« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

aboutme:98073

だが、そんなところで恣意性を発揮する必要はないという確信も私にはあるな。

JRF 2009年4月 6日 (月)

イザヤ書の文脈に引き戻すと、「見ても見えない」状況が完全になれば「終り」は来るのだけど、そうはならず「知って語る者が出」て「終り」でなくすると私は信じたいということか。

JRF 2009年04月06日 6014

イザヤ書の元の文脈は、おそらく「知らしむべからず寄らしむべし」という考え方が登場してきて、人々がそれを暗に受け容れてる状況は、神が「見ても見えない」ように命じていると捉え、その先には「滅び」があることを意識させようとした…のかもしれない。そこから、そう受け容れざるを得ない状況を神が創り出したのなら、そこにある正義とは何かという問いが出て、それが救世主の考えにつながっていくと解せないか?

JRF 2009年04月07日 4599

« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

トラックバック


トラックバックのポリシー

他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)はまだありません。