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aboutme:105313

他人を許すとは、(自分がそうなることを)自分に許すこと、許した自分と生きていくこと。…だと私は思う。「許した自分と生きていくこと」にその他人と生きていくことが含まれるかもしれないし、単に共に生きていくのとは違った態度を敢えてとることが含まれているかもしれない。

JRF 2009年7月13日 (月)

反省的でもしかすると分裂的な自己が前提にあるかもしれない。多くの人にとっての「許し」の定義とはなりえないだろう。

JRF 2009年07月13日 4833

「自分がそうなる」というのは加害者にもなり被害者にもなりうる、という可能性の議論や、間接的に加害者であったという認識を超えて、自分がやったんだ、死んだんだ、とどこかで信じる…ある種の狂信の構図に参与するということまでも含む。そして「許した自分と生きていく」すなわちそれと戦いまたは救おうとする自分の内面を外の社会と対峙させていく、もちろん、いつもそのことばかりに気にしていなくても、振り返れば対峙のイメージをそこここに被せられるよう保つ。

そうでなく「許し」たなら、未来に許されると無意識に思って罪を犯し当然得られるとどこかで信じて許しを求める情けない自分に気づくことになるのではないか、と恐れる。

JRF 2009年07月13日 5955

可能性の議論や間接的なことしかできないはずで狂信の構図というのがそもそも理性に反するとして守り、情けない自分を内面でむしろ選択し、現実の制度の構築によって情けない自分になるのを遠ざけていく。そういう生きていき方もあるかもしれない。私はここで近代的自我を思い浮かべた。

JRF 2009年07月13日 5843

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