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意思と知識は何が違うのだろう。過失責任の原則の裏側にある無過失無責任の原則に立ち、企業は無過失が立証できる知識を持ち悪意を忘れていく。それで良いのは、人も組織も知識が完璧ではありえず数をこなせば過失が生じる事例にぶちあたるはずで、そうでないのは喜ぶべき奇跡、神の意思だから、か。

JRF 2009年5月25日 (月)

keyword: 信義誠実の原則

JRF 2009年05月25日 9520

関連するかもしれないこととして2008年04月04日のひとことに西洋とイスラムの理性の定義の違いと言った話で「知識」「判断」「行動」のモデルを示している。

JRF 2009年05月26日 8797

ある意思があるということ、意思を持続しようと意識することは、知識になる。知識の集りは意思の存在を示唆するだけでなく、意思そのものの発生を意味する。

意思と知識はあたかも、電場と磁場のような関係に想える。電場と磁場は確かに違うものなのだが、究極的にはそれを一つの電磁波といったもので設明したほうが、実体をうまく設明する…といった関係にあるのではないか。

これに続くひとことは、外延的事象からその相互性の発生が説明できないか…と考察したかったのかもしれない。

JRF 2009年05月26日 2819

typo 「設明」→「説明」。

JRF 2009年05月26日 2849

「電磁波」のように「意識」と「知識」を統合的に説明する一つの言葉を創る…「意識」?あれ、「意識」という日本語の語源的なりたちってそういうこと?

JRF 2009年05月28日 0579

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