aboutme:102166
ブクマ↓の補足。もちろんベーシックインカムに親和的な意見だが、実は昔は年功序列を支えていた意見(のはず)。努力を成果によって見るという発想は決してしてはいけない。成果を見るならどういう努力があったかを問うてはならないし、努力を見るなら評価者の期待する成果が出ると望んではならない。
JRF 2009年6月 1日 (月)
↓もこの意見とほぼ同じ。
「結果」の平等、「機会」の平等
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/02/post_2.html
一方、努力は評価できないからそれを規定して求めてはいけないというのは行き過ぎという話もある。↓
行動義務と状態義務、努力義務と消極義務
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/03/post_1.html
JRF 2009年06月01日 4105
おっと、「どういう努力があったか」に不法なものは含まない。「成果を得るためには、まず、これをやってる(知ってる)だろう」という前提をおかないということだが、確かに法律知識を問うという場面はあるかな。
JRF 2009年06月01日 9498
努力する者自身が成果を積み上げたがるというのはギリギリありだと信じている。2009年04月20日に書いた「結果主義」を私は受け容れている。
JRF 2009年06月02日 2171
トラックバック
他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)の一覧です。
努力義務には「内心の自由」(憲法19条)とからむ問題がある。ある行為を禁じれば、その行為にいたる内心を禁じることにはなるが、ただ「その行為をやりたいと思った」だけで罰するようなことがあってはならない。... 続きを読む
受信: 2012-01-06 17:52:58 (JST)
はてなブックマーク - 安心と活力が両立する社会の実現に向けて: EU労働法政策雑記帳
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-18d2.html
>>努力するほど報われることが可能となる制度(…)アクティベーション措置を強化する<。あなたたちが求める「努力」しか努力・活力と認めない、と。そうでない人々に先にお金を渡すという発想は決してしない、と。<
JRF 2009年06月01日 8727