aboutme:103715
「影響が奇跡的に誰かに及んでいるように見える」というところから「思ったほどの影響がないことが不思議」というところへ跳ぶことがマスメディアの魔術なのだろう。サブカルチャーはおそらく後者を否定している。影響力があるということの政治性を避けたがっているのだろうか。…私は…どうかな?
JRF 2009年6月23日 (火)
サブカルチャーという行き方は「政治性を避ける」というよりも精神の安定を求めるときの一つの解として現れているのかもしれない。
まぁ、でも、その精神の安定につけこむことこそ政治性の秘密のようなものという側面はあるかもしれない。
JRF 2009年06月24日 5874
ネットのアクセス数+αを実態と信じると、誰かが「私」の影響を受けているというのは「奇跡」的で、おそらく「私」がその人と同じ影響をどこからか受けたと思えばいい。
それが実態と信じず、プロキシごしに企業で読んでいる人がたくさんいたり、ネットを監視している人に読まれているところから口コミで広がっているという妄想に近いところを信じると、影響があるのはデフォルトで、今回は「通じ」なかったなぁ、とかいう感想が出る。
他の人の場合、知り合いが読んでいてその人の影響力が…というのがありえるんだけど、私は悲しいかな、それもないので、二つの観方の境いを不連続的にさまよい、どうも不安定な心情を抱く。
JRF 2009年06月24日 7027