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aboutme:104131

間接侵害の和解と「三位一体」説。

JRF 2009年6月27日 (土)

* 準備

著作権は自由経済の例外として独占が認められる。そもそも親告であることを発展させて、さらに刑事司法の例外としての刑事和解が可能としたい。

JRF 2009年06月27日 6447

違法サイトからのダウンロード違法化に「反対」する [ JRF の私見:税 ...
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2007/11/post.html

>著作複製権は自由経済の例外として文化の発展のために特別に認められた独占権に過ぎず、文化の発展にはその継承も含まれ、上のような場合、他の権利よりもたやすく救済されるべきだ……と考えるからだ。万引きのあと金を払ったのとはそこが違うのである。

JRF 2009年06月27日 3831

消費者保護としての私的複製の骨抜き案に反対する [ JRF の私見:税 ...
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2007/11/post_1.html

>著作権侵害が親告を必要とする理由の一つとして、本当の利益逸失は検閲や技術・法技術的問題などの何らかの阻害事由によりもたらされており、「侵害」者そのものを非難すべきでない場合があることが挙げられる。
(…)

JRF 2009年06月27日 8494

>間接侵害による訴えがはじまるとき、発表ができるようになった者は「著作者」とみなされず私的翻案や私的翻訳をする消費者の地位に最初はとどまるだろう。しかし、これらが「著作者の総意」の中に含まれていくとき、訴える著作者の団体は変質し、「和解」を選択しやすくなるだろう。
(…)
和解適格は、著作者の総意を求める。(…)適格な機関による告訴を要件とし、さらに裁判の
途中でその構成を変えられるような仕組を用意すべきと私は考える。

利益が経済的でなく人格的だと主張してもそれを担保する手段がなければ刑事における「和解」はもたらせられないだろう。消費者権侵害はそのために必要なものである。

JRF 2009年06月27日 1083

>人格的な侵害があり誰かが刑罰を受けるという可能性があるがゆえに、私的翻案者などのまだ経済的な地位のないものが、著作者の総意の中で大きな地位を占められるようになりえるのである。
(…)

JRF 2009年06月27日 5323

間接侵害に関するひとつ前のひとこと↓。
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/103781

著作権に関わる間接侵害の三類型。
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/103257

JRF 2009年06月27日 8454

(なお、AA(アスキーアート)で描いた図はアバウトミーではつぶれると思うがいちおうログに残しておく。)

JRF 2009年06月27日 0687

* 「三位一体」説

著作者、同人作家、間接侵害者の三者が作る法的関係のモデルをキリスト教神学の三位一体の教義に擬えて私は考えようとした。著作者を「父」、同人作家を「子」、間接侵害プログラマーまたはプログラムを「聖霊」に擬える。

訴えのはじめ、「父」著作者に対し「聖霊」間接侵害者は間接侵害という罪にあり、「父」著作者に対し「子」同人作家は同一性侵害などの罪にあり、「子」は「聖霊」を介し「父」が識る権利侵害の不当にある、…のを見る。あたかも「聖霊」は「子」を堕としめるサタンでしかなく、「子」は「父」を僭称する不届き者であり、「父」は人が大事にしたいものを顧りみない暴君のように見えている。

JRF 2009年06月27日 9608



間接 / \ 同一性
侵害/\ ↑ \侵害
/ \\ \
↓  ̄ ↓
プ 識る権利 同
侵害

JRF 2009年06月27日 0421

父子になる契機は、間接侵害に対する和解適格が「父」において否認されたところにはじまるとする。「子」によってのみ和解は実体的意思を現す。父子そろわねば適格はないという人の指揮がある。

「子」は同じ人として他の同人作家が犯している間接侵害の罪を自分のものとして和解にのぞむ。表現力の平等のためである。「子」は無垢に独立していると和解後は扱われるべきである。そして「子」が「父」になっていく。

JRF 2009年06月27日 7229

プログラマは父子と本質的に異なる表現を追及している。「聖霊」には独自の文化的系譜がバックグラウンドとしてある。急迫がなければ間接侵害者は戦わない。それが何の意図だったからか不分明だが父子と関わることで、彼らの文化性との関わりを和解の果実として自が身に引き受けることになる。

和解は常に完全なものではない。和解の契機が失われていないことが創造力につながるべきである。

JRF 2009年06月27日 9016

(父) (子) 養子?仮現?
著 --- 同
人文性/| 高挙 \
付与/ | \人的模範
/ /\部分和解 \
↓ / \ ↓
プ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 同’

JRF 2009年06月27日 9728

「父」「子」「聖霊」に部分和解がもたらされるとき、「父」は「子」を高挙し、「父」は「聖霊」に人文性付与をし、「子」は他の同人作家達の人的模範になるといおう。

JRF 2009年06月27日 6822


(神学にすりよせて考えるのは、悪趣味で冒涜的なカリカチュアかもしれない。これが三位一体の新しい解釈を与えるはずはない。知を重視するのだからグノーシスが近いことをしているかもしれないし、創造主がそれぞれの著者の創造として現れるということだから新プラトン主義などが近くなるのかもしれない。ただ、三位一体を参考にした部分はあり、それが翻って(反面教師的にでも)理解の一助となったり、新しい解釈を示唆したり、それらの可能性を導くようなら私はうれしい。)

JRF 2009年06月27日 7087

* 「子」論

通常の父子関係がこのモデルを先取りしている。それぞれが個でありながら背後に普通に父子の縁があり続ける。その中で、理念が父と子の関係をもたらしていたことに気づく父子が現れる。自分と同じ「人生」を歩んだものだけが親になるのではない。「父」の題材を使ったという縁がある中で、それ以上の理念が「父」と「子」を結びつけえたことに気づくなら、「父」は親という影として「子」の在り方の前に屹立する。

JRF 2009年06月27日 8925

神学に(異端にいたる論として)父と子の関係として養子論と仮現論というのがあるが、養子論的に考えれば、さらなる(別の子による)二次(三次)創作を許可する権限が子にもあるとできよう。仮現論的に考えれば、ある二次創作がたまたま父と同じ発出にあたるだけで、子も別の父の二次創作はできないと考えることになるだろう。その「中間」的なところが許可されると言えば言えるかもしれない。

JRF 2009年06月27日 9110

「高挙」という言葉は必ずしもあたらない。渋々著作者の総意の中に同人作家を含め、人格的利益のために力のない同人作家の意見をくんで高いものとしたと著作者達の目には見えるだろう。だが、それは違うのだ、同人作家はそうなる前にすでに尊いものであったのを人々が気付けない構造があったのだ。

同人活動というレベルを抜けたとき、同人作家だった者は、和解の鍵という頼りない剣を持って、同人活動に彼を押しとどめた構造的無理解に対峙し、一方で、知らず時代に投機していた過去の自分と向きあうことになる。

JRF 2009年06月27日 7512

* 「聖霊」論

間接侵害については無教養物であることが問題と見、人文性付与が行われると考える。それ以外の見方をしないのは、和解が文化の制約となってしまうことを恐れ、あくまで文化の発展という目的に沿う形に留めるためである。ただ、プログラマー集団にとっては異文化支配を部分的に受け容れるという実態になりうる。しかし、方法はいろいろありえて、周辺教育の充実でもよいかもしれない。

聖霊の類型として風、息、賜物、それぞれとしての聖霊という考え方がある。間接侵害は「無教養物による高度な実行可能性をもった著作物」によってなされたものに限ると私はしたいが、その条件を聖霊の類型に擬えてみよう。

JRF 2009年06月27日 5648

東風 無教養物への
インセンティブ
西風 著作物化 実行可能化
風 息
\ /
聖霊

賜物
間接性

JRF 2009年06月27日 7941

風としての聖霊。(私にとって『風』は Input Method。)言葉そのものに近い。

東風としての聖霊。植物を枯らす乾いた風。神が被造物の有限性と暫時性とを示される方法のモデル。この側面の「聖霊」は、人にとって過酷なことを代わりにする無教養物を造り残すことへのインセンティブがあることを示す。

西風としての聖霊。雨と涼をもたらす風。人間の霊的な必要を活性化する。この側面の「聖霊」は、人の本質の一つとしての文化活動がプログラム表現として残ることを示す。

JRF 2009年06月27日 9106

息としての聖霊。神が命を与えるものだということ、死者を生き返らせることさえ出来るものだということ。この側面の「聖霊」は、人は自力外の実行可能性に経済をひいては生死を見ることを示す。

賜物としての聖霊。賜物を受けた預言者の振る舞い、異言、奇跡。それはそのままで受け取るわけにはいかない。この側面の「聖霊」は、そこから人々が受けとめるべき間接性を示す。

JRF 2009年06月27日 7062

フィリオクェ論争というのがある。聖霊は父から発出するが、子からも発出するとするか、という論争である。このモデルの場合、「聖霊」は父子とは違う文化的系譜を持っているという点で、独自の「父」性の発出であるが、「子」がもたらす関わりによる文化的本質の変容が人々を発出にあずからせる(よう予定されていた)と言えるだろう。

JRF 2009年06月27日 9664

「聖霊」は「父」と「子」の絆[きずな]である。間接侵害のないところに絆をつくる契機は生じにくい。「父」と「子」が見つめあうとき、眼(アイ)から「視力線」が出て見れるようになるのではなく、光があってそれが「子」に反射して眼に届く。そのように間接侵害があって「父」と「子」は互いを見る。ただし、光はそもそも「父」性から出たものである。(だが、「侵害」ならば光ではなく闇だ。あたかも愛が原罪に結びつくように?)(「光」を錬成する魔法?原子力?いやいや光は火を着ければ出るよ。でも、空気はなくとも光はつくれる。)

JRF 2009年06月27日 4886

間接侵害がないと想定できた時代、同人活動の契機はエロスによって導かれた。そのいかがわしさに苦しんでも、性愛が「聖霊」の法理を先取りしていたのかもしれない。

JRF 2009年06月27日 2907

* 特殊救済

「部分和解」では、間接侵害プログラムに対し消費者権(著作者等のうち誰の罪かは明確でない(明確にできない))の利用を信条的に守るよう決められるかもしれない。

しかし、部分和解は(あるかどうかわからないが)完全な和解に向けた途上にあるもののため、それがおかしいといって部分和解から離脱する者にも、一定の保護を与えたい。やや厳しい条件を課した上で、著作者集団の未決定の(明確でない or 法的には訴えのみで確定していない段階の)「罪」に対する「特殊(自力)救済」があっていい。

JRF 2009年06月27日 0919

特殊救済を求めるとき、部分和解では「はっきり」できなかった信条的なもので参加を拒絶するのだから、それを「はっきり」させるまで著作者達から隠れたところで猶予を与えねばならない。隠れたところでも救済されえなければならない。

JRF 2009年06月27日 1112

「身代金」として供託を行うが、その意図なども隠したままにする。それは現代では例えば、意図や証書番号などを書いた「宣誓手形」のハッシュのみを登録・公証するということでなしうるかもしれない。アナログに、公証人を使う方法もありえるかもしれない。そして、その宣誓手形の資金から、部分和解プロセスへの部分参加の証書を作り、手形のハッシュを付加して分割的に支払いを「抵当宣誓」するということも考えうる。

JRF 2009年06月27日 9360

* 人的模範

一方、著作者にも不分明を認めなければならない。「部分和解」は「人的和解」部分を含む。文書によって決まった「部分和解」では言葉で明確にできなかった部分が存在するとして、高挙される同人著作者「子」の公的表出や「父」の知ると公言する事実を「人的模範」として間接侵害プログラムに関し利用を制限してよいとする。何らかの侵害に対し和解実態の「人的模範」を抗弁として認める。

JRF 2009年06月27日 7565

「子」の人的問題が明らかになったとき、「父」は特殊救済を「受け容れ」、人的模範の抗弁の切断を黙示することができる。すなわち…特殊救済の枠組みには著作者による申告著作権税のような「積立て」(若者の文化活動の助成なども含みうる)が入ってなければならないということか!?

JRF 2009年06月27日 6045

* 「父」論

創造の現れとして、著作活動のとらえかたの変遷のモデルも考えてみる。

JRF 2009年06月27日 4885

かつて著作活動には「宗教的責任」が必要だった。

C著 → 民
↓ 努力

JRF 2009年06月27日 4565

著作者の側が金を払ってでも、読み、継いで欲しいもので、Creation が目的だった。単なる道楽でなく未来に責任を負うといいながら、その責任は(農業等の)生産者と同質のものと認められなかった。主張には自分だけが責任を負い、組織を創り維持するのも自分の責任だった。(Cはループ記号)

JRF 2009年06月27日 7107

やがて「神学的責任」と呼ぶべきものになる。

著(-) ----//---- (+)著
| 従属 |
民 - - - 取引 - - - 民

JRF 2009年06月27日 1940

反対の主張を配置することで流通がおこる。すでにある組織の距離を保つよう相対的新奇性を変化にあわせ打ち出す。同じ神の別の現れとして二元論的な心情を人々に抱かせながら、興味を持続させた。

JRF 2009年06月27日 4842

近代の著作活動は「民事的責任」である。

出版者
↓↓↓↓
/|
/ \
 ̄\ (x)著← 民
[+]著 ↑ 金

JRF 2009年06月27日 7049

出版者を介し、人々が金を払って著作活動に金を払うようになった。社会の生産責任をシェアするものとしての責任を負うようになったといえる。他の著者の生活も支えようとするなかで Creation の「職業的責任」を果たしている。

流通がすでにある状態では、同じトピックを扱ったかのように似ているが異なる主張を並べることで出版点数を増やせ、その利益をシェアできる。時代意志としての神の現れが、著者達の自由意志的な変形を受け、人それぞれにとっての著者達の天才性を証ししているとでもすべきか。

消費者との関係では、ひとこと2008年06月25日に書いた「罪価計算」的なつながりも考えられる。

JRF 2009年06月27日 2790

出版者こそ力強い。彼は元間接侵害者でもありえた。現代は間接侵害のかたちが多様化してきている。彼らこそが「主神」とみなされ、著作者達はこのまま閑神化してしまうのだろうか?間接侵害者としての著作者の「聖霊的責任」が強調されるようになるのだろうか?

JRF 2009年06月27日 3866

* 別視点からの和解

著作・表現活動が「創造」ではなく、「征服の反省」または「自然の自己含有内的共存」であると考えるのは、ある種の人々にとって魅力的な見方だろう。自然が「私」の中で生きつづけている、または、「自然の一部としての私」という考え方と、自然からの人間性の疎外、または、「自然性を拒絶したい私」という考え方の相方が混淆する。そこに人為の自然として表現が残る。

この考えを延長すると、和解とは自らを自然の「死」につなぐこと、次の時代の肥やしとなることとなるだろう。

JRF 2009年06月27日 0718

きっと、その文脈では、同人活動は連歌のようなものなのだろう。本歌があったとしても、それは自然としての表現で、きっとそれに呼応する自然が誰にでも「私」の中にもあり、それはふと出るはずのものだ、と。

間接侵害は、そうして各々に遺っている自然をならしてしまうものとして、共通の怒りの対象となると位置づけられるかもしれない。「彼ら」に「征服の反省」を受け継がせたとき、その間で同人活動の呼応が起きる。そのときにはもうそこに累々とした「和解」が転がっていていい。

JRF 2009年06月27日 5482

著者だけでなく、時代が著書をつくる。著書とともに「時代」が「私」の中で生きつづける。

同人活動をする者のほうが希少である。同人活動をする者よりも、むしろそれを観る者の中で、「時代」が生きつづける。同人活動をする者は新しい時代を生きている、または、彼らこそ時代を切り拓いている。

今、私は言葉通りの同人活動をすることはなく、ニコ動などでの遊びを傍目[はため]で見ながら、P2Pが求めた「時代」を法理じみた言葉として残そうとしている。ひょっとして、こういったことが同人活動を現在営めている者への征服を間接的に志すことになるのだろうか。

JRF 2009年06月27日 1942

* 参考文献

キリスト教神学入門: アリスター・E. マクグラス
http://www.amazon.co.jp/dp/4764272032

現代人のための教理史ガイド―教理を擁護する: 棚村 重行
http://www.amazon.co.jp/dp/4764265524

思想のアンソロジー: 吉本 隆明
http://www.amazon.co.jp/dp/4480842713

JRF 2009年06月27日 5722

(当分予定はないが将来「間接侵害」に関するひとこと等を記事にまとめることがあるかもしれない。そのときは宗教的要素は分離しようとするだろう。それが上の文を意味不明なものにしている(一因である)と自覚しているからだ。アイデアの段階では神学等の影響を強く受けそれを扶けに混淆すらさせて話をひろげたというのは、ここに痕跡が残るのみとなるのかも…。)

JRF 2009年06月27日 6741

追記↓。
http://jrf.aboutme.jp/user_statuses/show/105879

JRF 2009年07月22日 3464

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