aboutme:102510
刑罰という「右の手(40:14)」をもって、何故私は和解ができると考えうるのか。私が神と共に、刑罰の恐ろしさを表すベヘモットを創ったとき、神は私の想像外のレビヤタンを創造していたことを世に知らしめるだろう。きっと私はレビヤタンに似たものをすでに知っているのだろう。
JRF 2009年6月 6日 (土)
刑罰という「右の手(40:14)」をもって、何故私は和解ができると考えうるのか。私が神と共に、刑罰の恐ろしさを表すベヘモットを創ったとき、神は私の想像外のレビヤタンを創造していたことを世に知らしめるだろう。きっと私はレビヤタンに似たものをすでに知っているのだろう。
JRF 2009年6月 6日 (土)
>レビヤタンに似たもの<…昔、「水竜狩り」という小説を書いています↓。ヨブ記を読んだときベヘモットを読んでエジプトのセト神を、レビヤタンを読んで私がその小説で書いた竜を想起することがあります。まったく違うものではあるのですが…。
昔書いた短編小説 [ JRF の私見:雑記 ]
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2007/08/post.html
30代になってヨブ記を真剣に読めるようになるまでに、どういう思想偏歴があったかバレてしまいそうですね。
JRF 2009年06月06日 4006