aboutme:104262
気合いが空まわりしたかな。書こうとした記事、周辺を固める(といってもゆるゆるだけど)のに思いのほか時間がかかって、まだ煮詰まっていないけど、しばらく距離を置くか…。
JRF 2009年6月29日 (月)
気合いが空まわりしたかな。書こうとした記事、周辺を固める(といってもゆるゆるだけど)のに思いのほか時間がかかって、まだ煮詰まっていないけど、しばらく距離を置くか…。
JRF 2009年6月29日 (月)
経済的な動機だけで移民するっていうのは、不幸がどこかにあるということだろう。…いや、経済的な動機だけで移民するということ自体ないことなのかな。冒険を称揚する文化があったり、文化への憧れがあったりは、納得の構造の中に必ずあるのかな。
JRF 2009年6月26日 (金)
農業の継承も文化継承であるというのはあまりにも文化優位な考え方か。いや、やっぱり、違う軸に写像しているだけと考えるべきで、すべてを同じ軸において優劣が決まると考えるほうがおかしい。
JRF 2009年6月26日 (金)
本がぜんぜん読めてない。
JRF 2009年6月26日 (金)
著作者に対する間接侵害者が投資を行うだけの利益をどうやって得るか?その鍵の一つが同人活動だと私は思っている。修道院に財産を預けるといったことの変形により、そこに力を与えられないかと考えている。
JRF 2009年6月24日 (水)
(サッカーで審判が負けてるホームチームに加担するのを見る。)怒りは限られた時間の中に発散させねば敗北は得られないかのようだ。怒りは父のものなれば、龍虎争って雷雲のごとく去る、となぜできない。それは父が独立していない負い目を子に対したとき感じるからではないか。
JRF 2009年6月24日 (水)
権威を怒りと結びつけ権威に自信がないがゆえに、怒りが機能した証拠としての表現が残ることを求めてしまうからではないか。自尊心の領域としてのプライバシーが守られてないということがないか。
JRF 2009年6月24日 (水)
キリスト教徒が応報原理を自らにあるものとして強く否定することがある。信じる者は良いことをし復活するというなら、そうでない者のことを考えれば応報原理が働いていると見なせるのだが、そういう解釈にはたたない。
JRF 2009年6月24日 (水)
しかし、罪がおこることはあり、現実の報いを与えることはある。応報を実現させないのは共同体。その罪が復活の日までには許されているはずだと信じれるのは、共同体がその罪の責任も負って終末を待つからだという信仰がどこかにあるのではないか。
JRF 2009年6月24日 (水)
「その罪の責任も負って」すなわち、それを神の必要だったと愛をもってすべて(共同体)の人が許せる日が来る、その日まで怒りの矛先を共同体全体に向けられても、「愛」を獲得するため奮闘する責任を負う…ということだろう。今の私の解釈の限りでは。
JRF 2009年6月24日 (水)
首まわりや足をつい掻いてしまう。寝てるときとか。首まわりは汗が気持ち悪いのだと思う。
JRF 2009年6月24日 (水)
「影響が奇跡的に誰かに及んでいるように見える」というところから「思ったほどの影響がないことが不思議」というところへ跳ぶことがマスメディアの魔術なのだろう。サブカルチャーはおそらく後者を否定している。影響力があるということの政治性を避けたがっているのだろうか。…私は…どうかな?
JRF 2009年6月23日 (火)
クーラーを控えたいなぁ、と検討したところ、紙が飛ぶので扇風機が使えないことに気づく。
JRF 2009年6月23日 (火)
ゲームにバックアップ可能物を求めるのは非現実的に見えるかもしれない。私は…DVD-ROMを持つ者は、ネットがなくてもある程度遊べるようにし、ネット接続状態ならハードディスクインストールは認められるよう規制すべき…と考える。驚くなかれ、ROM のほうをバックアップ可能物と私はする。
JRF 2009年6月22日 (月)
頭だけで考えて結論を先取りしようとしすぎだ。もっと、実証を求めないと >> 私。…でも、もうしばらくは考えることを優先しないと区切りがつかない…。
JRF 2009年6月22日 (月)
シフリン(cl)『モーツァルト:クラリネット協奏曲/五重奏曲』(Delos)。楽しいのかな?優しい。重かった心がやわらぐ。孤独には勝てるさ。
JRF 2009年6月20日 (土)
仏教に異端はない。しかし、浅い認識はある。浅い認識とは、深そうに見える認識のことである。←つまり、こういう認識。ところで深いことは良いことなのだろうか、良いとする典拠はなんだろう?
JRF 2009年6月19日 (金)
↓苦。仏教では「四苦」として生・老・病・死を挙げます。…
JRF 2009年6月19日 (金)
わかった気になるのが、一番いかん…と。まぁ、そうかな。今の自分が示そうとできる最良の真実を追う。それが異端とされても、読まず捨てられても良い。私が再び読む。そのチャンスでもあれば、書く甲斐がある。
JRF 2009年6月19日 (金)
俺は愚かだ。
JRF 2009年6月18日 (木)
世の中、あっさり離脱できるような組織はない、という臆見[おっけん]が私にはある。抜けるときこそ「しがらみ」が強くなる。↓で抜けれたというのは、あっさり書いているだけ?それとも良心的な組織が増えているとか、商売と割り切って「組織化」まで手をまわさなくなっているとか、あるのだろうか?
JRF 2009年6月17日 (水)
昨夜「拝金主義」への批判を揶揄[やゆ]したひとことを消した。一晩気になって考えを改めた。自分の腕に自信を持ち、それさえあれば「金」は稼げるというのは誇るべきことだ。
JRF 2009年6月17日 (水)
私の「爆笑」の語感はおそらく burst into laughter から来ている。あの頃はそう気づかなかったが、恩師といって間違いない人が英熟語を説明していた場面を想い出す。説明されたとき「訳は『爆笑』でいいじゃん」と私は受け取ったのだろう。
JRF 2009年6月16日 (火)
人のつながりが逆にモラルを貶めるよう誘うことがある。そういうときはしがらみというのかな。ある人にとってはそうとしか見えないし、実際そうであることがある。たとえ、そこで貶められることが、後のその人のためになることがあっても。つながりとモラルの関係、善い面だけを映すのはいただけない。
JRF 2009年6月16日 (火)
真実を述べることで「地獄行き」というのは事実の摘示による神の名誉毀損みたいなものということだろうか。ただ、神を人が弁護する要はなく「真実」を否定すべきではない。その人の地獄行きをくいとめようと、それ以外の「事実」に目を向けさせることに意味があるばかりとなる。
JRF 2009年6月15日 (月)
… といった具合か、「神」を持ち出して考えると。「神」を持ち出さないとすると…。真実の不十分な理解により人が誤ることは、真実を述べる人や分野の責任として社会は帰属させることになる。それを自分達の責任として獲得し実効的真実を確立することが社会の発展となる。…まだちょっと信仰臭いか。
JRF 2009年6月15日 (月)
モンスターと戦う仲間としてのエルフやドワーフは長命である。そのファンタジーの含意は、人こそモルモット動物であること、人が下位集団としてのモルモット人間を造ることの無意味さにあるのではないか。
JRF 2009年6月15日 (月)
出エジプト記で奴隷として圧されるごとに一部族が数を増す。…ああ在ることの現代的基礎条件、すなわちニンゲンの条件は何だろう。
JRF 2009年6月15日 (月)
疲れるようなことはしてないのに、どうも眠いな。暑さかなぁ。
JRF 2009年6月15日 (月)
性的集団暴行…。外国の農村の放縦の伝統みたいなのは読んだことあるけど…。やりたい盛りであっても乱交はいろいろ歯止めがかかるはず。ムリにどこかに繋げるとすると、背景に「性の上納」でもあるのかな。とすると策は二つ。非嫡出子の扶養責任の強化と胎児の父に対する中絶罪を実効的に設けること。
JRF 2009年6月13日 (土)
アルバン・ベルク四重奏団『バルトーク:弦楽四重奏曲全集』。壮絶。暗い、性格の暗さじゃなく闇の暗さ、水墨画じゃなく銅版画のインクの黒さ。甘美さを拒絶した美。魔術的でもない。
JRF 2009年6月13日 (土)
特殊な体液に「死後」触れることが原因で BSE に汚染されるなら、なぜ、血液による汚染がないといえるのか。むしろピッシングの装置の使いまわしが原因とみて、その洗浄や部分を使い捨てにすることでリスクを下げることができなかったのか。素人の私には何が「科学的」なのか理解しかねた。
JRF 2009年6月10日 (水)
人口動態や景気変動にもかかわらず自殺者がほぼ3万人というのが固定しているように見える。生命保険業界全体で3万人まで自殺として否認してよいというとりまとめでもあるのかとか訝る。
JRF 2009年6月10日 (水)
貸したい人がいるから借金が増えている。将来は金利を稼ぎたい人と元金を返してもらいたい人をせめぎあわせることで、影響をなくせるから別にいい、インフレもできるしね…ってンなわけないだろ!むしろ、元金を返せという人がいっぱいいる中で誰が金利まで払えるんだと考えるほうが建設的ではないか?
JRF 2009年6月10日 (水)
>神に求めた責任<に応じる「罰」として「天使」として派遣されることも「災厄」のように区別なく今の人にふりかかることなんだろうか。
JRF 2009年6月10日 (水)
どうも虫によくかまれる。外で立っていて…というときだけど。
JRF 2009年6月10日 (水)
和解に決して認識の一致を期待してはいけない。お互いが違う思惑を抱き同じ表現をする。そういう表現ができることが奇跡なのだとすらせねばならない。和解の意思を法的に問題にするなら、和解しようとすることの誠実さを問うまでに留まるしかない。
JRF 2009年6月10日 (水)
知らないことに言及して失敗し、毎度のことながら私の知性のなさを思い知らせてしまった…。
JRF 2009年6月10日 (水)
今は博物館に行かないと「ほんものの仕事」が見られなくなったのですかね。きっと内部統制とやらが厳しくて「仕事」というものを見る機会が実質「若者」にもないのでしょう。他の仕事が仕事に見え辛いというのは、IT化か空洞化か、きっとそういったもののせいなんでしょう。
JRF 2009年6月 9日 (火)
たまに使っているがゆえに怖くてアップデートしなくなったものを必要に駆られアップデートした。…ふぅ、とりあえず動いてくれた。以前のバグが解消されていて「必要」を満たしてくれそうだ。
JRF 2009年6月 8日 (月)
[アイデア] Twitter等のつぶやき系サービスにAmazonレビュー連携ボタンを作ればいいのに。素人だと長いレビューはなかなか書けないし内容がないのも気がひける、一方、Amazon は長いレビューも大事だが評価の数も欲しい。キックバックがあれば三者の思惑が一致するのでは?
JRF 2009年6月 6日 (土)
屋根裏の柱のところで指の皮膚にトゲがささった。トゲ抜きが救急箱に入ってない…。木工をすることはまずないし、記憶のかぎりではトゲがささるのは子供のころ以来だからなぁ。
JRF 2009年6月 6日 (土)
刑罰という「右の手(40:14)」をもって、何故私は和解ができると考えうるのか。私が神と共に、刑罰の恐ろしさを表すベヘモットを創ったとき、神は私の想像外のレビヤタンを創造していたことを世に知らしめるだろう。きっと私はレビヤタンに似たものをすでに知っているのだろう。
JRF 2009年6月 6日 (土)
だが、それを語れぬように私は言及を避けてしまうのだ。それに気付かせるようなものが和解の場が続く間に必ず現れうるなら、神は畏れとともに記憶されることはなかったであろう。
JRF 2009年6月 6日 (土)
小説のアイデアみたいなものもたまに思い浮かぶことは今もあるのですが、あの頃のように読者に与える影響に注意して小説を書き上げようという気力までわくことはありません。
JRF 2009年6月 6日 (土)
書きたいものが小説の他にいろいろあります。小説はそれらを書き上げてやっと書く気になる……ような感じですから、おそらくこの先一生小説を書くことはないでしょう。
JRF 2009年6月 6日 (土)
そういえば、ここに小説のアイデアは書き込んでませんね。プロットを大事にしたいと思っているということでしょうか。案外、私は小説家として生きたかったのかもしれません。
JRF 2009年6月 6日 (土)
私はA.ビアスの怪奇小説にインパクトを受け、SF などを書くときも心理的インパクトを与えたいと思ってきましたし、今も書くとすればその方向を大事にするでしょう。過去トラウマを与えたとすれば、申し訳ないかぎりです。が、本当にそういう人がいればむしろ狙い通りで私は喜んでしまうでしょう。
JRF 2009年6月 6日 (土)
リアリティを獲得する…というとちょっと違う気がしますが、小説が現実に影響を与えるとき、実際の過去が影響を与えるようになしたとき、それは>過去としては別世界であるが未来において統合されるこの世界に創造者として責任を負<うことのインスタンス、イデアのみすぼらしい影なのかもしれません。
JRF 2009年6月 6日 (土)
最近買いすぎたんだから、がまん、がまん >> 私。
JRF 2009年6月 6日 (土)
うーん、つまり、間接侵害については、著作権を間接侵害する「著作物」に限ればよいという話になるのか?デジタルAV機器については、そのソフトウェア的部分についてのみ、著作物性を認め間接侵害が問われる、と。
JRF 2009年6月 5日 (金)
普通に考えれば「表現の自由」を重視してむしろ著作物の間接侵害性を否定し、「機器」についてのみ規制の対象としたくなる。公開鍵暗号のプログラムを書いた本の流出が原体験としてあったが、そこにボタンの掛け違いがあったのではないか。
JRF 2009年6月 5日 (金)
著作物こそを対象としてから、その上で「表現の自由」を考える。とすると、その著作物の「高度な実行可能性」を要件とすればいいのではないか。でも「高度な実行可能性」とかいう法理ができると、自殺サイト認定とかに使いたくなるな。
JRF 2009年6月 5日 (金)
ユーザーが読んで手順に従って…というような表現ぐらいは、むしろ自由でなければならない。
JRF 2009年6月 5日 (金)
とすると「無意思物による」高度な実行可能性にするか?いや、じゃあ、鉄腕アトムのようなロボットが出てきたとき、そういうのは人間は意思がないとしたがるだろうから、高度な無意思物が実行可能な表現を制限すればかなり自由が失われる。
JRF 2009年6月 5日 (金)
「無教養物による高度な実行可能性をもった著作物」でどうだろう?「機器」についてのみ規制の対象としたいという要求にも合致する。Artistic な指図は間接侵害性をもたないが、指図を自動的に処理するプログラムは間接侵害性をもちうる。
JRF 2009年6月 5日 (金)
同人活動自体はどちらかというと「直接侵害」になるが、データをとるときなどに間接侵害があったプログラムを用いることもありうる。同人活動が著作者の理解を得て投機性を帯びメジャーになろうとするとき、過去に間接侵害プログラムを用いていたというのはいかにも不公正だ。
JRF 2009年6月 5日 (金)
どこが不公正かというと、間接侵害があるということで使用を控えている(二次)創作者が今後も同じ表現の権能を持って活動を行えないという不平等があるところだ。
JRF 2009年6月 5日 (金)
間接侵害プログラムが侵害でなくなるようにした上で、そのプログラムが適正価格で買え、メジャーになる者は、それを利子(+罰金)付きで購入するという「解決」も同時になされなければならない。
JRF 2009年6月 5日 (金)
これを適格和解の枠組でどう行うか。
JRF 2009年6月 5日 (金)
…はぁ、休憩してあとで(後日にでも)考えよう。
JRF 2009年6月 5日 (金)
↓をチラと立ち読みしたが、元がパスワードなどの乱数列なら、文が解読できたか確認できないということが起こり、それを安全証明に使えるということか…。
JRF 2009年6月 5日 (金)
CA とかなんでそんなに複雑なんだ SSL にはいらんだろとか思ったが、一時的なもの以外、公開鍵の安全は証明できないが、署名や共有鍵については安全証明が確立しているので、後者をうまく使うという発想があるのだろうか。
JRF 2009年6月 5日 (金)
なんてバーゲンに弱い私!控えようと思ってたのにCDを買い過ぎた。
JRF 2009年6月 5日 (金)
ヨブ記 第38章、神が嵐の向こうに顕現する。岩波版ヨブ記(関根 正雄 訳)の注釈。>ヨブは自分を中心に創造の世界を見、自分を創造者と対置した。(…)の問いにより神はヨブを創造の世界の中心から追い払う。その厳しい否定の後で、40:15はヨブをふたたび創造の世界に戻すと解される。<
JRF 2009年6月 5日 (金)
私の妄想体験に引き寄せ、その解釈を行き過ぎよう。ヨブは、神よりも正しいという主張を引き受けることで、ならば自分も神なのではないかという「恐怖」に襲われる。ヨブ記の神は、創造の知識を問うことで、創造主としての責任を他者のもととして信じさせてくれる。
JRF 2009年6月 5日 (金)
ここに旧約聖書の神が創造主であったことが救いの認識をもたらす。「自分は創った者ではない。だから神ではなく、我々が神に求めたような責任から自由である」。だがそれは創造者に責任があるという「無意識」を肯定することでもある。
JRF 2009年6月 5日 (金)
我々は世界を二次創作することはないか。二次創作に責任はないのか、それとも二次創作には責任を問うほどの価値はないのか。
JRF 2009年6月 5日 (金)
2009年05月08日のひとことのコメントに>負のエントロピーを増やす、すなわち「創る」のは「先超文明」の仕事であって、その文明にとっては我々からみた負のエントロピーもそうではなく(…)我々人類もどこかで負のエントロピーを発生させたとみなされる世界を異次元的に創造する<と書いた。
JRF 2009年6月 5日 (金)
上下の「エントロピー」の無関係さは責任を負う必要のなさを暗示する。
JRF 2009年6月 5日 (金)
しかし、次元の形はそんな単純なものでなく、輪廻転生や時間遡行のような完全なループをもたなくとも、今の創造が過去の事象を産んでいる、ヨブや私が過去から現代を越え未来へと向かう一部に創造者としての責任を負っているということはありえないのか。
JRF 2009年6月 5日 (金)
過去としては別世界であるが未来において統合されるこの世界に創造者として責任を負っているということはないのか。関根訳 38:21>君は知っている筈、その時君は生まれていたし、君の年の数は大きいから。<
JRF 2009年6月 5日 (金)
いや、もしかして仮にそうであったとしても、それが人間としての一生で自分が負える責任に留まっていれば善い、ということではないか。そういう救いの認識は得られないだろうか。(逆にそうでなければどうなるというのだ。神に求めた責任を死後に負うとでもいうのか。)
JRF 2009年6月 5日 (金)
それは一つの死生観でしかない。もっといろいろな認識に人は達しうる。だが、そういった観方は社会に存在し、それが無意識となって発明で一つの範[のり]を超えるような者を襲う。ある種の見神の体験はそのようなものだろう。
JRF 2009年6月 5日 (金)
間接侵害は、創造に対するヒルベルトの23の問題のようなものではないか。これまで見透しを立つ要素がなかった者にまで、その人類としての責任を負わせることで創造の時間を前借りする錬金術のようなものではないか。そのカルマを適格和解の交渉に費やせることで解消しようとする法理でないか。
JRF 2009年6月 5日 (金)
思考をきわめようとして到達したところになぜか錬金術師やトンデモの影がある。もちろん、それは発想を自分の到達していなかったところに延ばしていった結果、否定的に見ていたものを再思考する過程で、疲労も重なって、そのような「誤認識」を持ったというに過ぎないのかもしれないが。
JRF 2009年6月 5日 (金)
いや、そのまま「誤認識」だろう。良くて思考の補助線。考えるのに落ち着こう。
JRF 2009年6月 5日 (金)
健康が大事だと誰も思ってはいる。勤務間インターバルも結局「自己管理」で自分さえ組織さえ納得すればいい、それぐらいの責任を負えるのが社会人だとされてしまう。残業税のかわりに組合費や社会保険料をとるってのは、非正規にはつなげられないでしょう?残業税は名ばかりでもあったほうがいい。
JRF 2009年6月 4日 (木)
自然であっても独占が効率的だというのはおかしいか?技術習得は大きな規模でやるほど有利になる、収獲逓増みたいな性格があって、効率的ではなくても仕方ないもので、法的独占というか「間接侵害」和解への参加という入金料で調整する…とかいうロジックのほうがいいのか?…いや、何か違うなぁ。
JRF 2009年6月 4日 (木)
技術習得が(自国に)独占されていくのはむしろいいこと、だから、効率もいいんだという考え方がないだろうか。企業を超えたところに独占の利益を得る主体があって、パテントってのはその利益を分配するためにある…とか。
JRF 2009年6月 4日 (木)
製品が創られたとき、製造機械(そして製造機械を創るための技術習得)への投資も最初はなされまずは陳腐化するが、やがて、その技術に追いつくためのコストを払えるのは「大企業」だけになる。ただ、それが情報工学系に近いものだと違う、といいたい。
JRF 2009年6月 4日 (木)
他の産業では技術を「まねる」にはその内部を知るのが簡単だが、情報系では「コピー」するのは簡単でも、その内部を知ったところで「まねた」というほどのものを作るのは難しく、むしろ外観だけ似せた別物を造るほうが容易なことがある。「著作物性」が技術継承だけでなく製造にも文化的要素を加える。
JRF 2009年6月 4日 (木)
それが他の産業に適応してきた競争政策が対応できない事態を生んでおり、それが非効率につながっている。具体的には中身を学ばせることで技能集約し、その教育方法が確立するという対応ができない。資格や規格がうまく作用していない。
JRF 2009年6月 4日 (木)
それは資格や規格がうまく設定できないから集約できてない、と考えるのは間違いで、企業に技術集約のインセンティブがあまり働かないのがそもそもの原因と考えるべき。
JRF 2009年6月 4日 (木)
ここに MOD を認め「間接侵害」法理を利用することをもちこむと二つの面で技術集約にインセンティブが働く。すなわち MOD ができやすいということは何らかの技術集約の結果を使っているということで、そこから幾ばくかのリターンがあることは、そのインセンティブを作る。
JRF 2009年6月 4日 (木)
そして適格和解を求めるとき集約的技術を議論に乗せ、その条件とすることができることもインセンティブとなりうる。
JRF 2009年6月 4日 (木)
…でも、それがどうして自然「独占」で法的「独占」なんだ?「独占」の言葉を使うのがヘンなのか?要再考だな。
JRF 2009年6月 4日 (木)
あー、もちろん、「自由」の側面も考えるべきなんだけど、(兵器製造)技術優位がなければ自由は守れないという主張の者も説得できないといけないから、今はこういう考え方をしている。
JRF 2009年6月 4日 (木)
人形作家さんの写真集だとただただ拝むだけだけど、「買える」ドールの写真集は、こう、何か、嫉妬みたいなものがあるなぁ。買える財力に嫉妬しているというのも少し違う。自分ならこうする、こう写すというのがなきゃいけない気がするというか…。
JRF 2009年6月 3日 (水)
同人誌を作りコミケ等で売るのをセミプロ活動(プロに致るための活動)というよりも、若者なりの「努力」(or パトスの表現)を測るための訓練だったのではと考えることがある。 内田樹氏の書くような「失敗のための素人のお稽古ごと」に近いかもしれないが、相互評価という側面に私は注目したい。
JRF 2009年6月 3日 (水)
二次創作を認めることの問題は、いつまでも市場に古い技術を追い求める傾向が残り、企業体やギルドによる旧技術の自然独占が起こりにくくなり、二次市場・市場知識をめいめいが必要とすることと相まって、技術伝達がひいては社会が非効率的になることにあるのではないか。
JRF 2009年6月 3日 (水)
その自然独占を間接侵害による法的独占に替えれないかというのが私のアイデアの骨旨だろうか。軟体動物から脊椎動物への進化をイメージする…。全体としての自由度は確かに低くなるが、その中での多様性が逆に大きくなりチャレンジできる社会形態の幅が広がる…とできないか。
JRF 2009年6月 3日 (水)
今日は涼しかった。
JRF 2009年6月 3日 (水)
経済労働問題において、失なわれたX年で決定的だったのは、雇用の流動化を行うとき、むしろ今でいう非正規の生き方のほうの社会保障を厚くしなければやっていけないはずなのに、雇用不安などの「現実」によってそれが主張できなかったこと。
JRF 2009年6月 2日 (火)
国境を超えた社会保障の幻想のためのアジアの発展、それに寄与するための「空洞化」が中小企業を知能産業化し、国内での自由な生産活動を難しくする方向に働いたこと。その二つが大きいと思う…とか書いてみる。
JRF 2009年6月 2日 (火)
努力は必ず報われると信じていたというよりも、若年者が努力しているところには未来があると信じて大人たちが社会が努力を報いさせようという意思があったし、だましだましであっても、その方向で回せていた、と思っている。
JRF 2009年6月 2日 (火)
体育会系でがんばった人は終身雇用を通じ鍛えぬく、囲碁や将棋を究め苦しくても尊敬を勝ちとれる、そういう道があった。
JRF 2009年6月 2日 (火)
それがTVゲームの登場でおかしくなったように私は感じた。TVゲームのユーザーがプログラマーになって…というのはどうも無理があるし、かといって、プロ化の道も拓けない。それでもその時代の若者であった私は、この「努力」の先に何かできるはずだと信じた。
JRF 2009年6月 2日 (火)
模索自体はいろいろあって、娯楽性の追及の果てに技術的優位の夢も引き寄せようとしている、「上の人達」も何とかしようとしていると私は感じていた、それが「切れた」な、と思ったのが、Dreamcast の「失敗」だった。
JRF 2009年6月 2日 (火)
思えば、あれは家庭用ネットゲーの先駆であった。小売店を通さずにデータが手に入る。「どうも実態が違うぞ」というのがあったのではないか。自分達が相手にしていたはずの層と、消費層が重ならない。その「現実」が受け容れられない…。
JRF 2009年6月 2日 (火)
そして日本のネットゲーは技術者と消費者を引き離すことを肯定できるところが引き受けていった…ちょっとレイシズム的な視線が入っているかもしれないが、確かにそういう視線がその後の日本のネット世相に重なる。
JRF 2009年6月 2日 (火)
それでも私はあきらめてなくて、MAD文化・MOD文化に期待を寄せることになってる。もしかするとイスラムなどの経験から、二次創作というものは成功しない、>新作を作ることで回していくモデル<じゃないと大きなビジネスにならない、というのがあるのかもしれないけど。
JRF 2009年6月 2日 (火)
super な介入として元著作者の権利を使いながら、共同体的な同人活動を通じて技術を鍛え、そこである程度の「特権」…著作者に対する交渉権を得て起業につなげる、といったことができないか、とか考えて(今ゆっくり記事をしたためて)いる。
JRF 2009年6月 2日 (火)
ドールは好きだが、写真集までが出せる限界です。まさにハマると人生終るよ。というか手芸ができない、服も買うしかないとかなったらどんだけ…。
JRF 2009年6月 2日 (火)
暗号通信の記号論理。(論理)システムの健全性や無矛盾性を示すために集合論的な解釈を考えるとすると、「理想的な公開鍵」ってどういうものにすればいいんだ?
JRF 2009年6月 1日 (月)
集合論的に示すとなると、計算量とかは普通考えず関数が在るかないかが問題となる。そこでは総当たり的な探索でよいわけで、鍵もメッセージで渡せるから有限の長さってことにすると、公開鍵から秘密鍵を必ずみつける関数があることになる。
JRF 2009年6月 1日 (月)
「理想的な公開鍵」の解釈ってのは、つまり、計算量をちゃんと考慮するか、鍵の長さを無限にするか…それとも↓のアイデアみたいに鍵を知ろうとすると他者からの介入があるようにする…まぁ、そこまでいかなくとも super な介入がなければ鍵や暗号文の中身がわからないようにする、とか。
JRF 2009年6月 1日 (月)
でも、それってどういうことだ?なんか、私は計算可能論の三つのシステムの等価性「チャーチ=チューリングのテーゼ」をイメージしてしまう。計算量と鍵無限が、帰納関数論とチューリングマシン、super な介入がラムダ計算みたいな連想をしてしまう。
JRF 2009年6月 1日 (月)
でも、私が使いたい範囲では、そこまで話を膨らませる必要はないんだろうけど。
JRF 2009年6月 1日 (月)
ブクマ↓の補足。もちろんベーシックインカムに親和的な意見だが、実は昔は年功序列を支えていた意見(のはず)。努力を成果によって見るという発想は決してしてはいけない。成果を見るならどういう努力があったかを問うてはならないし、努力を見るなら評価者の期待する成果が出ると望んではならない。
JRF 2009年6月 1日 (月)
うぅ。昨日、今日と「いつもの」腹痛。昨日はあぶら物にこころあたりがあるが、今日は、ちょっとおやつが重かったぐらい。睡眠も最近はリズムが崩れてたし、体調がおかしいのかな。花粉症が例年より軽いのが唯一の救い。
JRF 2009年6月 1日 (月)