違いが生じてるのは確かなのにそれを是認するだけで人に慢心を起こさせるのは社会を分断しようというタクラミがあるのだ。

JRF 2009年1月23日 (金)

aboutme:92893

慢心するだけのことが本当にあるのならば、あなた(私)が社会に関与しなければ分断が深刻になるだけだし、ただの慢心ならますます危うい。そう枠付けねばならぬよ >> 自分。

JRF 2009年1月23日 (金)

aboutme:92894

易経。「吉」の読みは「かなう」ではないか?(天意に)吉[かな]う。(天意に)凶[もと]る。(世情に)亨[とお]る。(不当を)吝[うら]む。(現在を)貞[さだ]む。そもそも「叶う」は「協[かな]う」の異体字というより「吉」の異体字ではないか?

JRF 2009年1月23日 (金)

aboutme:92895

天運が元[おお」いで、世の気脈が亨[とお]り、人の現在が貞[さだ]まって、事物の配剤が利[よろ]しい。

JRF 2009年1月23日 (金)

aboutme:92896

しかし、「吉」はそう辞書には書いてないんだよな。岩波の『易経』にも「吝」を「うらむ」と明らかに読んでそうなのに、そう書いてはいない。「吉」「吝」は易経においてはすでに意味の落ちた外語・古語表現ということなのだろうか。

JRF 2009年1月23日 (金)

aboutme:92720

まだまだ私ががんばらないと。

JRF 2009年1月21日 (水)

aboutme:92719

私は、私のような危機に陥った知り合いがそのように私を見つけるようありたいし、ネットをこれからもそのようであらしめたい。誰かが危機になることを無意識に望まないよう夢想上の他者をしっかりおく。私がネットに公けに書くようになるまで8年ほどかかった。

JRF 2009年1月21日 (水)

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aboutme:92718

ネットに自由を求める。昔は、抑圧へ回帰させないこと・社会の発展を信じてのイデオロギー的な部分が濃かった。今は、かつての知人からの連絡を求める気持ちがそれを支えている。私が私の危機を過ぎたときネットに知人を求めた。孤独な私がやっと一人に連絡がとれたのを喜んだ。

JRF 2009年1月21日 (水)

aboutme:92649

自分は「普通の人」ではもちろんないが、普通のあり方の一つとして affirmative にならなければならない。そしてそれは特別な成功がこの先あるからという形ではありえない(はずorz)。社会保険の他(?)に何をして備えれば典型としての実体を現せるのか。

JRF 2009年1月20日 (火)

aboutme:92642

内部を維持するためのコストをその受益者に負担させる…それが公正を欠くのは外部が負担すべき部分も本来はあるからではないか。

JRF 2009年1月20日 (火)

aboutme:92643

営業秘密について、ブクマした。企業に害となっても「国民経済の健全な発展に寄与する」場合がある。改めるなら、社会の発展に寄与する論述活動をいつまでもブロックするような者は、秘密を命じる主体としての適格性を否定できるようにもすべき。…と。

JRF 2009年1月20日 (火)

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aboutme:92644

適格性は個人(等)との関係において定まる。全体として見れば適格な企業であっても、ある個人に通ずる関係において適格性を欠いていれば、その欠けた具合に応分な対応を、個人がとっても免責がなされるべき。

JRF 2009年1月20日 (火)

aboutme:92645

適格性の証明に備えてバックアップを保存したり、連帯する組識の管理の下に情報を置いたり相談したり、といったことが、不安定であっても加罰的とされない立場でなせるべき。秘密の保存や訴訟につながる相談においての開示に、公正なものがあるとしなければならない。

JRF 2009年1月20日 (火)

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aboutme:92648

「公正な処分」に、秘密命令にはそのまま沿ってはいない情報の保管や管理の委任の余地を含めるのである。もちろん、ネットに、より有用な情報がより多く自由になるようにという視点もある。

JRF 2009年1月20日 (火)

aboutme:92646

「不正の競争の目的」をネガティブリストとしていたのをかなり広げるなら、ポジティブなものを逆に設けることもできる。不正な方法でなされた模造品であっても保存等が民間でできることは良いことだと私はするから、「公正な処分は本法の適用はない」という一般条項をつくるというなら、それでも良い。

JRF 2009年1月20日 (火)

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aboutme:92651

夢想上の労働実体が必要としている道具を構成するよう自分の時間を投じていく、その軌跡がネットなどの公開物として記録され、プログラムなどの生成物を夢想実体に近い者が利用できる許諾の下に曝す。それが真摯なものであったと、どうすれば他者が現実実体としての私に、映じて生かそうとしうるのか。

JRF 2009年1月20日 (火)

aboutme:92652

それがすでに誰かを生かし得たからという以外ないか。それができてそれが見えるにはどうすればいい。

JRF 2009年1月20日 (火)

aboutme:92587

ちょっとショックはあった。

JRF 2009年1月19日 (月)

aboutme:92586

ブログの写真(フィギュアの写真)が Google のアダルトサイト等のフィルタにかかってしまった。スパムとかワザと削除してないから、さもあらん、というか、まぁ、雑記については子供が大人の書いた物として接するには不適切かなと思っていたので、それでいいといえばいいのだけど…。

JRF 2009年1月19日 (月)

aboutme:92568

当事者たちが悔いや吝[うら]みを抱えても、嘉[よろ]しきをもって社会に寄すなら、悪いのはネットだったとするのが世事的に正しい対応なのかもしれません佞[ねぇ]。

JRF 2009年1月19日 (月)

aboutme:92373

それはそれとして、発想を繰り愚案を練るのは措いて、しばらく、少し地道な読書をしようと目論んでいる。

JRF 2009年1月15日 (木)

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aboutme:92371

私の中では書いたあと鬱っぽくなったのの変化した症状におぼえている…。前に読んだ感想を忘れて自分のものとしちゃうってのは私には昔からあって、昔はそれでも気付いていたんだけど、最近は気付かなくなってるってこともあるかもしれない。でも、デジャブはそういうのばっかじゃないはず…。

JRF 2009年1月15日 (木)

aboutme:92368

最近、ここに書いたあとしばらくして思い出すときにデジャブだったのではないかと感じる(おそらく明らかな)錯覚がある。普通のデジャブのように、そのときに昔見た感じがするというのではなく、少し前の行動がいつ確定したか定かでなくなる感覚。加齢による軽い惚けなんだろうか?

JRF 2009年1月15日 (木)

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aboutme:92279

アファナシエフの『ブラームス:後期ピアノ曲集』。走馬灯…?なおある幸せを、求め聴き心鎮む。

JRF 2009年1月14日 (水)

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aboutme:92209

何かを書き行うまでもなく、自分をどう肯定するかという問題がネット上の私に振りかかってきたのだった。この処し方で良かったか…。

JRF 2009年1月13日 (火)

aboutme:92031

私の倫理の核は今のところ《なぜ人を殺してはいけないのか》の記事になる。最初に書かれた三つの「原理」を分業原理、信用原理、保険原理と呼ぼう。(信用原理は連帯原理と呼んでもよかろう。)それぞれに死の契機を含む。しかし、それは残り二つで否定しうる。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:92044

自己啓発本は疎んじてきた…。私はまだ生活費も稼げてない。自分を肯定したいというところまでいっていない。社会が私にどうアファーマティブに接することができるかも考えれていない。違うのかな…。自分をアファーマティブに見ることから、社会の視線を変えようとしていくべきなのかな…。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92041

そして今黒人(?)が大統領になる。どれもダメだったけど、アクションはするというのが核になると考えていくのかな…。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92040

民族教育のようなものをして、それが評価されるようにしよう、というのがサラダボウル言説あたりになるのかな。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92039

じゃあ、なぜそれが有効に機能しなかったかというと特定者の中間層が育ってなかったからではないか、と思った。でも、そこにも問題があって、それがきっとスラムをなくそうとしたら、ちょうどその上の層あたりの不満が含らんだ、というところにこのアイデアは対応しているのだろう、と。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:92038

まず、直接的な支援でなくても人種の指標を元に差が現れているところに財政的支援を行うというのはアリなのではないかと思った。しかし、これはすでにある程度なされていたのだろう。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92037

いわゆる逆差別、アファーマティブアクションについても少し考えた。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92035

……。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92034

最後に、信用原理は、全体として生への欲求があれば一人だけ死ぬような勝手は許さないことを示唆する。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92033

まず、保険原理はどんな存在であってもいつか生産に役立つことがありうること、危機から逃れる者も必要であり、逃れた者もいたことを示唆する。次に、分業原理は、他者の必要を受ける可能性があること、死を賭してるような余裕はないことを示唆する。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92032

分業原理には、非生産的存在に死を欲する側面がある。信用原理には、死の危機の共有を欲する側面がある。保険原理には、死を賭して試すことを欲する側面がある。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92030

私が「危機」を乗り越える上で、何かを付け加えれるとすれば、なぜ死があるのか、という疑問を生じたときにランドの嫌う「集団」を持ち出すことで、やり過ごす、というリロン的導出があることを語ることだろうか。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92029

アイン・ランドの主張を読んで少し倫理について考えた。ランドの生きることこそが目的で、それ以外はすべてそこから出るというのはツッコミどころ満載であっても、人が青春を過ごす上での真実がある。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92028

訳者に力がある。藤森かよこ氏の解説は最後まで読んで欲しい。(『電脳コイル』に言及しているのがヲタクゴコロをくすぐるよ!)

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92027

この本を最初から読んでいって、その論旨の「拙さ」(といっていいと思う)に引っかかりながらも、徐々に論旨の向こうにあるものに気付きはじめたとき、訳者解説を読んで納得した。これは「自己啓発本」を疎んで政治哲学書のみをありがたがる私のような人間を啓く自己啓発の本なのだ、と。

JRF 2009年1月10日 (土)

aboutme:92026

帯に引用のある>アイン・ランドが本書で弾劾してやまない悪とは、「生きているのに死んでいること」である。祝福してやまない善は、「とことん生き延びること」である。<と書かれた訳者解説が《救いの無力さ》を書いた私にとても刺激的だった。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:92025

Ayn Rand (著) 藤森かよこ (訳) 『利己主義という気概』を読んだ。

JRF 2009年1月10日 (土)

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aboutme:91879

高齢者起立時「不当利得」が C + D ではなく D - C となりうると私が考えたのはなぜだろう?直感的にはあってるはず(と思うん)だけど、うまく説明できない。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91881

e-Mud 未対応非高齢者(F払う)と高齢者(F-D払う)の起立・着席が入れ換わっても変わらないが、そこに e-Mud 対応非高齢者(F+C払う)がいた場合のみ「不当利得」ができる。F-(F-D)+F-(F+C) …と考えるのは…

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91882

いや、おかしいな。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91885

2座席あって、3様の3人がいる。そのとき公正な組み合わせは F + F-D + F-D と F-D + F+C + F、不公正な組み合わせは F + F+C + F-D、不公正が実現しているとき、公正であったときの平均をそこから引くと、0.5(D-C)、不公正利益が発生する…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

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aboutme:91886

1座席、3様3人だと同じようにすると C+D が不公正利益…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91887

違う。…と思う。D-Cじゃなくて C の前に混雑率に関する r がついて、D-rC とか?

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91889

やっぱり私はうまく説明できない。そもそも間違ってるのか?

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91893

C は e-Mud への勧誘に使うのが公正であり、C は別物として引かないといけない。2座席のとき 0.5(C+D) - C = 0.5(D-C)、1座席のとき C+D - C = D、平均して 0.75D - 0.25C。この操作を積み重ねると D - rC に近づくとか…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

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aboutme:91894

C+D - C = D を D - C もありうると考えてしまった…のは否定できないけど、D だけで確定するのは違和感がある。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91898

2 座席3人3様で、本当ならばもっとも公正なのはすべての人がe-Mudを持っている状態というのを考えると F-D + F+C + F-D になるべき、それが不公正 F + F+C + F-D になっている。引いて D そこから C は引くから 不公正利益は D - C。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91902

C は両方に入ってるから引く必要ないよ!D - C じゃない。ただの D だ。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91903

出せない…。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91908

追加料金 C によって席に座れるようになるほうが鉄道会社にとって公正であり、高齢者が C を出せるのが公正な社会である。そこを割引 D を使って目的を実現するのは、教会を建てるのに余剰生産力を使うように、D を可能とする本来のあり方からはずれた生産者余剰を使っている。

JRF 2009年1月 8日 (木)

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aboutme:91909

よって D に関する積み立ては C が長じるごとに消えていかねばならず、それの価格的表現の一つが D - C となる。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91910

…ホントかよ? (C+D) - (D-C) - C = C という「詐欺」的利益はどう使うんだ?

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91911

やっぱり出せない。私のこしらえたいところを、かすりはしているが、かすっては外すという感じだ。

JRF 2009年1月 8日 (木)

aboutme:91807

ずっと答えねばと思っていたが苦しくなった。やっつけで解答してしまったかもしれない。ダミー行動と荒らしについて↓に書いた。

JRF 2009年1月 7日 (水)

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aboutme:91808

見返すと何度も書いてたが、やっぱり、古本を買い過ぎている。でも、買い物をひかえてると反動が出る。なんとか自然に衝動をやり過ごせないか…。

JRF 2009年1月 7日 (水)

aboutme:91746

しかし、経済的実体は独占を志向してしまうから、これを抑制する論理が必要になる。ダミー行動の自由とダミー行動を必要とさせるものが何らかの補償をしなければならないという論理を設ければいいのではないだろうか。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91736

寄付 C を「搾取」することを正当化する論理は、申告残業税が機能することを示すのに応用できないだろうか…。払わないことに関し「消極義務」であたるべきというところが似ているように思う…。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91738

何かのマンガで「敵に回すと怖い」をもじって「味方にすると怖い」タイプというのがあったと思う。私は…どちらかというと後者、敵味方関係なくふるまおうとするタイプかな?

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91744

e-Mud のシステムを語るうちに、それ以前に述べたことと関連付けていきたかったが、どうもそう簡単に e-Mud のリロンを語ることができなさそうであることを、もう、悟った。そこで、どういうふうに関連付けたかったかだけ、どう「あたり」を付けていたかだけ、記録しておこうと思う。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91745

e-Mud は開かれたシステムにすべきと考える。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91747

開かれたシステムにすると e-Mud にあまり適切でない情報“スパム”が書かれる可能性もある。鉄道会社などインフラを提供したり割引を提供したりして e-Mud の価値を高めたところ以外のところから、e-Mud の管理会社は相応の料金を受けとれねばならないだろう。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91748

そのとき e-Mud の管理会社がユーザーから代位して徴収するという論理が必要になるのではないか。スパム保険や訴訟信託に必要なものは何かを考えたのはこのあたりに触れている。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91749

e-Mud システムは高齢者が席を譲ってもらえるよう声をかけることを勧めるところからアイデアが来ている。しかし、それでも汲み尽くせない思いがあることをシステムの中に表現したい。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91750

12月25日の記号(標準料金 F、起立割引 D、着席寄付 C)を使う。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91751

何らかの事情で高齢者が声をかけずに立っていたというとき、高齢者の代わりに着席していたのもが立った場合の F - D を F から引いた D (または D - C)は「正常」な場合実現しなかった「不当利得」のようなものと考える。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91752

この「不当利得」は高齢者のために使われなければならないと考える。しかし、これをどこかの NPO に寄付して運用というのは高齢者にとって必ずしも望ましいことではない。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91753

むしろ、それを鉄道会社が内部留保とし、高齢者のためとなるような費用の使い方をした(停車時間を長くしたなどの)とき、取り崩して収益にできるようにすれば良いのではないか。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91754

それは、会社の中の「積立金」でありながら、だいたい外部の者が高齢者の益になっているかどうかを判断できると考えることだ。これができるなら、外部の者が益の計上をコントロールする「ブランドを質に入れる」ようなこともできるだろう。

JRF 2009年1月 6日 (火)

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aboutme:91755

もう少し詳しく語れると思ったが、今はここまでだ。機会があったら考え直したい。

JRF 2009年1月 6日 (火)

aboutme:91669

キャスリーン・バトルの『シューベルト:歌曲集』を聴く。素敵。ああ何だろう、男の持っている乙女心が表わされた歌と声ってこれ以上のものはないのではないか。(…私にとっては。)還暦過ぎた今のバトルが、R.Straussの四つの最後の歌を歌ってくれないかなぁ。グロテスクな趣味、望みか。

JRF 2009年1月 5日 (月)

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aboutme:91447

甥たちは帰っていった。その発達に驚くばかりだった。私は大して何もできなかったよ。話を聞いてやるのも私には難しい。遊び道具を「貸す」ぐらいだった。それでも子供にも貸せるものがあったのは、ありがとう >> 過去の私。

JRF 2009年1月 2日 (金)

aboutme:91446

「敵」?…。誰かを敵とするというよりも、私個人がその方向を内に秘めていること、「内面の敵」に留意する。…いや、この違和感はそういうことじゃないな。「生きていていいんですか?」という情況の私に、敵も何も建てるに甲斐はない。

JRF 2009年1月 2日 (金)

aboutme:91445

ああそうか、宗教が介入するということもあるか。その信用の積み立て方によって誰に介入を認めるかは違うかもしれない。私は逆にそういった部分、国家に幻想を抱いているのかもしれない。

JRF 2009年1月 2日 (金)

aboutme:91444

拒絶「せねばならない」のは、現状では最後は国だけがその「内部」に介入できるとするからである。それとも「それ以上のもの」が国に介入しうると考えるべきだろうか?

JRF 2009年1月 2日 (金)

aboutme:91355

連帯という発想自体がそもそも排除の論理だと思うんだが…。実体として同じ責任で連帯をするわけでもなく、ナショナリズムを連帯と言ってしまうなら将来すべての人が連帯するという「理想」があるわけでもない。法による社会形成をあきらめ「連帯」を志向するのは秘密ある「内部権力」を認めることだ。

JRF 2009年1月 1日 (木)

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aboutme:91356

私は社団にそのような「内部」を作ることを是とするようなことを書いてきたかもしれない。でも、それを国家権力に応用する話は慎重に拒絶せねばならない。私が特に敵に定めるべきはナショナリズムかもしれない。

JRF 2009年1月 1日 (木)

aboutme:91358

今年は、そのあたりに思想的 anchor を沈めておきたい。

JRF 2009年1月 1日 (木)

aboutme:91360

でも、そういった思想的な何かに強くひかれる危うい情勢もなく、3ヶ月に1本ぐらいしっかりと学んだ成果としての(ブログ)記事を書けたらいいな。

JRF 2009年1月 1日 (木)

aboutme:91259

あけましておめでとうございます。

JRF 2009年1月 1日 (木)

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