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2008年07月22日、24日にひとことで書いたように、リージョン制限をネットや放送を通じて解除する。あるDVDについてだけリージョン解除する。…ということができるなら、情報統制のために特定のDVDやDVD-Rなどを見れなくする措置もとれるようになる。
JRF 2009年4月30日 (木)
2008年07月22日、24日にひとことで書いたように、リージョン制限をネットや放送を通じて解除する。あるDVDについてだけリージョン解除する。…ということができるなら、情報統制のために特定のDVDやDVD-Rなどを見れなくする措置もとれるようになる。
JRF 2009年4月30日 (木)
>一時的にすべてのDVDを使えなくすることが万一でもできないように<ネットなどから孤立したDVDプレイヤーを残す、ネットなどにつながる物には出荷時のファームウェアに戻すディップスウィッチを付けるなどが必要ではないか。ハードのコントロールを今よりも許すということ。
JRF 2009年4月30日 (木)
孤立したDVDプレイヤーについて、要求があったときリージョン解除するためにサービスマンをよこすというのまで私は考えてないけど…、案外、メーカーはその方向も「想定内」なんだろうか…。
JRF 2009年4月30日 (木)
最近涼しかったので、鼻みずやクシャミが花粉症なのか風邪なのか判断できない。花粉症なら連休前に薬をもらいにいきたいけど…。
JRF 2009年4月30日 (木)
NHK オンデマンド。録画に相当するダウンロードができないと自由な社会として安心できない。ダウンロード 30分 1000 円とかでもいいから。一時間番組、ダウンロード 500 円、ストリーム 100 円とかにしてくれるとありがたいけど。あと、簡単に全画面表示ができないのも問題。
JRF 2009年4月28日 (火)
扶養負担に対して自治体が上乗せ補助金を出せるようにする。裁量を大きくして、介護者の給料(介護者を養子のようにみなして)にも使えるようにする。…とかあればいいのかも。でも、公平性を保つのが大変だし、やっぱり財源が…。
JRF 2009年4月27日 (月)
相続税というか死亡時の自治体への寄付でまかなう?今もうまくいってないのに…。
JRF 2009年4月27日 (月)
公平性に関しては、裁量を大きくして村八分を財政的におこなうのも目をつぶる。むしろそれができることに積極的意義を見いだす。残り二分はベーシックな給付を基にしっかっり支えることにする。…とか?
JRF 2009年4月27日 (月)
歩みては 光矢[こうし]の向こうに 衝[つ]いは消ゆ こころざし映[は]ゆ 永遠[とわ]の道程[みちのり]。 (『ブラームス:ピアノ協奏曲 第一番』の終楽章を聴いて想像したもの。)
JRF 2009年4月27日 (月)
新しい靴で靴ずれができた。前と同型のを選んだのに!
JRF 2009年4月27日 (月)
扶養義務といって、親の財産を差し押さえて子に与える。…はいいとして、その逆、子の財産を取って親に与えるというのはどうも違和感がある。誰かの財産を与えないと親が死ぬから、子供からまず取ってくるんだというならわかるが、今は生活保護があり社会が支えるようになってる。
JRF 2009年4月25日 (土)
親の財産をムリに取って子に与えるとき、そんなふうな親子関係を見返すために、子は成長したあとにもらった分を叩き返すことができる。
JRF 2009年4月25日 (土)
でも、子の財産を第三者に介入してもらって取って、親である自分のものとしても、そこから(見)返してやることはとても難しい。親はますますミジメになるだけではないか?生活保護のほうがまだ尊厳が残る。
JRF 2009年4月25日 (土)
生活保護的給付のシステム設計として、扶養がある状態で資力調査は大変難しいというのはあるし、年金をちゃんと払った人との関係(これから払うインセンティブとの関係)もあるし、財源もはっきりしない。でも扶養義務を見直すのはしたほうがいいのではないか?
JRF 2009年4月25日 (土)
現在、行政の対応として高齢者に対してそこまでチェックしているかはわからない。扶養義務を確かめるという行為を通して、失われた「扶養関係者」とのリンクを回復を図るというのはあるのかもしれない。でも、やっぱり扶養義務を求めたことがリンクを失わせる原因になってる面があるように私は感じる。
JRF 2009年4月25日 (土)
「教育の義務」は「子供が教育を受けられるようにし導く親の義務」であるように「扶養義務」は「家族が扶養できるようにし促す国や地域の義務」とする。すなわち、「扶養回復権」…扶養関係者が望めば扶養できるように行政が連絡をとり手助けする権利、として構成すべきではないか。
JRF 2009年4月25日 (土)
保健の改善も戦争がないことも善いこととするのだから、少子化対策こそが高齢化対策になる。ブクマ↓の>子供から親への援助ができるようになることが、それ(高齢者の消費増など)に資する<は正しい言だとは思う。でも、具体的な方法としては援助が不利にならないようにしたほうが良いのでは?
JRF 2009年4月24日 (金)
生活保護は扶養義務者の扶養があっては受けられないというのがある。これが(老親としての)高齢者に適応されることになると、なかなか非人道な状態になる。扶養が必要だとしても生活保護かどうかが問題になるレベルでは、制度がむしろ不和の原因になるだろう。
JRF 2009年4月24日 (金)
だから、生活保護ではない制度を作るなりなんなりして、少なくとも高齢者に関しては扶養義務に関係なく給付が受けられ、扶養義務者からの援助は、そうですね、所得税のようなもの(保険料の減額をしないとか)の対象にしていくべきではないか。
JRF 2009年4月24日 (金)
慢心は、罪とされない、ただ愚かなだけだ。…タルムードにそのようなことが書かれているらしい。先月(?)のケロロ軍曹の宿題をサボる罪と同じようなことか。
JRF 2009年4月24日 (金)
例えば音楽家。その「給与」はセールスで人気を測れないうちは横一線で能力によって色を着ける。たまたまセールスが良いと、ほどほどの間は、CM などによって横一線の人々も売れるように露出を多くし、能力給が機能しているという外観を作ろうとする。…のではないか?
JRF 2009年4月23日 (木)
ネットでの紹介はヒットと言えるほどのセールスはないのに、差は確かに付いてしまって能力へのインセンティブコントロールが難しくなってる、といったところで悩みのタネになっているとかないだろうか?
JRF 2009年4月23日 (木)
mp3 やコミックの zip をダウンロードさせるとき、流出対策と資産性向上のため、データにユーザーがわかる署名をする…ようにしたい。だから名前などを求めるんだ、というのがあるかもしれない。
JRF 2009年4月23日 (木)
でも、私は「プレゼント」、すなわち他者への譲渡を見越した「署名」にすべきだと思う。ユーザーが自分の PC で生成した所有権表示を TEXTAREA に貼り付けるとそれとデータに署名したものがダウンロードできる、とか。
JRF 2009年4月23日 (木)
「所有権表示」ははじめは汎用ソフトなどで自分の PC で生成して管理させ、のちに専用ソフト、さらにのちにPPログイン(↓参照)を使って全部をWeb化する。この順序じゃないと、所有権移転を第三者の関与なくユーザー同志でできるという信用が得られないだろう。
JRF 2009年4月23日 (木)
『創造の科学』という本で、伊豆:軽井沢、4月:9月、の支持者マトリックスがわかっているとき、(一つを除いて)任意の結果を導くようそれぞれアンケートを作れ、という問題があった。何がやりたいのか、わからなかったのだが、アジェンダ・コントロールというものがあるのを知った。
JRF 2009年4月23日 (木)
どうもクシャミが出る。目がかゆい。そろそろ私にとっての花粉症の季節だけど、まだ鼻ミズはたいしたことない。クシャミは出そうになったところを胸をさすって出してる。
JRF 2009年4月23日 (木)
浄化槽は下水道の部分集合と思ってたというか、浄化槽などというものは知らず、そういうものをイッショクタにして下水道だと昔は思っていた。特にそこを分けるのは政治的な意味が違うんだろうな。再資源化の余地を残させないのが行政のコントロールのしやすさに繋がるとかあるんだろうか。
JRF 2009年4月22日 (水)
例えば自分が多重債務者であったり現在のものより厳しい生活保護で消費がかなり制限されていたり…としよう。好きなものを買うのが社会的に制限されるまたは憚[はばか]られるようになる。支払いのときに ID や名前を知らせれば、裏で監視者につながっていると思えば手に入れ辛くなる。
JRF 2009年4月22日 (水)
特に、情報、思想書や宗教書または一見娯楽にしかみえないもの(『ナニワ金融道』とか)を手に入れるのに、名前の入力を求めることによって圧力をかけるようなことはすべきではない。引き込もっていた自分が人に詮索されることを極度に恐れたことを思い出して言う。
JRF 2009年4月22日 (水)
情報の一種でもあるコンピュータウィルスを危険物取扱いの対象とするなら、高度な自律性を要件とすべきだ。危険の教唆を起訴できるようにするためには悪意の立証を厳しく求めるべきだ。
JRF 2009年4月22日 (水)
2008年11月22日に書いた贈与と望みの積算開示のための交換簿。一番重要な開示項目は、交換簿をつける「めんどくささ」だろう。記録に付けるのが面倒でそれほど切迫していないというのを数値的に表す、その辺りを自分が設置した自動監視装置を使って適切に指標化できればいいんだろうな。
JRF 2009年4月22日 (水)
庄司紗矢香&ゴラン『プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第一番』。煙りくゆるあの透明な時間がもう一度来るまでに、どれほど激しく数奇な場面を過ごしたのか…。そう感じる現実とはどのようなのだろう。対照して今の私は惨[みじ]めなのか、嘘がなく幸せなのか?
JRF 2009年4月22日 (水)
40才以上の女性の問題というのはわからない。もちろん外形的な苦しみというのはわかるのだけれども、どういう心持ちになっていくのかというところ、まったく想像できない…と私はすべきだろう。もっと清らかな楽しさが街にあればそれを慰めにしていく生き方にコミットできるとかするんだろうか…。
JRF 2009年4月22日 (水)
少年合唱『ブリテン:キャロルの祭典』。クラシックに楽しさを求めることの少ない私が、楽しいCDとしてお気に入りのもの。Naxos の盤で聴いてる。歌詞なし。
JRF 2009年4月22日 (水)
古い2枚組CDの緩衝材が溶けてCDがダメになった件、他の復数枚組CDも調べたところ、危なかったのがいくつかあった。でも、この様子だと箱を入れかえてからだな。前の箱は周りに新聞紙を詰めていた。新聞紙がけっこう湿気とりに効いていたのかな…。
JRF 2009年4月21日 (火)
統一された ID に関して、さらに言えば、効率的であるがゆえに(経済的)余裕が生まれるので、その溜[た]めを使ってより大きな「自由」が獲得できるということだろう。
JRF 2009年4月20日 (月)
だから私の立場はそこで生まれる余祐に相当する代替をいかに実現するかという課題に迫まられている。
JRF 2009年4月20日 (月)
統一IDは、すでにIDがわかっていてそれを皆が使えるようであったほうが良いと考えるので、(非接触)ICを使った管理とも親和性がある。
JRF 2009年4月20日 (月)
それに対して私の立場は ID は普段から知られるようなものじゃないとするから、ID がいつ知られたかを問題にできるようにすべきだと考え、ID を使うときも バーコードや可視光通信、赤外線通信、接触(後)通信に着目する。
JRF 2009年4月20日 (月)
ここを見るだけでも確かに私の立場のほうがムダが多いと言えるだろう。
JRF 2009年4月20日 (月)
e-Mud システムは、じゃあ、非接触はどこでどうやって使えば良いか、という問題に、皆で使えるようなインフラにして、個人が望めば ID 機能も付加できるようにする、というモデルで行けます、と示そうとしたもの、と言える。
JRF 2009年4月20日 (月)
結果主義「結果が出なければ何もしてないのと同じだ」…という考えを私は支持する。ただし、本を読み終わっただけで結果だし、ここに書いて残っていればそれも結果だ、と結果のハードルを下げて、ではある。いろんなことに一応の区切りをつけようとすべきだという心構えとして受け容れている。
JRF 2009年4月20日 (月)
統一IDがクレジットカードにつながるのは、クレジットカードの信用確認のとき統一IDが参照できれば大変便利であるから、というか、むしろこの目的があるからわざわざ統一IDにしたいはず。
JRF 2009年4月20日 (月)
…でも、考え直すとそれほど直接的なつながりでもないか、お金がある人は統一IDが表示されないクレジットカードを持つこともできるだろうから。でも「お金がある」ことだけを証明するなら担保を出すんだから、それは前払いの匿名カードと変わらない。
JRF 2009年4月20日 (月)
会社などに属しているという信用の形として ID がある → どこかに属さねば ID はない → 政府に属せば統一ID になる。でもその統一ID は表示を強制され管理されているというマイナスの価値しかない…。それはダメだ。
JRF 2009年4月20日 (月)
私が消費税の「定額」還付をいうとき金融的に自由なものにするべきだとも述べる。それが支払われる「銀行」口座の番号は担保のある統一ID 的なものにはなる。
JRF 2009年4月20日 (月)
でもそれは所得を捕捉するものではなく、担保の設定も管理され、番号の変更も可能となるだろう。特にそれ以外の口座(番号)でも代替できるだろう。そうせねばならない。
JRF 2009年4月20日 (月)
私は、統一ID が強制されない(国も利益さえ放棄すればIDを使わないという選択を認める)ことを求めているが、IDがいらないとは思っておらず、そうであるがゆえに、私は「どこかに属さねば ID はない」というのを手の届きようがない(多国籍)企業や超国家にやらせたくないということ
JRF 2009年4月20日 (月)
…だと思う。今の見解をまとめれば。
JRF 2009年4月20日 (月)
教育には投資が必要。工場ができる。その工場の製品を農民が必ずしも買えるわけではないが、農民がそちらの収入がいいと気づく。工場がつぶれても農業は覚えれるから今は工場で働ける教育を受けさせたほうが得とする。教育が必要と思わせる投資の水準というのが先にある?義務教育まではそうかな。
JRF 2009年4月20日 (月)
創世記のヤコブは、ほとんど詐術を使って長子権を手に入れるが、のちに(長)兄に、兄がいらないという財産を、その穴埋めとして押しつける。その本当の価値を後払いしようとするのである。兄は、すでに許しており、おそらく弟の苦しさが晴れればと思って受け容れる。そこに公正な支払いの水準はない。
JRF 2009年4月20日 (月)
ヨブ記13:20でヨブは>若い日の罪をも今なお負わせられる<のが正しいのかと神に訴える。若いとき罪といわれるものは罪だということで終了だが、人生を振り返るとき若いとき罪を犯したことが罪で留まろうはずはない。
JRF 2009年4月20日 (月)
創世記8:21で神が>人が心に思うことは、幼いといから悪いのだ<と述べる。むしろ、ヨブは正しい。罪でないと信じていることを罪だと認めるほうが罪に定められるだろう。
JRF 2009年4月20日 (月)
解決を促[うなが]す時間がそこにあれば幸運である。
JRF 2009年4月20日 (月)
個人情報に価値がない意味がないというなら入力を求めなきゃいいのに。住所に発送するわけでもないのに。まさに、盗っ人はいくら嘘をついても平気なのでしゃあしゃあとしてるのに、客は盗っ人扱いされるというやつだろう…(嘆息)。
JRF 2009年4月18日 (土)
あと、やはり萌え系の絵を使われると個人情報を教えにくい。萌え系のところも支える気があるというのは、やはり「切り捨て社会」の構造上下っ端にあって、つぶされやすいと考えてしまうから。だから代替として↓を私は主張している。
JRF 2009年4月18日 (土)
結局統一されたIDというのは必要、またはそれに近いので、セキュリティをしっかりした上で ID を使わせる、またその方が効率的 → 後払いでも十分対応できる → クレジットカード(番号)を発展させましょう、というモデル。と、…
JRF 2009年4月18日 (土)
…面倒くささがあるけど匿名支払いを前払いで、銀行システムを使って、その代わり税還付等を使ったコントロールは受け容れるというモデル。持論の対立がある。私は後者ということ。
JRF 2009年4月18日 (土)
カメラって散歩道で一人持ち歩くには抵抗あるな…。
JRF 2009年4月18日 (土)
ある人に読んで欲しいと思って書いた記事、その人に読んでもらえたようだ。…ありがとう。
JRF 2009年4月17日 (金)
ラピュタパンはパンに目玉焼きをのせた「後」に塩コショウして食べる。ハムエッグも塩コショウで食うのがうまい。
JRF 2009年4月17日 (金)
小泉首相時代、北朝鮮の拉致問題が進展したのと、郵政民営化って関連があったのだろうか。それがずっと引っかかっている。郵便が国営であるがゆえに政治的な介入というか「不介入」が可能だったとか、国営のほうが北朝鮮から郵便が届く可能性が高かったとか。
JRF 2009年4月17日 (金)
法律学小辞典によると「結果責任」とは>歴史的に過失責任主義成立以前の,加害者が故意・過失の有無にかかわらず,損害発生の結果に対して賠償責任を負った時代の責任をいうことが少なくない。<
JRF 2009年4月17日 (金)
…つまり、結果から追えないことが本質ではない。…ように見える。が、逆であって結果責任をもつものがいて、彼が自分の責任でないことを示すために、結果から追って別の者に辿りつかせるのが重要なのである。それが難しいので「結果責任」が過大になっているのではないか?
JRF 2009年4月17日 (金)
組識にいるものなら、追放すれば結果責任を負わせたとできるが、違う組識の場合…。あらかじめ何か罪を起こさせておいて、責任を負わせるときその罪で裁く、とか。それだと一方的に命令を聞くだけになるから、互いに弱みを持ち、むしろそれを組織原理とする…。昔のスパイ・ヤクザ小説にありそうな…。
JRF 2009年4月17日 (金)
拉致問題が解決する…、実はそれは一方が弱みを無効化したというだけだったとか…。最近の郵便局の問題も、そのあたりの抗争だったりして…。下品に妄想しすぎか。
JRF 2009年4月17日 (金)
ネットに多く金を回すようになった。こうなるとやはりどっかケチらないとダメか。やっぱ、「積ん聴」がたまりにたまってるクラシックCDの購入を控えるという話になるか。いい機会ではある。
JRF 2009年4月17日 (金)
本の写真を撮影して送信すると、そのページに相当するデータが表示され、そこから引用来歴付きのコピペができる。軽く有料にするなり広告モデルにするなりして、少しだけ著作者に「何の対価かが不透明」な利用料を渡す。…とかできるといいんだろうな。
JRF 2009年4月17日 (金)
その辺、出せるなら特許出てるだろうし、特許はむしろ陳腐なアイデアとして否定して、Google の全文掲載みたいにパワーの問題とすべきなのかも。知財はいろいろおかしいよ。
JRF 2009年4月17日 (金)
ガーン。古い(CD初期のころの)2枚組のCDの緩衝材が溶けてCDのレーベル面がぐちゃぐちゃになってるのを発見!…うーわー、そういや昔そういう注意を読んだ気もするが、よもや自分がなるとは…。湿度かな…いや、たしかに管理も悪かったかも。
JRF 2009年4月17日 (金)
コミックの支払いに個人情報なんて、いらんじゃん。だから、匿名支払いを可能という一里塚を築いたうえで、心配だったら消費税の定率還付で取引の把握につとめればいい。それ以上はやりすぎだと思う。似非ベーシックインカムな消費税の定額還付と併せて昔からの持論。
JRF 2009年4月17日 (金)
ブクマ↓の補助のための予算というのは、「補助金」という言葉をわざと避けている。裁量をある程度認めようということだ。もちろん、それは官僚のコントロールにIT業界が属することを認めるものだ。一定の留保を起きながら、支配に属して安心感を生む必要があるのではないかという判断がある。
JRF 2009年4月17日 (金)
CD の保管といっても、温度変化が大きそうなあそこ以外空いてる場所はないし…。自分の部屋は、置いてるもの(本の入った箱など)が多すぎてCDの箱がおけない。
JRF 2009年4月17日 (金)
公共事業などから税をとるためには、それにより、所得の高い人というか十分な税が払えるだけの中間層が増えるようにしないといけない。公共投資が長期的な支出の期待を生んで、そこに民間からの投資もなされて中間層が増える…でもそういう「普通の方法」が金融的魔術の巨大な力によってつぶされた…
JRF 2009年4月16日 (木)
…ように見えた。でも、世界の発展を見るかぎりそれが悪だったとばかり言えない。
JRF 2009年4月16日 (木)
宗教は、伝達の過程で誤解される可能性も「視野に入れて」または誤解という「奇跡」を超えて、教義を唱えていかねばならない。「ねばならない」とは、どのように変わった形であれ、信じて死んでいった者に責任を負うと自覚すること。
JRF 2009年4月16日 (木)
外国人しか働き手のない仕事があるとノタマう企業が、外国に出ていって、他国の企業との競争の中、果たしてまともな働き手が得られるだろうか。日本人で全ての仕事を分担しないにしても分担できる、シャインがその仕事をしうる、他国から見てそうなってるように見える、というのは大切ではないか?
JRF 2009年4月16日 (木)
時効廃止を唱えるようにさせたのは、戦争で人を死なせることを厭う国は不寛容になることを証明させたいため、外国人しか働き手がないと言わせたのは、留学生等を通じて現地で日本企業を不利な立場に立たせるため、それに踊った日本人がいたということでは?と陰謀論的なことを考える我が心の荒みかな。
JRF 2009年4月16日 (木)
機密とそうでない情報を、わかりやすく区別して伝えていないなら、情報受領者に漏洩の責は問えないとすべきだ。すべてをマル秘にするズサンな管理は区別がないものとみなし、立場によって機密が多すぎるものもそれに準じるし、裁量で公開できる部分も認めねばならない。
JRF 2009年4月16日 (木)
スパイのような者がいるとすれば、広い裁量を認め、結果責任を重視するべきだろう。情報が漏れたかどうかだけで判断する部分はやはり最少限にすべきだ。
JRF 2009年4月16日 (木)
「結果責任」…これが聞かなくなった言葉、抜け落ちた概念ではないか…。何が何の結果なのかが追えなくなったのが大きいのかな…。メタデータの充実ということがシステム的にできないかなぁ?
JRF 2009年4月16日 (木)
Amazon やオークションは、中古商品物色中に、出品者の表示の横に、これまでに自分と取引した回数を表示し、その数をクリックすると自分が以前につけた評価がわかるようにして欲しい。私はあまり価格や状態に差がなければ以前買ったところから買うようにしたいから。
JRF 2009年4月14日 (火)
時効に関するブクマ↓の補足。「戦争(自責)犯罪者とのバランス」については2008年09月25日、「組織犯罪の裏切り証言を得る最後の期待」については2008年09月29日のひとことにそれぞれチラッと書いてる。今日は「復讐動機許容論と災害的殺人者形成の社会責任論のバランス」について。
JRF 2009年4月14日 (火)
社会というシステムを使ってであっても、復讐を遂げさせることを善いこととした場合、たとえば社会が混乱状態になったなら、罪が追及されえないから「緊急避難」的に復讐を自力でとげました、というのが善いこととされかねない。それはますます混乱を助長する。
JRF 2009年4月14日 (火)
たとえばどこか混乱している地域を「占領」したとする。その地を警護することになるのは、この国のモラルで生きた人々で、言葉も通じにくい中、モラルのギリギリのところが試される。混乱を助長しないようなモラルに日々触れていなければ、統一的で不公平を感じさせない対応をとることが難しくなる。
JRF 2009年4月14日 (火)
「災害的殺人者形成の社会責任論」というのは、たとえ計画的犯行であったとしても、犯罪というもの自体がそうなされるものではないのだから、偶然の要素が強いと観て、社会全体の責任を問うもの。
JRF 2009年4月14日 (火)
社会に主体性(人格)を認め、社会自体の更正を重視すれば「予算」をしっかりつけることを(社会)意識化するために時効が必要といえるし、社会自体が「応報の罸」を受けることを重視すれば、受刑者や時効完了者をすみやかに社会構成員として受け容れるコストを払うということになると思う。
JRF 2009年4月14日 (火)
そのような観方にたてば、復讐を是認することは、復讐という意志を社会がもつことであり、それをもとに罰を下す者(社会)が、災害的殺人者の苦しむ刑に比べてあまりにも少ない不寛容期間すなわち時効期間しか(社会という)己の「罰」として自責しないのは不衡平[ふこうへい]であると言える。…
JRF 2009年4月14日 (火)
ちょっと…いや、かなり無理がある論か。でも、言いたかったことの骨子は書けたような気がする。論を精巧にするのは他日を期したい。
JRF 2009年4月14日 (火)
昨夜久々に酒を飲んでみた。ほんの少しだけど酔いがまわり本を読むのに集中できなくなった。
JRF 2009年4月14日 (火)
天上の音楽を想いたいとき私が聴くようになったのは、サヴァリッシュ指揮『ブルックナー:交響曲第6番』。フィナーレが「天国という名のある種の地獄」から現実へと通ずる迷い道のよう。アルバンベルクQのEMIの最初の全集の『ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番』のフィナーレもそのよう。
JRF 2009年4月13日 (月)
>他を抑圧しているのが消えたという印象<を持ったのは、私が現実に向きあってなかったからだ。物理実体をもっての運動を嫉[そね]む。…暑くなってきたことだし、夜歩いたほうがいいのかな…。
JRF 2009年4月13日 (月)
その話は誰もが過去あっただろうとおぼえる。1クリックか2クリック先に確かにある。そうして人は安心して忘れていく。
JRF 2009年4月11日 (土)
何を真実と感じるようになるか、その確信の構造を伝播させるために言外に伝えるという手間を置く。
JRF 2009年4月11日 (土)
私は、自分が隠ししたためているものこそ真実だというのは傲慢なのだと自らにさだめた。そのとき、私は多くを受け継いではいないが、それをネットの向こうにも伝えようとして、違う方法を模索する者ときまったのかもしれない。
JRF 2009年4月11日 (土)
プラグインの開発キットは有料とする。それは開発キットの開発の対価というよりも「約因」、プログラマの責任をある程度受け容れたと意思表示するためである。そして広告表示部分も開発できるようにし、その公開・デフォルトの機能代替をするときに許諾を必要としてマージンを取る。
JRF 2009年4月11日 (土)
プラグインは、広告のためにクルティカルなユーザー情報をサーバーからしか取れないようにしていれば、従わないプラグイン開発者には、サーバーからいやがらせもできる。
JRF 2009年4月11日 (土)
HMV でメンゲルベルク指揮『バッハ:マタイ受難曲』3枚組歌詞対訳付が 1050 円で買える。…いいのか。イエスがイイ声してる。
JRF 2009年4月11日 (土)
新しいバージョンでアドウェアにしたいなら、そのプレバージョンで何日か広告を表示しようと思う場所に、広告を入れたい旨を広告し意見を求めることはすべきだと思う。
JRF 2009年4月10日 (金)
あとやはり広告のための情報集めがどこまでかがわかる「外観」、操作的枠組みを慎重につくるべきだと思う。例えば広告部分もプラグインの規格に厳密に従っていて、どこから情報を得ているかがユーザーにもデバッグ情報としてわかり、一般開発者なら除去できるとか。
JRF 2009年4月10日 (金)
虚言癖は治ってない。そこを正直であるように見せているとすれば、それは虚言が口に昇るより先に、率直なことを言ってしまって、あとで「虚言脳」にフォローさせるという機制が働いているからだと自己分析する。
JRF 2009年4月10日 (金)
国家的宿命論を唱えるわけではないけれど、「核被爆国として核廃絶を訴える」ぐらいのことを日本がやらないというのは、逆に世界の多くの人々から白眼視されることになると思う。
JRF 2009年4月10日 (金)
陰謀論的な観方に組すれば、過去の罪意識を逃れたい人が日本人対策として覚えた空気操作に染まってる人がいるのかな、とか思う。まぁ、もちろん、その人達だけが罪意識を負い続けるのではなく、核必要だった論にある程度コミットして罪意識を人類的に共有する…とかすることも必要だろうとは思うけど。
JRF 2009年4月10日 (金)
理数系の勉強というのは、国家にとって必要な理数系の人材は他に比べて得がたく、学生を理数系に導くチャンスに何度か曝させることも大きな目的で、普通人が社会に出てその教科の知識を役立てる度合いに必ずしも応じたものではない。…と私は思っていたが、実際のところどうなのだろう?
JRF 2009年4月10日 (金)
>隠されていたことだけが真実ではない。<言外に「隠して」伝え、本人に気付かせることで記憶に留めやすくするのは一つの方法であるが、ネットというのは伝わったかどうかをノンバーバルに確かめ難いため「言ってしまわ」ねばならぬと私は思い致った。隠すべきは検索されうる過去に隠れていけばいい。
JRF 2009年4月10日 (金)
>体制批判には繋げるべきではない<というのは体制批判をするなという意味ではない。宇宙利用が認められうる政体ではない、というのはおかしいということ。……そうだろうか?
JRF 2009年4月 9日 (木)
宇宙が必要になる状況ってどういうものだろう?『ハローサマー・グッドバイ』ばりに地球にヒドい氷河期が訪れる。温暖化否定論者の示唆してしまっているごとく人間の活動くらいでは温暖にできず、かといって人口を大幅に減らすわけでもないため、資源の消費を強い統制によって制限する。
JRF 2009年4月 9日 (木)
一縷[いちる]の望みをかけ、宇宙から資源を持ってきて経済を活性化することに世界政府が投資をする。……でも、アマチュア無線でまだ確認されてないということは失敗したんだろうけど、それを成功と言っている。そういうこと、つまり宇宙開発は統治のためのフェイクでしかないこと、をどう防ぐ?
JRF 2009年4月 9日 (木)
アマチュア無線というものがある、そういうものが多少問題があっても「自由」に流通できることはとても大事だ。…でも、それを「西側」世界が押し留めてきた実態もあるのではないか。本当に我々が自由を確保するだけのものが我々の手にあるだろうか。
JRF 2009年4月 9日 (木)
どこかに書いたか示唆したと思ったのだが…。P2Pファイル共有は成人規制ありででも認めるべきだと思う。ただし、同時に、ウィルス削除ソフトを匿名のガキでも買えるようにしておくべきだと思う。
JRF 2009年4月 9日 (木)
最近、少し食べすぎかも。油ものは控えてるけど、炭水化物や甘いものを多く摂[と]ってる。
JRF 2009年4月 9日 (木)
宇宙を「利」用するのではなく、宇宙を「必要」とするという状況になったとき、世界はどういう体制を敷[し]いているだろうか。SF な想定だが、私は宇宙利用が本当である限り、体制批判には繋げるべきではないと考える。もちろん、その「副次的効果」は大いに批判というか非難すべきだが。
JRF 2009年4月 8日 (水)
彼の国にとっては窮乏は現実であり、その体制においていかに宇宙を目指すかの実験は有用ですらあるかもしれないという観方を、妄想的な私はとる。それが評価されるような時代を導かないために何をやっているか、温暖化の科学を嘲笑しても、環境への配慮をどう構築するか展望がなければ、片手落ちだ。
JRF 2009年4月 8日 (水)
憤りを持ちつづけることを個人が選択するのは尊いことだが、社会が憤りを持ちつづけることが正義であるとして圧力をかけるようになると、不幸が不幸を固定する社会になる。私は人を不幸と不自由に導くものを正義だとは認めない。その「正義」は未だ正しい表現によっていないのだろう。何かできるはず。
JRF 2009年4月 8日 (水)
生きているうちに何かできるはず。
JRF 2009年4月 8日 (水)
他国の国旗を焼いたりすることは罪に問われる。(刑法 92 条 外国国章損壊罪)。これが「他国」という限定があるのは、自国ならば自分の国を良くすることでその国章への尊敬を得るべきと言えるが、他国の場合一方的な報道などで損壊が起きうるためどこかでかけるべき歯止めとしてある。
JRF 2009年4月 8日 (水)
ちなみに私は国章に準じる聖典などにもその保護を広げて良いと思う。2001年の5月25日ぐらいにクルアーン切り裂き事件があったが、何らかの対応をとるために必要と、某所に投書したこともあった。
JRF 2009年4月 8日 (水)
先のトラ猫、今日は歩いてた。子供がかまおうとするところをその親がたしなめていたが、猫は知らんぷりしていた。春の快晴、平日でも人が多い。
JRF 2009年4月 8日 (水)
Yahoo! メッセンジャーがアドウェアになり下がった。オークションの通知にとても便利だったけどアンインストールするしかないか。不便になるがしかたない。
JRF 2009年4月 7日 (火)
アドウェアを受け容れるのは PC の自動監視を受け容れたという外観を造る。Yahoo!の会費に追加料金を払えば外せるのならいいがアドウェアは許せない。
JRF 2009年4月 7日 (火)
ブクマ↓について補足。仮に名前が刻まれたとしても動産である以上その転売が「匿名」でできることも重要。情報の出どころの追及をお互いに及ばせないことができる。
JRF 2009年4月 7日 (火)
ネット配信では在庫はほぼ無限で、作品価値をわかろうとする必要はなく、いかに人を集めるかだけが重要となり、情報分散することのメリットも薄くなる。政治的情報抑圧に弱くなる。
JRF 2009年4月 7日 (火)
情報を伝えないことで国民が愚かになる、というのは否定されていないが、メリット・デメリットで測るモデルでもできて、それは主観的にならざるを得ないからそうしてるんだ、何かの主観は層状にみるしかないんだ、というのがあるのではないか。それを否定する私の言説は↓か。
JRF 2009年4月 7日 (火)
情報を伝えない組織を作らせようとするのは市民を愚かにしようとしているのだ。…という形でとらえる陰謀論は、逆に、意味のある情報が上にしかないのだという確信を強めていないだろうか。愚かなのが「権利」とまでは言わないが、上にとって不利になるようにするにはどう行動すればいいんだろう?
JRF 2009年4月 7日 (火)
銃を支持する保守派が、なぜそうなのかを声高にせず気付かせようとする。それはその時代に必要とされないなら、確かにいらない知識だと彼らも思っているからだろうか。または、世界のどこかでは必ず共感する者が、悲しいけど、いるんだという達観があるのか。
JRF 2009年4月 7日 (火)
猫の模様って石に擬態するためにあるのかなぁ。…とクボミに丸まって寝ているトラ猫を見て思った。ここ数日、同じ場所で寝ている姿ばかりで歩き回る姿を見てないので心配。
JRF 2009年4月 7日 (火)
すごいスピードでカラースターがなくなる。いや、でも、文章への対価とするなら新聞などに比べてそう高いわけではないのだけれど。他のネットのサービスと比べると払いすぎという感覚が強くなる。出せない額ではないが、私のような者だけが出してどうにかなるわけではないし、意味もないとも思うが…。
JRF 2009年4月 6日 (月)
昨年末のイスラエルの空爆をイスラエル内の選挙にからめる観方があったが、日本の「飛翔体」に対する「過剰反応」もそう見られるのだろうか。特に野党党首の「疑獄」もあったので、外面的には、保守勢力の「陰謀」に検察もマスコミも加担しているという構図にとらえられるかもしれない。
JRF 2009年4月 6日 (月)
でも、それは一面において選挙が機能していることを示す。「一党支配」ではないのですよ、というメッセージにはなるのかな?
JRF 2009年4月 6日 (月)
それが不況で、「小泉改革」のような自由の方向ではなく、官僚主導で右の方向に舵を切っていることにされる…か。実態はどうなのだろう。
JRF 2009年4月 6日 (月)
統制がとれ過ぎているというわけでもないと思うが、ネットでは自由にしゃべっているという雰囲気が前よりは消えた。しかし、それはある勢力だけが自由にしゃべって他を抑圧しているのが消えたという印象のほうが強い。前ほど炎上しないともいっていい。まぁ、この先数ヶ月どうなるかはわからないけど。
JRF 2009年4月 6日 (月)
日本にいる外国人を射程に入れて、日本国民にある方向の情報を与える。敵を欺くにはまず味方から、といった姿勢は昭和のころほどはない。また、他者の日本国民像を通して日本国民のあり方を規定しようとするのも少なくなった。
JRF 2009年4月 6日 (月)
「ある方向」に導くのではなく情報そのものが与えられない層ができたという気もするが、(もちろん私のように自分から情報から疎外されるあり方も昔からあったろうが、)これは世界的な情報体制の構築に組み込まれた結果であって、日本の誰かが好んで選択をしたのではない、という印象がある。
JRF 2009年4月 6日 (月)
情報を出させないことが何かを抑止することがあるのだろうか。情報を出すことで抑止に失敗する機序は、情報を出すことに不利益を感じたものが情報を出せる立場を利用して陰謀的策動を起こすというものではないか。仮にそうだったとしたらどう防止する?二つの組織を造る?
JRF 2009年4月 6日 (月)
それはまた別か。
JRF 2009年4月 6日 (月)
情報はいろんなところに行き渡っているけど、行き渡ってないふりをさせるのが上層のあり方で、知らなくても知ってるように対応できるようプロトコルを用意しておくのが下層のあり方。両者の間に幻想を造り出すのが中間層。…古い組織だとありそうだけど…。
JRF 2009年4月 6日 (月)
見ても見えない、聞いても聞こえない、知っても知らない、とさせる。そういう状況でも知って語る者が出てくるところに神の働きを見てしまう、というのはあるかな。そういう状況を作るために情報を出させない。
JRF 2009年4月 6日 (月)
それは危険ではないかとも思うが、そうすることで強い社会、社会が壊れても「彼」に似た者達が現れ復活をさせうるという意味で強い社会ができる、というのはあるのかな。それを待つのが「政治」だ、と。
JRF 2009年4月 6日 (月)
衛星打ち上げが本当なら、正直なところ、何が問題なのかわからない。宇宙利用の手続きの問題というなら、そういう説明を聴きたい。(安保理で「取り上げる」ってどう?)他に金を出せというのは、どの国にも言えることだし、宇宙技術というのは特別な意義をもちうるから、そこに問題は見出せない。
JRF 2009年4月 3日 (金)
拉致などは情報や部品の流れの関係でもあったという見方は自然で、そのあたりどの国の問題であったかという潮目はいつ変わってもおかしくない。むしろ、はしごが外されるようなことが私は心配だ。慎重に目標を定め(失敗することで)、しっかりとした原則を創りながら対応することが必要だと思う。
JRF 2009年4月 3日 (金)
ワルター&フェリアー『マーラー:交響曲 大地の歌』。1952年スタジオモノラル録音なのに、すごい聴きわけやすい。52年のスタジオだからか?パツァークのテノールに好感を持った。この盤は「神が見張っている」ことに逆(?)に希望を見出す終り方をする。《救いの無力さ》を読む人に薦めたい。
JRF 2009年4月 3日 (金)
タンポポのずっと向こうには「お刺身の国」がある。本当は、すしの皿のようにグルグル回っているのが私で、昼に私の年齢の男性が出歩すことは「におい」を醸[かも]し出すこと、そういうことだろう。
JRF 2009年4月 2日 (木)
トラ猫が跳んでいった場面は、誰かが持ってきたエサに向かっていったときに見たのだった。その脚力は人のエサに反して野性を感じさせた。私がそういう能力をまだ持っている…ように見られたいというのはあるだろう。
JRF 2009年4月 2日 (木)
薬草があるように見せようともしている。しかし、実際は、「お刺身の国」という企業社会から私は隔絶されて近付けないというだけだ。
JRF 2009年4月 2日 (木)
なんたる鬱イメージ! 書いたときは楽しい幻想的な「詩」になったと思ったのに。
JRF 2009年4月 2日 (木)
ブロガーは、言論という剣にそなえられた生贄の子羊という印象が私にはあるのかな。そうでなければ「ブロガー」ではない、そこから逃げて何の咎[とが]もないものは「本物のブロガー」ではない、と。
JRF 2009年4月 2日 (木)
ブロガーであったと第一に見られることを望むようになる、そういう時期を人が過ごすのは、社会にどういう構造があるのだろう…?
JRF 2009年4月 2日 (木)
数理社会学の関数モデルは何がやりたいかというと、ロジックを関数形にできることで、関数形の矛盾の少なさから、常に関数系にできることから議論を健全に矛盾なくすすめる方法が少なくとも一つはあることを示し、
JRF 2009年4月 2日 (木)
さらに、関数形から導き出された結論が、意外なものであっても、ロジックに矛盾のない対応物があると示唆できたらしたい、ということ。…のはず。
JRF 2009年4月 2日 (木)
数理論理学で訓練した腕がすっかり落ちてる >> 私。直観がうまくわかない。
JRF 2009年4月 2日 (木)
奇蹟が起きたように見えてしまったときは、それを無意識的に期待していた自分を見つけることにして、その期待を満足させるものが社会に十分ないところに「ビジネスチャンス」を見出そうとすることもできる。
JRF 2009年4月 1日 (水)
散歩中、バターの香りがする。花見のサンドウィッチだとここまでの香りはない。振り返るとトラ猫が黒い小鳥を追い、桜のまわりをグルグル回っている。「キミ、バターになりかけてるよ。」それを聴くとトラ猫は手を鼻にやってペロリと舐めてから、タンポポの向こうに跳んでいった。薬草でもあるのか…?
JRF 2009年4月 1日 (水)